古の恋人《11》 自分が風だと気づいたのは何時の事だっただろうか。 生き物も何もない、ただ荒れた大地が広がる世界で、砂を巻き上げながら吹き続けたあの頃。 当ても無く世界中を駆け巡り、同じ様に荒れた土地を永遠と見つめながら何かを待っていた。 やがて雲ができ、雨が降った。それは100年もの間止むことなく降り続けた。そして、世界は陸と海に分かれた。 程なくして海に草が生えた。乾燥した重いガスばかりを背負っていた私は、いつの間にか軽く透明な空気を纏う様になっていた。それらを何度も繰り返し、気候も安定してきた頃。 陸地に、生命が誕生した。 私は何故か、とても嬉しかった。 今までずっと待っていたものは、これだったのだと。実体が無く、その存在さえ希薄な自然たちにとって、限られた命を必死に生きようとする生命達は何より美しく思った。 ***** 『ジーン! カルディアロスー!』 風は密林を駆け抜け、精霊達の集う場所へと辿り着く。そこには幾種類もの精霊たちと、それらの主がいた。 『ルーン、突然何事だ』 不機嫌そうにそう言ったのは、金を纏った樹の精霊、名をカルディアロス。 『カルディアロス、聞いてくれ! 私結婚するんだ!』 『は? 何寝ぼけた事言ってるんだ』 カルディアロスは冷静に応える。ルーンは剥きになって必死に伝えた。 『本当だぞ!』 『誰と結婚するというんだ』 『人間だっ』 その答えを聞き、カルディアロスは目を大きく見開いた。彼の隣に居た精霊が口を挟む。 『フェザールーン、貴方結婚するのね? おめでとう』 『ありがとうっ、ジン』 ルーンは嬉しそうに笑った。ジンと呼ばれた地の精霊も、にこりと笑う。 『おめでとうって……ジン、分かっているのか? 精霊が人間と共に生きるという事は……』 『カルディアロス、分かっている』 有無を言わさぬように、ルーンが被せて言った。 『それでも一緒に居たいと思える相手を見つけたんだ。私は、例え悲しくても構わない』 『ルーン……』 わかっている。この恋がどれ程短い時間であろう事か。それでも得られる幸せは、きっと他では在り得ない。ルシアでなければ意味が無い。 『あのルシアという男か……』 『何で知ってるんだ?』 『シルフ共が煩いので何度か見に行った。ああいうのが好みなんだな』 『ばっばか! 変な事言うなよ!』 『まぁまぁ、カル坊ったら、ルーンを取られちゃって寂しいのね?』 『ジン、憶測で物を言うのはやめろ』 『ふふ、可愛いわねぇ』 ジンはふわりと浮き上がり、ルーンの傍に近寄る。そして少し紅葉したルーンの頬を両手で包み、極上の微笑を見せた。木漏れ日を受け耀く紫銀の髪がさらりと靡き、円を描く長い糸を地に引く。 『貴方の幸せを願っているわ、ルーン。ルシアとお幸せにね』 『ジン……うん、私すごく幸せだ』 ルーンの目じりにうっすら涙腺が走る。それは頬を伝って地に落ちた。だがルーンの表情は穏やかで、確かな幸福を露わにしていた。 ――ルーン…… ふと、風の音が聞こえた気がした。いつもとは違う何か……差し迫った様な、それでいてとても優しい、風の音。ルーンは周囲を見回すが別段何もなかった。 『ルーン、どうかしたのか?』 『いや、気のせいか……あ、そうだ。村で式を挙げてくれるって言うんだ。カルディアロス達も来てくれ』 『はぁ……まあ仕方ない。後からゆっくり南大陸に向かう』 『ありがとうカルディアロス! ジンは?』 『私は……まだ無理そうよ』 今まで微笑んでいたジンが、悲しげに声を落とした。式に参加出来ない事が残念なのだろうが、彼女が意図する所は他にもあった。 『まだ、癒えていないのよ』 まるでジンを鎖で縛るかの様に紫銀の糸が体に絡む。それを解く事はせず、ジンは僅かに頭を垂れる。瞳に涙は見えないが、途轍もない辛さを抱えている様だった。 『最近になって人間共の殺し合いが酷くなったからな……ジンも影響を受けている』 『そうか……ジン、大丈夫か?』 『悲しい顔はなしですよ、フェザールーン。遠くからお祝いしているわね』 心配するルーンに対し我が子を見る様に微笑みかけるジン。まだ辛そうではあったが。ルーンはいつだって何処にでも飛んで行ける。だが地精霊達は移動に大変時間がかかる。多大な労力も要する。今のジンには大陸を渡るだけの力は無かった。 『ジン……ありがとう』 ルーンは小さく微笑み、再び身を風に溶かして飛び立った。 ←前へ|次へ→ [戻る] |