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Novel
【プラヴィック-Pluveck-U】【下ー1】





直獅が死んだ。
その情報は職員やEXEの間に瞬く間に広まり、翌日は施設のどこでも直獅の名が聞かれない事がない程この話題で持ちきりであった。EXEに慕われていただけでなく施設の人間からも信頼のあった直獅の死は、大変な衝撃だったのである。そんな彼を殺した犯人は、さぞかし復讐に怯え肩身の狭い思いをしているだろうと思われた……が、当の本人―四季は普段と変わらない様子でトレーニングルームで眠そうに目を細めているどころか、他のEXEに「気にし過ぎるなよ」と気遣われる始末なのである。
これは何もEXEの頭がおかしいわけでも、嫌味で優しく接してやっているわけでもない。全てにおいて、郁が"そうさせている"のだ。折角もう一度使えるように調整した直獅を失ったのは郁にとっても衝撃であった。だがその事実のみに囚われていてはもう一匹の駒も失い兼ねない、と郁の頭は冷静に判断したのである。四季が、万が一にも直獅と親しかったEXEに殺されるような事があれば、それこそ多大な損失だ。例え殺されないにしても、余計な感情を与える事は業務を執行する上で無意味かつ阻害である。その為、郁は直獅の死を"四季との戦闘による事故死"としたのだ。
『羊のハインダー・プラヴィック―不知火一樹に頭部を蹴られた際に僅かに脳血管を負傷していたのだが、四季との戦闘の際に再度頭部に衝撃が加わり出血し…』…と、EXEは疎か医務室以外の職員にも虚偽の報告がされている。実際、一樹に蹴られた事は全く関係ないのだが、EXEのハインダー・プラヴィックに対する闘争心を掻き立る為に報告に使われた。そして敢えて四季を直獅の死因の一つとしたのは、"直獅の死は四季とは無関係である"とするよりも自然だからである(健康そのものの直獅がなんのきっかけもなく突然死ぬというのは不自然であり、『四季は運悪くその"きっかけ"になってしまっただけ』なのだ)。


「神楽坂さーん」


四季は紙コップからそっと水を飲んでいたのだが(四季はまだコップに慣れていない)、事務所から顔を覗かせた梓に声を掛けられた為そちらに顔を向けた。「あ、はい。わかりました。」と、持っていた端末に話し掛けながら四季を手招きし、梓は事務所に引っ込む。四季は「あぁ」と呟き、飲み残しを捨て給水器横のゴミ箱に紙コップを放り込むと、梓が引っ込んだ事務所に向かって歩いていった。


「もう、行くの?」


「送りたいんですけど、僕も今手が空いてなくて…。……はい、すみません、お願いします。」


事務所を覗くと梓はまだ通話を続けており、「少し待ってて下さい」とジェスチャーで言われ、四季は大人しく入口に立って待つ。机に向かいメモをとる梓の手元には宇宙食の袋が置かれており、ちゃんとご飯食べないからチビなのかな…などと四季が欠伸をしながら考えていると、通話を終えた梓が端末をポケットにしまいながら椅子をくるりと回して四季に向き直った。


「今朝伝えた通り、今日は"検査"を受けてもらいます。それで、昼過ぎの予定だったんですけど…医務室の都合で10時からになりました。」


「10時…、えーと…今は……」


壁に掛かっている時計に目を遣り、四季は首を傾げる。時計の読み方を勉強し始めたばかりですぐに読む事ができないのだ。


「10の近くに短い針があって、30の近くに長いのがあるから………10時30分?」


「まだ10まで短針が行っていないでしょう?今は9時30分ですよ。」


「…惜しかった。」


「それで、僕は今忙しいので、水嶋さんに迎えに来て頂くように頼みました。…まだ一人じゃ医務室まで行けませんよね?」


梓は"検査"と言ったが、四季がこれから受けようとしているのは検査ではなく"手術"である。EXEのトレーナーである梓には、新たな犠牲を出さない為にも直獅の死因について知っておく必要があり、郁は彼には特別に真相を伝えた。…つまり、梓は四季が直獅の事を食い殺した事実を知っている数少ない人間なのである(此処では他のEXEに聞かれる可能性がある為敢えて検査と言っている)。勿論、虚偽の死亡診断書作成に加担した医務室の人間も事実は把握しており、後程彼らは四季から直獅の首輪を取り出さねばならない。
鍵を使わなければプラヴィックの首輪を外す事はできない為、四季は首輪ごと直獅を丸呑みにした。すなわち四季の体内にはまだ直獅の首輪が残っており、職員の誰かが直獅の首輪の位置を探知してしまう危険性が無いとは言えない事から、早急に首輪を取り出し設定をリセットする必要があるのだ。


