ラストオーダー
オーダー4 前編



「かかかかっ、カナタさんがお風邪を召されたぁぁぁっ?!」

思わず叫ぶと、喫茶店中に自分の声が響いて、チクチクと視線が刺さった。
カウンター越しに、店長さんがシーッと人差し指を立てる。
慌てて店内のお客さんにすみませんと頭を下げてから、店長さんに向き直った。

「カナタさん、風邪、酷いんですか?」

問えば、店長さんはいつも八の字に下がっている眉毛を更に下げて頷いた。

今日も今日とて、大学の講義が終わってからカナタさんの働く喫茶店に来たものの、カナタさんの姿は無かった。
あれ、今日のシフト間違えて来ちゃったかな。と不安になり店長さんに訪ねてみると、店長さんは「風邪でお休み」と答えた。
風邪で、お休み。
つまり、カナタさんは、お休みしなければいけないような酷い風邪を召されてしまったということなのか!

「お、お見舞いに……はっ! カナタさんの家、どこにあるか知らない!」

ガクリとカウンターに両手をついて項垂れていると、カウンターの向こうに居た店長さんが何やらモソモソと動き出した。
何だろうと顔を上げてみると、店長さんは茶色の紙袋を差し出してくる。
首を傾げてその紙袋を眺めていれば、店長さんは更に小さなメモをカウンターにそっと置いた。
メモには、簡単な地図が書かれている。
喫茶店、と書かれた丸からくねくねと曲がった線を繋げて、コンビニを抜けた先にあるマンションに大きな花丸が描かれている地図だ。

「……店長さん、これは……」

恐る恐る店長さんを見ると、店長さんはニコニコと紙袋を押し付けてきた。受け取ってから、ハッとする。

「俺に! カナタさんのお見舞いに行けってことですか? 店長さん!」

目を輝かせて言えば、店長さんはコックリと頷いて、珈琲豆の入った袋の封を開けた。それと同時にお客さんが店に入ってくる。
オーダーを取る為に、ゆっくりとカウンターを出て行った店長さんを見送ってから、よし、と気合を入れた。
カウンターの上のメモを手に、行ってきます! と大きな声で言って喫茶店の扉を開く。
背後から、店長さんの優しい「行ってらっしゃい」が聞こえた気がした。





前にカナタさんが言っていた様に、カナタさんの住むというマンションまでは喫茶店から五分程度で着いた。
店長さんが書いたメモには、『三階・三○三号室』と書かれている。
コンクリートの階段を上がって三階まで辿り着くと、いよいよ胸がバクバクしてきた。心臓が口から出てきそうだ。

三○三号室の前に立ち、息を整える。
表札を見れば、『雪白』と出ていた。雪白、多分、ゆきしろと読むんだろう。

……カナタさんって、名字、雪白っていうんだぁ……名前まで綺麗だ!
なんて目を丸めてじっくりと見つめていたが、思いきって勢い良くインターホンを押した。勢いをつけなければ、いつまでも躊躇して押せそうに無かったからだ。
ぴーんぽーん。という軽い音が、扉越しに聞こえる。

………あれ?
反応が無い。

ぴーんぽーん。もう一度押す。
やはり反応が無い。

ぴーんぽーんぴんぽんぴんぽんぴんぽん。

「カナタさん? カナタさんカナタさーん?!」

どれだけインターホンを鳴らしても、物音すら聞こえてこない。カナタさんなら、うるさい! と一蹴するくらいのはずなのに、だ。
もしかして具合が悪すぎて、部屋の中で倒れているんじゃないか?!
咄嗟に過ぎった嫌な予感にゾッとして、扉を必死に拳で叩きつけた。
ドンドンと力一杯扉を叩いてドアノブを回してみるが、鍵が掛かっているようで開かない。

「カナタさんカナタさん! 大丈夫ですか? 大丈夫ですか?! カナタさんカナ」

更に声を大きくしようとした時、扉の向こうでガチン、と鍵が開く音がした。次いで、ゆっくりと扉が開く。
はらはらと扉が開いていく様子を見つめていれば、不機嫌そうに眉を寄せたカナタさんが顔を出した。

