Story-Teller
\




病室の前で、足が竦んだ。扉をノックするために持ち上げた手は、そのまま固まってしまった。
大きく息を吸い込んだ相楽は、意を決して扉を三回叩く。中からの返事を聞かずにドアノブを捻って、一歩踏み込んだ。

「忘れ物でもしたのか」

ベッドの上で、相楽が作った分厚い資料に目を通していた篠原が、一度だけ視線を上げてから問う。
開放的な大きな窓から差し込む光が、夕焼け色だった。白いベッドは為す術なく朱色に染まる。
ベッドと同じ色の入院着を着た篠原も、赤い陽に照らされていた。あの夜の赤を思い出すようで、相楽は無意識に唇を噛んだ。

「篠原さんに、聞きたいことがあるんです」

吐き出した声は、やけに低かった。
緊張と不安を悟られないように押し殺したせいで、余計に不自然になってしまったようだ。
顔を上げた篠原の目が、なにかを感じ取ってか、訝しげに細められていた。

「高山さんや吉村さん……あなた以外のファースト・フォースの皆も知ってることなのかもしれないけど、ほかの人じゃなくて、あなたに教えて欲しいんです」

相楽がどうにかそう言い切れば、篠原は細めていた目を一度だけゆっくりと伏せて、そして開いた。
扉の横で直立不動でいる相楽に、彼はベッドの隣に置かれた椅子を指差す。篠原が目を覚まさなかった間、相楽が作業をしていた席だ。

「……座れば?」

ほんの僅かに躊躇ってから、相楽はその席へと戻ってきた。座ると同時に、篠原の手の上にある資料が閉じられる。
こちらを見る篠原の目をじっと覗き込んだ相楽は、こくりと唾を飲み込んでから口を開いた。

「確信が持てないことがあります。その答えが欲しい」

「……」

「篠原さん、都築は、何者なんですか」

問うと、あの夜、ホテルのエントランスで相楽へ向けられた笑顔が蘇る。反UC派を操る、素性の知れぬ男の笑みだ。
「敵」であったはずの相楽にわざわざ接触した彼の真意の読めない楽しげな笑みは、篠原を斬りつけるその瞬間もまったく同じだった。

考えるほどに、わからなくなり、けれど理解していく。
あの男は、きっと、狂っている。

「一年前の、ファースト・フォースへの襲撃の際の報告書も読みました。でも、俺が知りたいのは、彼の……」

そこまで言って、言葉を切った。

どう言えばいいのか、わからない。
都築が「何者」かと問えば、彼が左翼系反UC派団体「桔梗組」の頭首であること、主な活動拠点は日本を離れイタリアであること、その傘下にある多数の反UC派団体の名も聞くことができるんだろう。
だが、相楽が知りたいのは、それではなかった。
「何者」とは、その来歴でも素性でもなく、彼の本質を差している。

「……都築は」

ぽつり、と病室に落ちた篠原の声は、まだ本調子ではなく掠れたままだ。

「元々は、防衛軍の出先にある化学研究所の研究員だった」

「……研究員?」

「少なくとも、俺が養成所に在籍していた頃は、まだそこに居たはずだ。一度だけ、外部講師として講演に来たことがあったが、UCに関しての知識は豊富で、講師で呼ばれるほど防衛軍からの信頼があった男だ」

「元は、防衛軍側のひとだったんですか……?」

相楽が言えば、篠原は険しく眉を寄せ、首を横に振った。

「防衛軍側……UC肯定派でも、反UC派でもなかった。あいつは、UCそのものにだけ興味があって、保護するべきだとか、どう管理していくべきかなんてことは、どうでも良かったんだろう」

「……」

「ほかの研究員とはまったく話が合わなかったらしいが、UCについてを語るのは好んでいたらしい。……神を妄信した狂信者に似てる。自分の崇めるUCを布教するためにも、外部講師としての依頼は多く引き受けていたようだ。俺が講演を聞いたのも、その一環だった」

「……どれだけUCがすごいものなのか、みんなに知って欲しい?」

「そういうところだな」

頷いて、ホテルのロビーで興奮がちに語った都築の声を思い出した。「恍惚」と言えば一番近い表現だったかもしれない。
UCへの溢れる探究心を抑えきれない声は、彼の本心だったんだろうか。

「養成所へ講演に来たそのすぐ後に、都築は研究所を辞めた」

「……桔梗組を立ち上げるために、ですか? でも、反UC派ではないはずだったんじゃ……」

「辞めてすぐに、イタリアへ行ったんだ。……あっちの国の、研究員に誘われて」

「イタリアの研究員?」

相楽が思わず首を傾げれば、篠原はふっと息を吐き出した。苦々しげな目が、相楽が作った分厚い資料へと向いている。

イタリアといえば、全世界で一番最初にUCを実用化する動きに乗り出した国だ。
そのすぐ後を米国が追い、僅かに遅れて日本を始めとした先進国が続き、今や、多くの国が家庭用エネルギーへの変換方法を学んでいるところである。
イタリアが先陣を切ったのは、熱心なUCの研究機関があるからだと聞いていたが、都築は、そこに引き抜かれたらしい。

「……日本を離れて、イタリアでUCを調べていた研究員が、どうして反UC派の頭首になんて……」

繋がりが見えない。ぐっと眉を寄せる相楽を一瞥した篠原は、暫し沈黙してから、口を開く。

「一年前、帰国した都築がUC館を襲撃した。……俺たちが、負けた日のことだ」

篠原の声に、思わず口を開きかけて、なにを言えばいいのかわからず小さく喘いだ。
負けた、という言葉は、篠原に憑く呪縛のようだ。相楽にはその呪縛を解くことができなくて、ただ「しのはらさん」と呼ぶだけしかできなかった。
篠原は、相楽の切羽詰ったような呼び声にふと顔を上げ、苦笑してみせる。
その笑みが一層、胸を締め付けるようで、相楽は急激に渇いた喉を潤すためにごくりと唾を飲み込んだ。

「UC館に、都築の流した血が残っていた。その血が本当に都築のものかどうか、検査に掛けることになった……襲撃したのが都築であることを確定させるためだったんだが……」

篠原の声が途切れる。
不自然な口の噤み方だった。言いよどむ、というよりは、その先の言葉を失ったかのように。ここにも、『箝口令』が敷かれているんだろうか。

これ以上は聞けないのか、と眉尻を下げて篠原を見れば、相楽のそんな落胆した反応とは裏腹に、篠原の目は真っ直ぐにこちらを見ていた。
ああ、話してくれるんだ。と理解すれば、同時に胸が大きく鼓動するのを感じる。

恐らく、ここからは、相楽が足を踏み入れていいのかどうか、ぎりぎりのラインにある話だ。
「都築」という男の、正体について。




[*前へ][次へ#]

9/13ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!