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【ケンしお】ほっと・アイス・グリーンティー
「あちっ!」
出された緑茶が思いのほか熱くて、シンゴはあわてて口から湯飲みを離す。
それを見て緑茶を淹れた張本人であるケンジは、申し訳なくて眉を曇らせた。
「ごめんね、シンゴくん。熱かったかい?」
「あ、ちょっと……」
「気にしないでください、ケンジ先輩。熱いの苦手なクセして、冷ましてから飲まなかったコイツが悪いんだから」
と、シンゴの隣に座るジュンが口を挟む。
彼はトレードマークの帽子を脱いで、かたわらに置いている。今は所属している音楽サークルの先輩の部屋にお邪魔しているので、礼儀として脱いでいるのだ。
「俺はちょうどいいですよ、外寒かったし、吹いて冷ませばいいことだし。あ〜、ぬくうま〜。コタツもいいですね〜」
ジュンは背中を丸めて、おいしそうに緑茶をすすった。
そんな相棒の姿を、シンゴは恨めしそうに眺める。
「チェッ、俺は猫舌なんだよ」
この部屋には、エアコンが設置されていない。コタツと小さな電気ストーブのみの、少々頼りない暖房設備のせいで、今は身体がぬくもりに飢えているが、それでも熱い食べ物が苦手な体質は簡単には変わらなかった。
「氷を入れるかい?」
先輩の申し出に、シンゴはパッと顔を輝かせる。
「おっ、ありがとうございます、先輩」
「ちょっと待ってて」
と言うと、ケンジは台所に向かった。
風呂無しトイレ共同の4畳半に似つかわしい小さな台所は、コタツから、わずか4歩歩いただけでたどり着ける。そこに立つと、小さな台所に似つかわしい小さな2ドアの冷蔵庫の、冷凍室である上のドアを開ける。そして氷をストックしている備え付けのケースをはずし、二人の元へ戻った。
「はい」
小さなトングを使って、シンゴの湯飲みに氷を2つ入れる。
ポチャンポチャンと小さな音を立てて緑茶に沈んだ氷は、すぐに浮かび上がる。そして静かに溶けて小さくなっていった。
「ありがとうございます、ケンジ先輩!」
「いや、こちらこそごめんね」
「でも先輩……」
ジュンは、じっとケンジの手元を見つめた。
「なんだい、ジュンくん?」
「いや……たくさん氷作ってますね」
ケースの中は、氷で満たされていた。ざっと見て20から30個はあるだろう。
ジュンは茶をすすりながら、何の気無しに、冷蔵庫の前に立つ先輩の後ろ姿を目で追っていた。彼はドアを開けてすぐにケースを持って戻ってきたので、製氷皿をひっくり返して氷をケースに移し替えてはいないだろう。ということは、初めからこれだけの氷をストックしていたことになる。
相棒の言葉に、シンゴも容器の中をのぞき込んだ。
「本当だ、すげぇある」
「えっ? そ…う、かな?」
ケンジは、ひどく曖昧な笑みを浮かべた。
「だって、こんなに寒いと、氷なんてほとんど使わないでしょう」
夏ならまだしも、今は冬だ。寒さに身を震わせてぬくもりを求めるこの季節に、氷の出番はほとんどないと思われる。ウイスキーをロックや水割りで飲む嗜好の持ち主ならば、まだ理解できるが、ケンジはあまり酒に強くないし、ウイスキーも好きではない。飲み会の席では基本的にビール、それも中ジョッキを2杯程度しか飲めないことを、後輩はよく知っていた。
「あぁ、それは……」
ケンジは、不思議そうな顔をする後輩たちから目を逸らすと、薄汚れた天井を宛てもなく眺めた。
「え〜と…………3年くらい前かな、すごい熱を出したことがあるんだ。すごく辛くて、早く熱を下げたかったんだけど、冬だから氷を全然用意してなくてね……」
