影・3


 アカギと男はその後、偶然にも二度目の邂逅を果たした。

 とはいっても、男の方はアカギに気がついていない。アカギが一方的に男の姿を見ただけだった。

 代打ちを引き受けたとある組の伝手で、連れてこられたゲームの鑑賞室。気乗りしないまま訪れたスターサイドホテル、地上74メートルの高さに渡された鉄骨の上に男は居た。

 どこかで見覚えのある顔。だが初め、アカギは男のことを思い出せなかった。あのコンビニ店員だとようやく気づいた頃には、既に半数以上が落下していた。
 無様に震え、泣き、喚きながら、それでも男は生き残っていた。生にしがみつき、死への恐怖をそれこそ死にもの狂いで振り払おうとしつつ、時折、同じ苦境に立つ連中に声をかけ、気遣う様子すら見せた。
 だが男の奮闘虚しく、周りの連中は次々と摩天楼の下へ吸い込まれていく。その度に、アカギの周囲からは歓声や笑い、拍手が湧き起こった。
 金のために命すら賭した挙げ句、ただ生き延びるためだけに藻掻き続ける人間の姿を、金で買った安全な場所から蔑んだ目で鑑賞する。そんな連中に取り囲まれながら、アカギはすこしも笑っていなかった。いつの間にか、その視線はあのコンビニ店員だけに注がれていた。一歩一歩、着実に自分の居る方へと進んでくる男の姿。追い詰められ、今さら後退も許されない状況で激情を剥き出しにしながらも、ギリギリのところで冷静さを保っているのがはっきりと見て取れた。

 辛くも生き残っていた金髪の男がゴールする間際、アカギの周りの連中が、我先にと窓際に寄っていった。自らは飛ばされぬよう腕を組み合い、哀れな犠牲者の様子を間近で見ようと舌舐めずりして笑う光景の異様さに、あのコンビニ店員の男がハッとした顔になったのをアカギは見逃さなかった。
 男は制止の声を投げたようだが、金髪の男には聞き入れられなかったらしい。
 生存が確定したと思い込んで安堵の笑みと涙を浮かべ、扉をこじ開けた刹那、後ろの方にいるアカギにも伝わるほどの強い突風が巻き起こり、金髪の男は木の葉のように吹き飛ばされて奈落の底へ落ちていった。
 どっと湧き起こる歓声。悪趣味に指笛を鳴らす者さえいた。しばし騒然とする中、アカギは音もなく踵を返し、下品に騒ぎ立てる観客に背を向け、歩き出す。

 アカギを連れてきた組長もまた、このゲームを愉しみ、拍手など送ったりしていたが、アカギが隣にいないことに気がつくと、慌ててその背を追った。
「どうだ? なかなか、面白い趣向だろう」
 隣に並んだ組長が、大層な自信を持って呼び掛けるのに、アカギは「そうですね」とだけ答え、歩き続ける。
 その素っ気ない態度に、組長はやや落胆した顔つきになる。本当は最後までゲームを見ていたいのだろう、後ろ髪を引かれているような顔で背後の群衆をちらちらと振り返っている。
「あの青年も、きっと駄目だろうなぁ」
 それは予測というより、なんの根拠もない決めつけだった。
 つまり、駄目であって欲しい。そういう願望のもと、言葉を吐いていることは明白だった。
 それが証拠に、その言葉にはハッキリと口惜しげな響きが滲み出ている。
 最後にたったひとり残ったあの男が、すぐ傍にある救いの道に気がつかぬまま、やがて体力が尽き果てて落下する。その瞬間をこの目で見られなくて残念だと、心の底から思っているのだ。

 アカギは返事をせず、ただゆっくりと歩き続ける。
 最後に見たあの男は、絶望的な表情で泣きながら落ちていった仲間の名前を呼んでいた。後から後から溢れ出る涙を拭い、顔を上げて周囲を見渡した直後、その表情が如実に変化したのを、はっきりとアカギは見た。

 なにかを勘づいたように見開かれた目の中、走った一瞬の閃き。
 あの男は必ず生き延びるだろう。そう確信したから、アカギは背を向けたのだ。
 知らず、己の口許が緩やかな弧を描いていることに気がついて、アカギは歩く足をやや速めた。




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