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二次創作/夢
関東事変・急 ― 木に縁りて魚を求む






あの雪の日を覚えているかと聞かれたら、迷いなく肯定する。
三人揃って空を見上げるのは何時ぶりだろうかと、鉄は目を細めた。背に触れるのは剥き出しの地面で、今体を濡らすのは赤い血だ。似ても似つかない状況だけれど、ひどく懐かしい気持ちが溢れている。くたりと首を横に向けると、短く呼吸を繰り返すイザナと目を見開き涙を滲ませる鶴蝶が見えた。全く、鶴蝶は泣き虫のまま変わらないなあ。そう鉄が呟くと、イザナは違いねぇなと笑った。そんな彼らの近くで、マイキーが何も言わずに立ち竦んでいる。マイキー、イザナが名前を呼んだ。話しておきたいことがある、そう告げられたマイキーは次の言葉を待った。


「天竺の負けだ」

「イザナ…」

「オイ、ふざけんなっ…俺が言うのはいい、お前がそれを言うな!」

「ハハ、訳分かんねェ…なぁ、灰」

「ふ、確かにね」


お前が天竺の負けだっつったんだろ。そうだよ、鶴蝶ったら何言ってるの。まるで撃たれてなどいないかの様に言葉を交わす二人は、ひどく穏やかだ。


「イザナ…なんで俺なんか庇った!?お前は王だ、俺をゴミのように捨ててでもお前の時代を創らなきゃいけないんだ!!それが王だろ!?」

「鶴蝶、」

「俺も、クロも、お前の時代を創りたくてここまで…っ」


静かに鶴蝶の言葉に耳を澄ませていたイザナは、彼の言葉を否定した。"俺"の時代じゃなくて、"俺ら"の時代だよ、と。ハァ、ハァ、と荒い呼吸が言葉の端々に滲む。


「ゴメンな鶴蝶…でも俺にはお前らしか、いないから」


目尻から伝う雫が頬を通って耳まで伝った。鶴蝶は昔から声を上げて泣かない。下唇を巻き込んで、ぐっと嗚咽を堪えながら静かに涙を流すのだ。
イザナの失いたくないものは二つある。この泣き虫な下僕と、ひたすら従順な隣人だ。命を賭けられる程だなんて思ってもみなかったが、体が勝手に動いてしまったものは仕方がない。どうしようもない程に馬鹿なんだ―お前らも、俺も。


「嬉しい」

「灰…」

「イザナ、鶴蝶、…マイキー。私も伝えたいことがある」


聞いてくれるかな、と夜空を見上げたまま言う女は返事を待たずに続けた。


「これまでの全てに後悔はない」


私は人ですらなくて、ただ食べて寝るだけの生き物だった。
生ゴミを漁って食べて、臭いを消すために水を浴びて、段ボールの隙間で眠らないようにいたる所を抓って夜を明かす。そうして自分を産み落とした女の人を追い掛けて、平たい布団の端を握って眠りに落ちる。今度はまだ若い男の気紛れに助けられて、屋根のある場所で温かい食事を覚えた。そして辿り着いた施設で、運命と出会う。


「どうでもいいことかも、しれないけど…私にとってはそれが全てだったんだよ。唯一私だけの物を、イザナ、君が拾ってくれたから…私を見てくれたから」


母であった美しい人ありきの自分だった。言うなれば、彼女の勝ち取った居場所に間借りさせてもらっていたようなものだ。そこへ現れた銀髪の男の子。気紛れだろうと何だろうと、差し伸べられた手は自分だけのものだった。それだけは確かだった。あの日の少女は、自分の居場所を彼の隣だと定義した。


「イザナ。私、君がいて初めて人間になった (・・・・・・・・・・・・・)」


イザナはうん、と先を促す。


「鶴蝶、背中を預けられる心強さを君に貰った」


鶴蝶は涙もそのままにああ、と相槌を打つ。
ごぽりと嫌な音が喉の奥で響いた。隣から二つの視線を浴びながら、静かに耳を傾けていた友へと声を掛ける。ピンクゴールドが風になびいた。