「あ〜、なるほど。それでですか」
納得した様に、シンゴがうなずく。
「うん。それ以来用心して、多めにストックしておくようにしてるんだ」
「へえ、先輩って用意シュートンなんですね」
「ば〜か、それを言うなら用意周到だろ」
ジュンは笑いながら、相棒の間違いを指摘する。
「えっ、そう読むのか?」
「そうだって。周到の『到』は、到着の『到』と同じ字を使ってるだろ」
「あ、そっか。やっぱりジュンは頭いいな〜」
「お前が勉強苦手なだけだろ」
後輩たちの笑い声を聞きながら、ケンジは氷のケースを冷蔵庫に戻す。
どうやら、上手くごまかせたようだ。
安堵しながら、ドアを閉めた。
◆◇◆◇◆
にぎやかな後輩たちを見送り、部屋に戻ると、廊下よりもほんの少しだけ暖かい空気に出迎えられる。
後輩たちの近くで使っていた電気ストーブは、火事を起こしたら危ないので、部屋を出る時に消していった。ここは築50年の木造アパート。断熱材の入っていない壁は冷たい外気を伝えやすく、熱の消えた室内は、すぐに冷えてしまうのだ。
「う〜、寒い」
暖を取ってから、湯飲みを片付けよう。コタツに駆け寄ると、足を中に入れる。じんわりと包み込むような暖かさが心地よくて、すぅと目を細めた。
ふと顔を上げると、窓の向こうに何かを見つけた。
ペールブルーの人影だ。
ここは2階。窓の向こうには、ベランダとは名ばかりの小さな鉄柵と、見下ろせば、今は花の代わりに雪を枝にまとった桜の木があるだけだ。
しかしケンジは臆することなく、それどころか、微笑みながら立ち上がった。壁に掛けていた愛用の半纏に袖を通し、そっと窓に近づく。
「しおんちゃん?」
優しく声をかけると、影が少しだけ揺れた。
ケンジが窓を開けると、しおんがこちらに背を向けて鉄柵に腰かけていた。
透けるように白い肌と、淡い水色の髪。ワンピースの裾から華奢な足が伸びていた。
彼女が顔を上げてこちらを見ると、ケンジは微笑みかけた。
「こんにちは」
しおんも、ふわりと微笑む。
「こんにちは……」
少女の声は、風になびく枯れ枝のように、ささやかだった。
「いつからここに?」
「少し前。お客さんが帰ってから」
「そうか。よかったら、お茶でもどうかい? と言っても、お茶しか無いけど」
ケンジが苦笑すると、しおんもクスクス笑う。
「うん、お願い」
「それじゃ、中に入って待ってて」
盆にテーブルの上の湯飲みを全て回収し、少し早足で台所に向かう。そして急須の中の古い茶葉を三角コーナーに捨ててから、新しい茶葉を少し多めに入れ、ポットの湯を注いだ。
それから湯飲みを丁寧に洗い、三個中二個だけ、水気を拭き取ってから急須の側に並べると、今度は冷蔵庫に向かい、上のドアを開けると、先程と同じように氷のケースに手を伸ばした。
彼女に出すお茶には、『氷』が不可欠。
だからケンジは、彼女がいつ訪れてもいいように、氷を多めにストックしていた。
ケースを取り出すと、片方の湯飲みにだけ氷をたっぷりと入れ、すぐに元あった場所に戻す。ほんのわずかな間にすっかりかじかんでしまった指先に、そっと息を当てて温めた。
続いて濃い目に淹れた緑茶を、湯飲みに交互に注いだ。
氷のたっぷり入った湯飲みには、なみなみと。
そして氷の入っていない方には半分まで注いでから、ポットの湯で薄める。
最後に両方をスプーンで軽く混ぜて、完成。
「よし、と」
湯気の立ち昇る熱い緑茶と、ひんやりと冷たい緑茶。
二つの緑茶ができた。
