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Novel
★【プラヴィック-Pluveck-U】【中】













「はい、わかりまし……あ、という事は陽日さんは…。…そうですか。じゃあ今から向かいますね。」


EXEのトレーニングルームで器具の手入れをしていた梓の端末に、郁から連絡が入る。どうやら直獅の続投が決まったようで、梓はホッと息をついた。


「アイツ、どうだったって?」


「大丈夫、勝ったみたいです。僕はこれから二人の手当てに試験室に行ってきますけど…、これ途中になるな…。」


「マジで!?あー、ホッとしたわ。
じゃ、それ俺がやっといてやるよ。さっさと行けって。」


「本当ですか?ありがとうございます。」


直獅と仲の良いEXEが梓に声を掛ける。朗報にニヤ〜と笑うと恐ろしげな、ギザギザに尖った歯が覗いたが、その人懐っこい笑顔とさりげない気遣いを慕う者は多い。彼は緑色の犬耳をぴくりと動かすと、布を渡そうとしてきた梓の手首を唐突に引っ張り、自分の方に引き寄せた。


「うわっ!?」


「……」


やや屈んで梓の胸に耳を押し付けると、上目遣いで彼を見上げてまたニヤリとする。


「そうかそうか〜、木ノ瀬は陽日が生きててくれて嬉しかったんだな〜。嬉しそうに心臓跳ねさせて可愛い奴。」


「な…ッ!?
…っ、……違いますよ…犬飼さんが急に引っ張るから驚いただけです。」


「くっ、はは!そーゆー事にしといてやるよ。」


犬のEXE・犬飼は梓の手から布を奪うと、下から睨んで来る梓に「これで拭いときゃいいんだろ?」とひらひらと布を振った。


「………犬飼隆文、明日のトレーニングは3倍…と。」


「!?」


深く溜め息をつき、犬飼の横をすり抜けながら梓がぼそりと呟くと、犬飼はギョッとして目を見開いた。ふっ、と口角を上げ、したり顔で犬飼を振り返る。


「この野郎…っ、掃除してやんねーぞ!」


「あぁ、5倍かなぁ」


「ぐぁーー!」


犬飼のリアクションにクスクスと笑いながらトレーニングルームを出ると、梓は隣の部屋に向かう。
試験室に四季を連れていく時、梓は正直直獅の死を覚悟していたのだが、無事に生きていてくれた事は素直に嬉しかった。同じ施設内で働いていても、郁のようにプラヴィックを騙し嬲り利用するような仕事ではなくEXEの能力を高める仕事に就いているからか、梓はプラヴィックに対して軽蔑の念は抱いていなかった。だが、それはプラヴィックやハインダープラヴィック達への情には繋がらない。
同じ生命。命としては対等と考えていても、"立場"の違いや「彼らはプラヴィックとして生きねばならない」という"運命"の認識が、梓を図らずも冷酷にさせる。彼はハインダープラヴィックが目の前で殺されようと、薬物実験でもがき苦しもうと…その表情を変えた事は一度もなかった。しかしEXEには仲間意識があるらしく、今回のように安堵の表情を浮かべたりもする。
梓は試験室の扉を軽くノックすると、中の二人に声をかけた。


「陽日さん、神楽坂さん、入りますよ。」


ひやりと冷たいドアノブを捻り、重い扉をグッと押す。部屋中の変色した血を、いい加減掃除した方がいいんじゃないのかと思いつつ中にいる二人に目を向けると…なんと仲良く呑気に寝ているものだから驚いた。


「……」


最初の話だと、確かに終わったらこの部屋で待機って事だったけど……普通寝るか…!?
四季がどこでも眠り始めるのは知っていたが、まさか直獅まで…しかもこんなコンクリートの床で眠っているなど想定外であった。しかも、仲よさ気に四季の腹を枕にしている。ほぼ殺し合いのような事をした後だというのに…、梓は二人の能天気さに眩暈すら覚えた。


「…あの」


「……ぐー…」


「…………すー」


「……………」


声をかけても反応はなく、梓は呆れて溜め息すら吐かない。一応手当てに来たので二人の様子を観察するが、直獅は右手の怪我以外外傷はなく血も止まりかけている。四季は見たところ無傷だが、打撲などがないか確かめる為に二人を起こす事にした。
声を掛けても無駄なような気がした為、四季の頭側に移動しそっとしゃがみ込む。そして一発で起こしてしまおうと、今までで四季を起こすのに最も効果を発揮した、顔の鱗を逆なでるという…四季にとっては暴挙(?)とも言える行動に出た。頬の鱗を下から上へと撫で上げるだけなのだが、痛いのか気持ち悪いのか、梓は一度、飛び起きた四季に反射的に噛み付かれそうになった事がある。その反省を活かし、以来梓は誤って噛み付かれないよう位置を考えて実行するようにしていた。
そっと手を伸ばし、梓が躊躇なく頬の鱗をぞりっと逆なでると…