「私ね、エマがいて初めて感情を理解したんだよ」

「…うん」

「大切で苦しくなるなんて、初めて知ったんだ…」


マイキーはその感情を知っている。どれだけ近くで見てきたと思っているのだ。真一郎にだってバレてんだぞ、なんならお前の隣の奴にだって。それでも隠すのが上手かった鉄は、三人以外にはその想いを誰にも悟られていなかった。凄いよ、お前は。本当にいつだってそう思っていた。


「困っちゃった」

「…」

「頑張ったけど、詰めが甘いんだよ。三人して、こうなっちゃったし、ね」

「せっちんは変なトコで抜けてるから」

「その通り、痛い所を突いてくるな。
…ね、マイキー、東卍は素敵なチームだね」


当たり前じゃん、と返せば、鉄はへたりと眉尻を下げる。皆カッコよくて、一緒にいると心が躍る。そんな仲間中々いないよ。はしゃいで喧嘩して、馬鹿みたいに遊んで、バイクで夜道を飛ばして、そんな大切な思い出は幾らでも出てくる。


「君達のおかげで、私、人らしくなれたんだろうなぁ」


答えは求めていない呟きだった。鉄はイザナにずりずりと身体を寄せて、その肩に額を預ける。もういいよという声を皮切りに、今度はイザナが口を開いた。


「…マイキー、俺を救いたいって言ったな」

「兄弟なら当然だろ…もう喋るなイザナ」

「ある日…俺を捨てた母と、偶然会った」


日中からタバコを吸ってパチンコで玉を打つ姿は、堕落した生活を示していた。脳内にまで響き渡るような音の中、台に向かう華奢な背中に問い掛ける。なんで俺のこと捨てたの、と。長く伸びた爪を眺めていると、咥えていたタバコを指で挟んでフ、と白い息を吐いた。舌打ちとメンドくせぇ、という呟きに反応してすぐ、彼女は何でもないように言った。
―アンタはアタシの子じゃないの
―わかる?アンタは他所の子。血が繋がってないんだよ

降りしきる雨の中、イザナは大好きだったはずの兄を殴り付けた。抵抗もせずその拳を受けて、真一郎は地面に座り込む。知ってたんだろ、なんで黙ってた。頭を掻き回してから叫べば、伸びた銀の髪が首筋に纏わりついて鬱陶しかった。血の繋がりが確かなものだと思って今まで生きてきたのに、"血の繋がった兄"と共に過ごす時間が何よりも嬉しかったのに。
立ち上がった真一郎は、血の繋がりがなくたって自分達の関係は変わらないだろ、と言う。一番大事に思うことを否定する男に、イザナはうるせえ、と怒鳴り声を上げた。真一郎には分からないのだ。孤独じゃないから。欲しくてたまらなかったものが手に入ったと思ったのに、ささやかな幸せが実は虚構だと知る。そんな地獄に、再び訪れた孤独に、一度温かさを知ってしまった心は耐えられなかった。雨のくすんだ匂いがする。目頭を熱くする涙は、流れ落ちると同時に肌を冷たくさせた。

目を見開くボロボロの間抜け面と、揺れるピンクゴールドが視界の端に映る。笑い飛ばせよ、馬鹿馬鹿しいってさ。


「ハ、…笑えるだろ」

「え?それって…」

「イザナお前…!」


真一郎。万次郎。エマ。どれだけ俺が焦がれても手の届かないものを持つお前たちが、羨ましくて仕方ないよ。


「俺はお前らの誰とも兄弟なんかじゃない…誰とも血が繋がってないんだよ」


嘘だろ?そう零したイヌピーは、入り浸っていた真一郎のバイク屋で見た楽しそうに笑うイザナの顔を覚えている。真一郎の声も弾んでいて、家族には特別朗らかに接するんだなぁと眺めていたのだ。

じわじわと血溜まりが大きくなっていく。それが寄り添う鉄のものなのか、イザナのものなのか、混ざり合ってしまって境界が分からない。どんどん息が浅くなっていく。イザナの投げ出された右手に微かな温もりが触れた。瞳だけ傾けて、薄暮の輝きを見る。もうほとんど感覚がない指先を、ほんの少し折り曲げた。
―こんな俺が、救えるかよ。
傍らの小さな二つの温もりに今更気付くのだ。遅いだろう。
なぁ、マイキー。


