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二次創作/夢
関東事変・急 ― 尺を枉げて尋を直くすU




喧騒の中、ずっと一人静かに佇んでいたココは鉄に近付いた。ココが天竺に来た当初から、鉄はいつもと変わらない様子で彼に接している。ココ自身鉄が天竺にいるとはまさか思ってもみなかったし、ココがどうして天竺にやって来たのかも知っているだろうに平然としている様を見て、ひどく驚いたものだった。信じたかったもの、大事にしたかったものを置いてきてしまったココとしては、そんな鉄に怒鳴り散らしても良かったのかもしれない。けれど、そんなことをしても今後の自分の肩身が狭くなるだけだ。こうなった以上は腹を括って上手くのし上がるべきだと、彼はそう判じた。
それと同時に、彼女の存在は有り難くもあった。親しい人物がいるのといないのとでは組織への馴染みやすさが違う上、多少なりとも心強い。鉄がイザナの傍付きであることもラッキーだった。権力には近ければ近いほど良い。

何はともあれ、彼らは最初ココが少しの躊躇いを残していた時以外はすっかり元の関係に戻っていた。いつも会う時は三人で居たから自然と片側にスペースを開けてしまうけれど、本当にそれ以外はいつも通りの会話だ。唯一、顔を合わせたらいつも繰り出していたラーメン巡りにしばらく行っていない所だけは、いつもと違う。


「おーおー、やってんな東卍」

「元気だねえ。ココはいつ行くの?」

「…ま、後少ししたらじゃねえかな」


天竺の幹部に名を連ねたからには、武闘派でなくとも何かしらの役割は求められる。特にココに関しては自ら望んでの加入ではなかったため、この抗争で天竺側であると明確に示さなければならなかった。そのことは本人も深く自覚しており、誰を相手取らなければいけないかなんて分かり切っている。黒服の先頭を切って現れた青い瞳が眩しい男がいるのなら、彼を理想と仰ぎ見たアイツ(イヌピー)が居ないはずがないのだ。
相当に覚悟を決めた顔をしているココを見て、鉄はポンと軽くその背中を叩く。今から力んでいても仕方ないぞと言っても、多分意味はないだろうから。それに軽く微笑んだココは、お前こそどうなんだよと返す。鉄は大きな仕事を終えたこともあって休んでなと各幹部に言われていたが、休むタマであるとは誰も思っていなかった。


「うん、戦況を見て動こうかなって。鶴蝶が出るなら私の出番は無さそうだけどね」

「ああ…まあそうだろうな」

「多分鶴蝶ならタケミチの相手を買って出る。イザナまで辿り着かないように、自分が昔憧れた相手でも容赦なく手を出すはずだよ」


それは、とココは思った。まるで鶴蝶がとびきり凄い人のように、彼はイザナの為なら相手が誰であれ手は抜かないと告げるお前こそ、同じじゃないのか。
ココは鉄がエマをひどく大事にしていたことを知っている。よっぽどのことがなければラーメン巡りやツーリングを断らないと宣言していた彼女が、エマの電話一本であっさりと姿を消したのだから。その後も何回かそういうことがあって、静かにイヌピーが拗ねていたのを覚えている。それなのに、彼女はいとも容易く大事にしていた女の子に手を掛けた。逮捕者も出さず、証拠も残さず、鮮やかな手腕で全てを完璧にこなして闇に葬り去った。いっそ惚れ惚れするほどだ。ここから闇社会でどんどん天竺の名が大きくなっていくのだろうと、それを予感させる出来事だった。

ココは未だにイヌピーの連絡先を消すことが出来ていない。彼から様子を案じるメールが来ていたら思わず見てしまう。
だから、いい加減覚悟を決めなければならなかった。大切なものを切り捨てても案外生きていけるものだと、目の前の友人は証明している。ここで全てを断ち切ってしまおうと彼はグッと拳を握った。


「ココ、」

「何?」

「コレが終わったら一緒にラーメン行こうよ、豚骨で良い所あるって噂聞いたんだ。塩でもいいよ」

「…馬ァ鹿、次は醤油だ」


一人赤い壁を掻き分けて飛び込んで来た男がいた。
ぺーやんだ。人で人を殴り、吹き飛ばし、彼の周りだけポッカリと穴が空いたように距離が取られている。長い手足で暴れ回る彼を誰も止められなかったようだった。しかし、それも一人の男によって遂に動きが止められる。軽々と顔の近くにまで持ち上げられたしなやかな脚が彼のこめかみを直撃し、勢いに負けた体は遥か遠くへ地面を滑っていった。そのあまりの威力の凄まじさに、近くで取っ組み合いをしていた男たちは敵味方関係なく唖然とする。
満足気に微笑んで、イザナはピアスをカランと揺らした。