「―――ッ!?」


「うぉぉっ!?」


「おはようございます。」


案の定一気に口を開いた四季が、自分の鱗を逆なでた犯人を探そうと目を見開いた。ガバリと上半身を起こした為、四季の腹を枕にしていた直獅も同時に飛び起きる。四季は牙を剥き出したままサッと振り返るがそこにいたのが見知った顔であったので、ゆっくりと口を閉じた。


「嫌い、……その起こし方。」


「あー、ビックリした…!」


「まったく、神楽坂さんだけならまだしも…どうして陽日さんまで寝ているんですか!」


「う…」


「チビは、昨日あまり寝れなかったんだって…緊張で。」


「って、言うなよ神楽坂!!あと"チビ"もやめろ!」


「子供ですか…!」


漫才を始め出す二人に思い切り溜め息を吐くと、梓はパンッと手を叩いて制した。


「あのですね、僕はお二人の仲の良さを確かめに来たわけじゃありません。」


ぴしゃりと言うと、直獅が頬を膨らませる。その頬を四季が突いてまたじゃれ始めたのだが、梓に「神楽坂さん、財布に生まれ変わりたいんですか」と言われ、流石に手を引っ込めた。


「神楽坂の頭、二回くらい床にぶつけたんだけど…」


身体の痛みはないか等梓が質問していくが二人共特に異常はないらしく、ケロッとしていた。だが四季の頭を二度もコンクリートに叩き付けた直獅は、どうにも彼の状態が気になるらしく恐る恐る申し出た。自分が失明したのも頭部への衝撃が原因だったからか、直獅は珍しく不安を露わにする。


「もう痛くない…けど。チビは、気になる?」


首を傾ける四季に困ったような表情で直獅が頷くと、四季は「わかった」と小さく言い、ゆっくりと立ち上がった。


「検査…受けてもいい?」


「え?あぁ…別に構いませんけど…。」


珍しいな…この人が自分から行動しようとするなんて…。
何処に連れていくにしても、四季の事を引っ張るように移動していた記憶が大半だった為、自ら検査を受けようとする姿勢に梓は驚いた。しかし直獅の時の様に、何かあった時に後から問題が大きくなっては困る。折角湧いたやる気を削ぐ理由もないので、梓は直獅の傷の手当ても兼ねて、二人を医務室に連れていく事にした。
















「二人共、検査が終わったらもう部屋の方に戻って頂いて大丈夫ですよ。
…では、よろしくお願いします。」


一礼して医務室の扉を閉め、梓は腕時計を見る。時間はちょうど15時を回った頃であり、そういえばバタバタしてて昼ご飯食べてなかったな…、と、ふと思い出した。しかし「調子が悪い」と声が上がっているトレーニング器具をチェックする予定があり、のんびりと食べているわけにはいかない。一先ずトレーニングルームに戻り、中にある事務所の扉を開けると、梓は部屋の奥にある戸棚に向かった。


「んー…、これにしよう」


戸棚に並んでいるのは、暇のない時にも食事ができるように梓が用意している軽食…なのだが、その全ては宇宙食だった。EXEの間で、梓が宇宙食ばかり食べている光景は最早常識であり、あるEXEが処分された時は「事務所の棚から宇宙食を盗んだ奴が木ノ瀬に消された」などくだらない噂が立った事もあるらしい。フリーズドライのチョコレート菓子を一つ口に放り込み、咀嚼しながら事務所を出る。


「あ、犬飼さん。さっきは掃除なんか頼んですみませんでした。」


使用禁止と貼り紙をしておいたチェストプレスの所に行くと、ちょうど近くで水を飲んでいた犬飼に気が付き梓は声を掛けた。「んー」と言いながら親指を立てる彼に苦笑しつつ、礼を言い軽く頭を下げる。
チョコレートを食べながら器具の状態を見ていたのだがネジの緩みがあるわけではなく、ごくんと飲み込んで首を捻った。