「俺が…救えるか? ―救いようねぇだろ?」


なぁ、エマ、…

一人ぼっちの王様は、それきり喋らなくなった。
僅かに首を持ち上げて、鶴蝶は彼の名を呼ぶ。紫の輝きは色褪せて、涙が目尻を伝っていった。


「イザナ?…… オイ!!返事しろよ!!」


何度も名前を呼ぶ。イザナ、オイ、起きろよ。イザナ!!!!
重石のような身体をずりずりと引き摺って、血を吐いて止まって、それでも何とか彼の隣に横たわる。地面には赤黒い跡が尾を引いていた。力なく垂らされた左手をぎゅぅと握りしめて、天を仰ぐ王様の横顔を見つめる。


「…かくちょ」

「クロ……三人なら、寂しくねえよな」

「そ、だねえ」


イザナを挟んで、二人は笑った。三人揃って鉄臭い。ごぷ、と一際大きな血の塊を吐き出して、鉄はマイキー、と声を上げる。吹けば消えるような囁きだった。


「たからばこ、の、中には…、何があると、思う…?」

「…っ宝物じゃねえの、なあ、せっちん、もういい」

「せぇ、かい」

「せっちん!!」

「たからばこはね…バイク屋、だよ、」


忘れないでね。
そう微笑んで、鉄は鶴蝶と視線を重ねる。ボロボロと溢れて止まらない大きな雫が視界を遮った。人のこといえねーだろ、なんて鶴蝶がぎこちなく口角を上げる。そういう君こそ情けない顔だよ、と鉄も目尻を下げた。

寂しい思いはさせない。地獄まで共をすると誓った人だから。


「俺らは 上手に生きられなかったな…」


横浜の夜に、白が舞う。雪だ。

あの日の約束が過る。
―身寄りのない人を国民にして居場所を作るんだ
―国の名前は?
―うーん…天竺かな。鶴蝶は孫悟空だろ、俺は三蔵法師
―クロは?
―私は筋斗雲がいい
―何でだよ!人じゃねーじゃん!
―いーじゃん、灰は筋斗雲な!
―やったね。私がどこにでも連れてったげる
―落とすんじゃねーぞ、お前意外と暴れ馬なんだから!
―ひどくない?
―でも、天竺か…いい名前だよな!
―うん
一日一つまでと決められているお菓子の中からポテトチップスをこっそり持ってきて広げ、かまくらに頭を突っ込んでガリガリと鉛筆を走らせた。しわくちゃのルーズリーフには計画書の文字が並んでいる。ランプの光がキラキラと彼らの瞳の中に宿っていた。構想を練り終えたらふかふかの雪の上ではしゃいで、イザナを真ん中に三人で背中から白に飛び込む。降りしきる雪の結晶を眺めながら、きっといい時代を創れるなんて言って、笑った。






*






覚えていますか。
初めて会った時、君は一人公園で俯いていましたね。一目見た瞬間、探していた人だと分かったのです。佐野エマ。自己紹介をする前から、その名前を知っていました。旧姓は黒川エマ。君と繋がりを持つために、私はあの日俯く君に声を掛けたのです。
私には私の目的があって、突然呼び出しても応えてくれるくらいの仲になれればいいかなと思っていました。今は思っていません。許されるなら、君の心の核になりたいと思うくらいには、君が大事です。本当です。そんな私の考えなんて知らない君は、出会う度に笑いかけてくれましたね。それがなんだかむず痒くて、私は気持ち悪いとすら感じました。手を握って走り回って、疲れたらベンチに横並びで座る。ブランコは座るだけじゃなくて二人乗りもできることだったり、滑り台は滑るんじゃなくて反対から登ることもできることだったり、砂山のトンネル開通だったり、沢山教えてくれましたね。君にとっては当たり前のことだったのでしょうか。けれど、私にとっては全てが新しく映りました。
最初は遠慮がちに私の後をついてきていたのに、君が私の手を引くようになったのは、いつからでしょう。


