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Prelude 7

辺りはすっかり夕方の空気に包まれていた。
夕闇の中で生まれた優しい風が、さやさやと芝生をなでて熱を浚っていく。

着替えを済ませ、リルムに化粧と髪のセットを施されたセリスはそっと芝生に足を降ろした。

「…まだ誰もいないのね…」

リルムから『借りた』、真っ白のドレス。
オフショルダーのそのドレスの後ろは背中が大胆に開いていて、やわらかなシフォンのリボンでレースアップされたデザインだった。
ハーフアップにした髪は、大ぶりに巻いて肩にたらしている。鎖骨にかかった髪が、大人の色香を漂わせていた。

パーティと言う割には、庭はひっそりと静まり返っている。
山の向こうにかすかに顔を出していた夕日も、セリスの姿を惜しみながらゆっくりと沈んで行った。

夕闇がその色をだんだんと濃くしていくその瞬間。

庭の内側にぐるりと丸く並べて挿されていた小さなトーチに、ふわりと一斉に火が灯った。

「綺麗…」

それはまるで、甘い甘いケーキの上、誕生日に灯す希望の光のようだった。

庭から直接見えない位置で、人影が二つ、こっそりと動いた。
人影はごそごそとお互いにしか聞こえない程度の声量で話しあう。

「どうだ、時間がなかった割にこの点火装置の出来栄えはすばらしいだろう」
「それを運んできたのは俺だっての」
「まあまあ…共同戦線ということでひとつ…このあと城から持ち出した秘蔵のワインをふるまってやるから…」

人影はごにょごにょと言い合いを続けながら、屋敷の中へと引っ込んで行った。

セリスはトーチの光に感嘆しながら庭の中央へゆっくりと歩いて、あたりを見回した。
庭の中央を避けて、円形になるようにいくつか置かれた丸いガーデンテーブル。この形はフィガロ城で見たことがある。リルムに頼まれて、マッシュが持ち込んだのだろう。
そしてその全てのテーブルの上には、丸い盆に水を張り、その中央にバランスよく立てて活けられた生花が飾られている。
赤色を基調に活けられたその花々は、庭というケーキ台にぽこぽこと置かれた真っ赤なイチゴを連想させた。

「お花がたくさん活けてある…このあたりじゃ珍しい形ね。趣があって綺麗だわ」

テーブルの一つに近づいてそっと花に触れる。
花は夕暮れの涼やかな空気の中で、今咲いている喜びをセリスに伝えるように揺れた。

ふと、芝生を踏みしめる足音に気づく。

音がした方へセリスが目を向けると…そこには、スモーキングジャケットに身を包んだロックが立っていた。

「セリス。先に来てたのか」

ロックはぎこちなく笑うと、真っ白なドレスを身に付けたセリスの元へ近づき、そっと髪に触れた。

「え…ロックなの?」

初めは目を丸くしていたセリスだったが、だんだんと非日常的なロックの出で立ちに慣れてきたのか、くすくすと笑って茶化し始めた。

「やあね、そんなパリッとした格好しちゃって。いいとこのお坊ちゃんみたいよ」

笑うセリスの右手を取り、自分の左手のひらに載せながらロックは熱に浮かされたようにつぶやく。

「セリスは、綺麗だ」

この一言で、セリスの心臓はどきりと跳ねた。
白い頬もみるみるうちに赤く染まっていく。
トーチの灯りを受けて輝くロックのはしばみ色の瞳を、セリスはまっすぐに見ることが出来なくなってしまった。

「な、何を言うのよ…このドレスのせいね。とても洒落たデザインだもの」

照れ隠しに言うセリスの唇は、かすかに震えている。

ふと、開いていた左手がロックの右手に触れる。
両手をつないだ形になり、セリスの胸の鼓動はますます高鳴るのだった。

「いいや、お前は充分綺麗だよ」

昼間なら「何をエドガーみたいなこと言うのよ」と軽くいなしてしまえそうなロックの言葉に、セリスは恥ずかしさのあまりぎゅっと目を閉じてうつむいてしまった。

「こんないい女、誰にも盗られたくないな」

うわごとのようだったロックの言葉に、だんだんと意思が宿り始める。
うつむいたセリスの赤く染まるその顔や耳や首元。その一つ一つがたまらなく愛おしく感じて、ロックはセリスの額に自分の額をこつんと付けた。

「そのまま聞いてくれるか」

囁くようなロックの声に何と返事をして良いかわからず、セリスはとにかく両手を握り返した。
許可と受け取ったロックもまた、これから伝えようとしている事への緊張と、セリスを抱きしめて攫ってしまいたい衝動との間で必死に頭の中を整理していた。