「うーん……。…あ、」


試しにバーを引いて見ると、成る程動きに違和感がある。しばらく考察していた梓だがどうやらフレームの交換が必要らしいと分かったらしく、ひょいっと軽快にチョコレートを口に入れた。
翼に直せるかな…。………いや、五月蝿いし最初から業者に頼むか…。
この施設の研究員である幼なじみの天羽翼の顔を思い浮かべ、梓は無意識のうちに表情を柔らかくする。だがハッとして顔を引き締め、取り敢えず翼に内線を繋げようと端末を取り出した。…その時。


「ぬっ、今日はチョコか〜!貰うぞ梓!」


「…」


「うぐっ!?」


噂をすればなんとやら、梓が端末を取り出すと、まるで図ったかのように特徴のある口調の男が声を掛けてきた。背後から梓を抱きしめ、手にある宇宙食を狙ってきた彼に、梓は振り返りもせず冷静にその腹に肘打ちを食らわせる。躊躇いのない鋭さに、でかい図体がよろめいた。


「翼。」


「うぅ…ごめんちゃい。」


腹をさすりながら素直に謝る彼―天羽翼をじとりと睨み、梓は「まあいいよ」と端末を揺らした。


「ちょうど呼ぼうと思ってたところだったし。コレ、直せる?」


「ぬぬ?………」


物欲しげな目でチョコレートを見つめるが梓に完全に無視され、翼は諦めて故障しているチェストプレスに目を向けた。全体を見、動きを確認して、翼はチョコレートを頬張る梓に声を掛けた。


「これなら直せるぞー!」


「そうか…。じゃあ、修理頼みたいんだけど…時間ある?」


「梓がチョコくれたら時間ある。」


「なに、それ。翼…絶対今お腹空いてるだろ。」


子供のような理由で菓子をねだられ、梓は小さく吹き出す。仕方ないなぁ、と最後の一つを袋から取り出して差し出すと、翼はにこ〜っとして少し屈んだ。


「あーん。」


「……注文多いな。」


「ぬはは〜」


「あ、こら指くわえるな!」


笑いながら「おい、見せ付けてんじゃねーぞー!」と野次ってきたEXEに、梓が微笑みながらトレーニングメニューを倍増させたのは言うまでもなかった。




















「そういえば神楽坂の部屋ってどこだ?」


検査や手当てを終えた二人は、帰室する為に廊下を歩いていた。
EXE用のフロアは一般棟の中にある。この施設は一般棟と隔離棟に分かれているが、一般棟は隔離棟とは比べものにならない程大きい。プラヴィックが収容されているフロア、広い研究室、EXEのトレーニングルーム、食堂等々。そして施設の職員やEXEの寮もあり、一般棟にはこの施設の全てがあるようなものである。新入りはよく迷子になる為、地図の携帯は必須だ。


「えーと…確か13号室…。」


「あ、結構近かったんだな〜。俺8号室。
つーか、此処にきてもう一週間だろ?他の奴らもお前の事見たことないって言ってたし…、なんでだ?」


「缶詰にされてた……ずっと。戦い方が野性的過ぎるから一から鍛える…って。」


「おぉぉ…流石木ノ瀬…、新入りにも容赦ないな…。」


EXEのフロアに入るのに、EXE自身でパスワードを入力する等の手間はいらない。彼らの首輪が鍵のようなもので、セキュリティがEXEの首輪を察知すると自動でロックが解除されるのだ。
自動ドアが開くと、暖色系の明かりに照らされた廊下が現れる。観賞植物も置かれており、一見ホテルの廊下を歩いているようでもあった。部屋は一人一部屋、十畳で、プラヴィックのゲージの半分程の広さだが床はフローリングでありベッドもある。簡易キッチンもあり風呂やトイレも…と、人間と同じ様な暮らしをすることができるのだ(湯を沸かす程度はしても、キッチンで料理をするEXEは殆どいないのだが)。そしてこれは施設全体で統一されている事だが、外部との連絡手段となる物の所持は禁止されている。この施設にいる者は個人用の携帯電話やPCに加え、EXEにはテレビも与えられず、職員に限ってテレビの視聴は許されている(食堂はEXEも利用するので、テレビは自室に置かれている)。EXEにテレビを与えないのは、学習の機会を奪う為だ。テレビを通して学習し、知力の高いEXEが現れ万が一にも反旗を翻した場合、屈強な彼らを押さえ込むにはかなりの危険が伴うと予測される…。EXEには、あくまで道具でいてもらわねば困るのだ。


