ラストオーダー
オーダー6.5
あの日。
恋をしました。貴方に。
いつもの喫茶店。
少しレトロな雰囲気のある、こじんまりとした店内。
初老の店長さんが好んで流すクラシックは、今や懐かしいレコード。
この店に来るまで、本物を見たことはなかった。
小さな頃に歌った歌のような、大きな黒い古時計。
今も手入れはきちんとされて、正しく時を刻む。
来店する年齢層はわりと高め。
穏やかに、和やかに、ゆったり流れるクラシックを珈琲に溶かしている様に、噛み締める様に飲んで去っていく。
ありがとう、と一言付け足して。
窓際に座って、そんな一幕を眺めるのが好きだ。
この店内の、優しい雰囲気が好きだ。
流れる時間の速さが違う様にも思ってしまう、穏やかな空間が好きだ。
カウンターに立つ、あの人の姿を眺めるのが、大好きだ。
貴方は覚えているでしょうか。
初めて会った日のことを。
一目で恋に落ちた、あの日のことを。
何気なく入ったこの喫茶店で、貴方に再び出会えた時は『運命』なんて勝手に思いました。
注文を受ける少し低い声も、珈琲を運ぶ仕種も、開け放たれた窓から入る風で揺れる髪も。
店に入った瞬間、会釈をしてくれる様になった時の苦しいくらいの嬉しさも。
口元を手で覆って、笑いを噛み殺している時の細められた瞳も。
馬鹿だろ、って呆れてるわりには優しい表情も。
少しずつ縮まっていく様に感じる、この距離感も。
全て、愛しくて。
全て、伝えたいと思ったんです。
貴方は綺麗です。と。
携帯電話を眺めて、ボタンに触れ、そして首を振ってから、打った文章を全て消した。
初めてカナタさんにメールを送ろうと思った。
思ってから、早四時間。
自室の床に正座して、早四時間。
打っては消して、打っては消してを繰り返し、文章はなかなか浮かんで来ない。
……いや、浮かんでは、来てる。
でも、聞きたいこと、教えたいことがありすぎて、文章に出来ないでいる。
一度、意を決して打ったメールは、最早小説の域に入っていて、我ながら引いた。
こんなものを送りつけた日には、カナタさんは口を利いてくれないかもしれない。
カナタさん。
カナタさんは、どんなものが好きですか?
季節は、いつが好きですか?
どんな色が好きですか?
もっと知りたい。
もっと自分を知って欲しい。
カナタさん。
カナタさんに、あの日のことを話したいです。
貴方に、恋をしたあの日のことを。
そして伝えたいです。
俺は、カナタさんが大好きです。
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