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月夜竜


ひんやりとした城の廊下を梵天丸はずんずんと歩いていく。
小十郎は静かについていく。

梵天丸の私室は竺丸の更に奥にある。
弟の部屋の前を通り過ぎようとしたとき、言い争うような声を聞いた。

それは父・輝宗と声を荒げる義姫のものだった。

日の当たらない廊下の突き当たり、二人の姿はそこにあった。

争いを嫌う優しい輝宗と気の強い義姫、この二人が言い争うところなど小十郎は見たことが無かった。
大抵輝宗が折れて事が済む。


『何か私に問題でもあるというのですか!』

『竺丸に対しては何も無い、我が問おておるのは梵天丸に対してのことよ』

自分の名前が聞こえ、梵天丸は足を止めた。


『あれでは梵天丸がかわいそうであろう』


これ以上聞かせてはならない。
危機感を感じた小十郎は梵天丸の名を呼んだ。

その先に居る二人にも、聞こえるようわずかに大きな声で。


その声と重なるように義姫の口から出た非道な言葉。
『もうあの子を今までの様には愛せませぬ』

梵天丸の耳にも確かに届いただろう。

小十郎の声に気づき振り向いた輝宗は驚き、慌てた顔。

義姫はこちらを見ようとすらしなかった。


『母上は、梵天丸の此の眼が嫌いなのだな』
部屋の襖を閉めるなり、梵天丸は呟いた。

気づかない訳もない。
義姫の態度の露骨さは輝宗だけでなく、家臣の者も皆気づいているだろう。

幼い梵天丸には酷なことだ。

しかし、
その梵天丸は以前と変わらず明るく元気に過ごしていた。

光を失った右目の事を彼の口から聞いたのは今が初めてだったかもしれない。気がつくと梵天丸は目の前に居た。
黙ったままの小十郎に詰め寄り眼帯に手を掛けた。

『お前も此の眼が怖いか?小十郎』
腫れ上がる右目と光を携えた左目で睨むように見上げている。

その目が初めてみる色をしていた。
悲しみと、僅かに怒りを携えた複雑な色。
光を失ってから、これほどまでに彼の目が感情を動かした色を見せたことはなかった。

梵天丸自身の感情に初めて素直になった瞬間だったかもしれない。

小十郎は膝を付き、彼の目を真っ直ぐに見据えた。
そして、
そっと肩に手を置いた。

『梵天丸さま、私は怖くなどございません』

梵天丸は目を伏せた。

『嘘を付くな、無理をして世話なとして貰わなくとも…梵天丸は一人で生きて行ける…』

震える声で強がりを言う梵天丸の姿はとても小さく見えた。

『…梵天丸さまこそ、無理を成されておりませぬか。人は一人では生きてはいけぬもの』

小十郎の言葉に梵天丸は目を丸くした顔を上げた。

本当は泣きたいくらい辛かったのだろう。
けれど無理に強がって涙を笑顔の下に隠してきたのだ。

こんなにも幼い少年の儚げな姿に胸が締め付けられるようだった。
この幼き主君の苦しむ姿をこれ以上見たくはなかった。

その為なら彼の悲しみや辛さを全て一緒に背負っていく覚悟はできていた。

『辛いときは私めをお頼りください。どんな小さき事でも、私は梵天丸さまの力になりたいと心より願っているのです。』

小さな瞳が揺れていた。

『私はいつでも梵天丸さまの味方にございます、この命あるかぎりお側を離れませぬ』


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あきゅろす。
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