short 『いもせ』 ある日のこと…… いつものように、ネウロはトロイに、弥子はソファに座り、各々の作業にいそしんでいた。 しばらく無言の時間が過ぎていたが、弥子が不意に、だが静かに立ち上がりトロイを回り込んでネウロに近付く。そして椅子越しの背から腕を回し、ぴたりと抱きついた。 「…………?」 その様子にネウロは当然訝しみ、同時に内心沸き立つ心地を押し隠しながら、 「……どうした?」 と、静かに問う。 「…………んーん」 ただそれだけの弥子の返事。それだけでは弥子の行動の意味がわかるはずがない。 意味がわからずとも、弥子からの接触はそう頻繁にあることではないので悪く思う筈もなく、ネウロはそのままに作業を続ける。 しばしして、 「ねえ、ネウロ知ってる?」 空気を微かに揺らすかの如くの静かな声音が、ネウロの耳朶をくすぐる。 「カップルとか夫婦って、昔は『いもせ』って言ってたんだって」 「…………」 ―いもせ… 妹兄… 妹背……― 「……その程度のこと、我が輩が知らぬ筈もない」 「そか……それもそうだね。 私は中学か高校どっちか忘れちゃったけど、授業で何か聞いた覚え、あったんだけどさ」 「仮にも授業であろうに『聞いた覚え』とは感心せんな」 ネウロがそう言ってやると、弥子は頬をふくらませ拗ねたふりをした後、 「そこ、ツッこまないでよ」 と、苦笑いを含んだ笑みを漏らした。 「何とも目まぐるしい。まさに百面相だな」 ころころ表情の変わる弥子の鼻をつまみつつ揶揄するネウロに、 「なあによ」 弥子は再び拗ねたふりをしたが…ふたりとも柔らかに笑っている。 「何となく教科書読み返してたら、そーゆーの書いてあるの見て、ね」 「……それで、我が輩の“背”からこうしているというわけか?」 「ふふっ。 そうだよ」 「…………… ではヤコよ。貴様は我が輩の“妹”なのだな?」 「ん?」 鼻先が触れるほど間近に問われた弥子は、 「うん? うーん?」 何故か首を捻る。その、やや不本意な反応に、ネウロも首を捻る。 「……違うのか?」 「いや、文脈としてはそのハズなんだけどさ。 でも“背”はともかく“妹”って、何か意味合い的に背徳感があるというか……現代の感覚では」 「そうなのか?そもそも『妹背』の“背”は“兄”でもあったろうが」 「……そうだっけ?」 「そうだ。どちらにせよ現代の意味に照らし合わせては背徳感とやらが邪魔してしまうということだな」 「そうかぁ……」 「言葉とは難しく面白いものだな」 「学生には、難しいってのが大問題だけどね」 「それは貴様の脳レベルの問題だ」 「何よ、もう!」 「フハハハ」 何気ない会話が紡がれる穏やかな時間…… ネウロは、事に触れ自分を想う弥子の気持ちに満悦し、しばらくご機嫌な笑みをおさめることはなかった。 ※ ※ ※ ※ ※ 『妹背』とか『我が背子』とか、主に万葉集……飛鳥奈良時代に歌われた表現て、すごく素敵なのが多いんですよね ……とはいっても、いろいろ膨大すぎて、好きな歌とか知ってる歌はかなり少なくてしかも偏ってたりするんですが しかも知ったきっかけが漫画とかね それはもうしょうがないことですが(苦笑) 個人的に好きな歌は高市皇子の十市皇女への追悼歌だったりします 『やまぶきの たちそよいたるやましみず くみにいかめど みちのしらなく』 山吹(黄色) 清水(泉) で『黄泉』を暗示するという そして、そこに生きている自分は行けない、と 恐らく秘めた想いを、女性が亡くなった後にようやく、それでも暗示に留めて詠むしかなかったんだろうなーって感動すら覚えてしまいます 妹背の話から思わずトリップしてしまいましたが(笑) 20210118 <前へ><次へ> |