針千本 しげる視点 ちょっとだけ拷問描写注意



 昔、麻雀を始めて間もない頃、ヤクザの拷問に立ち会ったことがある。

 その男は、なんでも敵対する組の内通者だとかで、薄暗い貸倉庫でさんざ蹴られ、殴られて床に転がされていた。

 仕切りをしていた舎弟頭が、男の前にしゃがみ込み、前髪を掴んで血だらけの顔を上げさせる。
「嘘ついたら針千本。……ガキだってわかってることだよなぁ?」
 わざとらしいほど穏やかな声音を作って、舎弟頭は男の目の前に一本の、皮縫い針のような極太の針を突き出した。
 血で真っ赤に染まっている男の顔色が、はっきりと変わるのが見てとれた。

「きっちり千本。その口で飲み込んでもらおうか? ん?」

 目を血走らせ狂ったように暴れ出した男の体を、周りに控えていたヤクザたちが抑えつけ、悪趣味な拷問が始まった。


 断末魔のような悲鳴を聞きながら、退屈に欠伸を噛み殺していた。
 ただ、『嘘ついたら針千本』って言葉は初めて聞いたな、とだけ、ぼんやりと思いながら。

 舎弟頭がオレみたいな部外者を拷問なんぞに同席させた狙いは明らかで、血生臭い現場を見せつけてヤクザの恐ろしさを思い知らせてやれば、くそ生意気な中坊のガキなど怖じ気づいて二度と組ででかいツラすることもなくなるだろうという思惑が、ありありと透けて見えていた。
 オレは、その男に露骨に嫌われていたのだ。

 舎弟頭はしきりにオレの反応を窺っては、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべていた。オレがひと言も発さないので、どうやら、衝撃のあまり声も出ないのだと思ったらしい。

 甚だしいほどの勘違いだった。
 だが、誰にどう思われようと、どうでもよかった。
 その時のオレには、ギャンブル以外のすべてのものごとはどうでもいいことで、生死を賭すような勝負やその相手に巡り合うことだけが、オレの興味の矛先であり、希求していることだった。

 今は、すこし違う。
 ギャンブルの他にも、気になることができて、特定の誰かに好かれたいって気持ちも持つようになった。
 ぜんぶ、あの人に出会ったせいだろうなと、怠い頭の隅でそう思った。


 どうでもいいような昔のことをふっと思い出しているのは、体の不調のために他ならない。
 昨夜。代打ちした相手に逆恨みされて、襲われた。
 後ろからナイフで切りかかられて、咄嗟に体を庇った腕を、ざっくりやられた。
 オレを車で送ったヤクザがまだその辺にいたおかげで、犯人はすぐに地面に押さえつけられ、オレは今乗ってきたばかりの車で、さっき出たばかりの屋敷へと連れ戻されたのだった。

 数日は安静にしていろと医者に言われ、仕方なく宛がわれた部屋に匿われている。
 傷がじくじくと発熱するせいで、まともな思考が保てない。
 ぼうっと霞がかった頭のまま、天井の木目を目でなぞる。

 体にまた傷を作ってしまった。あの人は、きっと怒るだろう。
 この間会ったときも、喧嘩で額に大きな傷をこさえて行った。
 あの人は激怒して、
『もう二度と、危ない真似するなよ』
 そう言ったのだ。
 面倒くさくて適当に頷いてしまったけれど、オレはまた、その約束を破ってしまったわけだ。

 ふっと目を閉じる。
 嘘ついたら針千本、か。
 飲ませにこねえかな、って思った。
 もちろん針なんて飲みたいわけじゃないし、あの人がそんなことするわけもないが、まぁ要するに、オレは単純に、あの人に会いたいのだ。
 珍しく熱なんか上がってるから、そんなふうに思うのだということは、嫌というほどわかっていた。

 なぁ、オレあんたとの約束破ったよ。
 あんたの知りもしない場所でさ。
 だから、針、飲ませにきなよ。
 
 相手に聞こえるはずもないことを心の中で呼びかけながら、オレは遠のいていく意識に身を委ねた。










 目が覚めたとき、熱はだいぶ下がっていた。
 薄ぼんやりとした視界で天井の木目を確認し、次いで辺りを見回す。

 熱のせいで、幻覚を見ているのかと思った。
 髪の長い男が、布団の横に座っていたのだ。

「……カイジさん」

 思わず名前を呟くと、男はオレの顔を覗き込み、「大丈夫か?」と問いかけてくる。
 その声と確かな息遣いを聞いて、ああ、これは幻覚じゃない、と確信した。
 なぜ、こんなところにいるのだろうか。まさか、眠る前に呼びかけた声が届いたとでもいうのだろうか。

「大丈夫か?」という質問には答えず、オレは逆に男に向かって問う。

「針でも飲ませにきたのかい?」
「針?」
「嘘ついたら針千本、なんだろ?」

 男は眉を寄せてオレの顔を睨んでいたが、やがて言葉の内容を理解すると、険しい表情で言った。

「……千本どころじゃすまねぇよ、馬鹿野郎」

 だけれども、その声には厳しさが欠け、労りと心配が滲んでいたので、すこしも怖くなかった。

 うっすら笑うと、カイジさんは気分を害したような顔になり、それから気を取り直したかのように、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「知ってたか? お前、うんうん魘されながら、オレの名前、連呼してたらしいぞ?」
 カイジさんが語るには、熱に魘されているオレの口から零れ出る名前を聞いた組長の姐さんが、気を利かせてアパートに車をやり、カイジさんをここへ連れて来させたらしい。
「ビビったぜ。黒塗りのベンツがボロアパートの前に停まっててよ。スーツ姿のヤーさんに、いきなり『カイジさんですか?』なんて、下の名前呼びつけられてさ」
 そう言って、カイジさんは可笑しそうに笑う。
 お節介な人だ、余計なことをしてくれたと姐さんを恨みたいような気持ちだったが、この人の笑顔を見たら、悔しいほどにそんな気持ちも消え失せた。

「……無駄口叩いてないで、さっさと飲ませなよ。千本でも足りないんでしょ?」
 腹立ち紛れにわざとそんなことを言うと、カイジさんは途端に嫌そうな顔になる。
「お前、冗談でもそういうこと言うなよな……」
 呆れ顔でため息をつき、針の代わりに、枕元に置いてある水をコップに注いで、オレの体をゆっくりと起こさせ、飲ませてくれた。
 姐さんが来たとき取り替えてくれたのか、その水がまるで針みたいに冷たく喉を刺したので、飲み下したあと、
「……冷たすぎる」
 と漏らせば、カイジさんは
「文句を言うな。飲ませてもらってる分際で」
 としかめっ面をする。

 それでも、期待を込めた眼差しで待っていれば、カイジさんは舌打ちしたけど、今度は自分の口に含んでちゃんとぬるくなった水を、口移しで飲ませてくれた。





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