「じゃあ、もうしばらく待っ…」


「やあ」


「うわ、」


「!!
…驚いた。随分早かったですね。」


梓が、郁が来るまで待機するように伝えた…その時、不意に四季の背後から郁が現れその肩にポン、と手を置いたではないか。郁は扉の陰から悪戯っぽく顔を覗かせると、驚いた表情をしている梓を見てくすくすと笑う。


「あははっ、ごめんごめん。
僕の仕事を増やしてくれた神楽坂君に早く会いたくってさ。」


そう言いながら、郁は肩に置いていた手をするりと滑らせ、美しい鱗に覆われた首筋をそう…と撫でた。貼り付いた完璧な微笑みと指先の冷たさに、僅かだが四季は珍しく顔をしかめる。


「あれ。怒ってます?水嶋さん。」


「ん?まさかー…」


言葉を切り、郁は長い脚で事務所内に歩み入る。そして四季の腕をグイと引き、直ぐ様扉を閉めた。素早くも無駄な物音を立てずに窓の無い扉を閉めた郁だったが、他のEXEから完全に見えなくなった途端…彼の表情から笑顔が消え去った。


「抵抗したら殺すよ…?」


「え……、――――ぐ、ぁ…ッ!!?」


「水嶋さん!?」


郁は梓も聞いた事のない低い声で言うと、四季の頭を掴み、後頭部を容赦なく壁に叩き付けた。聞いている者も反射的に顔をしかめてしまうような鈍い音が響き、四季はおろか梓も驚愕し思わず椅子から立ち上がった。梓が驚いたのは無理もない。郁は今まで自分の駒であるEXEに対して、怪我をさせるような行動をとった事がなかったのだ。


「シュー……ッ」


衝撃に眩んだ四季の赤い眼が、敵意を剥き出しにして一気に見開かれる。頬に亀裂が走り四季が右腕に力を込めるのを見た梓が「離れて下さい水嶋さん!」と叫び、腰ベルトに装着していた麻酔銃を構え四季を撃とうと狙いを定めた。四季が郁に攻撃を仕掛ける前に撃たなければ、と梓はトリガーに指を掛ける……が。


「抵抗したら殺す、って……………聞こえなかった?」


「……っ、」


郁が小さな声で囁くと、なんと四季はたったそれだけでビクリと肩を竦ませ硬直してしまったのだ。郁も麻酔銃は持ち歩いていたが現在は手にしておらず、丸腰も同然である。丸腰の人間など四季程のプラヴィックからしてみれば無力も同じで、直獅よりも遥かに簡単に殺す事が出来るだろう。それでも、郁のたった一言で四季は萎縮し完全に攻撃の意思をもぎ取られてしまったのである。


「ぅ゙…」


「僕に逆らおうなんて…、金輪際思わない事だね。」


頭を押さえ付けていた手の平を、ゆっくりと頬まで撫で下ろす。開きかけた四季の口を耳までなぞりまるでそのままキスをするかのように唇を寄せると、郁はニヤリと口角を上げた。


「ふふ…、……いい目だね。怖いんだ?」


「……、…怖くない。」


「いや、君は怖がってるよ。」


「…勝手に言ってれば……」


郁に至近距離で見つめられ、四季はふいと目を逸らす。四季は特に意味もなく目を逸らしたつもりでいるが、四季は今まで、誰に目を覗き込まれようと"自分から目を逸らした事などなかった"のである。目は口ほどに物を言う。四季は郁に恐怖を感じている事を、無意識の内に隠そうとしたのだ。
そんな四季を見て、郁はもう彼が自分に逆らえない事を悟る。


