屏風の虎・6




 狭く、古ぼけてはいたが、予想以上に伊藤の部屋は奇麗に片付いていた。
 勧められるまま床に座ると、男も同じように座る。
 伊藤の口からギャンブルの話を聞いてみたいと思ったが、伊藤がテレビの電源を入れたため、なんとなく聞けずじまいになった。

 伊藤は、心ここにあらずといった様子で、せわしなくチャンネルをザッピングしている。
 完全に他のことに気を取られ、ぼんやりとしているようだった。
 俺は俺で、もうすぐ赤木と対峙するという事実に落ち着かず、手中のサングラスを弄び続けていた。
 俺たちは互いにそわそわしながら、赤木の来訪を待った。


 数分後。
 ドアをノックする音が響き、俺は伊藤の方を見る。
 伊藤は今まで見たことがないくらいに蒼白になりながら、俺を見返してきた。
 その表情に一抹も二抹も不安を覚え、俺は口を開きかけたが、それより先に伊藤が立ちあがる。
 玄関の方へ向かうその背中は、まるで亡霊みたいに生気がないように見え、俺はゾッとした。


 伊藤が部屋から消えてからしばらくして、ガチャリと玄関のドアの開く音がした。
 ふたりの男の話し声に、俺は耳をそばだてた。
 遠くて内容までは聞き取れないが、言い争ったりする激しさは感じられない。
 ひとりの声が長々となにか言うのに対し、もうひとりは一言、二言で手短に返事をしている。
 なんとなく、後者が赤木だろうかと想像していると、ふたりぶんの足音が近づいてきたので、俺は慌てて背筋を伸ばし、座り直した。
 

 まず、伊藤が部屋に入ってきた。
 その顔は相変わらず、死んだように青ざめている。
 そしてその後に続き、白いスーツに身を包んだ白髪の男が姿を現した。
 俺は息を飲み、その姿に釘付けになった。

 これが……赤木しげる。
 なんと華のある男だろう。しかも、その華には毒がある。猛毒を持つことを隠しもせず、禍々しく咲き誇る大輪の華。

 男の容姿がこう思わせるのではない。その常人ならざる雰囲気、オーラとでもいうべきものが、初対面の俺にそんな強烈な印象を抱かせる。
 それでいて、当の本人は凪のように静かなのがまた、得体の知れない不気味さを醸し出している。