「それにしても腹減ったなー…。
なあ、今からお前の部屋行ってもいいか?なんか食い物持ってくからさ!」


ドアノブの上には指紋認証の装置があり、直獅は8号室の、四季は13号室の扉のロックを解除する。ピピピッ、という音が解錠を告げると、直獅は扉を開けながら思い付いたように四季に声を掛けた。ゆっくりとした動作で扉を開けていた四季は、直獅の方を見、これまたゆっくり頷く。


「好きな食い物あるか?」


「ライオンって…美味しいの?」


「おい待て。」


「冗談。…んー………なんか、果物な気分…。」


「いきなり可愛いところきたな…、わかった。ちょうど林檎あったと思うから、お前それでいいか?」


「うん。」


了解〜、と言いながら部屋の中に消えた直獅をじぃっと見つめ、四季も初めて入る自室に足を踏み入れる。靴を脱ぎ、殆ど段差のない玄関を上がる。すぐにキッチンと冷蔵庫があり二手に分かれた廊下の片方は風呂やトイレに繋がっている。もう片方は一つの扉に繋がっており、そこが部屋らしい。


「ふうん…」


フローリングの床に、ベッドと椅子とテーブル。押し入れを開けると小型の掃除機や折り畳み式のローテーブル等も入っていたが、四季にとっては初めて見る物である為イマイチぴんとこないようである。キョロキョロと部屋を見回したり水道の水を出してみたりと珍しく落ち着かない様子でいると、扉をノックされたので四季は玄関へと向かった。


「えーと、"いらっしゃい"…?」


「おぉー、いい挨拶だな!お邪魔しまーす。」


やってきた直獅を部屋に招き入れ、四季は彼がテーブルの上に持ってきた物を置いていくの見ていた。塊の生肉に、林檎と缶ビール。酒を見た事がなかった四季は、不思議そうに首を傾げた。


「これ、何?……なんて読むの?」


「そっか、お前、お酒見た事ないのか。これな、ビールっつって、すっっげー美味いんだ!」


直獅もこの施設に来て初めて酒を知ったのだが、どういうわけかすっかりハマってしまったらしい。


「ていうかさ、お酒飲んでる俺が聞くのも変かもしれないけど…お前果物なんか食って腹膨れるのかー?俺は遊びで食うけど…。」


「昔…、喉渇いた時に、果物を潰してみた事があって……」


二つある椅子にそれぞれ腰掛け、二人は雑談を始める。野生だった頃に仕留めた獲物で一番大きかったもの、この施設にきて初めて人間の食べ物を食べてみた時の事、梓の前髪について…等。
会話の合間に、大きな肉を難無く噛み千切り美味そうに咀嚼して飲み込む。唇に付いた血を直獅が舐め取っていると、林檎を手に持った四季が興味深そうに自分を見つめてきている事に気が付いた。


「ん?」


「ん…?」


「いや、見てくるから何かなーと思ってさ。」


「んー………"噛む"ところ、面白い。」


「あ、そっかお前って丸呑みだもんな〜?」


この歯で噛み潰すんだよ、と直獅が大きく口を開け臼歯を見せると、四季も真似して大きく口を開いた。口角が耳まで裂ける光景自体は見慣れているが、あまり気持ちのいいものでもない。直獅は「うわー」と言いながら、目を細めて四季の牙を見る。


「た、確かにそれじゃ噛めなそうだな…。」


「うん。」


よく見ると下顎が左右に広がっており(蛇には上下の顎を繋ぐ骨だけでなく、下顎には靭帯がある為上下左右に口が広がる)、直獅は中々のグロテスクさに手を上げて「降参降参」と苦笑した。細い舌で林檎を舐め口の中に入れると、四季は口を閉じ危なげなく丸呑みにしてしまう。


「す、すげー…!」


ところが、丸呑みして息をついた後、四季はハッとしたように目を見開いた。どうやら、搾ってジュースにしたかったのに流れで丸呑みしてしまったらしく、無表情のままシューッと唸り始める。生憎林檎は一つしかなく、唇を尖らせながら四季は直獅が持ってきた生肉(こちらは二つあった)に手を伸ばした。笑う直獅を尻目に、彼を真似て肉に噛み付いてみる。


「……」


噛み千切ろうと必死に肉を引っ張ってみるが、何分ライオンに比べたら顎の力は弱い。ぐにゅりと柔らかく、血でぬるつく肉を相手に暫く奮闘していたのだが、四季は諦めて肉も丸呑みにし始めてしまった。