湯呑みを盆に載せてケンジが振り返ると、しおんは窓を閉めて、コタツの側に足を崩して座っていた。消えたままのストーブから距離を置くように、どちらかと言うと、窓に近いところに腰を下ろしている。
一見、寒いのを我慢して、部屋の主であるケンジに遠慮しているように見える。ストーブの前を陣取って暖を取っていないのも、そもそも電源を入れていないのも。
しかし、それは誤りだ。決して、遠慮している訳ではない。
「お待たせ、しおんちゃん」
冷たい湯飲みを彼女の前に、熱い湯飲みを自分の前に置いた。
コタツに入りながら、ケンジは尋ねる。
「暑くない? 窓を開けようか?」
しおんは人間ではない。
雪女だ。
それ故に、暖を取る必要などない。ぬくもりを求めることは、すなわち身を滅ぼすことなのだ。
すると彼女は、首を横に振った。
「いい、ケンジさんが寒いから。それに、この部屋は涼しいから」
「アハハ、貧乏学生が住むおんぼろアパートだからね」
恥ずかしそうに、ケンジは後頭部をポリポリと掻く。
するとしおんは、あわてて首をぶんぶんと横に振った。
「ごめん、そういうつもりで言ったんじゃないの……。私、ここが好き。居心地が良いから好き。それは、本当だから……」
子供のように、たどたどしい口調。まっすぐに見つめられて、一生懸命そんなことを言われては、心穏やかになんていられない。
ケンジは頬を赤らめた。もっとも彼女が好きと言ったのは自分ではなく、この部屋に対してなのだが。
こちらも誠意を見せなくてはと、しどろもどろに言葉を探す。
「あ〜、あ……、いや、こっちこそ卑下した物言いでごめん。え〜と、君がこの部屋が気に入ってくれるなんて、その……嬉しいよ。ありがとう」
ケンジの言葉に、しおんは嬉しそうに微笑んだ。
舞い降りる雪のような柔らかい微笑みに、ケンジの顔はさらに赤くなる。
「あ……、え、え〜と……お茶飲もうか?」
「ええ」
ケンジは自分の前に置いた湯飲みに手を伸ばした。熱がじんわりと指先に伝わってくる。息を当ててよく冷ましてから口に運ぶと、ぬくもりが冷えた体に沁みた。
「熱くない?」
「ううん、ちょうどいい。おいしい」
適温の茶を淹れられたことも嬉しいが、おいしいと言われたことが、何より嬉しい。
ケンジは照れ臭くなって、頭をかきながら顔をくしゃくしゃにした。
「それは良かった。あ、そうだ。CD聴かないかい、新しいのを買ったんだけど?」
「ええ、お願い」
嬉しそうな彼に、しおんは微笑みながら頷いた。
ケンジはコタツから身を乗り出しし、部屋の隅に置いていたCDラジカセを引き寄せると、その上に載せていたCDをセットする。
「最近人気が出てきた、シンガー・ソングライターなんだ。声も良いけど、歌詞も素敵なんだよ」
「そうなの。楽しみね」
再生ボタンを押すと、軽快なアコースティック・ギターのストロークを従えて、女性が歌い始めた。
あきらめずに前向きに生きようとする気持ちを歌った、ミディアムナンバー。
何年もバックコーラスや仮歌の仕事をしていたとあって、彼女の声は力強くて安定感があり、伸びやかだった。
二人はそれぞれの緑茶を口に運びながら、静かに耳を傾ける。
1曲目が終わったところで、しおんが静かに微笑んだ。
「いい曲ね。声もきれい」
ケンジは、目を細めて微笑み返す。
「そうだね」
4曲目の中盤に、差しかかった時だ。
ケンジは、しおんが鑑賞を楽しんでいないことに気がついた。それどころか、悲しそうに目を伏せ、うつむいている。
(ええっ? しおんちゃんっ? まさか、この曲を聞いて感傷にひたってしまったとか……!?)