「カナタさん……!」

ホッとしたのも束の間。
自分の顔を確認した途端、カナタさんは目を大きく見開いて扉を閉めようとした。
一瞬の判断で、扉の隙間に足を捩じ込む。押し掛けセールス並みの咄嗟の判断だ。

「ちょ……なんで閉めるんですか、カナタさん!」

「なん、で、いるんだよ、お前がっ」

カナタさんは扉を閉めようとする力を緩めずに言う。
その声が掠れていることに気付いて、慌てて扉の隙間から紙袋を見せた。

「店長さんに、お見舞いしに行ってって頼まれたんです! 中に入れてくださいよー!」

「なんで、中に入るんだよっ! それ置いて帰れっ」

「そんな! カナタさん!」


力を緩めないカナタさんに、流石に扉に挟みっぱなしの足が痛くなってきた。足首の骨がごりごりと怪しい音を立てている。
カナタさーん、ともう一度呼んだ瞬間、フッと足への負荷が消える。
え? と目を丸める自分の前で、扉の向こうのカナタさんの身体が思い切り横に傾いだ。
まるで、糸が切れたマリオネットのように不自然に揺らいだカナタさんの体は、抗いもせずに床へと崩れていく。

咄嗟に扉を勢い良く開いて、片腕で倒れ掛かるカナタさんを抱き止めた。ぶらりと力の抜けた腕が、フローリングの床の上に零れる。
腕の中に収まっているカナタさんの身体は、布越しにも解る程に熱かった。

「カナタさん、熱すごいじゃないですか……!」

言えば、カナタさんはハァッと熱い息を吐くだけで、何の反論もしてこない。目は紅く潤んで、伏せがちなままだ。
カナタさんの体を支えたまま部屋に入ってみると、テレビと低いテーブルが一つに、簡易ベッドだけというシンプルな部屋だった。
カラーボックスには、大学で使っているらしい参考書やノートが科目ごとに揃えて並べられている。シンプルではあるけれど、綺麗に片付けられているあたりがカナタさんの性格を表している気がした。

カナタさんをゆっくりとベッドに横たわらせて、辺りを見渡す。

「病院には、行ったんですね」

枕元にあった薬の袋を手に聞けば、カナタさんはコクリと頷いた。
どうやら、さっきの玄関先での抵抗で残っていた体力を使い切ってしまったらしい。

少し荒い息に紅く染まった顔は、どう見ても熱が上がっていることを悟らせていた。
マンションに来る途中の薬局で買った冷却シートを袋から出して、ペリペリと保護シートを外す。
失礼します、と念の為謝ってから、カナタさんの前髪を手で掻き上げた。

……カナタさん、髪サラサラ!

一瞬で浮かんだ邪な気持ちを頭を大きく振って払い、カナタさんの額に冷却シートを貼る。
触れたカナタさんの額が滑らかだった、とか、必死に考えないようにしてはみるけれど、手が震えるくらい動揺してしまった。
どうにか平静を取り戻そうと、薬の袋を睨む。

「カナタさん、薬飲みました?」

うっすらと目を開いたカナタさんが、飲んでない、と掠れ声で呟く。
薬の袋には、『食後』と書かれていた。何か食べておかなければ、薬で胃を痛めてしまうかもしれない。
店長さんに持たされた紙袋には、店長さん特製のホットサンドが入っているが……

「カナタさん、食欲は……」

問えば、小さく首を横に振られ、どうしたものかと眉を下げた。
変わらず濡れた息を不規則に吐いているカナタさんは、ホットサンドを食べられるような体調ではないだろう。
立ち上がり、深緑色の冷蔵庫を開いてみる。
必要最低限の食糧とミネラルウォーターが入っているだけだが、卵や野菜があることに少しだけホッとした。

「卵と、ネギ……」

これならお粥は作れるな、と頷き、カナタさんの隣に戻ってみる。

「カナタさん、お粥作りますからちょっと待っててください」

静かな声でそう言えば、カナタさんは素直に頷いてくれる。

……可愛い!

咄嗟に叫びそうになったのを堪えて、足音を殺しながらキッチンへと向かった。




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