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Lv.2-27
 視界の中のその金色は、ずっと願って止まなかった人の形をしていた。
 その人は、俺と同じように水面に独り佇んでいる。そして不思議なことに、その人が動いているわけでもないのに、その足元からは絶え間なく波紋が広がっていた。
 どういうことだと、俺は近くはない距離にいるその人を凝視する。
 見れば、未来のものとは違う天然の金色が青に溶けずに煌いていた。輝きが違う。キラキラと煌いて視界の一部が眩しかった。その顔は俯いているせいで見ることはできないが、金糸のかかる白磁の頬はすっきりとしている。体躯もすらりとしていて傍から見ても均整が取れているように思えた。けれども、黒いなりの俺以上に、その人は青い世界で異質だ。
 その人から視線を引いて下を見れば、俺自身の足は勿論、その人の足をも浸す水面は相変わらず揺れていた。それでもやはり、その人は佇み続けている。
 顔を俯けたまま動かないその人は何を思っているのだろう。俺の胸を襲うこの虚無感や寂寥感と同じものがあるのだろうか。それなら、慰めてあげたいと俺は思った。
 けれども、その人は俺という他者に一向に気付かず、顔を上げることもない。ただ、そこにもとからある杭のように動かない。
 俺は、その人にそっと近づいていくことにした。その人が作る波紋が足元で俺の歩みによってできたそれとぶつかる。干渉した波動はより一層大きくなってばちゃんと音を立てた。跳ねる水をかきわけるように足を進めれば、より大きな音でそれらはぶつかり合う。足は、全力疾走したあとだからか、酷く重かった。それでも前に進む。
 気付いてほしくてわざと大きく音を立てれば、とうとう目標のその人は、ふっと顔を上げた。
 そして視界にその人をおさめると同時に、キン、と耳の奥で何かが響いたのを俺は知覚する。金属がかち合ったような音にも聞こえたし、何かが砕け散るような音にも聞こえた。脳の奥がじんと痺れるような感覚が襲って、涙腺がまた水分を滲ませる。
 俺は、とうとう足を動かすのをやめた。立ち止まった俺の十数メートル先にその人はいる。
 そして俺は、喉を震わせた。声は出ない。出す声はどこかにいってしまっている。そして俺は目を見開いた。
 顔を上げたその人は、そんな俺を見る。風のない世界で金色が動きに合わせて靡いた。その金色は俺の視界の中で光の軌跡を作る。キラキラと、青の中に浮かび上がった色に、俺は素直に綺麗だと思う。涙で潤んだ視界ではその人の人としての輪郭すら捉えるのは困難だったけれども、とても綺麗だと思えたのだ。
 そしてゆっくりと上げられたその顔は、俺という存在を映してなお、驚くでもなく、能面のように微動だにしなかった。声も発さない。互いに無言のときが過ぎ、ただ足元の水音が鼓膜を打った。

「…っ、…っ!」

 俺は、そんな中、必死に唇を開閉させていた。
 その人を見て、俺は声を出したくなったのだ。何かを叫びたくなった。何を叫ぼうとしているのかもわからなかったけれども、とにかく、俺は何かをその人に言わなければならないと思った。本当に、何かなんてわからない、ただ、喉は必死に声帯を震わせようとする。
 けれども、肺から弾き出された空気の塊が口蓋を打つだけで音にはならなかった。苦しい、悲しい。
 水面が激しく波打つ。水が生き物のように弾けて手足に跳ねた。
 視線の先にいるその人は、ただ俺を見つめていた。その場から動くことなく―――それとも動けないのか? 俺にはわからないけれど―――、ただ俺に視線を向けている。
 心臓が弾けてしまいそうだった。誰か助けて欲しかった。誰か助けてあげて欲しかった。
 その人は、ゆっくりと頭を振った。何を伝えようとしているのかわからないけれども、確かにその首を振った。
 露になったその容貌は、酷く儚い。表情の乗らないその造形は整ってはいたけれども、人の温かみをもたなかった。けれども、そこにある二つの瞳だけが俺を視認して俺に何かを伝えようとしている。
 それは、この水と空と俺たちだけの世界と同じ、とても深い青だった。水面に映った空の色を吸収してなお青い、吸い込まれるような色だ。決して近いとはいえない距離にいるにもかかわらず、俺にはその人の色を視覚することができた。理由はわからない。けれども、確かにその人は空の青より水の青よりも深い青を持っていた。そして同時に、その金色が、目に痛い。
 俺が涙を流しながらその人を凝視していれば、不意に、涙とは違う水飛沫が頬を打った。
 俺は何事かとその人から視線を外して頬を擦る。指先が、涙と水飛沫に濡れた頬を数回擦ったとき、その指先が何かに包まれた。ハッとして顔を上げる。
 そうすれば、視界に広がるのは、先程まで十数メートル先に佇んでいたはずのその人の姿だった。指先は、その人の手が重ねられていて、動かすことが適わない。
 冷え切った掌だった。血が通っているのかもわからない、とても冷えた掌だった。けれども、その掌が、俺の濡れた頬を撫でていく。
 胸が、酷く痛くなった。頭の奥が訳もわからない悲しみを訴える。もんどりうって痛みを紛らわしたかった。呼吸が、荒くなる。
 ハァ、ハァと小刻みに唇を震わせて俺は目前に迫ったその人を見上げた。俺よりも頭ひとつ分くらいだろうか、高い身長のその人は、近くで見れば見るほどか細い印象を受ける。けれども、麗しい、端整な顔立ちをしていた。ヤマトのようなふてぶてしさはなく、未来のような野生的な男前でもない…ミツハさんは別格だからいいか。とにかく、儚く消え入りそうな麗しさの中に、燃え滾る芯を内包するような瞳をしていた。

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あきゅろす。
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