家にはおじいちゃんとお兄ちゃんがいると教えてくれた時の顔、今でも覚えています。帰る家があって、迎えてくれる人がいて、どうして悲しそうなのか。それがひどく気にかかりました。君は言いましたね。それでも、ママとニィがいないのだと。どこか寂しくて、背中が冷たいような気がするのだと。この頃の私は情緒が育っていなかったもので、とりあえず自分も身の上話をしておけばいいかなと軽い気持ちで施設育ちであることを君に告げました。ビー玉みたいな目が転げ落ちるんじゃないかと思うくらいにはまん丸になってましたね。面白かったです。フレーメン反応を起こしたみたいな顔でした。まあそうですよね。私達みたいな"親なし"はそうそういないでしょうから。その頃から君はグッと私に寄り掛かるようになったように思います。気の所為ならそれまでですが、境遇が近しいと通ずるものがあったんでしょうね。またむず痒くなりましたが、今度は気持ち悪いとは思いませんでした。不思議です。


君が佐野家へ招待してくれた時、足がふわふわ浮くような気持ちになりました。今思うと浮かれてたんでしょうか。私、もうこの時には君のこと大好きだったんでしょうね。じゃないとこの浮かれようには説明が付きません。

君も分かってたと思いますが、実は一番上のお兄さん、真一郎さんとはこの時初対面ではありませんでした。とはいえ顔見知り程度なものです。会話を重ねる度に気持ちの良い人だなと思ったのを記憶しています。何だかんだ年上の人の中では付き合いが深い人の一人になりましたね。あの人のお店には何度も足を運びましたし、お家に訪ねる度おやつを恵まれました。でも毎回きなこ棒ばっかりだったのでちょっと飽きてたことは秘密です。趣味渋くないですか?

次に二番目のお兄さん。マイキーですね。同い年なのでお兄さんと言うと不思議な感じです。出会って割とすぐに道場で組み手をしましたけど、すごく楽しかったです。突然せっちんなんてあだ名を付けられた時にはとても驚いた覚えがありますが、あれが彼のペースなんだなあと今なら納得です。マイキーは昔からマイキーとして完成してますね。概念です、マイキーは。マイキーがゲシュタルト崩壊起こしそうなのでここらでやめておきます。組手の後、君は私を取るなと二人…特にマイキーに対して訴えました。この時点で一定以上仲良くなるという目的は達成されていましたが、私はそれ以上が欲しくなったのです。人に強く求められていることがとても嬉しくて、そのまま停滞したくなかったのです。君を抱きしめ返したあの日から、私の中では君が本当の意味で大切な人になりました。


君の周りは鮮やかな世界が広がっていましたね。マイキーを筆頭に、ドラケンや場地、一虎、パーちん、三ツ谷。彼らの輪の中に私が引き摺り込まれる度君は怒っていたけど、無理やり連れ戻そうとはしなかった。多分私が悪い気はしていなかったからですよね。確かにすごく楽しかった。君とは違う方面の私が知らないことを色々教えてくれたものですから。まあそういう察しの良さは君の長所だけれど、私が優先するのは君なので。ちゃんと約束があれば彼らを撒いて戻ったから許してほしいものです。しかしマイキーのしつこさには脱帽しました。彼は生来のエゴイストですね。そのワガママにドラケンは呆れながらマイキーに付き合って、場地も溜め息つきながら振り回されてました。気紛れ理不尽大魔王でも皆彼のことが大好きで、その強さに憧れたから、ついていきたいと思ったんでしょう。


真一郎さんが亡くなった時、あまり会いに行けなくてごめんなさい。彼の死を悲しんで立ち止まってしまった人を迎えに行っていたのです。中々隠れんぼが上手くて焦りましたが、無事見つかりました。手をかけさせないでほしいものですね。でも、君は流石に強い人だ。お葬式では泣いていたけれど、その後は湿っぽいのなんか真兄が許すわけないでしょ!と暗い空気を吹き飛ばして、マイキーを布団から引き摺り出してるのを見た時は思わず笑いました。

しばらく黙り込んでいたマイキーはマイキーで駄々をこねてるし、頭はぼさぼさだし、折角の君のご飯に注文をつけるし。そんな風に、家の玄関をくぐれば彼はただの佐野万次郎でいられた。それを可能にしていたのは、君です。真一郎さんはいなくなってしまったけれど、彼を普段通りにしたのは間違いなく君の功績だ。君はもっと誇っていい、何もできないからなんて言ってたこともあったけれど、心の逃げ場所になってくれる人なんてそういない。君こそマイキーの核だ。気紛れで、ワガママで、寂しがりで、かっこいい彼を形作っているのは君だ。胸を張って。