「んぐっ、」


「お、おぉぉ…」


直獅は自分が肉を食べるのも止めて、つい四季の食事に注目してしまう。林檎の何倍もの大きさの肉塊を喉を鳴らし少しずつ飲み込んでいく様を見て、万が一にも負けたら自分が丸呑みにされていたのかと思い直獅は今更ながら肝を冷やした。肉もぺろりと平らげてしまうと、四季は空になった容器や手、口の周りの血を細い舌でチロチロと舐め取っていたのだが、ふと直獅の手が止まっている事に気が付いた。


「食べないの…?肉……」


「あっ、いや、食う食う!」


「アンタ…俺の他にも蛇の………えーと…プラヴィック?…は、見たことあるんでしょ…?
驚き過ぎ…色々。」


「悪い悪い…。蛇とはあんま仲良くなった事なくてさー…飯食うところとか初めて見たんだよ。」


「…意外。」


話しながら再びガツガツと肉を食べ始めた直獅を、今度は四季が見つめた。自分ではただ引っ張るだけになってしまうのに、直獅が噛み付いてグイッと引くと見事に肉が千切れる。四季が頬杖をついて観察していると、直獅は「確かに見られると食べづらいなー」と苦笑した。四季が噛み付いた直獅の右手の甲にはガーゼが貼られ、傷が若干深いという理由から包帯も巻かれていたのだが…直獅は包帯の存在を忘れているのか、右手でもしっかり肉を掴んでしまっていて白かった包帯はすっかり赤くなっている。
ようやく肉を食べ終わり、付いた血を綺麗に舐め取ると、直獅は嬉しそうに鼻歌を歌いながら缶ビールに手を伸ばした。


「ご機嫌?」


「おうよ!ビール飲むときが一番………って、あー…やば。包帯汚しちまったー…!」


取っちまうか、と慣れた手つきで包帯を外すと、直獅は改めて缶に向かう。爪が長く人間の様には開けられない為、親指を横にしてプシュッと開缶し冷えたビールを喉に流し込むと、直獅は「くぅー!」と声を押し出した。


「美味い!」


「……」


すると四季がじっとビールを見つめている事に気が付き、直獅は首を傾げながら缶を差し出す。


「飲んでみるか?」


「…舐める。」


差し出された缶に興味津々に首を伸ばすが人間の飲み物はまだ飲んだ事がなかった為、四季は恐々と舌を出した。缶の飲み口に細い舌をゆっくりと挿し入れていき、そっと未知の液体に先端を触れさせてみる……が、その瞬間、


「にが……ッ!?」


ガッと目を見開き舌を引っ込めると、口を押さえ不愉快そうに眉間に皺を寄せてしまった。


「ぷっ、あははは!やっぱ子供には不味いか?」


案の定、といった様に直獅は大笑いすると、くつくつと肩を揺らしながら再びビールを口にする。四季はむう、と頬を膨らませると、「子供じゃない」と不平を言った。


「んー?お前俺より若いだろ?」


「水嶋は……俺は、"こうこうせい"くらいだって…言ってた。」


「ぶふっ!?人間だったら、こうこうせいがお酒飲むと"けーさつ"に捕まるらしいぞー!」


「………………こうこうせいって何…?」


「……子供と大人の間…?」


「質問に質問で返された……。」





















はーっ 今日は妙に疲れたなぁー。
四季のベッドに腰掛けると、直獅はそのまま倒れ込んだ。先程、四季はビールに再挑戦して一口飲んでみたのだが「不味い、すごく不味い」と言って、水を飲む為に廊下に出てしまった。
天井を見上げながら、直獅は右目を閉じる。すると一気に視界が真っ暗になってしまい、開いている左目を動かしてみても一切光は入ってこなかった。失明してから幾度となく繰り返してきたこの動作は、直獅の後悔であり悲観であり自信であった。
不知火一樹に蹴られた時点で報告すればよかった・EXEとしていつまで働けるのか・片目だけでも勝つ事ができた。
右目をゆっくりと開けて、照明の明るさに思う存分瞳孔を収縮させてやる。とにかく生きててよかった、と息をついていると、四季が部屋に戻ってきた。横になったまま顔だけ向けると、底の広い皿とコップをそうっと運んでいるのが見えた。コップの中身は氷のみだが皿には水が入っているらしく、テーブルに置くまで四季の表情は真剣そのものである。


