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小説
日常
おはよう、幸祐。よく眠れたか?
――そうか。それはよかった。
うん?仕事か?勿論お願いしようと思っとるよ。
そこの緑の書物を取ってはきてもらえるかのう?そう、そこに積み重ねた書物の上から3番目じゃよ。
――おお、ありがとう。わしはの、幸祐。書物を読むことが、何より好きなんじゃよ。
書物は新しい知識を、認識を与えてくれるからの。じゃが、目を悪くしてからは、読むこともままならん。
幸祐、わしに読み聞かせてくれんか?

うん?どうした?慎琵に頼んでくれ?
何故?
慎琵にはわしの相手をする時間があまり取れないのじゃが。
――字を読めないからわしの意向に添えんとな?
慶では、学べなんだか?そうか。小学が機能しとらんかったのか。
ふうむ。でもわしは新しいことを学びたいのじゃ。生きておる以上、何か学びたいと、そうは思わんか?
――ああ、そう思うか。幸祐はいい子じゃの。

ああ、では、幸祐。
慶の民話か、昔話か何かを覚えておらんか?それをわしに教えておくれ。完璧に暗唱できるものがよい。
うん?兎が空を飛ぶ話?
おお。それでいこう。教えておくれ。

その前に、そこにおいてある硯と筆と紙をとっておくれ。
ありがとう。じゃあ、話しておくれ。

―――幸祐。ありがとう。おもしろかったよ。
さあ、この紙を見てごらん。
今、幸祐が話してくれた内容が、すべて書かれておる。これを幸祐にあげよう。おもしろい話を教えてくれたお礼じゃよ。
明日も、同じようになにか話しておくれ。
――おお。そうか。ありがとう。


あら。幸祐。どうしたの?そんなところにうずくまって。
枝で地面に何を書いているのかしら。
――天。来。空。
文字を書いているの?朝、斎老が幸祐にくれたお礼をお手本として使っているの?
まあ。えらいわねえ。
私、確か昔使っていた硯と筆を持っていたと思うわ。それでよければ、差し上げましょうか?
そう?よかったわ。じゃあ、ついていらっしゃい。渡すから。


幸祐。幸祐。来ておくれ。来ておくれ。話をしよう。
そう。幸祐の考えが、知りたいのじゃよ。


いらっしゃい。幸祐。山菜採りにいきましょう。そこで、体にいいものと毒のあるものを教えてあげましょうね。
きのこも秋になったら、教えてあげる。沢山採って、斎老に差し上げましょう。滋養にいいのよ。


今日は調子がいい。幸祐。碁をしたいのう。相手をしてくれんか?勿論やり方は教えよう。さあ、そこにある碁盤と碁石をとっておくれ。


 
ぼくがここに来て、一年が過ぎた。
最初の一ヶ月で生活に慣れ、次の一ヶ月で、斎老の臥室から香る薬香にも慣れた。三ヶ月目から、一番近い里にある小学に通わせてくれ、そこで学ぶことの楽しさに夢中になり、4ヶ月目で、臥室にある書物を片っ端から読み始めた。
分からないことは、斎老や慎琵に聞けば教えてくれた。
5ヶ月目で、自分で調べることを学び、6ヶ月目から、慎琵に胡弓を習い始めた。
それから4ヶ月は、書物を読み、斎老と話し、斎老に書物を読んで聞かせ、時には習ったばかりの胡弓で曲を奏でた。11ヶ月目に、斎老から書房に入る許可をもらい、そうして今に至る。

ぼくは、本当に一生懸命だった。
斎老や慎琵が言ったことは覚えているのに、それにどう返事したのか、それを覚えていない。
吸収することに必死だった。書物を読むことは本当に楽しかった。今まで知らなかったことを知っていくことが、ぼくは本当に楽しかった。その貪欲なまでの振る舞いを斎老にいさめられることもしょっちゅうだった。なにをするのも楽しくて、しょうがなかった。

斎老と慎琵と暮らすその生活に、ぼくはとても満足していた。
やせきっていたぼくの手は、相応の肉をつけた。
それでも、慶での生活が、船上で起こったあの出来事が、夢に現れるたびに、ぼくは独り泣いた。
桔玲とも、頼章ともずっと会っていなかった。泣くたびに、無性に二人に何故か会いたかった。

あの二人は、どういった人だったのか。
ぼくはそんな時、よくそう考えた。
仙ではあるだろうと思う。頼章は、おそらくそれなりの地位を持つ軍人なのだろうし、桔玲は、きっとその上の地位なのだろう。
船上での会話を思い返しながら、ぼくは思った。

ぼくのことを、少しでも覚えていてくれるだろうか。
思い出してくれることがあるだろうか。
あったらいいと、そう思う。


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