42話:06 「くすぐったいなあ、もう」 銀の前髪を掻き上げてみた。女からみても羨ましいくらい決め細やかな肌にそっと手を乗せて、優しく撫でる。 彼の温もりは以前と変わらずこの手に伝わっていた。 「こうしてると子供みたい」 寝息は益々深くなる。今のリセイなら何をしても起きないだろう。こういう状況だと悪戯心が疼き出すものだ。 普段から端々でおちょくられているような気がしていたから、その反動だろうか。 「ふふ……。えい!」 ピン、と髪を引っ張ってみる。天然の入っている彼のくねった髪は、直毛のコウにとって非常に珍しいものだった。だがこの銀髪も水に濡れると真っすぐになるのだから不思議だ。 額に当てた手は、段々顔の下部へと下がる。整った鼻、骨ばった頬、薄くて柔らかい唇、その全てが愛しくてたまらない。 「……どうしよう。何か変な感じ」 自分の中に溢れる感情に気づいてはいるのだが、どう処理すればいいのか分からない。だからコウはただ思うままの行動をとることにした。 そっと、触れるだけだったが、彼の額に口づけた。 「……」 直ぐに離れて口元を覆い隠す。 「……っ。何やってるんだろう」 口付けなんて初めてのことではないのに。 熱く火照り出した頬を両手で冷やしながら、ふと扉を見やると、いつの間にか人が立っていた。 「っ!!!?」 思わず声にならない声が出た。 直ぐにリセイの方を確認したが、彼は今の奇声で起きなかったようだ。 もう一度扉を見て、そこに居る人が誰なのかを確認すると、コウは複雑に顔を歪めた。 少し前に、一度会ったことがある。柘榴の髪をもつ青年で、名をグレイという、リセイの忠実な補佐官である。 彼は仲睦まじい二人の様子を見ても顔色一つ変えなかった。無表情のまま、リセイがそこら辺に放っておいた仰々しい式服を回収している。 「あの……貴方は……」 「ようやくお休みになられたのですね」 「え?」 「一時はどうなることかと思いましたが」 どうやら彼はリセイのことを言っているらしい。一体何があったのかは知らないが、面識がある以上無視する訳にはいかないだろう。 「待って? 貴方がグレイさん、よね?」 「呼び捨てで結構です、アムリア様」 「あ……そう? じゃあ、そうする」 素直に言うことをきくコウに対し、グレイは鋭い目を向けてきた。 何かを訴えるような、それでいて相手を支配してしまう程強い感情の篭った視線だった。 「貴女は怒ってはいないのですか?」 「え……?」 突然の質問に、コウは焦った。今の自分は満たされすぎていて怒りなど微塵も持ち合わせていなかったのだ。 彼との接点はそう多くない。彼が気にしているのは、きっと、エルメア城での一件だろう。 「もう忘れた」と笑顔で答えたコウ。ところが予想に反し、グレイは思い切り目を剥いたのだった。 驚きと怒りの混じった表情で、何処か呆れているのもあるかもしれない。 安心させようと思って出た言葉が、逆に相手の感情を逆撫でてしまったのだろうか。 「馬鹿なんですね」 「……は、はあ?」 「失礼。ただ、そういう無頓着なところがリセイ様の世話好き心をくすぐったのかと」 彼はコウの顔色など全く気にもせず、ぽんぽんと言い放つ。さすがのコウも若干腹の虫が騒ぎそうではあったが、なんとか堪えてみた。 コウが視線をうろうろさせていると、痛々しいものが目に入った。グレイの頬にまだ新しい傷があったのだ。 戦士でない彼が負傷することはあまりなかった。不思議に思い、深く詮索しないように気をつけながら「どうしたの」と聞いてみた。 だが彼は、無言のまま立ち尽くすばかりだ。 「跡になるよ? 手当しようよ……」 「結構です。失礼」 「あ! 待って……」 彼を追いかけようとしたが、忘れていた。今は自分の膝の上にリセイの頭が乗っかっているのだ。 そうしてもたもたしている間に容赦なく扉は閉まった。 彼はこちらを振り向きもしなかった。 ***** グレイは黙々と廊下を歩いていた。 歩くと言っても、女なら必死で走らなければ追いつけないような豪速である。顔はしかめっ面で、眉間には酷い皺が刻まれていた。若き青年の美顔には不釣合いなものだ。 彼はそっと腫れた頬を触る。 大分痛みは引いてきたが、未だ頬は赤みを帯びているし、何より胸の奥が鋭く痺れていた。 「打たれた方は気にもしていなかったというのに、今更罰を受けるのは納得がいきませんね」 “もう忘れたよ” その言葉がグレイの苛立ちを煽った。 「随分あっさり言い捨ててくれた。あの気楽さが私には癪に障るというのに」 彼は、コウに手を上げたことがリセイに知れ、その罰を受けたばかりだった。爽快な打撃音が城内の中庭に響いたのは議会の直ぐあとのことだった。 強烈な一撃だった。 上から下へ滑り降ろすように、皮膚の痛みだけが後々疼く、完璧な殴打だった。 「……納得がいかない」 罪と罰が同じというのはどうしても納得できない。 自分がアムリアを蔑んでした行為と、敬愛する主から与えられるものが同じであるなど許されるはずがない。 たったそれだけのことが、グレイの心をへし折った。 もしかしたら、これがリセイの本当の罰だったのかもしれない。 ←前へ|次へ→ [戻る] |