傷と甘さ 過去拍手お礼 アカギ視点
果物は傷があるほうが甘くなるって聞いたことがあるけど、それは人間にも当てはまるのだろうか。
ジッポの炎で照らした暗闇に、浮かび上がったカイジさんの表情は歪んでいた。
それを見た瞬間、ここへやってきたことを猛烈に後悔した。ああ、またか、と思った。
アパートの灯りは点かない。
停電しているのだ。
外は大雨で、さっきすぐ近くに雷が落ちた。外からアパートの窓を見ると、すべての部屋の灯りが消えていた。
灯りの点かない真っ暗な居間に、この男は座り込んでいた。
声をかけても返事がない。
暗くて表情がわからないから、とりあえず男の前に座り、ジッポで照らして顔を見た。
見なければ良かった。
とんだタイミングで訪ねてしまったものだ。
この男は泣いていたのだ。暗闇の中。ひとりで。
うんざりして、今すぐに引き返したくなったが、なにか一言くらいは声をかけるべきだろうと思い、
「あんた、また泣いてんのか」
と、言った。
うるせえ、と、カイジさんはオレを睨む。
カイジさんが泣いている理由は、もはや聞く気にもなれなかった。
出会ったばかりの頃は、あまりによく泣くものだから、その理由を尋ねたりしてみたけれど、およそ、オレには理解しがたいものばかりだった。
この人は甘い。自分自身に対してもそうだけど、その何倍も、他人に対して甘い。
オレからしてみれば、そんなことで、と言いたくなるようなことで、泣いてばかりいる。
涙の伝う頬にも、がむしゃらに顔を拭う手にも、カイジさんの体のそこかしこに、不細工な傷がある。
そして、果物のようにやわらかいその心には、体の何倍もたくさんの傷がついているのだと思う。
この人の泣き顔が、オレは疎ましかった。
見ると苛々して、落ち着かない気分になる。
カイジさんは泣き続ける。ちらちらと揺れる炎が、濡れた頬を嘗めるように照らし出す。
果物は傷があるほうが甘くなるらしい。
それは、人間にも当てはまるのだろうか。
カイジさんに出会ってから、オレはそんなことを考えるようになった。
傷があるから甘いのか。それとも、甘いからこそ傷つきやすいのか。
どちらが先かはわからない。けれど事実、いつも傷だらけのこの人は、とてつもなく甘い。
なんとなく、ジッポを持っていない左手をのばし、濡れた頬に触れる。
涙のあとを、下へ、下へとなぞっていくと、辿り着いた先にあった唇も、熱く湿っていた。
指先から、微かな動揺が伝わる。
カイジさんが口を開くより早く、オレは顔を近づけた。
唇や舌は、甘くなかった。
……どころか、塩辛かった。
大きく見開かれた目は、涙を流すことを忘れ、何度も何度も瞬きを繰り返していた。
「な、なな、なん、っ……!」
顔を離すと、カイジさんはひどく取り乱した様子で、そう呟いた。
おそらく『なんで、こんなことを?』と言いたいのだろう。
だが、『なんで』と聞かれても、オレにもよくわからなかった。
衝動的にキスしてしまったけれど、自分でも呆れるほど、その理由がわからない。
だから、ぽかんとしているカイジさんに向かって、
「甘いかどうか確かめてみようと、思って」
適当なことを言った。
「あ……甘……?」
カイジさんは益々混乱したらしく、眉を寄せて難しい顔をしている。
涙はもう、完全に乾いていた。
そのことに、少し安堵する。そして、ようやく気がついた。
オレはずっとこの人を、泣きやませたかったのだと。
終
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