「れいぞうこに入ってたけど…これ、何…?」


コップを掲げ、四季が質問する。


「それは氷っていって、水を凍らせたやつだよ。冷たいだろ?
…ていうか、水飲むのになんで皿?」


「飲みにくいから…コップ…。」


一週間の訓練の中で小さな氷がいくつも入った水を飲んだ事があったので、四季はそれと今手元にある物が同じ"氷"という物だと知り、皿に氷を入れていく。そして皿に顔を近付けると、水面に口を付け、吸うように水を飲んでいった。コップに慣れるまでは直獅も皿で水を飲んでいた為、「そういえば俺もああやってたな」と過去を懐かしんだ。


「冷たい…。美味しい。」


四季は水をあっという間に飲み干してしまうと、くい、と顔を上げ寝転ぶ直獅を見た。
蛇は常に舌を出し入れしているがこれは匂いを嗅ぐ為の行動であり、四季も同じように常に舌で周囲を探っている。四季は視力、聴力、嗅覚が人間並に発達しているので彼にとってさほど重要な行動ではないように見えるが、蛇の本能がそうさせていると思われる。つまり他の者に比べて鼻が利くという事であり、四季は何かに気が付いたように立ち上がった。


「…ん?」


「そのままでいて。」


そして直獅の下まで歩いていくと彼の右隣に腰掛け、四季はきょとんとしている直獅の右手を持つ。傷を覆うガーゼをしげしげと見つめていると、「おーい」と直獅から声が掛かった。


「何してるんだ?」


「血の匂いが、強くなったから…。……痛くない…?」


「痛くはないけど…」


そう言って、直獅はガーゼを留めていたテープを少し剥がして中を覗く。


「…少し血滲んでるか。ま、でも全然平気だろ〜。お前って鼻が利くんだな!」


直獅はテープを戻すと、けらけら笑いながら四季の腕を楽しげに叩いた。直獅が明るいのはいつもの事だが様子が若干異なっており、目が緩んでいたり声に力が入っていなかったりと、"酔い"を知らない四季にとって今の彼は異常であった。


「でも…変。様子…。」


もしかしたら傷が予想外に痛んでいて、無理をしているのかもしれない。四季は(表情こそ殆ど変わらないが)心配げな面持ちで直獅を見遣る。すると、四季が人間が作った物についての知識が浅い事を思い出した直獅は、そうか、と頷いて彼の左手を取った。


「ちょっとだけ、酔ったかな…。」


「"酔った"…?」


直獅の行動の意図が読めず首を傾げる四季だが、手を握られても悪い気はしなかった。


「なに、それ。」


「うーん、ふわふわする…って感じ。」


「死ぬ?」


「ば〜か、死なねーよ。」


「…やっぱり、変。」


四季の知る直獅はさも楽しげに笑っていたのだが、今の直獅はくすっ、と表情を綻ばせとろけるように微笑む。
なんでだろう……ドキドキ、する?
四季が無意識のうちに直獅の手を握る力を強めると、直獅は少し驚いた様に目を大きく開いた。だがすぐに嬉しそうに目を細めて、鱗に覆われた四季の指に自分の指を絡める。


「……酔う、って…変…。
アンタは…酔うといつもこう…?」


「んなワケあるかっ」


「もう……起きて。部屋まで送るから。」


照れているのか、四季は直獅から目を逸らしながら彼の手を引いた。直獅の行動と血の匂いが混ざり合い、四季をくらりとさせる。直獅は、起きろと言う割に手を離そうとしない四季に苦笑しつつ、左手をベッドに付いて身体を起こした。


「…」


「……」


沈黙。動いているのは四季の舌くらいで、その舌も時折引っ込んだきり動かない時間が増える。


「なぁ神楽坂……、お前…緊張してる?」


「…っ……」


直獅はベッドの上に上がると、胡座をかいて四季の頬に自分の右手の甲を触れさせる。ガーゼに染み込んだ消毒液の匂いと血の匂いがツンと鼻を付き、四季は眉をひそめて直獅を見た。彼の指に自分の指を巻き付け、右手と顔を交互に目遣ると、直獅は何故か嬉しそうに微笑む。四季は小さく口を開け、しばらく後に息をつきながら口を閉じると、伸ばした舌先をガーゼに触れさせた。


「………やっと分かった。…アンタ、……誘ってる…。」


「さあ、どうだろうなぁ?」


「むかつく…。」


ガーゼと手の隙間に舌を滑り込ませ、そうっと傷口に先端を触れさせる。


「い゙っ…」


「…ぬ。」


今まで自分が食べてきた餌とも、さっき食べた肉とも違う…攻撃的な苦みのある血に、四季は顔をしかめる。だが初めて感じたその味は決して不味くはなく、むしろ独特な血の風味に病み付きになりそうだった。四季はガーゼの端を噛むとそのまま剥がしてしまい、絡めていた指を解いて直獅の手首を掴む。目だけを動かしてちらりと直獅を見ると、頬を染め慌てたように潤んだ瞳を逸らしたので、四季は純粋そうな顔で聞いた。


