ラストオーダー
オーダー6
速報。カナタさんが口を利いてくれなくなりました。
「カナタさあああん!誤解ですってばあああ!」
カウンターの向こうのカナタさんは、完全に無視を決め込んで黙々と食器を洗っている。
いつもなら、「うるさい!」とか、「黙れ!」とか、「出ていけ!」とか言ってくれるはずなのに、視線すら合わせてくれない。
原因は解ってるけれども……
昨日、カナタさんが大学の文化祭に来てくれた。
もうそれはそれは嬉しくて、頭がパーーン状態だったのに、更に更に、カナタさんがメルアド交換しようと言ってくれた。
遂に!遂にカナタさんとメールができる!
と、嬉しさのあまりその場でカナタさんの携帯にメールを送ってしまった。
これが、原因です。
その時点ではまだ、カナタさんは俺にメルアドを教えていなかったから。
「なんでお前、俺のアドレス知ってんだよ?!」
烈火の如く掴み掛かってきたカナタさんに、またやっちまった!と焦る。
ひとしきり「変態か!」「ストーカーか!」「きもちわるい!」と罵り続けたカナタさんに、理由を述べようとした瞬間。
パタリ、とカナタさんが口を閉じた。
そして、酷く冷たく細められた瞳を向けて、低い声でこう告げる。
「理由はいらない。もうお前なんか知らん」と。
「カナタさーん!だからですね、これには理由があって」
洗い終わった食器を真っ白な布で拭き始めたカナタさんは、やっぱり完全無視。
泣きそうになりながら、決心した。
このままだと、本当にカナタさんに嫌われてしまう、と。
…もう嫌われている、という可能性はあえて無視する。
「カナタさん、あのですね!」
勢いに任せて、早口で語り出す。
カナタさんが風邪を引いてバイトを休んだあの日。
カナタさんの代わりに店長さんのお手伝いをしていると、店長さんが困った顔をしていた。
どうしたのかと聞けば、カナタさんに「大丈夫?」というお見舞いメールを送りたいけれど、使い慣れない携帯電話は難しいと言う。
「あ!じゃあ、俺が代わりにメール打ちましょうか?」
そう言えば店長さんは嬉しそうに頷いて、まだまだ新品の携帯電話を渡してきた。
そして、店長さんの代わりにメールを打って、カナタに送ったんです!
これが全ての経緯です!と。
そこまで言うと、食器から視線を上げたカナタさんと目が合った。
うわあ!やっとこっち見てくれた!と喜んだのも束の間。
すーっと細められた視線は、完全に疑いに満ちていた。
「…で?」
「えっ」
「で、なんでお前の携帯に俺のアドレスが登録されてんの?」
あ、誤魔化せなかった。と、冷や汗がこめかみを伝う。
視線をそらすわけにも行かず、ザクザクと突き刺さるカナタさんの疑惑の眼に口許が引きつった。
「今の話じゃ、メールを店長の代わりに打っただけ、だよな?
誰もお前にアドレス教えてないよな?」
「う…」
「なんで、お前の携帯に、俺のアドレスが、登録されてんだ?」
カナタさんが問い詰める様に語句を区切りながら問う。
視界の隅で、店長さんがオロオロとしているのが見えた。
もはや、孤立無援。(元から援軍は居なかったけど)
「…すみません。店長さんの携帯から、カナタさんのメルアド盗みました」
「………」
もう逃げ場は無いと悟り、素直に頭を下げた。
その旋毛にカナタさんの冷えた視線が突き刺さっているのがわかる。
あああ……『また』やってしまった……
この視線を浴びるのは何度目だろう。
不意に頭をよぎるのは、
『仏の顔も、三度まで』
なんていうことわざ。
この冷たい視線を向けられた回数を数えてみると、今回が多分、三度目。
仏……
来いよ!仏!なぁ!
こんなに必死で拝んでいるのは、人生で初じゃないだろうか?
ダラダラと背中を伝っていく冷や汗が気持ち悪い。
カチャン、カチャンと無言で食器を棚に戻すカナタさんに、心拍数が大変なことになっている。
このまま…嫌われるなんて嫌だ!!
どうにか悪あがきしようと、頭を下げたまま開きかけた口を閉じた。
カナタさんの溜め息が聞こえたからだ。
ソロソロと頭を上げてみると、やっぱりカナタさんの目は細められている。
でも、それは先程の冷たいものじゃなく、いつも自分を見てくれる時の、少し呆れたような表情だった。
その表情に、パァッと陽光が射した様な感覚がした。
カナタさんは最後の一枚の皿を丁寧に拭いて棚に戻し、口を開く。
「用が無いときはメールしてくんなよ?」
「え…」
「あんまり好きじゃないんだよ、メール」
言って、布で調理台を拭き始めたカナタさんの長い睫毛に、涙が出そうになった。
仏、来てくれてありがとう!
言葉が出なくて、ぶんぶんと大きく首を縦に振ると、カナタさんは眉を寄せてから背中を向けてしまう。
「俺が送ったら、必ず返せ」
「はい!必ず三分以内に返します!」
「いや、それはちょっとキモい」
「じゃ、じゃあ、あのっ」
口から飛び出るんじゃないかと錯覚する程、心臓が大きく鼓動して、苦しい。
あの、あの、とまごついていると、カナタさんは眉間に皺を寄せて振り返った。
なんだよ、と低く呟かれ、ゴクンと唾を飲み込んでから、口を開く。
「用が、あったら!メールしてもいいんですよね?」
緊張して声が震えた。
カナタさんは、目を丸めて見つめてくる。
口を少しだけ開けておかないと、呼吸の仕方が解らなくなりそうなくらい、頭はいっぱいいっぱいだ。
カナタさんは、暫くジッと丸い目で見つめてきていたけれど、ふいっと目をそらしてしまう。
「注文は?」
「へ?え?」
「注文!」
少しだけ強い口調で問われ、ハッとした。
「あ、あの、珈琲!」
言えば、カナタさんはカップを一つ出しながら僅かに笑った。
「ミルク、多めだっけ?」
「は、はい!」
そうしてカナタさんが淹れてくれた珈琲は、いつもよりも甘かった。
背を向けて、自分も珈琲を飲み始めたカナタさんの耳が、ほんの少し紅い気がしたのは、気のせいじゃないのかな、なんて自惚れてしまう様な甘さだった。
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