「そうだね、確かに僕は勝手に言ってる。
だから…別に君は今から"怒りに任せて僕を殺してもいいんだよ"」


そう言った郁の爪が、容赦なく乱暴に、四季の頬の鱗を剥いでいった。


























四季の手術が無事に終わり、数週間が過ぎた。施設の研究所はいつもとどこか違うざわめきをまとい、その中心人物は殊更…騒がしかった。


「ぬははは!やったー!じゃあ大成功って事だな!」


「僕は、爆発しないかヒヤヒヤしたけどね……」


「くひひっ、さっすがエジソン君だよねぇ〜」


「白銀。直前になって真顔で『爆発しないか賭ければよかった…』とか言ってたのは誰だ?」


「ぬわ!?おーしろーそんな事言ってたのか!」


「ちょっ、星月先生言わないでよ〜
エジソン君が可哀想でしょ、…陰でそんな事言われてたなんて知ったら。」


「白銀君の辞書に罪悪感を追加する研究は誰もしないの?」


「郁……これ以上仕事を増やすな…。」


『ハインダー・プラヴィックの脳にマイクロチップを埋め込み、コンピューターで身体や感情をコントロールする。』身体は脳から発する電気信号により動く為、マイクロチップでそれらを制御しようという研究を翼は続けていたのだ。ハインダー・プラヴィックさえ手中に納めてしまえば、施設運営の人的負担は格段に減らせる(勿論、好奇心旺盛な翼はこのような事は考えず自由気儘に研究を進めていたのだろうが。)
そして、翼の横で飄々としている男が一人。
赤毛の長髪は三つ編み。眼鏡ではなく何故かゴーグルを掛けた、翼と同じく特徴的な笑い方をする長身の男は、一度見たらそのイメージが頭にしつこくこびりついてしまうだろう。それなりに…否、かなり端整な顔立ちをしているのだが、何分、様々な要素が彼を台無しにしてしまう。
ハインダー・プラヴィックを短時間だけだが従順にさせる薬剤の開発が以前行われていたが、その発案者はそもそも桜士郎だったのである。薬では耐性ができ多量に服用するうちに効果が弱まるだろう、という事からコンピューター関連に強い翼が「じゃあ俺もなんか作ってみるのだー」と、薬剤の開発と並行して研究を始めたのである(コンピューターによる制御が可能になれば薬剤は不要なように感じるが、緊急の際の必要性や利便性を考慮すると薬の研究も必要だったのである)。


「大成功って言っても、まだ埋め込んだだけでしょ…」


「ち、ちゃんとインプラント出来たって意味なのだ!」


「あらら〜?もしかしてエジソン君……爆発するかもとか考えてた?」


「ちがっ、考えてないぞ!」


「ははぁ、爆発するかも…って心配してたんだ…?」


「やっぱり賭け金集めておくんだったねぇ…くひひっ」


「ぬがぁぁぁぁ!裸足隊長!汚い大人が虐める!!」


「俺に話を振るな…。………まあ、仕事サボり券とかが貰えるなら乗ってたな」


「うぅ………大人なんて嫌いだ…いつか皆にマイクロチップを入れて操作し「「やめろ」」


翼のぼやきに、琥太郎と桜士郎が声をそろえてツッコミを入れる。そんな気の緩いやり取りに郁が苦笑していると、彼の下に一人の研究員が書類を持ってやってきた。


「水嶋さん。」


「ん?
……あぁ、今回の実験の概要の書類?」


「はい。」


「わかった。じゃあ、僕はもう仕事に戻るから、歩きながら話を聞いてもいいかな?時間は大丈夫?」


「はい、問題ありません。」


事務的に返答する研究員に頷き、郁は翼達に向き直る。本来は研究所で諸々の説明を受けるつもりだったのだが、賑やかな面子に囲まれつい雑談をしてしまい時間が押してきたのである。郁は肩をすくめ苦笑するが、息のつまるような日常の中で自然と笑う事のできる時間もまた必要だ。


「じゃあ、ご苦労様。天羽君、白銀君、実験の時はよろしくね。」


「ぬいぬいさー!」


「よろしくねぇ〜。くひひひっ」


郁は琥太郎にも軽く手を振ると、先程の研究員を連れて研究所を後にした。ホチキス留めされた数枚の書類の読み上げを聞きながら、郁は管理室までの道を歩く。


「今回の被験体は、隔離棟SE-6の七海哉太です。マイクロチップは脳に挿入していますので、創部の安静を考慮して本格的な実験開始まで数日は頂きます。」


「脳に電極挿す実験よりスマートだよね。」


「はい。操作も、直接電流を流すのではなく操作器やコンピューターで行います。」


「成る程ね。」


マイクロチップの性質や寿命など、一通りの概要を聞いていく。操作自体は翼や桜士郎が行うのだが、実験に参加する以上最低限の知識は必要なのである。
大まかな説明を受けているうちに管理室に到着し、郁は研究員から書類を受け取ると「わざわざありがとう」と微笑する。


