42話:05 おやすみ
外交館の最上階は全ての部屋がひと繋がりになっていた。広い、という一言で片付くようなものではない。どんなに目を凝らしても部屋の端が見えないのだから。
それも、見渡す限り白と緋色に統一されている。それがこの国の象徴色ではあるのだが、初めて見る人間にとって妙な違和感は拭い切れない。
そんな広すぎる空間の真ん中には、大きなソファに寄りかかる銀髪の男がいる。今この空間を完全に支配しているのが正に彼だ。
彼の傍に居たいが、あの空気には近づきたくない。コウはそう考えながらも、仕方なく彼の傍らに腰を降ろした。とても遠慮がちな仕草だった。
「何故そんなに離れて座る? 話しが出来ないだろう」
コウは押し黙った。何故と言われても、答えは一つ。その重々しい空気に触れたくないからだ。
「コウ、隣に来なさい」
「……」
「……無言を通すつもりか?」
これ以上黙っていることは、きっと許してもらえない。コウは苦々しく小さな声で反応した。
「何か……いやなことでもあった……?」
さすがの彼も予想外の質問だったようだ。一瞬目を見張ったが、また直ぐにいつもの柔らかい笑みを浮かべる。それでも目は決して穏やかではないのだが。
「妙なことを言う。別段何もないが……何故、そう思う?」
「そうじゃないなら、いいの」
いいの、と言いながら、やはり彼はいつもより機嫌が良くないのだと悟る。彼の言動は何一つ欠点など見当たらないほど洗練されていたが、どうしてかコウにはわかってしまう。
これもアムリアの力なのか。そうならば、とても便利な力だけれど。
「……それで、いつまでそこに居る気だ?」
気に入らないなら自分の方から寄ればいい。だが、彼に対して極端に臆病になるコウは、とてもじゃないがそんな喧嘩を売るような真似は出来ない。
「……コウ」
「っ……、……なに?」
ちらりと横目でと隣を見た。
だがちょうどその時、リセイが視界から消えたのだ。
「リ、リセイ!?」
大声を上げて叫んだ相手は目線の下。リセイはその大きな体を容赦なくソファに投げ出し、コウの太股に頭を乗せた。いわゆる膝枕である。
あたふたと意味もなく周囲を見渡していると、下から伸びてきた手に遮られ、無理やり下を向けさせられた。効果音を付けるとすれば、グキリ。それと心臓の音が重なると大変なことになる。
「やっ、やだ……、なに?」
「俺の方を向いていろ」
「え? う……、うん」
素直に頷いたのが良かったのか、リセイの表情が少し和らいだ。
いや、元から表面上穏やかではあったのだが、こちらを見る瞳の奥が先ほどと比べて随分優しく揺れた、とでも言おうか。彼の中から幸福が滲み出ているのがわかった。
一先ず、機嫌が直ったらしいのでほっとする。
男のものとは思えない、その柔らかな銀髪を優しく撫でていると、リセイがぽつぽつと何かを呟いた。
それも、また不機嫌そうな声で。
「浅ましい連中だ」
「……え?」
「明朝、皇帝の正式な認証を受け、聖杯の儀式を済ませた。その途端にこれだ」
リセイは気だるそうに扉の向こうを指した。彼が言うのはこの部屋を警備している兵士のことである。厳重過ぎる守りに彼は嫌気がさしているのだろう。
「そういえば、リセイもさっきまで議会に出ていたのよね」
「ああ。全く、己の保身しか考えていない人間とは会話をするのも面倒だ。あんな風にころころと態度を変える者の何処が信用できるというのか。馬鹿馬鹿しい」
「……うん」
彼がここまで言うのは珍しい、というのがコウの純粋な感想だった。
ところが彼は、これが自分の素だと理解している。特に信頼のおける人間の傍で、安心しきった状態でいる時には日頃の膨大な鬱憤が暴れ出す。
それを受け止めるのが騎士団やアモンであったが、今やコウ以上の適任者は存在しないだろう。
「しばらく眠る」
「うん……、おやすみ」
寸分も経たないうちに、穏やかな寝息が聞こえてきた。
彼にしては無防備な寝方だ。体はだらしなくソファに投げ出し、片方の手は腹に、もう片方はコウの小さな手を握っている。頭は膝の上にあり、細い銀髪が時折さらりと太股を撫でた。
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