01



 ほんとう、やってらんない。


「でさあそんとき……」

「うーわ! おまえサイッテーだな! って……ふ、副会長!?」


 ぽすんと、ぼくよりもはるかに巨大な体躯の、その少しだけ乱れた制服に顔をうずめる。思い当たる節でもあるのか、うろたえて体を引くようにどけようとするが、むんずっと掴む。そうして、わずかだが匂ってくるのはやっぱり、煙草。

 世間一般の男子よりもずっと低い視点から上目遣いに見上げて睨んでやれば、さっきまで屈託なく友人であろう馬鹿どもと話をしていたらしいそいつは、ヤバいと言わんばかりに顔をそらした。


「煙草の匂い! 風紀室行き!」


 その勢いのままぐいっとそいつの胸ぐらを掴みなおす。朝から響き渡るそいつの絶叫。あまりにも近くて、耳が痛い。


「ひいいい! 朝から副会長が狩ってるぞ!」

「目を合わせるな逃げろ……あれは小悪魔なんて可愛いもんじゃない……悪魔だ」


 聞こえてるっつーの。

 そのまま魂が抜ける勢いでふぬけた体を、思いっきり締め上げてやる。どんだけやってもぼくの身長じゃ宙に浮かすことができないのが、なんと歯がゆい。


「てかアンタさあ、なんなわけ? 朝からこんな馬鹿みたいに煙草の匂いつけてきて、ぼくの仕事増やしたいの? ねえ? あんたみたいな学校の塵に朝から時間割かれるぼくの身にもなってほしいんだけど」


 遠慮がちに、しかししっかりと湧いている昇降口前。今日もまた、馬鹿どもを見つける。

 やってらんない、ぼくの日常。




『今ひときわ注目を浴びている新生徒会副会長・百瀬凛とは、人望もへったくれもない一年生にして枠の少ない生徒会の座をかの有名な百瀬グループの次男坊という権力を振りに振りかざしてもぎ取った学校の異端児。常にくるっとカールする睫毛やぱっちりとした二重の瞳などの整ったパーツ、小さな顔に小さな体と、愛らしい容姿は生徒会入りするにふさわしいものだが、その中身は凶悪な小悪魔……いや悪魔と言った方がいいのだろうか。その麗しい容姿に騙されつつ、今日も一人、また一人と学校から犠牲者が。校則破りの学生にはまず人間としての扱いはないと思い、かつ校則を破った学生の制裁現場に立ち会うことなかれ。おそらく諸君の人生においてトラウマを残すこととなるだろう。今年は校則に一層気をつけて!』


 一字一句思い出せる、そんな馬鹿げた記事が出回ったのは、ぼくが生徒会入りを発表されてすぐの新聞部の号外によってである。普段からやれ誰と誰のスクープだの、教師のふしだらな噂だの、あの学内有名人の密なるプライベートだの……校内中が辟易するほど、すっぱ抜けるものに目がないなんでもありの新聞部だったから、ある意味これも予測できた。もちろん新聞部はぼくの権力で即刻沈め(最近またゾンビのように復活しつつあるらしいが)、それからというもの副会長百瀬凛の校内での噂は確固たるものになった。らしい。

 会長が言っていた。どうでもいいけど。

 風紀に連絡し終えて、携帯をポケットにしまい、すっかり震えあがっているそいつの首元から手を放した。そいつはなにやら情けない声を出しながら尻尾巻いて逃げていったが……クラスも名前も連絡済みだ。捕まるのも時間の問題だろうに。

 面倒くさ。そう思いながら、上履きに履き替えて昇降口を横切り、階段を上ろうとして、ふとその奥にちらついた人影を見つける。数人の要ブラックリスト入り人物と、それらに引っ張られるようにしている最近よく見る後姿。



(教室か……)


 階段の奥の空き教室は使われていない。連れ込んで悪いことするっていうなら、うってつけの場所ということだ。

 あの子もほんとうに、面倒ごとに巻き込まれる体質だよね。そう思いながら、教室に向かった。放っておける、はずもなかったから。

 朝は影になっているということに加えて、真っ黒なカーテンで窓を覆っているその教室は、薄暗くどこか不気味だ。閉められた入口からそっと中を覗くと、やっぱり。


「あんたさあ……何回言ったら分かるの? 会計様から離れてよ」

「書記様のそばにいつもべったり! 身の程知らず!」


 呆れるような、的外れもいいところな言葉達。そして驚くほど時代の遅れたセリフだ。朝からご苦労なこった。


「きみのためを思って忠告してるんだから。これ以上庶務様に近寄るなら」

「近寄るなら、なあに? それより、きみ達こそ何回言ったら分かるの? 散らしても散らしても湧いてくるうじ虫もいいところだよ?」


 さっきから出しておいた携帯の画面を押して、「録音完了」と。言質は取っとけって、風紀がしつこいんだから。

 ぼくの方を見ていた、どうやら自分が可愛いと思っているらしい生きる性別を間違えた女もどきたちの顔が、驚いたように目を見張る。あーあー、全然可愛くない。小さかったら可愛いってんなら、こいつらの世の中どんだけ可愛いものに溢れてるんだか。