「いえ、大したことではありません。」


「まったく、あの三人も君くらい真面目だったらいいのにね。ご苦労様、もう戻ってくれて大丈夫だよ。」


「…。失礼します。」


研究員は郁の冗談に僅かに表情を緩めたが、すぐに無表情に戻ると一礼して管理室から立ち去っていった。
郁は書類を机に置き、机の中から麻酔銃を取り出しながら壁に掛かっている時計を見た。あと5分程で14時になる。椅子に座りながら、郁は「そろそろ来るかな」と扉を見、先程の書類に目を通そうと手を伸ばした。郁はこれから隔離棟に行きハインダー・プラヴィックの見回りに行く予定なのだが、今日は四季を連れて行く日だったのである。時間にルーズな面がある四季だが、彼が初めて"恐怖した"あの日以来…郁に呼び出される時だけは決して時間に遅れなくなった。
書類を読んでいた郁は、コンコンと扉をノックする音に顔を上げる。


「どうぞ」


書類を机に放り、椅子を回転させ扉の方を向く。ゆっくりと開いていく扉を押しているのは案の定四季で、郁はにこりと笑った。


「やあ。時間ぴったりだよ。」


「……そう。」


「素っ気ないね。…ほら、こっちにおいでよ。」


郁の手招きに、四季は若干表情を強張らせる。数週間前に剥がされた鱗は完全には治らずひきつれたような痕を残しており、この痕を見る度に四季はじわりとした"ざわざわする気持ち"(本人は恐怖心だと気付いていない)に苛まれていた。尤も、左頬の鱗を縦に1cm程、2ヶ所剥がされただけで大した怪我ではないのだが…。四季が郁に畏怖するのは、何も傷を負わされたからという理由ではない。四季は、郁という人間が恐ろしいのだ。


「…ねぇ、仕事しないといけないんじゃないの?
行こうよ……早く。」


直獅を食った直後に全く気にする素振りを見せなかったと思ったら、やはり怒っていたのか次の日自分に手を上げ…、けれども一向に直獅の死を悲しもうともしない。相手の気持ちを察する能力が低い四季はただでさえ複雑な人間の感情など読めるはずもなく、ましてや、例え同じ人間だとしても推し測り難い郁の内心など想像できるはずがなかった。
手招きされるが、四季は動こうとしない。腹の中の直獅の首輪を取り出し、数日後から仕事に入り始めて何度か郁と共に行動しているが…、四季は極力郁に近寄りたがらなかった。…当然といえば当然だろう、集団で生きる事を知らなかった四季にとって、あの"食事"は他意も悪意もないただの食事だったのだ。それを理解の追い付かないまま罰せられては、四季は郁に負の感情以外を抱きづらい。


「…聞こえなかった?」


「っ、…」


「こっちに、おいで…?」


しかし、四季が動きたがらない理由は他にある。EXEとして本格的に働き始めて以来、四季は郁に何度も"遊ばれて"いるのだ。人間、プラヴィック問わず遊ぶ事の多い郁からすれば大した事ではないのだが、四季にしてみれば大問題である。野生であった時、四季も堅実な性生活を送っていたとは言いがたいが、相手はあの郁なのだ。生まれて初めて恐怖した相手と、どうして行為を楽しめようか。
…だが郁の命令を無視する事もできず、四季はゆっくり、ゆっくりと歩を進める。
今日こそ、今度こそ。四季程の力があれば、拒もうと思えば郁くらい容易く拒めるはずである。…だが強者の前では、竦みきった蛇など実に非力であった。


























四日が過ぎた。今日は脳にマイクロチップを埋め込まれた哀れなハインダー・プラヴィック、七海哉太の実験が行われる日である。創部に異常なく、激しい動きをしても問題ないだろうという医師からの書類を受け取ると、郁は口角を上げ研究室の翼達と隔離棟の職員に連絡をいれた。昨日、「明日の調子を見て最終判断するが、恐らく明日実験は可能だろう」と予め報告を受けていたのでスケジュール等に特に支障なく、郁は予定通り隔離棟へと向かう。郁自身も興味があるのかその足取りは普段とは異なり、どこか逸っているように見えた。


「あ!もじゃ眼鏡がきたのだ!!」


実験はSEー6の哉太の水槽で行われる為、その周辺は準備をする職員達で賑わっている。中には実験準備の担当でない職員も野次馬のように集まってきており、郁は彼らを解散させると、到着した自分に真っ先に声をかけてきた翼を見てため息をついた。


