02
*
「百瀬」
「何」
「休憩。茶かコーヒー」
「死ね」
三馬鹿がいなくなったテーブルと椅子は、膨大に送り込まれてくる資料の種類分けのために有意義に活動されている。もう来ないということで、椅子も資料の分類に使わせてもらっているので、あいつらが戻る場所はない。そんな紙の匂いすらしそうな、二人だというのにやや狭く感じる生徒会室。
目の前のこいつがしゃべらなければ、パソコンのキーボードを打つ音と、紙が擦る音しか聞こえないというのに。耳障り。
「てかうざい。余計な口聞かないでくんない?」
「んなこと言ったってよー、疲れたー」
「ハア!? てか資料の上に突っ伏さないでよ! 資料が汚れる!」
「おまえほんとひどいよね……俺への心配したことある?」
黄色い声援を一身に受けた、背筋のピンと伸ばされた背中。低く威厳たっぷりの声。だれもが認める美貌の持ち主。その上性格はちょっと俺様。
なんていうのは作られた生徒会長の幻想なのだとまざまと見せつけられる。今ここにいるのは、どこか疲れたようにしまりのない顔をして突っ伏すどこにでもいそうな男ひとり。オーラもへったくれもない。
俺様キャラなんて、笑わせる。俺様にしてはことなかれ主義すぎるし、無気力だ。
ただ、仕事はできるけど。それは認める。
「そいや百瀬ちゃん」
「ちゃん付け? 殺すよ?」
「失礼しましたねはいはい。……んで百瀬、先生から打診あったぞ。追加で生徒会募集すればって」
「三馬鹿のリコール手続きの時間が惜しい。やるなら会長ひとりでやってね」
「ま、そうだよなあ。百瀬いれば足りるしなあ……それより今はこの机を開けるの無理だよなあ……資料尽くしだし……場所変えたくないよあ……」
「だらだら喋らないで。うざい。てか手動かして」
別に人が足りていないわけじゃない。理系脳なぼくの頭と、仕事の早い会長がいれば、どうにかなるし。リコール手続きがそれはそれは面倒くさいが、校内であいつらを生徒会役員として崇めている馬鹿は減ってきてるし、どうでもいい。しばらくは面倒くさいし、肩書きだけで泳がせて放置、というのが適当だろう。
きっとそう思っているのは会長も同じだ。だから何も言わない。
だらだらと机の上で体を動かす会長。動き気持ち悪い。……寝てないのは知っている。ぼくもだけど。
不意に、中途半端に開けられたまま何日も触っていなかった埃っぽいカーテンの隙間に目をやる。すぐ下に見える渡り廊下を、ちらほらと生徒が移動しているところだった。授業があるのだろう。
そこに、見慣れた背中を見つける。
転校生が現れるまで、あんなに遠くなど見たことのなかった背中だ。だって、ずっと、ぼくの隣にあったもの。それが今では、ぼくじゃない子を隣に並べて仲良さそうに歩いている。
(ほんと、すきになったら自重しないタイプなんだなあ、里巳って)
あんなに移動教室まで一緒にいたら、噂の的だ。ほら、現にちらほらと見られている。聡いあいつが気づいていないはずないのに、そのまま放っておいている。……転校生、どこから飛び出してくるか分からないからな。
里巳に合わせるように一生懸命上を向いて何かを話す香宮は、可愛い。ぼくには、ない。絶対に。
(ぼくを、すきにならない、わけだ)
ああいうのをすきになるっていうなら、里巳がぼくをすきになるなんて最初からありえなかったんだ。それなら、香宮みたいないい子の方がいい。転校生みたいな頭のおかしなやつに取られるよりは、ずっと。
「いいのかよーおまえ。まじで取られてんの」
「いいよ」
「……珍しいな。おまえが素直。それに諦めるなんてなあ。……我が儘性悪お姫様の名が廃るぞ」
「うるさい」
ふーん。と、あまり興味なさそうに会長が窓の外に目をやっている。
一気に重くなった手を必死に動かそうとして、でもやはり止まる。
「里巳は、ぼくが何しても気づかないもん」
「そりゃおまえあの扱いは奴隷だろうがよ……俺様みたいに洞察力に優れたおまえのことよく見てるやつでかつおまえのことよく知ってるやつじゃないと無理だろ」
「よく見てるとかキモすぎ」
資料に頬を張りつけたまま、会長がガックリとうなだれた。ひどいいくら照れてるからってそんなバッサリ切り捨てなくても……、と、情けないくぐもった声がかろうじて届く。別に照れていないし。
――でもおまえ、里巳のことすきなんだべ?
俺様生徒会長なんて呼ばれていながら裏では面倒くさがりのことなかれ主義。その裏で、会長はぼく――というか生徒全体をよく見ている。だから、気づかれたとき否定して逃れることはできなかった。
今は、めでたくぼくのはけ口となっている。面倒くさがられるが。
「――初めてなんだ。里巳が何かに関心示したり、執着したりしたの」
九条の家は、代々ぼく、というか百瀬の家に務める。九条の家に生まれて半年後、百瀬家当主の妻のおなかに次男坊ができたときから、里巳の運命は決まってしまった。このぼくに、仕えること。
そして、その運命を、里巳は拒否したりおおっぴらに受け入れたりはしない。ただ、流されるままにぼくに仕えた。
(そんなのほしくない)
「今まで里巳は、自分の欲みたいなものを表に出したことってなかったんだよ。だけど、あの子は里巳が唯一関心を示した特別な子なんだ……しょうがないよ」
「そうかあ?」
「そうなの! ぼくが言うんだから間違いないし、部外者の会長に何が分かるの」
じとりと、何も可愛くない上目づかいでこちらを見上げていた会長がはあ、とため息を吐く。
ぼくは今度こそ、まだまだ終わりの見えない資料に視線を戻した。
「……九条里巳はぼくのだけど、ぼくは里巳のじゃない」
それはとどまるところ、心の底から繋がっていないということだ。
里巳はぼくが来いと言ったら来る。姿を見せるなと言ったら消える。きっと抱きしめろと言ったら抱きしめる。だけどそこに、九条里巳個人の意志はない。それがむなしかった。もうずっとずっと。
いいことだ。里巳にとって、香宮の存在は喜び。
ぼくだって、このまま意志のない里巳にそばにいられるのはいやだ。うざい。近寄るなって言いたい。
「……何」
「いやあ……座りっぱなしで腰が痛かったので立ってみました。後、傷心中の我が儘性悪お姫様をなぐさめに」
ぐっと伸びをして立ち上がった会長が、ぽんぽんとぼくの頭を撫でた。
「おまえってさ、可愛い可愛い少年の皮を被った我が儘性悪悪魔――の皮を被った、ただの健気なやつだよなあほんと」
「さりげなく悪魔つけ足すな」
「……バレた?」
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