「どうして恥ずかしがる…?」


「う、うるせ……ッ、く、ぅぅ…!」


「誘ってきたのはアンタ…でしょ?」


骨張った手の、いくつもの噛み傷に細い舌を這わせ、滲んだ血を舐め取っていく。ビリッとした一瞬の痛みが何度も直獅を襲い、その度に肩を跳ねさせ押し殺した声が漏れた。舐めた刺激で再び血を滲ませる傷に舌を添わせ、前後に強く擦り付けると一層傷口が開き、少しずつ出血を始める。


「んっ、ぁ……かぐ、ら…ざか…ッ!」


「…なに、その声……。好きなの…?痛くされること。」


じゃあ、と舌を引っ込め傷に唇をあてると、反論しようとする直獅の傷を強く吸って間接的にその口を塞いだ。


「――――…ッ!」


「…ん……」


「あっ、ぁ……!…ぅ、く……っ」


痛みに震える手を今度は優しく…そうっと舐め、長く細い舌に血をたっぷりと絡めて口の中で唾液と溶けさせる。存分に味わってから嚥下し、肩を竦めて呻く直獅の手にまた舌を這わせる。


「か、…っ神楽坂……!」


「はぁ…」


「んぐっ!?ん、んんんっ!」


痛みから逃げようと手を引く直獅だったが四季がそれを逃がす筈もなく、空いていた右手で直獅の頭をぐいと引き寄せると…なんとその唇に強引にキスをした。細い舌を直獅の唇の奥に滑り込ませ、彼の舌にくるりと絡ませる。牙が直獅に触れないよう気をつけながら何度も何度も唇を重ねていると、初めは強張っていた直獅の身体から段々と力が抜けていった。


「ぅあ、ん…んん……っ、はぁ…ぁ…かぐらざ、か…」


「はっ…、はぁ……さっきまでのアンタと…違い、過ぎ……」


「………嫌…、か…?」


不安げに自分を見上げてくる直獅を見つめ、四季は唇を尖らせて呟いた。


「俺以外にも…こんな姿見せてたら、…………嫌。」






















「っ、あ…、馬鹿っ 指……痛ぇ…ッ
も、っと…優しく…!」


服を脱がされ、後孔に精液に塗れた指を捩込まれた直獅は抗議した。四季は指まで鱗が生えており、引き抜く度に鱗が内壁を引っ掻いてしまう。しかし直獅の指には鋭い爪が生えており、また四季の舌は余りに細すぎる為、慣らすには四季の指しかなかった。四季は手の平にも鱗が生えていたが他の部位に比べ非常に滑らかで、直獅は先程この手に絶頂させられていた。


「…ごめん。でも力抜いて…。」


「それ無茶振り…っ、ん………あぅっ」


「気持ち良さそう…、さっきより……。」


「っ…!そういう事…言う、な…!
あ゙っ、ちょ…神楽坂…!?ぐ…ッ」


直獅が四季を睨み上げても全く効果はなく、それどころか挿入する指を更に増やされてしまい、直獅は三本の指をくわえ込む形になってしまった。少しでも痛みを和らげようとゆっくりと指を引く四季だったが、直獅はそれが逆に焦れったく、抜こうとする指を思わず締め付ける。


「ふ、ぅ……っ、あ………!はぁ、あ…う…」


鱗に覆われた指が入ってくる時の滑らかな気持ち良さと、ぬるついた鱗が内壁を優しく擦りながら出ていく快感が、強張っていた直獅の身体から力を抜いていく。直獅は四季のシャツの裾を弱く掴むと、荒い呼吸のまま小さな声でねだった。


「な…、神楽坂…っ、もう……ん、ぅ…いい、から…」


「ん…?」


シャツから手を離し、四季の頬に指先を滑らせる。直獅が鱗を撫でながら首を傾けると、四季はよく聞こうと顔を寄せてきた。


「…っなんだよ。」


「ちゃんと聞こうと思って……。」


「こ、こういう事はちゃんと聞くなっ
…………っ、もう…挿れろ……馬鹿。」


「真っ赤……顔。」


「あ、当たり前だろ…!」


可愛い、と言って微笑み、四季は直獅の頬に軽くキスをする。
……慣れてる。
四季はずっと思っていた。純粋そうな顔をしているが…直獅が明らかにこの行為に慣れている、と。四季が陰茎を直獅に捩込むと、びくんっと小さな身体が跳ねる。野生の間に性別を問わず何度も交尾を重ねてきた四季には、直獅の反応がハジメテのものでないと分かってしまう。四季は、それが腹立たしかった。分かっていても可愛いと思うのだから笑えてしまう。
そもそも、何故腹立たしいのか。何故あっさりと身体を重ねた?
何度も直獅を突き上げながら、四季はギリ、と牙を軋ませる。


