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詩集
スカイウォッカ販促
 中身のほとんどない焼酎のラベルがくすんで見えている。なんとか、くろいさにしき、
と読める。今年に入ってから乱視が徐々に進んできているのかと思う。机の下に絡まって
いるコードを椅子の足で踏まないようにして、立ち上がる此花の姿が見えた。背の高い男
が丁寧な行動をとるのは、どこかアンバランスだ。
「便所か。さっきから近くないか」
此花は几帳面に椅子を机の下に押し込み、こちらを振り向かずに言った。酒に弱い彼のひ
ざがゆらいでいる。焼酎にあてられて、腕に太い血管が浮いていた。
「もうおじさんなんだよ。そういう君もだろう」
劇団あがりのような言葉づかいだと思う。おれはまだ学生だ、とつぶやきながら窓の傍に
寝転ぶ。厚手のカーペットが敷かれた床は寝心地がよかった。此花がトイレのドアノブを
回す音が聞こえた。きしっ、という、かわいた金属のこすれる音。夜中に響く。腰高に据
えられたテーブルの上で、まるいろうそくの火がちいさくぶれた。
 此花の部屋の窓にはカーテンがかけられていない。嫌なのだと彼は言った。俗っぽい感
じがする、と。彼の考える単純なその同じ理由で、この部屋には電灯もない。テレビも。
姿見に映ったろうそくが、細い観葉樹を照らしている。むき出しの窓ガラスの外は凍った
ように動かない。少し揺らいでいるように見えるのは回ったアルコールと、この目のせい
だろう。ウォッカの瓶を取るために霜のおりた窓を開ける。窓ガラスは板氷のように冷た
い。冬は瓶をベランダに出しておくと、自然な冷たさになる。
 窓を開けた右手の指先が濡れていた。幼いころは砂まみれだった指。ピアノに触れ、女
のぬめりに触れ、絵筆に触れた指。
 金具のきしむ音がして、此花がトイレから出てきた。便器に水が流れる音は、どこか投
げやりで、おおざっぱな外国の滝の音に似ている。
「換気扇つけっぱなしだから、トイレは寒いよ。通気孔にエアコンでもあればいいのに」
「貯水タンクの湯を沸かせよ。焼け石でも入れて」
どこかにそういう料理があったよね、と言い、此花はひざを押さえながら椅子ではなく床に
座る。細く息が漏れるのを聞いた。それからおれの手に持たれたウォッカの瓶を見て、彼は
眉根を寄せた。
「それ、まだ飲むの」
「飲むよ。おれはかなしいんだ」
「おじさんだね。そういうのがおじさんなんだよ」
 スカイウォッカ、と書かれた真っ青な瓶の口から冷えた液体が流れこんでくる。鼻の奥が
誰かに引っ張られ、息が詰まった。食道のあたりに熱い湯気がこもり、その湯気が鼻に戻っ
てくる。頭の中に細く光る注射針が浮かんだ。おれが顔をしかめるのを見ていた此花が、ア
イスペールからグラスに氷を移しているのが見えた。几帳面にもトングを握っている。薄暗
い部屋の景色が、おれの吐いたアルコールの湯気でゆがんだ。
ぼくにも頂戴、と此花が言い、青い瓶を手に取った。
「弱いくせにちゃんぽんで飲むのかよ」
おれが口を開いたころには、ウォッカをロックであおっている此花がいた。彼の頭からつま
さきまでいっぺんに血が回り、破裂しそうに赤くなるのが見える。
「刺される感じ。のど」
此花が絵本を読むみたいに、ゆっくりと言った。
「注射針だろ」
「そう、細くて、注射針を刺される。光ってる。保健室のにおい」



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