「な……副会長、様!?」

「なーに? 呼んだ? ぼくは今ことの次第を風紀に連絡するところだよ? ほんとう、毎回毎回ご苦労様。害虫駆除するぼくの身にもなってほしいなあ?」

「……っ」


 さっと顔が赤まるそいつら。今になってやっと自分達が害虫扱いされていることに気づいたらしい。鈍いやつ、ほんときらい。


「どうしてここが分かったんですか……」

「見つかりたくないなら、なんで登校時間にこんなところ連れ込もうとするのお? 馬鹿なの? 頭にうじ虫湧いてるの? ……ぼくならもっと目立たない時間に思いっきり目立たないところを踏みつけるけどなあ」


 憎々しげに歪むそいつらの表情。どうやら害虫達は、生徒会に尋常ではない執着は持っているものの、ぼくのことはきらいらしい。


「く……こうなったら、副会長だけなら」


 あれ。なんだか、ぼく、聞き捨てならないことば聞いたような。

 携帯をポケットにしまいながらやつらを見ていると、完全に我を失ったらしいそいつらが「ちょっと! もう出てきていいわよ!」と甲高い声で叫ぶ。耳が痛い。


「もうっ! どうせあの九条様を権力だけで引きずり落とした七光りなんだから! いい顔なんてさせないで、やっちゃってよ!」


 ああやっぱりね。雑草すら抜けなそうなお坊ちゃまだけじゃないよなあ。こういうときにはべらせてるのは。ほんとう単細胞。しかも。


(ぼくのことお飾りだと思ってるんだあ)


 なにそれ。朝から超イライラする。後で風紀には証拠写真として見せればいいし、伸しても怒られないよね。

 予想通りぞろぞろと出てきたこの害虫信者の男達。またどこにでもついてくる金魚のフンみたいなやつだよねえほんとうに。それにこの害虫さんがいいなんて、目も腐ってる。

 チャイムはとっくになったはずだ。面倒くさいと思いながら、いい機会だし、なんて考える。

 何だかよくわからないことをぶつぶつと言いながら近寄ってくるガタイのいい男は、全部で四人。ぎらぎらとした目は完全にぼくを動きは緩慢。そのうち一番近くに来ているやつに狙いを定める――。

 だけど、背を向けていた扉がいきなり開いて、埃っぽかったそこに外からの朝の空気がふわっと入ってきた。確かめる暇もなく、ぼくの真上で「俺も呼んだけど?」とのクールな声色。


「風紀」


 さっきまでやる気満々だったらしい男達の動きが一気に止まり、その後ろで待機していたキャンキャン吠えるだけの小型犬達も一様に大人しくなる。その小型犬達にはさっきまでなかった赤みがさっと見える。……なにそれ、超むかつく。イライラ。



「く、じょう様まで……どうして……」


 小型犬の、心なしか甘さを含み始めた控えめな声に吐き気がする。


「朝の登校時間だったし、凛が怪しいところに歩いていってたからな」


 てことはなんだ。つまり最初からぼくがここに入っていたところを見ていたということか。なんだこの茶番。

 イライラしていたぼくを悟ってか、ちょうど話題になっていた九条様――里巳が、ぼくを庇うように立つ。もちろんほんとうにぼくを庇いたかったわけじゃない。ぼくの低い沸点が頂点に達しているため、目の前の害虫を血祭りにするのを避けるためだ。里巳は面倒ごとがきらいだから。


「すみません。遅くなりました」

「おまえのことなんて呼んでないんだけど? 言う人違うんじゃない?」

「俺の主は凛だけです」


 ともすれば皺ひとつない執事服でも身に付けているように見える、仰々しい挨拶だ。もちろん今は同じく皺ひとつない、制服を着ているのだが。あーあー。こうやってところ構わず恭しくお辞儀なんてするから――。