「っんぁ!あ、あっ…か、ぐら…ざかぁ……ッ ひぅっ」


「…くっ、……!」


快感に思考が止まり、直獅に締め付けられると思わず声が漏れた。四季の背中に回された直獅の腕に力が入り、鋭い爪がシャツを裂き鱗を傷付けるが、四季は痛みに寧ろ恍惚とする。
あぁ…、すごい、気持ちいい…。
声を抑えようとする直獅を愛おしく思いながら、うっとりと背中の痛みを受け入れていた四季だったが、…そこでふと、ある事を思い出してぴたりと止まった。

……あ。

ぐるぐると思考の渦に放り込まれいた、その渦が緩やかな流れとなる。ようやく思い出した答えに、四季は口角を上げた。実に単純だったのだ、直獅に抱くこの感情の意味は。

………あー…、そうか…。

四季は舌なめずりをすると、きょとん、と自分を見上げてくる直獅の首に唐突に両腕を巻き付ける。


「ッ―――!?」


余りに唐突過ぎる出来事に直獅が驚いて声を上げようとするが、声を上げる暇も無く四季に呆気なく首を折られた。
無表情で直獅を丸呑みにし始める四季の目には、何の感情もない。"餌"の首が折れるゴキッ、という生々しい音も、四季にとっては聞き慣れたものだった。



















試験室に入った時に思った。血を流さないで殺せば綺麗に食べられるのにと。直獅に噛み付く羽目になったのは想定外だ。
初めて見た時に思った。生きがよくて美味そうだと。だから郁に食べていいか聞いてみた。
負けた時に思った。『食べたい。』
正攻法では駄目だと思った。『油断させればいい。』
だが昼寝をして、直獅を食べる事を忘れしまった時に思った。『可愛い…。』
しかし四季は知ってしまった。可愛くて堪らないと感じたこのライオンは、既に自分だけのモノではない事を。
そのショックでやっと思い出したのだ。最初に直獅を美味そうだと思った本能を。

今なら簡単にこの餌を殺せる。

直獅の首に腕を巻いた時、四季の中にあった思考はこの程度だった。…そもそも餌を油断させる為に近付いたのに、これ以外の思考などあるだろうか?
だが自分が目を付けた餌が既に誰かと交尾をした事があるのは、"何と無く"腹立たしかった。




一番最初に異常に気付いたのは、管理室にいた郁だった。直獅に明日からの仕事についての話をしようと思い、彼の首輪のアラームを鳴らして呼び出そうとしたのだが一向にやって来ない。端末で首輪の位置情報を確認し、どうやら四季の部屋にいるらしいと特定すると「大方、二人で昼寝か。」と呆れたように部屋の扉をノックするが、存外すぐに扉が開いた為郁は驚いた。


「珍しい、起きてたんだ。
あ、そうだ、陽日先輩いる?」


「うん。」


「…?部屋の中、かな?」


そう問うと、四季は首を振って…あろう事か己の腹を指差す。


「……………。」


端末に目を落とすと、鍵がなければ外す事の出来ない首輪は…確かに郁の目の前で反応している。動揺も怒りもせずに、溜息を一つついた郁が取った行動は実に彼らしかった。


「…あぁ、医務室ですか?水嶋です。
陽日直獅の死亡記録を書きたいので、適当に死亡診断書を書いて僕の所に持ってきてくれますか?…原因?不自然じゃなければ何でも大丈夫ですよ。」


端的に用件を伝えると、端末をポケットに戻し「さて」と郁は四季と目を合わせる。縦に切れた赤い眼はまるで血のようにしっとりと塗れ、自然のサイクルの中での食事を終えた後のように穏やかだった。


「今回だけだよ?許可なくプラヴィックを食べていいのは。」


肩を竦め、郁は苦笑する。数時間前に、試験室に入ってきた四季を見て予感した通りだったからだ。
やはりこの蛇は…"まとも"じゃない。















continue...







2013.4.22

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あきゅろす。
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