ある日、君は恋をしているのだとこっそり私に打ち明けました。何となくよくドラケンの方を見ているなあと気が付いていたので、あまり驚きはしませんでしたよ。それが恋というのは初めて知りましたが。一生懸命オシャレして、何も言われなくて悲しんで、たまに褒められて飛び跳ねるほど喜んで、忙しい感情だということが分かりました。昔読んだ本には恋とは落ちるものだと書いてあったのですが、君の場合はじわじわと波に侵食されて崩れる砂の城みたいな恋の仕方だったと思います。突然落ちるみたいな感じは見受けられなかったので。恋の定義って難しいですね。でも私はそう思いました。

ドラケンは良い奴です。君を大事にしている。少し大事にし過ぎているきらいはありますが、私みたいに容赦なく手も足も出るタイプは珍しいので正しい判断です。集会に君を連れていったのは総長の妹であることを東卍全体に知らせるためでしょう。もしチーム同士のいざこざに巻き込まれたら、すぐに把握できるようにしたということです。君をいたずらに遠ざけて悲しませるのではなく、適度な距離に置いて守るという姿勢のあらわれですね。ドラケンらしい。もちろん君にも大事にされている自覚はあったでしょう。だからどんなにアピールしても二人の関係に名前がつかなくてヤキモキしていたはずです。
でも、諦めないで。互いが互いを大事に思うからこそ、君たちは幸せになれる。君はいつも通り、自信を持って彼を迎えてあげてね。そう遠くない内に、君たちには素敵な肩書きが付きますよ。そうなったら皆からかいとお祝いの嵐を巻き起こすこと間違いなしです。


伝えたいことが多すぎて困りました。思い出話はきりがないので、ここからは私がずっと君に打ち明けてこなかった秘密を話します。


私には絶対に失いたくない人がいます。もしかして、と思ったでしょう。正解です。私のチョーカーを拾ってくれた人です。その人とは施設で出会いました。まあ色々と普通とはかけ離れていたので、私は望む望まないにかかわらず何だかんだとトラブルに見舞われていました。ある時、恐らく気紛れだったんでしょうね。手を差し伸べてくれたのです。何の見返りも求めず、何の思惑もなく、彼は私を立ち上がらせては手にペンダントを握らせ、すぐその場を去りました。あの差し出された手は、私だけが握ることを許されていました。私だけのものだったのです。それからこの人が私の世界になりました。要するに生きる意味です。居場所とも言えますね。誰が何と言おうと私にとってはそうなので、それで良いんです。

まあそういう訳で、私はその人の役に立つ為ならなんでもしようと思いました。自分にできることは全てやらなきゃと考えに考えて、思い出したんです。彼は、私を違う名前で呼んだことがある。その人を探し出して連れてきたら喜んでくれるんじゃないか?とね。我ながら自分にこんな子供らしい部分があったとは驚きです。情報が全く無かったので、夜の管制室に忍び込んで彼に関する書類を漁りました。真似しちゃ駄目ですよ。しないでしょうけど。施設ではいい子だったので、意外とバレなかったです。暴れん坊な子とかに手間も時間も割いていたから、大人は疲れてたのかもしれないですね。

そうして何回目かの夜、私はその名前を見つけました。ご丁寧に住所まで書いてあったんですよ。多分引き取り先の候補だったんでしょうね。経済的な問題で叶わなかったのかもしれないですが。そしてそれをこっそり書き写して、私は彼が名前を呼んだその人に会いに行きました。それが君です。


そこからは君も知っての通り、私は君に絆されました。まさか大切なものがこんなに簡単に増えるとは!不覚です。でも、楽しかった。私は君のおかげで感情を知りました。理解したのです。波打つ鼓動の苦しさも、熱くなる頬も、大きく笑うことの爽快さも。全て君が始まりでした。ありがとう。君は私の核です。どうかいつまでも明るく笑っていてね。


きっと今、何が何だか分からないでしょう。それもそのはず、私は君を舞台上の人間にしたくなかった。演者になってしまったが最後、君は倒れる役目しか与えられていない。そんなのは御免だ。だから、これは私のエゴです。許さなくていい。ただ生きてほしい。そんなエゴです。私がやりたくてやりました。お叱りは甘んじて受けましょう。批判は受けとりません。