「―うん!勢いは止めた」


一人快進撃を続けていたぺーやんが沈んだことで、東卍側に少なからず動揺が広がっている。それを確認したイザナは、奥に控えていた灰谷兄弟とモッチー、ムーチョに号令を掛けた。テメェらの出番だ、と。意気揚々と戦場に踏み込んでいった彼らの背中を見てから、鶴蝶も口を開く。


「イザナ。俺も行ってくる」

「何だよ、もう行くの?精々暴れて来いよ」

「ああ」


許しを得て、彼もまた喧騒の中へ姿を消す。気が付いた時には、鉄の隣からココの姿も消えていた。行ったんだね、ココ。鉄はフ、と息をつく。
ココとイヌピーとは別々に知り合ったが、イヌピーからはココの話を、ココからはイヌピーの話を聞くくらいには実際に目にしなくても彼らの親しさをよく理解していた。ところが奇妙なことに、実際に二人と行動を共にしてみると、肝心な所で彼らは無意識にか遠慮し合っている。それは、前にイヌピーから話を聞いた乾家の火事が関係しているのだろうと思っている。亡くなった赤音というイヌピーの姉、火事の後から後ろ暗いことに手を出し始めたというココ、助けてくれたココに赤音じゃなくて申し訳ないという思いと今後何かあったら命を賭けると誓ったイヌピー。

馬鹿だな、なんて軽く言えるものではない。
ココにとっては金を稼ぐことがもう息をすることと同等になってしまった。"金を生む天才"が彼の代名詞となってからは、生き方など限られてくる。イヌピーは自分を庇って離れていってしまったココを取り返そうとしてくるだろう。巻き込みたくないのなら、ここで突き放しておくのが優しさだ。遠慮し合っている彼らにもどかしさを覚えたのもあるけれど、一度本音をさらけ出すべきだと鉄は思っていた。


「ちゃんとぶつかり合って、何もかもさらけ出して。君たちはそれが出来る」


どうか後悔のないように、間に合うように、手遅れになる前に。
埠頭には拳を打ち付ける音と怒号が響き渡っている。イザナは一度蹴りを繰り出しただけで、それ以降は動こうとしていない。そんな彼の後ろに控え、徐々に押されていく黒を静かに見つめる。鉄の出番はまだ訪れそうになかった。






*






薄汚れた、という表現では甘いくらいに荒れ果てた狭い路地裏だった。そこが自分の居場所で、ひたすら目の前の扉が開くのを日がな一日待つ日々。友達は残飯を喰い漁って丸々と太ったネズミ。空腹すら通り過ぎて何も感じなくなった体をどうにか動かすため、彼らについて行って見つけたゴミ袋の中を漁る。賢いネズミは袋を齧って破るよりも、人の手で開かれた方が早く食べ物にありつけるとよく理解していた。人には臭いがきつすぎて食べられない物も、彼らにはとっておきのご馳走だ。差し出されたそれを口に咥えて走り去るのを見送り、自分の食べられる物をしっかり抱えて扉の前へ戻る。
貧相な食事を終えると、いつものように扉近くにある蛇口を捻って頭から水を被る。臭いと連れ帰らないからねと言われていることもあり、冬だろうとお構いなしだ。臭いと汚れさえ取れれば構わない。ぷるぷると頭を振って水を飛ばし、積み立てられた段ボールに挟まっていれば、ある程度の寒さには耐えられた。

夜が明けて朝日が昇る頃、ガチャリと扉から華美なメイクを施している割に質素な服に見を包んだ女が複数出て来る。扉近くに小さく座り込んでいる姿を見て、彼女たちはお疲れだねえと声を掛けた。


