欲求
「ごちそうさま」
卓袱台に並んだ空の器たちと、その向こうで澄ました顔をしているアカギを見比べて、カイジはなんとなく、しんと沈黙した。
部屋を訪ねてくるなり、カイジの顔を見て「腹減った」と宣ったアカギは、カイジが出してやる料理を片っ端からたらふく食べ、飯粒ひとつ残さないくらいきれいに平らげるまで、会話もなしにノンストップで箸を動かし続け、そして、今に至る。
アカギのこの食欲に、カイジは毎度驚かされるのだ。
聞けば、アカギは普段は食うときと食わないときの差が激しく、食わないときは丸三日くらい、水だけでもまったく生活に支障がないらしい。
その代わり、食うときは今みたいに際限なく食うから、平均するとだいたい成人男性の平均的な食事量になるのだろう。
本人は以前、そう言っていたが、そのすさまじい偏り具合には、カイジもただただ圧倒されるばかりである。
偏っているのは、食欲だけではない。
睡眠も、アカギにとっては同じようなもののようで、徹マンなどはザラ、以前聞いた話では、三日三晩、碌な睡眠も取らずに打ち続けたこともあったようだ。
その分、寝るときは、まるで子供のようにことりと寝る。
ただ、こちらは際限なくというわけではなく、もともと眠りが浅いのか、どんなに疲労困憊していても、翌朝はカイジより早く起き出している。
どうやら睡眠時間は、一般人よりずっと短くてもいいらしい。
どういう体のつくりをしているのか、アカギは食い溜め、寝溜めができる、希有な体質を持っているらしい。
どちらか一方すらできない普通体質のカイジにとっては、本当に、羨ましい限りだった。
清々しいほど綺麗に片付けられた器を、カイジが流しに運んでいる、そのほんのわずかな隙に、アカギは大きく口を開けて欠伸をし、そのままごろりと床に転がった。
居間に戻ってきたカイジは、自分の腕を枕に仰向けに寝転がるアカギを見て、呆れた顔をした。
「お前……食べてすぐ横になると、牛になるぞ」
カイジが咎めると、アカギは目を瞑ったまま、ふっと笑う。
「なんかそれ、久しぶりに言われたな……ガキの頃はよく、そうやって叱られてた気がするけど」
呟く声は、眠たげにとろんとしている。
カイジはため息をつき、アカギの傍らに膝をついた。
「寝るならベッド行けよ……風邪ひくぞ?」
「ん……」
諫言も適当に聞き流し、惰眠を貪る気満々であるようすのアカギを、カイジはじとりと睨んだ。
「食って、寝て……お前この部屋に、己の欲求を満たすために来てるようなもんだよな……」
すると、その言葉に反応するようにアカギは片目だけをうっすらと開き、カイジを見た。
「……いっこ、抜けてるよ」
「はぁ?」
眠気で低く掠れた声にカイジが首を傾げると、アカギは歌うように告げる。
「人間には、三大欲求ってのがあるんだぜ、カイジさん」
「……馬鹿にすんなよ。それくらい、オレだって知ってる」
「……本当?」
疑わしげに言われて、カイジはムッとした。
当たり前だと言わんばかりに、カイジは口を開き、つらつらとそれを数え上げ始める。
「食欲だろ。あと、睡眠欲。それからーー」
そこまで言って、カイジの舌がぴたりと止まった。
「どうしたの? カイジさん」
くっくっと喉を鳴らして笑いながら、アカギはゆっくりと体を起こす。
「食欲と、睡眠欲と……もういっこは、なに?」
甘く答えを促すように問いかけられて、カイジはまんまとアカギに乗せられてしまったことを知る。
徐々に赤みをさしていく面を伏せ、咳払いなどして誤魔化そうとするものの、ふたりの間を漂う空気はもう先ほどのまったりしたものとは違ってしまっており、目を細めて意味深な視線を送るアカギが、絡みつくような空気を振りほどくことを許さない。
石のように身を固くするカイジの頬に、アカギはそっと指を滑らせる。
「わからない? 答え、教えてあげようか……?」
傷を親指でなぞられ、カイジはやっとのことで首を横にぶんぶんと振る。
「いっ、いいっ……! 知ってるからっ……!」
「本当? じゃあ、言ってみてよ」
「ッ……それ、はっ……」
「ほら……やっぱり、わからないんじゃない……」
遠慮すんなって。やさしく、教えてあげるから。
耳に息を吹き込むように囁かれ、カイジが耳朶をうす赤く染めると、従順な反応にクスリと笑い、アカギはカイジの唇に唇を近づけ、重なる寸前で止めた。
「食って、寝て、ヤってーー。人間の三大欲求をいちどに満たせるなんて、カイジさんちはすごいね」
しみじみと賞賛されても、内容が内容なだけにちっとも嬉しくない。
苦々しくしかめっ面をするカイジの、睨むような三白眼を覗き込んで、
「それじゃ……いただきます。」
そう、律儀に言ってから、アカギは三つ目の欲求を満たすため、目の前の唇にがぶりと噛みついた。
終
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