「やだ……副会長様に九条様がお辞儀を……」

「やっぱり噂はほんとうなんだ……」

「九条様が副会長様に、職を譲ったって……あれもほんとう……?」


 こうやって面倒なことになるんだよ。

 ぼくよりもずっと上にある(近くにいるともはや真上と言っていい)里巳が、相変わらず表情ひとつ崩さないまま「落ち着いてください。ここは穏便に」と耳打ちしてくる。


「なんで? また香宮いじめられてるよ? 徹底的に潰そうよ?」

「もうすぐ風紀が来ますので、しかるべき処置を」


 馬鹿みたい。香宮に言い寄っているこいつらを一番血祭りにしたいのは、ぼくよりもむしろこいつなのに。こうしてクールぶってるけど、目元は冷え切ってるもん。

 小型犬の向こうで、安堵したようにこちらを見ている影――いわゆる不正な制裁の対象である香宮。そうだ。こいつはぼくを助けにきたわけじゃない。

 小型犬の悔しげな視線さえも、この優美で容姿端麗な男を前にしては、どこか甘さを含んでしまう。そんな色男に最近目をかけられている香宮の存在は、季節外れの転校生に巻き込まれて生徒会と接触したという憎しみに、より一層拍車をかけているのだろう。


 足音が聞こえる。三、四人か。……対応が早い、さすが風紀だ。


(ぼくがこいつらの骨を折る機会は逃したけど)


 風紀の介入によってたちまち降伏に追い込まれる親衛隊とその奴隷である取り巻きをよそに、ぼくのそばから離れて香宮の元へ行くその背中を、ぼんやりと見送った。

 風紀に抵抗するギャーギャーと汚い声のおかげで、ふたりの会話は聞こえない。きっと里巳が安否を確認しているのだろう。正当防衛と称してやつらを沈めることができなくなった以上、ここには用はない。はず。とりあえずふたりが丸く収まっているのを見て、踵を返した。風紀に、録音したやつ送っておくか。

 あんまりやりすぎても、怒られるし。会長に。

 ついこの間号外に載っていたふたり――かの有名な百瀬グループ子息であるぼくの従者である里巳と、転校生に巻き込まれるようにして不運を蒙っていたことにより同情が絶えなかった純朴少年香宮とが、仲良く写っている写真が、「ビックカップル誕生」との言葉を尽くしに尽くした記事とともに報じられた。写真は、ほんとうに、記事を裏づけるものでしかなかった。

 脳裏に焼きついている。首を振って、一年の教室に急いだ。


 季節外れの転校生は、とんでもないやつだった。なんていうか、常軌を逸したぶっ飛び方をしていた。ぼくと会長と全校生徒のほとんどはドン引きし、会計と書記と庶務とその他少数はなぜかその意味の分からない魅力に取りつかれ、それによって会計と書記と庶務の親衛隊が怒り狂うという、ちょっとしたハリケーンが起こった。ほんとうにちょっとした。

 今は時期が経ったことにより正気に戻っている生徒がほとんどで、会計と書記と庶務の三馬鹿をはじめとしたごく少数の信者と、正気に戻らないごく少数の親衛隊、そして転校生は、既に校内から無視を決め込まれている状況だ。……いずれしかるべき処置をしてあいつらを合法的に追放するのがぼくと会長の野望だ。仕事が三倍になったらしい風紀の野望でもある。

 香宮は当時、その嵐の渦中にいた。転校生は、ひとり部屋だった香宮と同室になるやいなや、それまで平凡な暮らしをしていたらしい(なんせ印象がない。ほんとうに最近まで目立たなかったから)香宮を、転校生が親友と豪語して引きずり回したことで、嫉妬に怒り狂った親衛隊の標的はたちまち香宮に。

 転校生のそばにいる香宮が、また同じくそばにいる三馬鹿と一緒にいることが許せないとか(すきで一緒にいるわけじゃない)。

 香宮は実は三馬鹿に憧れを抱いていて、転校生の親友を名乗り出て三馬鹿にお近づきになろうとしたとか(だから豪語しているのは転校生の方なのだが)。

 挙句の果てには、とりあえず香宮みたいな平凡が三馬鹿のそばにいるのはただただ許せないからとか(もう理由が思いつかないのだろうか)。

 とにかくしょうもない理由でいやがらせが続いていたが、一度だけ強姦沙汰になってからは、未遂だというもののいよいよ放ってはおけないということで、百瀬グループの従者といってぼくが権力でひとり部屋にしていた里巳の部屋に、香宮が転がり込むようになった。

 もともと里巳は人気があるし、武力にもたけている。香宮の保護にはもってこいだったのだろう。一応同じクラスであるし。

 そうして同室として仲を深めていくうちに、こうなって、そうなって、ああなって、あの記事が出回ったのだろう。たぶんね。

 なにせぼくは何も知らない。里巳はぼくに、自分の色恋沙汰なんて語らないからだ。

 知らなかった。いつの間にか、里巳が恋をしていたなんて。


(転校生みたいな馬鹿をすきになったってんなら、全力で止めるけど……)


 香宮は信じられないくらいいい子だし、ぼくと違って可愛げしかないし、世話好きの里巳にぴったりだし、お似合いだ。校内も、やや祝福ムード。

 ぼくが邪魔することなんてない。ほんとうに、なにも。


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