「壁の色と同化してて毎回びっくりするよ!アンタ紛れ込むの上手

「これお客さんが残したフルーツね、捨てちゃうから貰ってきたんだけど分けたげる」

「ママならVIPの見送りしてるトコだから、もうしばらく待ってなおチビ」

「気を付けて帰ンな」


大きな房からつやつやしたマスカットを数粒分けてもらいつつ、こくりと言葉無しに頷く頭をワシャワシャと撫でて去っていく女達は、夜の仕事を終えてそれぞれの家路につく。きらびやかな世界に生きる現実は、この狭くて暗い路地裏だ。面倒な客やストーカーにバレないよう、顔は帽子やサングラスで隠し質素な服を身に纏って帰る。アフターまでこなす人や稼ぎ頭はもっと身なりに気を遣い、黒服に車で送ってもらったりするのだろうが、そこまでの金も力も持たない嬢の方が圧倒的に多いのだ。
夜の世界で働くというだけで、昼に働く圧倒的多数の人たちは彼女たちを下に見る。そして自分が上にいるのだと思い込んで接してくる。それに抵抗した女はすぐ姿を消したし、慣れ切って上手く相手にすり寄る女は比較的生き残っていた。とはいえ、加減を間違えると途端に命綱は蜘蛛の糸に変わってしまうのだけれど。

おチビと呼ばれた少女を産み落とした女は、人に媚びることが上手かった。ただ一度だけ間違えたのは、子供を産んでしまったことだと彼女はよく口にする。妊婦はお腹が出てシルエットが綺麗じゃないし、なんなら稼ぎ時のアフターも全く相手できない。借りている部屋の面積は狭くなるわ、夜泣きはうるさいわ、最悪だよ。煙草を吸いながらぽってりとした唇を歪めた女は、少女にとって美しい人だった。扉の前で座り込んでいる事もあり、様々な嬢の顔を少女はいつも見ている。その中でいっとう美しいのはその女だと、目が肥えている自覚のある少女は胸を張って言えるのだ。
贔屓目抜きで見ても、確かに女は光る美貌を持っていた。たまに扉を行き来する数少ない黒服の男が教えてくれたのだが、女は外国の生まれらしい。日本人の男が留学先で恋に落ちた女との間に生まれたのだそうだ。男は留学期間が終わると呆気なく日本へ帰ってしまったそうだが、女の母は妊娠に気が付いて単身日本へやって来たらしい。しかし彼の住む場所も知らず、日本語も話せない。頼る先すら分からないまま衰弱していき、とうとう女の母は出産と同時に命を落とした。父も母もいない女は施設で育ち、十八になると問答無用で外へ放り出されたという。
遠い遺伝子の持ち主同士が子を成すと良い所取りの子になるとはよく言うが、例に漏れず女は美しかった。銀に近い色素の薄い髪と、宵闇のような濃い藍の瞳を持っていた。その美貌を駆使して今まで生き抜いてきたという訳である。


「ン、ちゃんと綺麗にしたね」

「うん」

「じゃあ行くよ」


扉から顔を覗かせた女は大ぶりなサングラスをかけている。今日も少女がちゃんと臭いを取ったか確認して、底が厚いスニーカーでスタスタと路地の先を進んで行った。細身のパンツとジャケットはきらびやかな街の中では野暮ったい筈なのに、どうしてかひどく綺麗なものに見えて仕方ない。道中、女は子の手を引くことなく、後ろを振り返ることもなかった。これはいつものことだ。そして女は帰り道で常日頃少女に言い聞かせていることがある。この日は信号待ちで立ち止まった時に思い立ったようで、女はぽいと投げ捨てるように問いを投げかけた。ふうふうと荒い息でやっと追い付いた少女は女を見上げる。


「アソコはあんたの居場所じゃない。分かってるね?」

「うん」

「アソコは私が勝ち取った私の居場所。あんたの居場所は別よ」

「うん」


少女には難しいことは分からない。いつもお友達と分け合うご飯のことしか考えていないし、文字だって捨てられたゴミから出てきたラベルの字を地面に何となく書くくらいしかできない。それでも、女の言いたいことは分かっていた。女はいつまでも少女を自分のテリトリーに置いておくつもりはないということだ。


「意外と生きれるもんよ、どこだって」

「ん」


その日は女の煎餅みたいにペラペラの布団の端を借りて眠りに落ちる。足蹴にされても起きないが、夕方になれば女が支度を始めるので、自然とその時間には目が覚めるようになっていた。
日が傾き始めた頃、いつも通りにむくりと起き上がると女から丸く太った鞄が手渡された。どうやらなけなしの衣服や少女に関する公的な書類などが詰まっているらしい。小さな体で抱え込むようにして受け取ると、あんた、居場所探ししてきなさいと言われる。いつか来ると予感していた別れは案外早かった。


