冬立つ ただの日常話




 バイトを終え、私服に着替えたカイジは、代わりにレジに入った店員に軽く会釈だけして、カウンターから出る。
 いつもはそのまままっすぐ帰るカイジだったが、ふとその足を止めた。

 保温ケースの中で温められている中華まんを、ぼうっと眺める。
 今日はここ最近の中で特に寒い日で、あたたかい中華まんがよく売れた。
 ケースの中でほかほかにあたためられている、もちもちとハリのある白くて丸い饅頭に、カイジの空腹中枢が刺激される。
 どうしてだろうか、人が食べようと買っていくものは、売る側の目には無性に旨そうに映るのだ。

 買うべきか、買わざるべきか。
 カイジが迷っている間にも、レジに並んでいる客が肉まんをふたつ注文して、ケースの中の肉まんは残りあとひとつになってしまった。
 残り一個しかないとわかると、欲しくなるのが人の性というもので、カイジの心はあっさりと決まり、慌ててレジに並んだのだった。





 
 肉まんの入ったレジ袋をぶら下げ、ありがとうございました、という声を背に外へ出ると、長身の、白髪の男が店の前でタバコをふかしていた。
 コンビニに入店する客がチラチラと投げる好奇の視線などまったく気にならないような堂々とした姿に、カイジの眉間に皺が寄る。
「お前……待つなら店ん中にしろっつったろ。目立ってしょうがねえ……」
 近づいて、なぜかコソコソと話しかけるカイジに、男ーー赤木しげるは備え付けの灰皿でタバコを揉み消すと、
「吸いたくなったから、外に出ただけだよ」
 と呟いて、カイジの方を見た。
「オレが目立つと、あんたになにか悪いことでもあるの」
 本気でわかっていなさそうなアカギに、カイジはチッと舌打ちして周囲の視線から逃れるように顔を背ける。
「話しかけ辛いだろうがっ……! わかれよ……!」
「なんで。べつに、普通に声かければいいじゃない」
 これだから世間とズレてる奴はと苦い顔をしながら、カイジはその場から離れるためにさっさと歩き出してしまう。
 すると、アカギも黙って隣に並んだ。



「お前、今度から帽子でも被ってこいよ」
 がさがさとレジ袋の中身を取り出しながら、カイジはアカギに言う。
「帽子?」
「髪の色さえ隠せば、あんなに見られることもなくなるだろ」
 頭を指さされたアカギは、表情も変えずに首を横に振った。
「帽子は、あまり好きじゃないんで……」
「えー……そうなのか……じゃあどうするかな……」
 帽子については本気の提案ではなかったらしく、あっさり引き下がったカイジの意識は、完全にほかほかの肉まんに集中していた。

 白い包み紙のなかのやわらかい塊を両手で包み込むようにして持つと、冷えた手がじんわりあたたまって、カイジの表情が自然に緩む。
 いそいそと包みを開けば、中から白くてすべすべした饅頭の表面が覗いた。

 食欲をそそるその姿に思わず唾を飲み込み、カイジは敷紙を半分剥がして、がぶりと食らいつく。
 ふかふかでもちもちとした生地の中に、ぎっしりと包みこまれている肉餡は熱々で、カイジは口中を火傷しそうになりながらも、目を細めてはふはふ言いながら口いっぱいの幸福を噛み締めていた。

 そんなカイジの様子を、アカギは隣でじっと見つめていたが、カイジが最初の一口を飲み込んだ折を見計らうと、肉まんを口に運ぼうとするカイジの手をぐっと掴み、引き寄せる。
 そして、突然の行動に驚くカイジの手を掴んだまま、食べかけの肉まんに顔を寄せ、ぱくりと食いついた。
「あっ、てめ……!」
 カイジが抗議の意を示すより早く、アカギは手を離す。
 もぐもぐと口を動かすアカギの顔を恨めしげに見て、カイジは問いかけた。
「なに……お前、腹減ってんの?」
 しかし、アカギは首を横に振った。
「人が食べてるものは、旨そうに見える」
 ……それは、真理である。
 カイジは大袈裟にため息をついた。
「ズレてるくせに、こんなときばっか真っ当なこと言うなよ」
「真っ当?」
 肉まんを咀嚼しながら問い返されて、カイジはすこし、考えてから答える。
「……普通の、人間みたいなこと」
「オレは、ごく普通の人間なんだけど」

 ……この台詞がこれほど嘘くさく響く人間など、こいつを除いて他にいないだろう。

 胡乱げなカイジの視線をどう受け取ったのか、アカギは浅く笑って、付け加える。
「ごく普通の人間だから、いつも人の食い物にされてるっていうあんたのことも、ほっとけない」
 カイジの眉間に皺が寄る。
「……旨そうに見えるから?」
「そう」
 愉しげに肯いてみせるアカギの頭を無遠慮にはたき、カイジはこれ以上食われないようにと腕に力を込め、しっかり持ち直した肉まんに、ふたたびかぶりついた。





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