火を消して、出来立てのお粥が入った土鍋を盆に乗せる。それを持ってカナタさんのいるベッドまで戻ってくると、カナタさんは紅くなった目で見上げてきた。
「……料理……できんの……?」
不意にポツリと問われ、テーブルにお粥を置きながら、ヘヘッと笑う。
「俺、両親共働きの長男だったから、家事は出来るんですよー」
言えば、カナタさんは小さく頷いた。仕事が忙しくて休めない親の代わりに、自分が食事を作る事が多かった。それがこんな時に役立つなんて思わなかったけれど。
思うように動かない体を起こそうとするカナタさんの背に手を置いて支えてから、枕元にあったパーカーを肩に掛けてあげる。細い指でパーカーを引き寄せて、袖に腕を通す動作がゆっくりとしていてぎこちない。
お粥が乗った盆をカナタさんの膝の上に置くと、カナタさんはぼんやりとお粥を見つめていた。
「カナタさん、一口でもいいので、お腹に入れてください。あとは残してもいいので」
「……折角作ってくれたから、食べる……」
ゆっくりとレンゲを取って、お粥を口に運ぶカナタさんをジッと見つめる。
昔から何度も作ってはいるし、失敗もしてないから、不味くはないと思うけれど……
「……ごめん、味覚麻痺してる」
視線が五月蝿いほどにジッと見つめて感想を待っていたことに気付いたのか、カナタさんが申し訳なさそうに言った。
病人に気を遣わせてしまったことに今さら気付いて、慌てて首を横に振る。
「いいんです! 食べたら薬飲みましょうね、カナタさん」
にっこり笑って言えば、カナタさんは頷いてレンゲを口に運んだ。
……カナタさんが素直なのは、熱のせいなのかなぁ。
考えながら、買ってきたスポーツ飲料のボトルの蓋を緩めておく。カナタさんは力も上手く入れられないようだから、蓋が開けられないと困るだろうと思ったからだ。
カナタさんはお粥を半分だけ食べて、酷く苦そうな顔をして粉薬を飲み込んだ。
そっと覗き込んだカナタさんの頬が紅い。熱はまだ下がらないんだろうな、と眉を下げた。苦しげな息につられて、こちらも息苦しく感じてしまう。
キッチンまで持って行った土鍋に蓋をして、クルリと振り返ってみた。カナタさんは、だるい動きで毛布の中に潜り込んでいくところだった。
いそいそとカナタさんの隣に戻り顔を覗き込むと、まだ目を開いていたカナタさんが眉を寄せて見上げてくる。
あ、寝顔を見ようとしていたのがばれてしまった、と慌てて笑って誤魔化そうとすると、カナタさんは片手で毛布を掴んで、じっとこちらを見つめてきた。
「……お前さ」
「は、はい?」
掠れた声で口を開いたカナタさんに首を傾げると、カナタさんは一層眉を寄せた。
ゆっくりと毛布を引っ張り、口元まで隠してしまう。目許から上だけを出した状態で、そっと目を細めた。
「……名前、なんていうんだ」
「名前?」
カナタさんに問われて、改めて思い出した。
そういえば、名前を教えていなかった。
一方的にカナタさんカナタさんと人の名前を連呼して、なんて非常識なやつなんだ! とゾッとする。もしかして怒っているのかと慌ててカナタさんを見ると、毛布からチラリと見える目がジッとこちらを見つめていた。
その目は、紅く潤んではいるけれど、いつもの冷たい視線ではない。
こちらの返答を待つように、何も言わずに目を合わせてくるカナタさんに、思わずどぎまぎしてしまう。
「……ゆうき……樋山優希です、カナタさん」
「優希……」
ポツリ、とカナタさんが名前を呟いた。
妙に擽ったい気持ちになる。
いつも、「おい」とか「お前」とかだったから、名前で呼ばれるのが嬉しい。
病人の隣だというのに自重出来ずにニコニコしている間も、カナタさんはジッと視線を逸らさない。
何だろう、とにやつきながら見つめ返すと、カナタさんはそっと視線を外した。
「……長男なんだ……?」
「? はい。三人兄弟の! 弟が二人います」
返すと、カナタさんは毛布から片手を出して、ベッドの上に置く。
その細い指が、シーツを緩く掴んだ。
「……料理……できるんだ……」
「男の料理だから大雑把ですけどねー」
ふへへ、と照れ隠しで笑うと、それを見ていたカナタさんはゆっくりとした動作で毛布を下げる。
毛布に隠れていた口元は、やんわりと微笑みを見せていた。
思わず、見惚れてしまっていた。
やっぱり、カナタさんは綺麗だ。
「……優希って、いうんだ……」
「……はい」
カナタさんの目が真っ直ぐに自分を見つめてくるのに、囚われてしまったように身動きが取れなくなった。
目を逸らせない。皮膚の奥で脈打つのが解るくらい、心臓が五月蝿い。
「……俺、お前のこと、何も知らない」
カナタさんは静かに口を開く。声が掠れていた。
「……名前も、何も……」
咄嗟に肩が揺れた。
カナタさんが、片手で自分のTシャツの袖をソッと掴んできたからだ。
微かに触れたカナタさんの指が熱い。
「……でも」
熱で潤んだカナタさんから、一瞬たりとも目が逸らせなかった。
「もっと、優希のことを知りたいと思う……」
たったそれだけの言葉で、こんなにも……
呟いたカナタさんは、パタリと手をベッドに落とし、そのまま眠ってしまった。
熱と薬とで、朦朧としていたのかもしれない。
カナタさんに毛布をかけ直してから、紙袋に入っていたホットサンドを出す。
近くにあったメモ用紙とペンを取ってメモを残し、ホットサンドと一緒にテーブルの上に置いた。お腹が減ったら食べてください、お粥も残ってますよ、といったメモだ。
カナタさんの寝息が安定しているのを確認してから、早足で玄関に向かう。
スニーカーを履いて玄関を開くと、目の前に見たことのある男性が居た。背の高い男性が目前にいた事にぎょっとして身を引けば、男性は首を傾げる。
こちらの顔を確認してから、お、と目を丸めた男性は、前にカナタさんと一緒にいた爽やか系イケメンだ。
慌てて頭を下げると、イケメンはにっこりと笑った。
「彼方のお見舞いに来たのか? もう帰んの?」
「は、はい……」
きらきらと輝きながら溢れ出しているイケメン爽やかオーラに圧倒されてしまったが、どうにかコクコクと頷いた。
真正面から爽やかオーラを受けながら、後ろ手に玄関を閉める。
自分の服からカナタさんの部屋の匂いがふわりと薫っていることに気付いて、顔が熱くなるのを感じる。誤魔化す様に、男性に笑みを返した。
「店長さん、一人で大変そうだったから手伝いに行きます」
「おー、頑張れー」
もう一度頭を下げて、階段を駆け降りた。トントンと軽い足取りで階段を降りて歩き出すと、暖かい風が頬を撫でる。
マンションを見上げてみれば、その壁の向こうにいるカナタさんの姿が鮮明に蘇って息が苦しくなった。
……もっと、優希のことを知りたい……
頭の中で反復したカナタさんの声は吐息混じりで妙に色気がある。苦しげな掠れ声を思い出すだけで、一気に身体中が熱くなった。
ああ、知らなかった。
大好きな人が、自分に興味を持ってくれるって、こんなに……
こんなにも、幸せなんだ。
真っ赤になった熱い頬を撫でてから、喫茶店へ戻る道を勢い良く駆け出した。