今流れている曲は、失恋をテーマにしたバラードだ。その歌詞の中に、彼女の心の琴線に触れてしまう言葉が含まれていたのだろうか。
(まさか元彼のことを思い出してしまった、とか……? 元彼……かぁ。こんなに綺麗な娘だから、お付き合いしていた人がいても、全然おかしくないよな……)
憶測のみで大いに傷つきながら、恐る恐る尋ねる。
「……どうかした?」
しおんは、ゆるゆると顔を上げると、今にも泣き出しそうな顔でケンジを見た。
「温度差って、ダメ?」
「はぁ……?」
「ダメなの?」
しおんの湯呑みが視界に入って、ケンジは彼女が言いたいことを理解した。
彼女の前に置かれた冷たい湯呑みと、自分が持っている温かい湯呑み。
コタツの外に座る彼女と、コタツで暖を取っている自分。
近くにいても、ほとんど触れ合うことの出来ない自分たち。
(さっきAメロの中で、『互いの温度差 ずっと辛くて』って、歌っていたっけ)
湯呑みを置くと、ケンジは優しく微笑みながら、首を横に振った。
「君の思ってる『温度差』と、この歌に出てきた『温度差』は違うよ」
「本当?」
彼女の不安を振り払える様に、今度は大きく、縦に首を振る。
「あまり女性とお付き合いをしたことが無いから、僕もよくわからないけど、お互いの相手を好きだって気持ちに差があって、一緒にいても楽しめない、疲れてしまうことを、『温度差がある』って言うらしいよ」
「そう、なの?」
「僕のお茶が熱くて、君のお茶が冷たいのは、たいしたことじゃない。お互いの好みが違うだけ。コーヒーにミルクと砂糖を入れるか入れないか、それぐらいのことさ」
「本当に?」
もう一度、大きくうなずいてみせる。
「僕たちはこうして向かい合って、一緒にお茶を飲んでおしゃべりをして、音楽を聴いて……。今、僕は楽しいよ。君も同じだったら――温度差って無いんじゃないかな?」
話しているうちに、顔が赤くなってきた。自分は今、かなり恥ずかしいことを言っているのではないか。思わず、目を伏せてしまう。
しかし、今は照れている場合ではない。彼女の不安を取り除く方が大事だ。
ケンジは大きくゆっくり息を吐くと、再び顔を上げる。その一言を言う為に、息を吸い込みながら。
「君は、どうかな?」
「――――私も楽しい。だから、ケンジさんの所に来るの」
頬を赤らめながら、彼女が微笑む。
その笑顔に、ケンジは更に顔を赤らめて、顔をクシャクシャにして笑った。
「あ、ありがとう……」
「私も、ありがとう」
それから二人は、静かに曲を聴き続けた。
CDが一周し終えた時だ。歌詞が見たいとねだる彼女にCDジャケットを渡しながら、ケンジは尋ねる。
「お茶のお代わりはどう?」
「うん、お願い」
二人分の湯呑みを受け取ると、ケンジは台所に向かった。
急須にお湯を淹れてから、ふと後ろを振り返ると、しおんはブックレット状のジャケットに視線を落としていた。
微笑む彼女の口元が、力強く伸びやかなボーカルに合わせて、たどたどしく動いている。
その様子が愛おしくて、ケンジは微笑みながら、小さな声で自分も口ずさみ始める。
そして冷蔵庫の上のドアを開けると、氷で満たされたケースを軽快に取り出した。
おわり
【あとがき】
約1年半ぶりのポップン更新。
そして初ケンしおでございます。
ケンジさんはしおんちゃんの為に、氷をたくさん作ってるんだろうな〜と妄想してみました。
ほとんど触れ合えないけど、お互いを大切に思っている、ほんわかカップル。
実は去年の時点で7割出来上がっていたのですが、最後がまとまらなくてダラダラしてる内に春が来て、お蔵入り。季節を越えて、冬にようやく日の目を見ました。やったね!
(2013.01.26)
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