「…またその呼び方?」


「ぬがー、怒った…」


「はあ…これはお洒落なんだから変な呼び方しないでよね」


「くっひひひ、まあまあ水嶋さん落ち着いて落ち着いて〜。
指示通り、一樹はこっちに連れてきてるからさっ」


「…あぁ、ご苦労様。様子は?………って、…」


何度咎めても改めない翼への小言は早急に諦め、郁は桜士郎の言葉にフロアの隅に目を遣る。今回の実験は哉太だけではなく、以前直獅を負傷させた羊のハインダー・プラヴィックの不知火一樹も加えようと郁は考えており、先程の連絡時にエリアGRー4の一樹をSEまで連れてくるように指示していたのだ。確かに指示通り一樹はSEー6の前にいたのだが、郁は思わず言葉を切る。
グレーの髪の間から生える太い巻き角に、およそ草食動物に相応しくないハッと息を呑む程凛々しく端正な顔。双眸は草原を思わせる緑が鋭い光を持ち、横長の瞳を持ちながらも、肉食獣のような激しさを感じさせるようだった。郁が言葉を切ったのは、そんな彼を拘束しているものが四季の柔軟な手足だったからである。蛇のプラヴィックの身体が柔らかい事は郁もよく知っている為特に驚きはしないが、どこかシュールともいえる光景には思わず口が開いてしまう。くつくつと笑う桜士郎を見て四季もため息をついている辺り、彼もいい加減元の体勢に戻りたいようだがまさかハインダー・プラヴィックを離すわけにもいかず、四季は我慢しようともせず欠伸を連発していた。(以前片腕を直獅にもがれたSEー7の錫也は、蛇のプラヴィックを初めて見たのかギョッとしたようにこちらを見ている。)
郁は哉太の水槽の水を抜くように職員に指示すると、無言で睨み付けてくる一樹に声を掛けた。


「やあ不知火君、久しぶりだね。」


「……」


「一樹〜、久々にお魚君に会えるのに嬉しくないの?」


「………」


二人の言葉に返事をせずに、一樹は目だけを動かして水槽の中の哉太を見る。普段は過剰ともいえる程の拘束具が付いているが今日は外れており、睡眠薬により眠っている。一樹は桜士郎、四季へと目を移すと、小さく呟いた。


「……………裏切り者が。」


"裏切り者"
それは哉太がEXEに対してよく吐く言葉であるが、実は哉太にこの施設の実態とEXEの存在を教えたのは他でもない、この一樹なのである。数ヶ月前に事実に気付いた一樹は一般棟から逃げ出そうとしたが、施設の構造など知るはずもなく、迷ってしまった。そんな時、水辺の生物のプラヴィックが収容されているエリアに迷い込んだ一樹は、偶然シャッターが開いていた水槽に近付き中を覗いた。そこには銀髪で沢山のピアスを付けた一見怖面なプラヴィック、哉太がいたのである。今こそ引き千切られ無残な耳たぶだがその頃は自慢のピアスを指先で弄ぶのが好きだったようで、一樹が水槽を叩くと驚いて手を離し一樹の方へと泳いで行った。偶然見付けたプラヴィック…、せめて哉太にだけでもと真実を伝えた一樹だが、すぐに職員に見付かってしまい逃げる事は叶わなかった。
だが四季のみならず、一樹は桜士郎にも「裏切り者」と言った。その事に気付いたのか四季は不思議そうに桜士郎を見、何か言おうと口を開いたが、職員の声にそれは掻き消される。


「あと1分で水が抜けます!」


「ぬぬーん!ワクワクするのだ!」


「神楽坂君、彼を中に連れていって。」


「……わかった。」


一樹の言葉が引っ掛かるが、人間の命令は絶対である為四季は従順に頷き、スッ…と一樹を締め付ける手足を解いた。直獅の首をへし折った怪力には一樹の力でもビクともしなかった事から抵抗を諦めていたのだが、力が抜けたその一瞬を一樹は見逃さない。身体に力を込め、半転する力を利用し四季を肘で打とうとした……が、勿論四季も馬鹿ではない、一樹が攻撃を仕掛けて来ることは想定内である。


「駄目…。」


「ぐぁッ…!!?」


一樹よりも速く、四季は右腕を彼の首に巻き付けギリリと力を加えると、耳元で小さく言った。首を折るつもりはないが、動きを制すには相応の力を加え威圧するしかない。殺さないよう、皮膚から僅かに骨の軋みを感じる程度に力を抑えると、呼吸もままならない一樹を先導するように水槽へと歩を進めた。哉太が陸上で行動出来る限界時間を超過しての実験になるらしく、隣の錫也の水槽のように砂地に窪みがありそこに水が残されている。左手で扉を開け湿り気のある砂に一樹を放り投げると、喉を解放され咳き込む声を遮断するように扉を締めた。


「よし!おーしろー、早く始めるぞ!」


役目を終え伸びをする四季を尻目に、翼はようやくという風に桜士郎に声を掛ける。玩具…ラジコンでも前にした少年を思わせる様な目に、桜士郎も思わず不気味な笑いを溢した。


