Lv.2-16
「だ、だめだ! こいつはだめだからな!」
未来の酷く焦ったような声に俺は困惑し、そして動揺する。だめもなにも冗談だったし、そして未来のあまりの必死さに俺はどう反応したらいいのかわからない。
いくら自分の顔が嫌いだからって、ここまで必死にならなくてもいいのに、一体どうしたのだろう。だいたい、普段はこんなこと、こんな乱暴なことしないのに。
激しい剣幕の未来は、俺の肩にその指が食い込んでいるのにも気付いていないのだろう、いつもは、俺が笑ってしまうくらい力加減を気にしてくれるのだから。
ギリ、と俺の薄い肩に加減を忘れた未来の指が食い込む。「彼方!」と強く呼ばれて、俺は耐え切れずに口を開いた。
「…ったい!」
小さいその悲鳴は、しかし未来の耳に届いたようで、未来はハッとしたようにすぐに俺の肩から手を離した。
「あっ」
俺はその拍子に、片手に持っていたマグを落としてしまう。落下したマグが床に落ちて砕けるその音を覚悟した俺だったが、しかし意に反してマグは空中で静止する。
「わ、悪い! だ、大丈夫か彼方…!」
そして衝突音のかわりに、そんな未来の酷く動揺して上擦った声が鼓膜を叩いた。
落下途中だったマグは『重力制御(グラビティ)』で床に安置したのだろう、カタンと控えめな音が床のほうから聞こえた。
マグの命を救った未来は、そのまま俺に手を伸ばしてくる。けれども、その指先は俺に触れる寸前で未来自身のほうに戻されてしまう。未来は、小刻みに震えていた。
「…ご、ごめん、痛かったよな…ほんと…悪かった」
そしてそう言うと未来は項垂れてしまう。
俺は捉まれて未だにジンジンと痛むその肩を擦りながら「おい未来」と声をかけた。まずい、落ち込んだ未来を浮上させるのには時間も労力もかかるのだ。それは、忌まわしいあの3年前に嫌というほど実感したことだった。
「ちょ、なんだよ、こんなの普通のことだろ? んな落ち込むなよ」
むしろ無神経なこと言ってごめんな、と謝れば、未来は勢いよく顔を上げて「違う」と言い切った。
俺はその勢いに顎を引いた。
「違う! これは…!」
こいつは、と、そこまで言って未来はその顔を苦しそうに歪め―――それでも十分、羨ましい男前の顔だったが―――そしてハッとしたようにまた頭を振った。
「…ごめん、俺、ちょっと頭冷やしてくる…」
そしてそういうとソファから腰を上げてしまう。
急な展開に、俺はなにがなんだかわからない状態だったが、それでも慌てて未来を呼び止めた。
「お、おい未来ってば!」
そんな俺を未来は首だけ回して振り返ると、悲痛な面持ちで―――それでも必死に笑顔を取り繕ったのだろう、僅かに口角を震わせるように持ち上げて、「もし凄く痛むようだったらミツハに診てもらってくれ…俺じゃ、治せないから」と俺に放つ。
違う、俺はそんな言葉が欲しいわけじゃない。
「ちょっと待てよ未来! 待てってば!」
俺も慌ててソファから腰を上げるが、未来はもう俺の言葉に止まることなく足早に部屋から出て行ってしまった。
俺は未来の後を追ったが、玄関のドアを開けたところで既に未来の姿はなく、途方に暮れてしまう。なにか未来の気に障ることでも言ってしまっただろうか。
俺は少し躊躇ってから、開いた玄関のドアを閉める。
とりあえず、ミツハさんに相談しようと思った。今、無闇に追いかけても未来が見つかる可能性は低いし、未来はちゃんとこの場所に帰ってくると、俺は信じて疑わなかった。だって、この場所が俺たちの寝座なんだから。
俺は未来のことを心配に思いながらも、ミツハさんの部屋へと急いだ。ミツハさんなら、何か知っているかもしれないと、そう淡い期待を胸に抱きながら。
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