「まずは店の黒服の所でお世話してくれるみたいだから、そこ行って。店で別れたら、あんたとはこれで最後よ」

「うん」

「分かったならさっさと行くからね」

「うん」


この美しい人と一緒に寝るのが最後なら、眠りに落ちる前に言ってほしかったなあと思ったが、少女はそれを口に出すことはしない。悲しいなんて教わってないから、少女には分からないから、どうしてそう思ったのかなんてその時は全く理解できなかった。

あっさりと路地裏の扉をくぐって行った女の背を見送って、その日はオフだという黒服の男に導かれるままその住処へと向かう。男の部屋は古いアパートの一階で、備え付けのちゃっちいキッチンの周りには大量のカップ麺の入れ物でパンパンになったゴミ袋が散乱していた。


「ひとまず飯食うか。お湯沸かしてくれよおチビ」

「おゆ」


まさか分からんのか、と驚いた顔で男は少女を見やる。眉がヒョイと持ち上がったその表情は、年相応のものだった。男はまだ二十代半ばくらいでそこそこ顔がいい。客の対応をすることもあるのでそれなりの知識と話術が求められる黒服として働いているが、彼は子供の世話なんぞしたことがないし、夜の世界のことしか分からなかった。そもそも少女はこの時まだ五歳だったし、路地裏に一日中座り込んでいたのだから火すらも見たことがない。女は家で料理をしない人だった。しょうがねえなあ、とぶつぶつ言いながら、男はいつもはかっちりまとめている頭をかき回す。
ほれ見てろ、ここがスイッチ。押す。火つく。ここで火の大きさ変わる。で、鍋に水入れてこの上に乗せる。


「ひ…」

「触ったら熱いから鍋の持ち手以外触んなよ」

「うん」


素直に頷く少女のつむじを見下ろして、返事は素直なんだがなあと男は面倒そうな気配を察知していた。さてカップ麺を食べようとなった時、少女が手掴みで食べようとしたのには度肝を抜かれるかと思ったようだ。箸の存在すら知らず、熱い=危ないという考えも知らない。小さなフォークを渡してみると恐る恐る口に含んでいたが、冷ますという行為をしなかったせいで口の中を火傷したようだった。


「むぇ…」

「フォークで持ち上げた部分冷ませ、息吹いて、そう。そしたら口の中痛くなんねえから」

「ん」


一生懸命ふうふうと冷まして、やっとカップ麺を食べることに成功した少女は一瞬固まる。そしてすぐにフォークで次を掬い、また冷まし始めた。どうやらお気に召したらしいな、と男は自分の食事を再開する。案外賢い子よ、と少女を押し付けてきた一際美しい孃の言葉を思い出し、ふと目をやるとフォークの柄をがっちり掴んでいた手はいつの間にか鉛筆を持つ形に変わっていた。男が一度持ってみせた時の形を真似たらしい。動物の進化を見たような気持ちで、男は素直に感心しながら味の濃いスープを啜るのだった。

男と少女の奇妙な同居生活が終わったのは、少女が六歳になろうとしている時だ。
自治体に登録されていた女の家に、小学校入学に関する書類が行政から届いたのだ。女から渡されたそれを見て、男は潮時だなと感じた。何度か扉前にいた時に話した縁で気紛れに引き取った子供だったが、学校まで通わせてやる余裕はない。ひどく大人しい子で特に今の生活が嫌になったことはないが、自分の生活もカツカツなのにこれ以上金がかかる事態は御免被るという訳だ。さてどう話をしようかなと男が家に帰ると、少女が唯一の私物である鞄を抱えてゴミ袋の隣に座っていた。勘がいいなと男は感心する。案外賢い子よ、あの声がまた頭の中で響いた。


「居場所、探しにいく」

「?何の話か分からんが、すまんな。お前を学校に通わすのは無理だ」

「うん」

「ま、案外楽しかったぜ」


男は餞別にこれやるよ、とポケットから乱雑に何かを取り出す。三日月のチャームが美しいチェーンネックレスだった。いつかに送迎した孃の一人が趣味じゃないからあげると貢ぎ物の一つを男に寄越したものである。いつか金に変えようかなと思っていたが、それすら面倒で放っておいたおかげで少女の持ち物が一つ増えた。首から下げてやると、小さな体には大き過ぎてお腹辺りにペンダントトップが来ている。まあいいか、と少女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた男は立ち上がる。明日、準備できたらお別れだ。そう告げた男を見上げて、少女はこくりと頷いた。最後まで聞き分けがいい子だったなあと、男は少しだけ寂しく思わないでもなかった。


