影・4


 その二週間後、以前立ち寄ったのと同じ時間帯を選んで、アカギは男の働いていたコンビニに入店した。
 だが、男の姿はなく、店長らしき眼鏡の男がひとりレジに入っていた。
 尋ねてみると、ここ最近無断欠勤が続いているのだという。傍迷惑そうに顔を顰めてため息をつく男を残し、なにも買わずにアカギは店を出た。

 無事、大金を手にしてバイトを辞めたのだろうか。とてもそうは考えられなかった。悪名高いあの企業が、そう易々と金を吐き出すとは思えない。
 無事ゲームをクリアしたその後、男と帝愛の間でなにかがあったのだ。男が未だ戻らない理由は、それしか考えられない。

 アカギは足を止める。息を吸うように反芻する。
 電流鉄骨渡り。死が呑み込もうと迫ってくる中、生きたいと足掻き続ける男の姿。最後に見せた鮮烈な瞳の閃き。
 あのゲームを見ているとき、アカギの意識は乖離することがなかった。肉体を離れ、まるで第三者であるかのように遙か遠くから傍観するのではなく、アカギはアカギ自身として、主体的にゲームを眺めていた。

 死に物狂いで生きようとする男。死んだように生きている自分。陽と影のような、その対比。
 可能なら、もう一度、あの男に会ってみたいとアカギは思った。









「よかったわね」

 女にそう声をかけられ、アカギはシャツを羽織る手を止めて振り返る。
 気怠げにため息をつきながらゆっくりと起き上がる、女の白い面がひたとアカギの方に向けられていた。
「気がついてない訳じゃないでしょ?」
 アカギが黙っていると、女はそう言って床に目を落とす。
 そこに落ちる、アカギの影。それが以前に比べ、濃さを取り戻しつつあることに、アカギ自身もちろん気がついていた。

 女はアカギの影のことを知っている、数少ない人間の内のひとりだった。
 二ヶ月ほど前、ふらりと立ち寄ったスナックで女は働いていた。
 アカギを見てすぐ影のことに気づいたらしく、酒を出すついでみたいに話し掛けてきた。前髪を長く垂らしているせいで陰気な印象を与える女だったが、額にある大きな傷を隠すためにそうしているのだと、後から知った。
 過去のある女なのだろうが、それについてアカギは触れなかったし、女もスナックで最初に影のことを指摘したきり、アカギのことを積極的に聞きだそうとはしなかった。

「貴方は見つけたのね。繋ぎ止める……物? それとも、人、かしら?」
 女の言わんとしていることが、アカギはなんとなく理解できていた。
 薄くなっていく影の色、希薄だった生の実感を、己に取り戻させた者。
「私じゃなかったってとこが、ちょっと悔しいけど」
 女はそう言ってちょっと笑い、「忘れ物しないように」と母親のような口振りで付け加えた。

 アカギの持ち物はいつも鞄ひとつで、女の部屋に忘れ物などしようもなかった。これは即ち、アカギの訪れがこれで最後だと、女が暗に悟っているからこそ出てきた台詞だった。敏い女だとアカギは思った。
 黙ったまま服をすべて身につけ、アカギは鞄を手にする。沈黙によって、アカギは女の予感が正しいことを肯定していた。
「さよなら」
 背後から聞こえたちいさな声に、振り返ることはしなかった。アカギは扉を閉め、それから二度と、女の部屋を尋ねなかった。





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