「ちょっと二人共…遊びじゃないんだから。」


「くひひ、一大イベントの前はワクワクするものでしょ?」


「はいはい…」


今回の実験は、"哉太を操作して一樹を殺す事ができたら成功"である。被験体を正確に操作できるか否かは勿論の事、被験体の激しい抵抗すらもものともせず操作できなければ、人間への反抗心の塊であるハインダー・プラヴィック達に実用する事は叶わない。そこで郁は、一樹に対して思い入れの強い哉太で彼を殺せれば概ねクリアと言えるだろうと考えたのだった。郁らしく非情な提案だったが、翼や桜士郎はそれを面白がって賛同したのであるから実に恐ろしい。
小型の操作器を持った翼が桜士郎に目配せをする。哉太が死なないよう、10分間経つ頃には彼を水に移動させなければならない為、桜士郎はストップウォッチを持っている。


「じゃあ、一回鳥の巣君を水に入れたら実験開始なのだ!」


「りょーうかい!」


翼は操作器に手をかけ、哉太を起こす為にボタンを押した。

















「七海…、おい、七海!」


一樹は咳き込みが治まると、急いで哉太の下へと駆け寄った。哉太が短時間であれば水無しでも生きられる事を知ってはいても、耳の後ろにあるエラがはくはくと開閉しているのを見ると不安が掻き立てられる。哉太の肩を揺らし、声を掛けていると、不意に哉太の身体がびくりと跳ねた。


「ゔ…っ」


「七海!?」


同時に、水槽の外のマイクから、実験を始めようとする翼の声が聞こえてくる。哉太にマイクロチップが埋め込まれてしまった事を彼らの会話から把握していた一樹は舌打ちをすると、水槽の外の人間達に対して射殺す様な眼光を向けた。


「し、…不知火さん……?」


微弱な電気刺激により目を覚まされた哉太だったが、目を開けたらそこに一樹がいたので驚きに思わず声が裏返る。一樹は弾かれた様に顔を向けると、哉太が目を覚ました事にほっと安堵のため息を漏らした。


「七海……、」


今までの険しい表情からは想像できないほど穏やかな微笑に、哉太も思わず顔を綻ばせる。だが状況が甘くない事は二人共重々承知で、それは翼の声により推測から確信へと変わった。


『ぐっもーにーん鳥の巣君!今日は俺が直接実験するのだ!
それでは早速、鳥の巣君にインプラントしたマイクロチップで、水の所まで移動してもらいたいと思いまーす。その後にゆっくり殺し合って〜』


「なっ…!?」


「殺し…合う…!?」


隣の水槽にも当然翼の声は響いており、その言葉を聞いた錫也も目を見開き絶句していた。


「どこまで最低なんだ…人間は…っ」


一見相性が悪そうに見えたが意外にも哉太とは馬が合い、隣同士声を掛け合ってきた仲なのである。そんな哉太と、他のハインダー・プラヴィックとの殺し合いなど当然許せるものではなく、錫也は痛い程に歯を食いしばった。
哉太自身も自分にマイクロチップが埋め込まれてしまった事は知っている。自分達の反応を面白がるように操作器のボタンを押し、スティックを弄り、哉太の身体を立ち上がらせようとする翼を鬼のような形相で睨み付けると、外にいる桜士郎がこちらに手を振ってくるのだから余計に腹が立った。


「っの野郎ォ…!」


怒りに拳を作り、わなわなと震わせる。
通常の哉太であったら、そのような反応が見られたであろう。だがどういう事か、握り拳を作るどころか指を動かす事すらできず、哉太は思わず息を呑んだ。哉太の違和感に気が付いた一樹が声を掛ける。


「七海、どうかしたのか?」


「くっそ…、やられた…!!」


それと同時に、哉太は"立ち上がる"。まるで怒りにより自ら立ち上がったように見えるが、真剣な表情ながらも口角を上げる翼と悔しそうに唇を噛む哉太を見れば、それは一目瞭然だった。憎々しげに舌打ちをするが、まずは水のある所まで移動させようというのは言葉通りらしく、一樹に危害がないと分かり大人しく従う。
呼吸を整えた哉太が水から"出る"と、心配そうに自分を覗き込む一樹と目が合った。


