屏風の虎・7


 赤木のその言葉を合図に、おぞましい地獄の時間が始まりを告げた。

 結論から言うと、赤木は伊藤を拷問したわけではなく、暴力もいっさい振るわなかった。
 しかし、俺にとっては、下手な拷問よりもずっとずっと恐ろしいものを、これでもかというほど見せつけられたのだ。
 俺という第三者、赤の他人に見られていた伊藤も、恐らく同じ気分だったろう。
 野郎がひいひいと喘ぐ悲惨な声に耳を塞ぎたくなるが、横目で睨んでくる赤木にそれすら阻まれる。
 針のむしろにいるような状況で、涙目になってひたすら縮こまる俺の脳裏に、様々な言葉が蘇る。

『兄貴も詳しくは語らねえが、なかなかどうして、キツい目に遭わされたらしいな』

 キツい目って、まさかこれのことだったのか!?


『その時の赤木くん、あたしがその子に声かけようとするより先に言ってきたのよね。『この人は金なんて持ってねえよ』ってさ』
『その時の赤木くん、ちょっと怖かったわね。おかしな話だけど、まるで牽制されてるみたいで……』

『まさか……とは思うけど……ううん、なんでもないわ……こっちの話……』

 ああ。
 あの時、ママが言葉を濁したのは、このふたりがこういう関係だと勘づいていたからなのか。
 鋭すぎる女の勘に舌を巻きつつ、今はそれどころではない。
 今すぐにでもこの部屋から一目散に逃げ出したいのは山々だが、ここまできてそれはできない。
 赤木から時々送られる、刺すような視線に目を逸らすことも許されず、俺は死にそうになりながら、この壮絶な時間を堪えに堪えた。





 数時間後。
 虎柄のシャツを無造作に羽織り直し、赤木は机の上に放り出したジッポを拾って、煙草に火をつけた。
 旨そうに深々と一服してから、気力を消耗し尽くして真っ白になった俺の方を見る。
「逃げなかったな……約束通り、あんたの依頼、引き受けるよ」
 依頼。依頼。それが目的だったはずなのに、その時の俺にはもう、どうでもよくなっていた。
 ただただ、無性に死んでしまいたいような気分だった。
「ありがとう……ございます……」
 それでも、辛うじて礼を言うと、赤木はニヤリと笑う。
「礼なら、このクズに言いな」
 赤木の目線の先には、床の上に素っ裸で倒れ込み、丸めた背中をこちらに向けてしくしくと泣く伊藤開司の姿があった。
 正直、泣きたいのはこっちである。
 この世の破滅が訪れたような空気の中、赤木だけがひとり、悠々と紫煙を燻らせていた。





 その後、赤木は約束を違えず、組の代打ちとして闘ってくれた。
 組長は大喜び。兄貴も、よくやったと俺の肩をバシバシ叩いて笑った。
「いやー、正直、お前が本当に屏風の虎を出すとはな! いったいどうやって赤木をその気にさせたのか、俺にも教えてほしいくらいだせ」
 俺は力なく愛想笑いしたが、その時の経緯についてはもう二度と、金輪際口にしたくはないし、思い出したくもない。

 あんなことは、もう二度とごめんだ。
 いつぞや聞いた若頭の言葉と同じ台詞を、心の中で呟く。
 これは、経験した者にしかわかるまい。
 食い殺される覚悟もなく、安易に屏風の虎を出すなんて真似、絶対にしてはいけないのだ……







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