すこしの静寂。

ロックが一言目にかける言葉を探している間、優しい夜風が吹いて行った。
昼間のそれよりも冷たく感じるその風は、恥ずかしさで火照るセリスの頬を心地よく撫でる。
夕闇から夜の空気へと変わっていくその空気に、ようやくセリスは落ち着きを取り戻してロックの言葉を待った。

「セリス」

付けていた額を離して、セリスの顔を見る。
真夏の明るい海をそのまま閉じ込めたようなアクアマリンの瞳は、ロックの言葉を待って光を湛えていた。

「これから先、俺にずっと付いてきてほしいんだ」

単刀直入なロックの言葉。
セリスは一瞬呑みこめず、ロックの目を真っ直ぐに見た。お互いの瞳は、ひときわ明るく感じるトーチの灯りを受けて星屑のように輝いた。

「世界のどこに居ても、いつでも、起きてる時でも、寝てる時でも」

ぽつり、ぽつりと心に浮かんだ言葉を紡いでいくその唇も、トーチの灯りをうけて震えているようだった。
ロックの言葉を一つ一つ聞くごとに、セリスの頭がうなだれていった。

「セリスと一緒に居たい」

彼女の肩はかすかに震えだし、つないだ両手の力も抜けていく。構わず、ロックはつないだ手にぎゅっと力を込めた。

「好きだ、セリス」

彼女を見やると、頬のあたりからドレスの胸元にきらきらと光る水滴がこぼれて染み込んでいくのがわかる。

肩も先ほどよりはっきりわかるほどに揺れ、彼女の頬は夕闇の中でもわかるほどに再び赤く染まっていた。

「…そんなの」

消え入りそうにつぶやくセリスの言葉を最後まで聞き取れず、ロックはもう一度聞かせてほしいとばかりに彼女の顔を覗き込む。

空気の流れを頬に感じて悟ったのか、セリスはぐっと顔を上げてロックを見た。

「そんなの、知っているわ」

涙声だが、はっきりと聞き取れる声量だ。
セリスの頬には、乾いた地をにわかに潤したような雨粒の跡が筋となって浮かび上がっていた。

「あなたがわたしを…どう思ってくれているかなんて、お見通しなのよ」

言葉とは裏腹に、あとからあとから流れていく大粒の涙。

「待たないわ、わたしだって…あなたといつでも一緒に居たいと思ってた!世界の果てを見せて、わたしの知らない世界へ連れて行ってほしいと…」

この言葉に、ロックはセリスへの愛しさで胸がいっぱいになるのを感じた。
興奮気味に涙声で訴えるセリスの両手をぐっと引き、肩を抱く。

「お前も、同じことを考えていてくれたんだな」

抱きよせたセリスの肩には、せめてもの虚勢とばかりに力が入っている。
オフショルダーのドレスのお陰であらわになっている白い肩を、ロックはそっと撫でた。
夜風のせいか、少し冷えた肩口。とうとうしゃくりあげるように泣き出した彼女の呼吸すらも愛おしくて、今度は攫ってしまわんばかりの勢いで彼女を抱きしめ直した。

「あー、ダメだ。そうじゃない」

セリスを抱き締めたまま、ロックは首を横に振ってつぶやいた。

「好きとか嫌いとかじゃなくてだな」

泣きながらロックの顔を見上げるセリス。涙の触れた頬は、少し赤く腫れていた。
セリスの顔を覗き込みながら、今度は神妙な面持ちで彼は尋ねた。

「俺とずっと一緒に居てくれますか」

はっきりと伝えたその言葉から少しの間を置いて追いかけたのは、小さく消え入りそうな声。

「…いいよ」

スモーキングジャケットの背中に回る、ジョーゼットをまとった華奢な腕。
今の彼女にとって、あまりにも多くの意味を含んだ涙を乗り越えての肯定の言葉、態度。
ロックは意外と早くに返ってきた告白の返事ににわかに驚き、思わずセリスに聞き直した。

「え…そんなに早く結論出していいのか?これあれだぞ、プロポーズだぞ?」

彼女はロックの背中に回した腕に少し力を込めて言う。

「だから…いいよ。付いて行くよ、どこまでだって付いて行ってやるわ」

先ほどよりは少し落ち着いた涙声。
空にはいつの間にか満天の星が瞬き、祝福するように降ってきた。

「いいんだな?本当にいいんだな!?」

何度もセリスの答えを確認するようにロックが訊ねると、彼女は訊かれるたびにこくこくとうなずいた。

ふるふるとロックの肩が震えたかと思うと、彼は右手に拳をつくり、勢いよく高々と掲げた。



小説執筆者様/ふかださま
夜の隙間

小説公開日/2011年08月15日

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