「どうしたんだよ、急に立ち上がって…?………まさか…」


「不知火さん…、やばいです。………アイツらにやられたチップとかいうやつ、…本物だ…ッ」


「っ…!」


「さっき…自分で拳も作れなかった…。今だって此所に来たのは俺の意思じゃないんです……。」


マイク越しに人間達のざわめきが聞こえてくる。どうやら一先ず操作できた事を安堵しているようで、すぐに次の操作がくる事は容易に予想できた。「感情」「やってみる」など断片的に言葉を拾うが、今は操作されていないらしく自由に動ける方が哉太にとって重要だった。濡れた髪をかき上げ立ち上がると、首輪を邪魔そうに左右に動かす。哉太の首輪の数字はとうに「0」になっていたが、身体機能の高さを買われ、身勝手にも実験用として生かされているのだ。一樹も同じく、数日前に「0」になったのだが今回の実験で"死ぬ"為、特別に生かされている(身体の損傷が少なければ、そのまま解体して出荷する予定らしい)。
どうすればいいんだよ…。例え操られてたって、七海の事を殴れるわけないだろ…!
一樹は純粋な羊のような蹄こそないが、人間よりも堅く、やや尖った爪を持っている。そして角の先端も鋭利であり、これらで不本意にも哉太を傷付ける恐れがあるのだ。元々情に厚く、また他のプラヴィックよりも哉太に思い入れのある一樹としては、なんとしても哉太を守りたい。しかし、施設から脱出し外界の者へこの非人道的な事実を伝えなければならず自分自身も死ぬわけにはいかないのだ。その葛藤に、眉間にしわが寄る。


『じゃあおーしろー!コンピューターで感情の操作の方頼むぞ〜』


『くひひっ、はいはいー』


そんな一樹の耳に翼の声が聞こえてくるがマイクに向かって喋っているのではないため、何を言っているのかはっきりと聞き取れなかった。そして今度は、明瞭に無邪気な声が耳に入り込む。


『あ、鳥の巣君にぬいぬい〜!お待たせなのだ!』


「…人間が馴れ馴れしく呼ぶな。」


『そんなにカリカリしてると将来禿げるぞー!なんちて。今日死ぬから関係ないけど〜
それじゃあ、早速始めるのだ!ぬははっ』


他人を妙なあだ名で呼ぶ事の多い翼に、一樹はあからさまな敵意をぶつけるが実験の進行の方に関心の強い翼にはなんの意味も為さない。始める、という言葉に身構える哉太と目を見合せ、なんとしても抵抗してやろうとお互いに力強く頷き合った。
不知火さんは絶対死なせねぇ…!なにがなんでも抗ってやる!
哉太は魚であるが、同じく鱗を持つ蛇のプラヴィックの四季とは異なりその身体に鱗は一枚もなく滑らかで白い肌をしている。その美しい身体を怒りに震わせ決意を新たにする…が、人間達は哉太の決意すらも嘲笑う。


『えーと、怒りの感情のコードと計算は…。』


桜士郎の独り言が耳に入り、一樹は首を傾げる。哉太の身体を操作しようとしているというのはわかっているが、彼らが感情までも操ろうと考えているとは知らない為、哉太の手足や人間の動きに注意は払っていても表情までは見ていなかった。
桜士郎は素早くキーボードを打ち、哉太に怒りの感情を湧き起こらせる電気刺激を出すよう、コンピューターから指示を出す。それは瞬間的に送られると、マイクロチップは無情にも指示通りの電気刺激を発してしまった。


「…ぅ……」


ぴく、と哉太の細い眉が不快そうに反応する。哉太の身体を操作しているのは翼である為一樹は翼の様子を注意深く観察するがどうにも目立った動きはなく、「今は大丈夫なのか?」と思い一旦哉太の方を振り返ろうと、右足を軸に身体を向けた。…否、向けようとしたのだ。


「うお!?」


一樹は、唐突に勢いよく突き出された拳を咄嗟に避けると、ふらついた身体を左足で支え反射的に哉太を見た。


「な…っ!?」


哉太は、まるで人間やEXEを見るような目で一樹を睨み付け攻撃の体勢をとっており、あまりに突然過ぎる変化に一樹は目を白黒させた。哉太に注意を払いながらチラと翼を見るがやはり操作器を使っている様子はなく、一樹は益々困惑する。
なんだ…!?アイツは何もしてない筈なのに…なんで七海が俺を攻撃するんだ…!!


