第1話:2 今宵は見事な満月だった。 暗闇にぽっと浮かんだ月を眺めながら、コウは濡れた髪を櫛で解かしていた。 樹の精霊は、今は傍にいない。こんな風に月が良く映えた夜は近くの森林に篭り月光浴をするらしい。 ひとりぼっちの夜。 少しだけ寂しさを感じ、それを紛らわすために荷物を漁る。特に意味などなかったが、誰も居ない、暇を潰す道具もない、では退屈過ぎた。 無造作に収納された鞄の端から紙切れが落ちた。 「あ、……手紙」 フィナ町の衛兵フレアンがくれたもの。記憶がある中で初めての贈り物と言ってよい。 こちらが恥ずかしくなるほど綺麗な字で書かれていた。 コウは暫くその文面を眺めると、また丁寧に折りたたんで仕舞っておいた。 「さて、寝るとしますか」 まだ就寝には早い時間だったが、コウは明かりを消して布団を抱いた。 ふわり、と冷たい風が流れた。 「……?」 窓は寝る前に閉めたはずだ。風など吹くはずがなかったのだが、どこか肌寒い。 ゆっくり布団から顔を出すと、閉めたはずの窓が大きく開いていた。 そして、何かが立っていた。 「誰っ!?」 今日は月の光が強く、こちらからは逆光となって相手の顔が見えにくい。ただ空気は凍りつくほどに冷たかった。 コウは震えて言葉にならなかった。 そこに居る謎の人物は黒いマントで身を覆い、怪しげな大鎌を携えているのだ。 「い……いやっ! 何なのよあなたはっ!」 『……』 それは無言で部屋に入ってきた。 さすがに身の危険を感じ、とりあえず気付かれないように後退してみる。だがベッドの淵に突っかって膝が折れてしまい、そのまま座り込んでしまった。 右往左往している間に謎の影はコウの真上まで来ていた。 それも、足が床に付いていない。 「な、なんなの? 用があるならちゃんと言いなさいよ!」 恐怖に怯えながらも必死で抵抗する。何でこんな時に限ってカルロがいないんだろうとか、そんなことはただの八つ当たりである。 『我は死神。お前を迎えに来た』 「し……、死……神?」 死神とはあの、死に間際の人間の魂を狩りに来るという、恐ろしい悪魔の事だろうか。 それならなお更可笑しい。自分は死にかけてなどいないし、死神に寄って来られるほど悪行を重ねた記憶もない。 だが死神はこちらの意見など全く聞く耳持たずのようだ。容赦なく大鎌を振り上げコウに襲い掛かった。 「っ!」 自分は寝台の上。立ち上がろうにも上手くいかない。武器もなければ身を守る道具さえ手元には無い。 となれば、もう目を閉じるしかなかった。 ぎゅっと目を瞑るコウの耳に不自然な耳鳴りが襲う。 それも直ぐに治まり、そっと目を開けた。 「……?」 目の前の死神は微動だにしていない。何が起こったのかわからないコウはただ憮然としていた。 そして次の瞬間。 死神は悲鳴と共に朽ちた。 「!? ……な、何? なんなの!」 全てが不可思議すぎて理解ができない。 動揺するコウの耳に、落ち着いた低声が心地よく届いた。 「無事か?」 窓の辺りを見やると、知らない、会った事も無い人が立っていた。 会ってたら忘れるはずがなかった。 美しい銀の髪に、月の光に照らされて金にも見える緋色の瞳。背はとても高くて、その姿の全てがこの空間を圧倒していた。 「元気そうだな」 彼は非常に穏やかな口調で話しかけてくる。ところがコウは一向に返事をする様子がない。 思い出せないのだ。こんな風に一瞬で相手の目を奪ってしまうような人物に会った記憶が無く、何と返してよいものか散々迷った挙句。 「あの、会ったこと……ある?」 コウが必死で質問しているというのに、男は一言「さあ」とだけ言い放った。 微妙に口角を上げて笑う姿など怪しすぎて無意識の内に警戒してしまう。 「何で、私を助けたの?」 「助けない方がよかったか」 「そういう意味じゃなくて……」 男は何の遠慮もなく部屋の中へ侵入してくる。それを止めることも出来ず、コウはぐっと拳を握った。 知らないものへの恐怖と、少しの興味。 男は徐に手を差し出した。 「あの死神は死んだ訳ではない。また君を襲いにくるだろう。これを持っていろ」 そうして男に手渡されたものは銀の指輪だった。 周りに小さな石がはめ込まれていて、月の光に当てると石は七色に輝く稀有な飾りだ。 ←前へ|次へ→ [戻る] |