これから懺悔という名のネタばらしをします。あと、これを読んだら特にドラケンとマイキーには「体に害はないけど不安なら検査して」と伝えておいてね。そうしないと安心できないでしょうから。まず君には睡眠薬を盛りました。何故かって?君が狙われてたからです。違う奴が計画を実行する予定だったんですが、私がその役目を奪い取りました。プレゼンテーションが上手く行ったようで何よりです。内容は教えませんが、一応合法の物しか使ってないので安心してください。とにかく私の肩書きも手伝って、相手はいい駒だと認識してくれたみたいですね。しめしめといった感じです。まあそれは置いといて、君を眠らせて寂れた港まで運びました。リッチにタクシーです。さすがにおんぶして歩き回ったら目立ち過ぎますからね。ちゃんと配慮しました。

そして、君にはそこで死んでもらったんです。
血塗れの女の子が横たわっていて、すぐ隣には血に汚れた黒い服の私が立っていたら、誰も呼吸は確認しませんよね?冬場で厚着だったので胸の上下が分かりにくかったのも一助となりました。血に関しては小道具として必要だったので、ちゃんと本物です。乾いてバリバリになってるかもしれませんが、ちゃんと替えの服を用意したので着替えてください。お気に入りの服だったらごめんなさい。あと頭に重点的に血をかけたので、頭もしっかり洗ってね。

トリックが知りたい?大層なことはしていません。上着とマフラーに血を染み込ませて丸めて、それをコンクリートブロックで殴打するだけです。血飛沫の跡をブロックと自分に浸けておけば、状況証拠的には完璧でしょう?それらは全部石を詰めて海に丸ごと放棄するわけです。このための港です。誰も死んでない完全犯罪の出来上がりですね。中々の出来栄えなんじゃないでしょうか。趣味の悪い作品ですけど。

その後は怪しまれる前に眠る君をさっさと運んでもらいました。念の為血は被ったままにしといてと伝えたので、そのまんまだと思います。ごめんね。万が一敵が来たら死んだふりしててください。
因みに運んでくれた人にはそれらしい格好をして貰ったはずなので、偽装工作がバレることはないでしょう。厳つい顔をしている真一郎さんのオトモダチですからね。君は会ったことあるんでしょうか?私はお店で出会ってから割と長い付き合いです。何も言わずに手を貸してくれましたよ。いい男ですね。ヒントは落としてきたので、誰かしら迎えに来るでしょう。東卍側にしか教えてないので、安心してそこで待っていて下さい。


目が覚めた時、君は何を思うんでしょうね。怖がらせたでしょうか。そうだとしたら本当にごめんなさい。でも後悔はありません。私は私のやりたいようにやりました。


最後に、私が君に近付いた本当の理由を教えましょう。私の大切な人は、君の兄です。君の兄は、いつか君を迎えに行くと言ったそうですね。そしてそれは未だに叶っていない。彼は手を伸ばすことができない人なんです。一度自分のものじゃないと思ったら、徹底的に排除してしまう。彼だけが施設に入れられた、それは本当のこと。どう言い繕ったって捨てられた事実は変わらない。もう何も期待したくないから、自ら何かを求めることができないんです。同じ施設では彼と私と、もう一人で行動を共にしていたのですが、彼の心の穴を埋めるには足りなかったみたいです。そのもう一人は私の大事な相方なので、その内紹介したいですね。話を戻します。君の兄は、全て手にしているマイキーのことが憎くて羨ましくてたまらなくて、こんなことになってしまいました。でも、私は君と彼を会わせたかった。彼は寂しがりやなだけなんです。マイキーと似てますね。だから過去に君の話をして彼に拒否されても、諦めませんでした。そして今回、最悪のピンチと最大のチャンスが訪れたんだと思います。


エマ。私のこの計画が成功したら、どうか兄を迎えに行ってあげてくれませんか。臆病で、泣くことすらできない、私の大切な人の元へ。あの人はきっと、ずっと待ってるんです。


人を孤独にさせないことが君の特技でしょう?私の大切なお友達、期待しています。




















「…バカ」









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