ラストオーダー
オーダー5 前編

- side KANATA -








「カナタさん! カナタさん! 日曜日、うちの大学、文化祭なんです! 来てください!」

穏やかだった店内に五月蝿いのが入ってきた。
入口の扉に付いているベルがカランカランと揺れ、そいつは異常なまでに乱れた息のままカウンターにへばりついてくる。
その姿を確認し、拭いていたグラスを棚に置きながら思いっきり顔を顰めてしまった。

「お前……元気だったのかよ……」

「へぇっ?」

低い声で呟けば、そいつはぽかんっと口を開いて首を傾げる。
何も解っていないような間抜けな顔をしたまま、けれど目だけはいつもと同じきらきら輝かせてこちらを見つめてくるそいつに、無性に腹が立ってしまった。

そいつが、風邪を引いた自分を看病してくれたことは朦朧とした頭に残っていた。
言うことを聞かない身体をしっかりと支えてくれた、思ったよりも逞しい腕だとか、手際良くお粥を作っている背中だとか、心配そうに覗き込んで来る目だとか、ぼんやりと。

それに、店長一人に任せるしかなかった店を自分の代わりに手伝ってくれた、と店長から聞いた。
店長一人で店を担うことが中々難しいことを知っていたから、熱が出て動けなくなっても、どうしても店のことが気になって仕方なかった。
完治して出勤してから店長に深々と頭を下げると、店長は首を横に振って微笑む。
こちらが休んでいた二日間、そいつは大学が終わってから閉店まで、俺の代わりに店を手伝っていたと言われたのだ。
そのお陰で、店長はまったく苦労しなかったらしい。むしろ、何でもやろうとしてくれるので、店長はほとんど座ったままだったという。
店長に負担を掛けることだけが、ただただ気掛かりだったから、とにかくホッとした。


だから、一応礼をしようと待っていたのに。

それなのに、毎日鬱陶しいくらいに店に現れていたあいつが一週間も店に来なかったから、少しは心配していた。
風邪、移したか? とか、事故にでもあったのか? とか。
連絡を取ろうにも、奴の携帯番号もメールのアドレスも知らないし。そもそも、一週間前まで名前すら知らなかったし。

二日過ぎて、三日過ぎて、四日を越えれば、本気で心配になって。
大学の知り合いで、誰かあいつの事を知らないだろうかとさり気無く聞いて回っても情報は出てこない。
こんな事ならアドレスくらいは聞いておけば良かったと、心底後悔した。明日は来るだろうか、と不安になりながら帰路に着く日々を送ったというのに。

なのに、こいつときたら。
目の前でえへえへと笑っている男の頭に手刀を落とすと、「いったー!」と大袈裟に頭を押さえる。
いつもと変わらない五月蝿さに、むかつく程にホッとしてしまった。

「え? え? なに、カナタさん?! なんか怒ってますか?!」

目を丸めてすがる様に向けられた視線からわざとらしく目をそらせば、「カナタさーん」と声を震わせている。
うるさい。良いだけ心配させておいて、何を暢気にしてるんだ。心配して損をした気分だ。

「カナタさん、あのっ」

奴が何か言いかけた時、入口に下げられている銀のベルがカランカランッと音を鳴らして揺れた。
客が来たのか、と反射的に視線を向け、入口に立っている人影に首を傾げる。
入ってきた青年は、どこかで見たことがあった。日は遠くない、最近見たような気がする。
年頃は自分と同じか少し下くらいだろうか。眼鏡を掛けた、落ち着いた印象の青年だった。どこで見たのかがいまいち思い出せない。
そうこう考えているうちに、青年はカウンターにへばりついている奴を見つけ、キッと眉をつり上げる。

「優希! お前、準備サボって何してんだよ!」

言って、奴の耳を思い切り引っ張った。その力は相当なものだったのか、それともいつものオーバーリアクションなのか、奴はぎゃーっ! と叫んで涙目になる。
それまで落ち着いた風に見えていた青年が、酷く不機嫌な表情に変わっていることに気付いて、まじまじと眺めてしまった。

「ちょっとくらい休憩させてょぉぉ、珈琲飲みたいょぉぉ」

そんな青年の表情を確認した奴は、カウンター前で駄々を捏ねる様にメソメソと騒いでいる。
青年は、カウンターに齧り付く奴の耳をお構い無しに引っ張って歩き出した。

「リーダーのお前ががいなきゃ準備がはかどらないんだよ! おら、行くぞ!」

青年に引きずられたまま、奴は情けない顔で見つめてくる。引っ張られたままの耳が真っ赤になっていた。

「カナタさーん! 漆都大学の文化祭は日曜日ですからねー! 来てくださいねー!」

カランカランとベルを鳴らして二人が出て行くと、店内には静けさが戻ってきた。
賑やかな青年達の動向を気にしていた婦人たちも、談笑を再開する。

……なんだったんだ?
あの青年、どこかで見たことがあると思ったが、前に奴と一緒にいた人か?

首を傾げながらグラスを棚に戻すと、横から視線を感じた。
顔を向けてみると、店長が珈琲をカップに注ぎながらニコニコと楽しげにこちらを見ている。
なんだろう、と見つめ返すと、店長はちらりと横目でカレンダーを見た。

明後日の、日曜日。
奴の大学は文化祭か。漆都大学って、教育学部が有名な大学だったっけ。などと考えながらカレンダーを眺めていたが、ふと目に映ったものに気付いて、ん? と片眉を下げた。

明後日の日曜日に、赤いペンで大きな丸がつけられている。
よく見れば、数字の下には店長の綺麗な字で『臨時休業』の文字が……

店長は、相変わらずニコニコとこちらを見つめている。

「……店長、いつの間に書いたんですか……」

呟いても、店長の表情は変わることが無かった。





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