[携帯モード] [URL送信]
Lv.2-150



「―――コノエ、また『   』さまのところから抜け出してきたの?」

 うん、と幼い僕は頷いて、頬を撫でる薄くて柔らかい掌に自分のそれを重ねた。それは僕よりも温かくて、とても気持ちの良い掌だった。
 幼い僕よりもひと回りは年上の、けれども他の同じ色の存在よりも華奢で小さな存在。
 唯一僕を『コノエ』として、ひとにしてくれた存在。
 僕の、僕が―――いまも大好きなひと。

「もう、『  』さま、きっと心配しているよ」

 それなのに、そのひとは僕の嫌いなあいつの名前ばかり出すのだ。
 幼い僕は、それでもそのひとの頬を撫でてくれる掌が大事で、嬉しくて、「まだここにいたい」と駄々をこねた。そうすれば、そのひとは困ったように笑ってから「しかたないなぁ」と今度は僕の頭を撫でてくれるのだ。
 青い草花のかおりと、土の匂い、そしてそのひとからの柔らかな、優しい色彩。
 目を瞑っていれば、様々な同じ色の人形たちから向けられる何か―――苦しいことも、悲しいことも、怖いことも、全部忘れられた。ただ、頭上から降ってくる、温かくて柔らかくて、ただただ気持ちの良い何かが僕の生きがいだった。
 しかし、それも長くは続かない。
 唐突に、強く恐ろしいほどの黒く冷たい何かが僕の肌を焼いて、僕は閉じていた瞼を引き上げた。
 それに、僕の頭を撫でていたそのひとは驚く。けれども、それにあわせて視線を僕から外すように一方に向けると、途端、苦しい何かが降ってきて僕の胸を突き刺した。瞬きもできないほどの、呼吸を忘れるほどの、痛みだ。
 あぁ、それは―――。

「コノエさま」

 そして、平坦な声が僕に落ちる。色も何もない、その音が示すものは僕の名前だ。『代表者』である、僕を示す記号。
 僕の頭を撫でてくれていたそのひとは、もう僕から離れて跪いている。
 ―――そんなことしなくていいのに、そんなことしてほしくないのに。
 そしてあいつは、そんな僕の大切なひとを一瞥し、あの黒く冷たく恐ろしいものをむけて吐き捨てるのだ。

「また貴様か」

 それに、また僕の胸を痛みが貫く。眦が熱くなるような痛み、苦しみは、きっとそのひとの。
 僕は、僕は、それのその声が、その痛みが嫌いで、僕は―――。








 ―――僕は、目を開く。
 もはや過ぎ去った草木の緑はなく、眩い金色もない。ただ、腹の奥が重く感じるほどの、憤怒が僕を圧し潰す。それを消化するように僕は深呼吸を繰り返した。
 そうしなければ、無差別に『回帰(オブリトレイター)』を発動してしまいかねないからだ。
 僕は寝転がったばかりのベッドから身体を持ち上げる。
 もとより、睡眠を欲しているわけではないのだ。むしろ、高揚していて眠れるような状態ではなかった。
 僕は広い室内をゆっくりと歩き、大きな窓へと近づく。透明度は高いが、対能力者用に強化されたその硝子は分厚く、開けることはできない仕様だった。
 僕はそこから見える、第8地域の北地区を眺めた。
 箱庭のようなそれは、しかし、僕の地域よりもよほど美しい。造り上げられたものではない、どこかひとの存在を感じさせるものだ。
 僕は、再び腹の底が熱く、口腔内が苦くなるのを感じて胸元に手を伸ばした。そして、ゆっくりと服の下、皮膚の上に横たわる小さな板を布越しに掴む。
 そうすれば、僕のその破壊衝動はゆっくりと引いていくのだ。
 僕は、長く息を吐き出し、そして同じように空気を吸い込むと、もう一度、手の中、布越しに感じるそれを握りしめた。










「……はやく会いたいよ、にいさん」


[*down][up#]

150/167ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!