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詩集
晴れた日には
彼女の中にはきっとちいさくて丸いものがつまっている。
それは飴玉よりもやわらかいと思う。
透明で、ひとすじの赤いりぼんが通っている。
つまっていると言っても、とても上品に入っている。
上からじょうろでゆっくり流しこんだみたいに。
彼女はずっとあたたかい、南の夏の帯のはしっこをつかんでいる。
白い指先から夏の帯はどこまでも伸びていって、年を越えて彼女のところまで帰ってくる。
ぼくは人を好きになる。

細い首と腕。ぼくとは違う。
しっとりして高い声。ぼくとは違う。
まばたきが少ない気がする。目は痛くないのかな。
ガラスの向こうから聞こえてくる声が響いている。
ぼくはつばを飲んだ。
舌の付け根が少し乾いていて、のどがぎゅっと鳴る。
彼女の口は閉じている。
あの喉からやさしい遠吼えが聞こえる。
人の良さそうな口元がはにかむように笑っている。
笑っている。

「何見てるんだ」
リードを引く凌に覗き込まれて、我に返るとあたりが暗くなりかけていた。
流れていく道路に、ヘッドライトをつけた車がちらほら見えている。
うなり声をあげてひらべったい車が走っていった。
首をかしげながら音が戻ってくる。
さわがしい、夕暮れの音だ。

何か言いながら、凌がたばこの火を消した。
しめっぽい煙のにおいがあたりを漂って消えた。
凌はたばこを消すと家へ帰る。
それは毎日のことで、ぼくはよく知っている。
首を正反対の方向へ引かれるからだ。
来た道は東だから、自分の影を見ながら帰る。
それも毎日のことで、ぼくはよく知っている。
凌は影を見ないけれど、ぼくは凌のぶんも影を見ている。
同じ速さで歩いて、家に帰る。一緒に。

凌は凌の家に入って、ぼくはぼくの家に入る。
彼女も彼女の家に入る。
夜だから。
彼女は影を見ながら帰ると思う。
歩く人の影を見て、彼女の影を見て、空が黒くなる前に帰ると思う。
やさしくて甘いものがぼくの中に落ちる。
ぼくは吼えない。
彼女はもう寝ているかもしれないから。

目を覚ますと、凌のおかあさんがいた。
傘を持って、おいで、と言った。
雨の日だ。

雨の日は凌の家に入る。
並んだ靴の横で足をぬぐって(おそろしくくすぐったい)、つるつるした床を歩く。
変わった煙のにおいがする。
凌のお母さんがまた何か燃やしているのだと思う。
鼻が勝手にひくついて、目が痛んだ。
凌は二階にいる。
凌のお父さんは今日も車に乗っている。
白いカーペットにあごをつけて目を閉じると、雨の音に混じって洗濯機が動く音がした。

今日は彼女には会えない。
雨の日は外には出ないからだ。
凌も、凌のお母さんも外には出ない。
彼女もきっと家の中で洗濯機の動く音を聞いていると思う。
影の無い日。
白いじゅうたんは白くてあたたかい。

凌のお父さんは帰ってくるとぼくの頭をなでた。
散歩にいけないと退屈だな、なあ、と言ってぼくの隣に座った。
雨の音は朝からずっと続いていて、家の人たちはあまり動かない。
凌のお父さんはいつもぼくを撫でる。
雨の日はぼくの隣に座ってギターを弾く。
ギターはかわいた芝生のにおいがする。
そのにおいに混じって音が鳴っている。
雨の日でも、かわいた芝生のにおいだ。
ビールのにおいがすると、ぼくは目が覚める。

しばらく続いた雨の日がすぎると、空気が急に熱くなった。
夏が帰ってくるのかもしれない。
彼女がつかんだ夏の帯が、また戻ってくる。
戻ってきた帯の端を、彼女がつかむ。
帯の端はすんなりと白い指におさまって、去年までの端を彼女が離してやる。
きっとそうやって回っていくのだと思う。
違う夏が飛んでいく。

ぼくは家の中にいる凌を呼ぶ。
晴れているからだ。
彼女はもう起きている。
凌も、ぼくも起きているから、晴れた日には外に出る。
散歩に行ってくる、と凌が叫ぶ声が聞こえた。
たばこのにおいが強くなって、ドアが開く。
またあのショーウィンドウのとこか、と凌が笑って言った。
そう、彼女がいるところだ。
服でも欲しいのかお前、と言いながら、凌がぼくの首にリードをつけた。
日はまだ高くのぼっていて、凌とぼくの影は地面に丸くなっていた。
熱いアスファルトを歩きながら、彼女のやさしい口元を思った。



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