「おい七海!どうしたんだよ!!」


『おぉぉー!おーしろー凄いのだ!』


『くひひっ でもこれ計算難しいねぇー。マイクロチップから受信した感情を調整して…よいしょっ』


「感情…ッ!?っ、く…!」


「っらぁぁぁ!!」


一樹がマイク越しの声に気を取られている隙に、雄叫びと共に哉太が次の攻撃を仕掛けてくる。一樹の腹に回し蹴りを入れようと、砂を踏み右足を力強く振るった。
まさかアイツら…七海の感情まで操作してるってのか!?
思わず応戦してしまいそうになるが、素早く後ろに跳びなんとか攻撃を避ける。だが、避けたところで"怒り"の感情に支配された哉太は止まらない。避けられる事は見越していたのか、すぐに体勢を建て直し、一樹が着地するや否や飛び込むような勢いで接近すると彼の左頬を渾身の力で殴り飛ばした。


「うぐっ!!」


『ひゅーっ 凄いねーお魚君は。エジソン君が下手に操作するよりずっと強いよきっと!くひひっ』


哉太の力は、酷く重い拘束具を着けていても抑えきれない程に強く、そんな馬鹿力で殴られては流石の一樹でも衝撃に眩んでしまう。哉太はその一時すらも逃さず一樹の角を鷲掴みにすると砂地に叩き付けるような勢いで力任せに、下方向へと角をグイと引き落とした。人間の何倍も強い力で殴られ、ぐらついた意識が哉太により揺さぶられる。そして哉太は、角を下に引いた為がら空きになった一樹の背中に、背骨すら折りかねない力で踵落としを食らわせた。


「っ、あ゙…ッア゙ア゙ぁぁあ゙あ゙ああー!!」


それを眺めていた桜士郎は、余りの容赦の無さに"興奮のあまり"思わずキーボードを打つ手を止めそうになる。しかしそこに更に残虐さをもたらす電気刺激を与えようと、複雑なコードを入力していった。


「ぐっ、ぁ……」


「殺す…」


「な…な゙、み……っ」


「俺の名前を呼ぶな!裏切り者が!!」


哉太は怒号し、砂地にうつ伏せになった一樹の角をギッと睨み付ける。そして足を上げ狙いを定めると、裏切り者と呼ばれ驚愕している一樹の角に足を踏み下ろした。
ぼきりという鈍い音すらも、一樹の頭と鼓膜を殴るようだった。


























「あの…木ノ瀬君…」


トレーニングルームの事務所の扉をそっと開けながら、一人の少年がおどおど梓を呼んだ。


「小熊?」


書類を書いていた手を休めて梓が扉の方を見るとそこには熊のEXE・小熊が立っており、 何か言いたげに梓を見ていた。


「忙しいところごめんね。えっと、今から隔離棟の見回りに…」


「そうか、そういえばもうそんな時間か…。今SEで実験やってるみたいだから、もしよかったら野次馬してくれば?」


「ええぇっ い、いいよ此処の人達のやる実験ってなんか怖いし…。」


「お前熊のくせに根性ねぇなあ!」


「うわ!犬飼先輩っ 熊は関係ないですよー…もう…。
…あっ、それじゃあいってきます!」


「はいはい、いってらっしゃい。」


EXEは緊急の時以外、隔離棟の見回りに行く際はトレーナーである梓に出発する旨を伝える決まりになっている。犬飼にからかわれながらも出掛けていった小熊を見て苦笑すると、梓は仕事の続きを行おうと机に向き直った。


「…ん?」


だが机に視線を戻す時、梓は何かに気が付きはたと止まる。壁際に何か光る物が落ちているようで、梓は不思議そうに目を凝らした。それはとても小さく、"光る"というよりも光を反射しているようで、気に掛かった梓は席を立った。ゆっくりと壁に歩み寄り、それを拾い上げる。指先で摘んだそれをよく見るとどうやら爬虫類の鱗のようで、梓は「あ…」と小さく声を漏らした。
1ヶ月程前…この場所で、郁は四季の鱗を剥いだのである。その事を思い出し、梓は記憶を遡るようにまじまじと鱗を見つめた。
あの時の水嶋さん……本当にどうしたんだろう…。今はまた、前と何も変わらないけど。
一見普段と変わらないように見えたが、郁がEXEを傷付けた事は梓にとって強烈な記憶であり、今でも首を傾げずにはいられない。プラヴィックを道具としか思わない郁の性格上、折角調整し直した"道具"を殺されたのが腹立たしかったのだろうかとも考えたが、郁が"その程度の事"で自分の感情を顕わにするとは考えづらく、見付からない答えに梓は表情を難しくするばかりだった。


「それにしても、小さいから掃除の時見落としたのかな…。」


推測を諦め仕事に戻ろうと、一人言ちながらごみ箱に四季の鱗を放る。
見落とした、実に簡単な答えも一緒に。






















continue...



2013.7.7

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