 白いスーツの中に着ている、虎柄のシャツの黄色がやたら目につく。
 屏風の虎がーーその姿を現したのだ。


 赤木は俺を一瞥すると、吐き捨てるように言った。
「……そんなこったろうと思ったぜ。あんたが、オレを呼び出すなんてな」
 その視線は、鋭く刺すように伊藤の方へ向けられている。
 伊藤はぐっと言葉に詰まり、立ち尽くしている。
 理由はわからないが、どうやら今の赤木は相当、虫の居所が悪いらしいということくらいは俺にもわかる。
 ビリビリと痺れるような場の空気に堪えかねて、俺は口を開いた。
「初めまして……赤木しげるさん」
 呼び掛けると、赤木は再度、俺を見下ろす。
「あんた……誰?」
 その冷え切った視線と声音に身震いしながら、俺はしどろもどろになりつつ、答えた。
「俺は……××組の組員やってる者です。今日は、赤木さんにお願いがあって」
「断る」
「早っ!!」
 俺よりも素早く反応した伊藤を、赤木が横目でじとりと睨む。
 伊藤はビクリと肩を揺らしたが、拳を握りしめて赤木に言った。
「こ、この人はお前にどうしても依頼したいことがあるって言ってんだぜっ……? せめて話を聞いてやるくらい、」
 カツン、と高い音が空気をひび割れさせる。
 赤木が、ジッポを机の上に放り投げた音だった。
 両手をポケットに突っ込んで仁王立ちする赤木は、明らかに怒っている。
 黙っているのに、威圧感が半端ない。
 伊藤はもはや口もきけなくなってしまったようで、涙目でうつむいている。
 俺だって泣きたい気分だ。ヤクザになって数年、こんなに恐ろしい思いをしたことなど未だかつてなかった。
 堪えきれず、キリキリと痛み出した胃の辺りを押さえていると、そんな俺を見て赤木が鼻を鳴らした。
「……で?」
「……は?」
 間の抜けた俺の返事に、赤木は鋭い目をわずかに細める。
「あんた、この人にいくら渡したんだ?」
 この人、と言いながら指さされ、伊藤は目を見開く。
「ばっバカやろうっ……! なに言って……っ」
 あたふたする伊藤をチラリとも見ず、赤木は低い声で重ねて俺に問う。
「いくら渡したのかって訊いてんだ……」
 凍てつくような瞳に見下ろされ、喉がヒュッ、と聞いたこともないような音をたてる。
 縋りつくような必死の形相で伊藤がこちらを見ているのがわかったが、俺は赤木の迫力に押し潰されそうになり、震える声で白状してしまった。
「ご、五十万……です……」
 瞬間、伊藤は裏切られたような絶望的な顔つきになり、赤木は平らな声で「ふーん……」と呟く。
「……あんた、本当にクズだな」
 赤木が伊藤を睨みつけ、鼻で笑う。
 その視線を受け、伊藤は半泣きになりながらもキッと赤木を睨み返した。
 完全に蚊帳の外である俺は、睨み合うふたりをただハラハラと眺める。
 やがて、赤木が軽く瞼を伏せ、ニヤリと笑った。
「クク……五十万か。しかし……恐らく、それだけじゃねえんだろう? カイジさん」
 赤木の黒い両の目にふたたび見据えられ、伊藤はビクッとする。
「オレに引き会わせて五十万……さしずめ、依頼を引き受けさせたら、もう五十万追加ってとこか」
 俺はびっくりしすぎて、心臓が破裂するかと思った。
 正確には四十万だが……完全に見抜かれている。
 一方の伊藤はこういう展開に慣れているのか、赤木の慧眼にもさして驚かず、ヤケクソのように吐き棄てた。
「ああ……そうだよ。お前の言うとおりだよ! 悪ぃかっ……!!」
 その開き直ったような、ふてぶてしい態度に、赤木はゆっくりと顎を上げ、口角を吊り上げた。
「いいだろう……カイジさん。あんたがその気なら、こっちにも考えがある……」
 そして、その顔からさっと表情を引き抜いて俺を見ると、噛んで含めるようにゆっくりと言った。
「あんたの依頼、受けよう」
「!!」
「えっ!?」
 思いがけない言葉に、俺も伊藤も目を丸くする。
「受けようって……ま、まだ内容も、」
「ただし」
 泡を食って捲したてる俺の言葉を、赤木はぴしゃりと遮った。
「終わるまで、逃げ出さずソコに座っていられたら、だ……」
 そう言うや否や、赤木は伊藤の手首を強く掴み、捻り上げる。
「っっってぇ……!!」
 苦悶の叫び声を上げて悶絶する伊藤を、赤木は易々と引き寄せた。

 逃げ出さずに、ってまさか。
 赤木は、伊藤を拷問する気なのだろうか?
 それを俺に見せつけたあと、同じ目に俺を遭わせる気なのだろうか……?

 冷や汗が背中を伝う。
 俺だって一応ヤクザの端くれだ、大抵の暴力には屈さない自信がある。
 けれど……雇った組の若頭をして『あんな思いは二度とごめんだ』と言わしめるような拷問とは、いったいどれほど惨いものなんだ!?

 情けなくも怯えた小動物のように震えだした俺に、赤木は悪魔じみた顔で笑った。
「安心しなよ……なにもしない。……あんたには、ね」
 その台詞にぽかんとする俺を余所に、伊藤はなにかを悟ったのか、火が点いたように暴れ始める。
「おっお前……まさか、また……っ!!」
「察しがいいね、カイジさん」
 赤木が喉を低く鳴らすと、伊藤は半狂乱になった。
「いっ……嫌だっ!! お前アホかっ……!? 畜生ッ、こんなん、頭おかしいだろっ……!!」
 じたばた暴れる伊藤と激しく取っ組み合いながら、赤木は獰猛に目を光らせる。
「残りの五十万を貰えるかどうかは……あんたの頑張りにかかってるんだよ。オレをその気にさせるのが、あんたの役目なんでしょ?」
 しつこく抵抗する伊藤の足に足をかけ、赤木はその体を床に押し倒す。
「くそーーっ!! どけよっ……!! こんなの、狂ってる……ッ!!」
 腰の上に跨がられて身動きの取れなくなった伊藤を見下ろし、赤木は凄絶な笑みを見せた。

「狂気の沙汰ほど面白い。そうだろう、カイジさん……!」




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