「あとお前、ちゃんと自分の名前覚えとけよ。瀬尾鉄、これお前の名前な。この紙にも書いてあンだろ」

「せおくろがね」

「そー。名前聞かれたらそう答えろよ」

「うん」


そして少女は施設に入った。そこで、白銀の髪が美しい少年と出会う。鉄が居場所を見つけた瞬間だった。


「―すげえよアングリー君!!」


喜びに満ちた声が、嫌に大きく耳に飛び込んできた。
ハッと意識を戻してその方向を見ると、灰谷兄弟も、モッチーも、ムーチョですら地に伏せているではないか。何が起きたのかと東卍の方を見れば、水色の頭が目立つ少年―アングリーに武道や千冬が駆け寄っている。どうやら彼が四人を圧倒したようだった。なるほどダークホースとは言い得て妙である。ざわめきから東卍に恐れを抱く天竺の声を聞き付け、どうしたものかと静観していれば、待てコラァといつになく焦りの滲む声を張り上げてムーチョが立ち上がった。その手には、短刀が握られている。
ムーチョには絶対的な王がいるのだ。その王が望むのなら、どんな手段を使ってでも、殺しをしてでも、勝たなければ(・・・・・・)!


「なっ…!?」

「俺は…負けてねぇ!負けてねぇぞおお!!!」


ブン、と鋭い切っ先がアングリーの胸元近くの風を切る。追撃はすぐさま繰り出され、隣に立っていた武道は咄嗟にアングリーを片手で突き飛ばして己が前に出た。一歩前に出た所で、目を血走らせたムーチョの腕が振りかぶるのを目の前にし、武道は傷を追うのは免れないと覚悟する。
それを止めたのはムーチョと同じ赤を身に纏った鶴蝶だった。武道とムーチョの間に体を滑り込ませ、短刀の背を上手く掴んで勢いを殺している。見事な早業だった。


「!!」

「アンタの負けだ、ムーチョ」

「どけクソガキ…テメェに何が分かる」


自分でも処理し切れない感情に震えるムーチョは、大きく見開いた目に涙を浮かべている。イザナが居なくなってから、己を拾ってくれたのはマイキーだった。必要だと言ってくれたのはマイキーだった。絶対的な王がいるのだと知っていて迎え入れたあの男に、ムーチョは今でも未練がある。そんな自分が許せなくて、不甲斐なくて、立ち塞がる鶴蝶を荒い息のまま睨みつけた。
ブワ、と風が唸りを上げる。鶴蝶が握った拳は目の前の鳩尾にめり込み、ムーチョは声にならない呻きと涙を零して地に倒れ伏した。


「アンタまで天竺に染まるな」


アンタから漢を教わった。そう続ける彼の表情は鋭く、味方を攻撃したことに対して一切の詰りを許さない。鶴蝶はムーチョの葛藤を感じ取っていて、揺らがず立っていてほしかったのだ。鉄のこともあって余計に彼は心惑わされたのかもしれない。けれど、地獄の共をするのは俺達(・・)だけでいいと、彼はずっとそう思っている。
イザナに対して罰は後で受けると告げ、無言を返されたことで鶴蝶は仕切り直しだと東卍の前に居直った。ありがとうと礼を言う幼馴染みを鋭く睨めつけて、一つ息を吐く。


「勘違いすんなよタケミチ、テメェを助けたつもりはねえ。命を預けた男の行く先が例え地獄であろうともついて行く」


その瞳に後悔などない。躊躇いなどない。譲れないものの為に拳を振り上げるのだ。


「あの頃の俺じゃねえぞタケミチ!
―天竺四天王 筆頭、鶴蝶だ」


そう言い終わるや否や、長い足で力強く地を蹴る。瞬く間にアングリーへと肉迫し、振り上げた拳を受け流そうとする動作すらお構いなしに吹き飛ばす。決して軽くはない体が宙を舞った衝撃は大きく、近くにいたイヌピーや千冬は驚愕に目を見開いた。なんという膂力、おまけにスピードも半端なく速い!鶴蝶は速度を緩めることなく走り抜ける。防ぐ間もなく千冬を昏倒させ、ガードしようと構えたイヌピーの腕の下から胴を捉えて拳を叩き込んだ。あっという間に東卍の主力を一撃で沈めた鶴蝶は、一人残る男の前に立つ。


「東卍はもうお前一人だ、タケミチ」

「…!」


驚きに染まった丸い瞳は、それでも真っ直ぐな光を失うことがない。言葉で脅したって、お前は立つのをやめないんだろうな。心の中で鶴蝶はそう呟いた。












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