荒神 キャラ崩壊注意


 日曜の昼、人通りの多い繁華街。

「ちょっと、そこのあなた。長髪のお兄さん……、そうっ、あなたですよ……!」

 足を止め、振り返った若い男に、背の低い小太りの中年男が近づいていく。
 紫色の着物に下駄、頭には宗匠頭巾。そして両の手首でじゃらじゃらと音をたてる、何連もの数珠。
 見るからに胡散臭そうな風体の親爺に話しかけられ、長髪の男は露骨に嫌そうな顔をしたが、親爺は構わず男の顔を食い入るようにじっと見つめる。

「私、占いを生業にしておりまして。気になった方にお声がけしておるんです。見たところ……、あなた、相当星の巡りが悪い」
 はあ、と気のない返事をする男の顔を、親爺はカッと見開いた目で舐め回すように凝視する。
 荒い鼻息がかかるほどの距離の近さに、後ずさりする男を逃すまいとするように、親爺はさらに男に迫った。
「不幸、不運、災禍。そういった悪しきものの臭いが、人相から滲み出とるんですよ。本当に、今までご無事で生きてこられたのが不思議なくらい……」
「すんません、急いでるんで……」
 面倒くさそうな顔でそう言って、男は足早に立ち去ろうとする。
 そうはいくかと、親爺は男の左手をぐっと掴んだ。
「あなた、このままじゃ神に見離されますよ……! ほら、手相も診てさしあげます……から……」
 男の手につけられていた軍手を勢いよく引き抜いた親爺の台詞が、急に尻すぼみになっていく。

 男の四指に残る、深い切断痕。
 ギョッと目を丸くする親爺に、男が口を開く。
「見離されるもなにも……」
 いきなり、男の手に触れていた手を強く掴まれ、親爺はビクッと顔を上げる。
「……もういるんで。悋気深くて、厄介な神さまが」
「おい、カイジ。知り合いか?」
 男の台詞に被せるように問う、低い声。
 突然現れ、自分の手を掴んできた白髪の男を見て、親爺は硬直した。

 白いピンストライプのスーツに虎柄のシャツ。白昼の繁華街で、占い師の親爺に負けず劣らず浮きまくっている、壮年の男。
 その白い顔は恐ろしいほどの無表情だが、鋭利な目には明らかに剣呑な光が宿っていて、さながら視線で刺し貫かれるような錯覚に、親爺の腕にぶわりと鳥肌がたつ。
 恐怖から反射的に手を振り解こうとするも、どういう力の入れ方をしているのか、男の手はびくともしない。
「あ……お連れの方ですか……失礼しました……」
 へどもどと頭を下げると、ようやく男は親爺の手を解放した。
「行こうぜ、赤木さん」
 いつの間にか奪い返していた軍手をつけ直しながら若い男が促すと、白髪の男は親爺の存在すら忘れたかのように、男の隣に立って歩き始める。
 ふたりの背中を見送りながら、親爺はヘナヘナとその場にへたり込んだ。


 道行く人々から注がれる迷惑そうな視線も構わず、親爺は冷や汗でびっしょりの額を手の甲で拭う。

 いきなり現れた、あの、白い男。
 あの男は危険だ。親爺の商売道具である、常人より優れた第六感が、そう告げていた。

 能面じみたポーカーフェイスだが、その瞳は獲物を捕捉した猛禽のようだった。
 敵、ですらない。一方的な蹂躙の対象を見下ろす、冷酷な眼差し。
 思い出しただけで、親爺の体に震えが走る。

 まるで人ならざるもののようだった。あれは絶対に、良くないものだ。
 不用意に己の所有物に触れる者を、絶対に許さない荒神。
 あの青年は確か、『悋気深くて厄介な神さま』と言っていたか。なるほど、言い得て妙である。

 そういえば、あの青年も指に物騒な傷痕があったし、なんかもう、ふたりともヤバすぎた。
 忘れよう。犬にでも噛まれたと思って……、などという容易いものではないのだが、とにかくあのふたりのことは、速やかに記憶から追い出そう。
 そして……、次からはもっとちゃんと、声をかける相手を吟味しよう。

 青い空を見上げながら、親爺はそう心に誓ったのだった。
 


 同時刻、同じように空を見上げながら歩いていたカイジは、肩を叩かれて隣を見る。
「待ち合わせの場所にいねえと思ったら……お前、ナンパはちゃんと断れよ」
「ナン……、そうっすね、すみません」
 あれをナンパと言い切った赤木に、どうツッコミを入れようか迷った挙句、面倒くさくなったカイジは訂正を放棄して素直に謝る。

 赤木と深い仲になって初めて、カイジはこの、神域と呼ばれる男の意外な一面をたくさん知ることとなった。
 珍しく待ち合わせに遅れたカイジを自ら探したり、怪しげな占い師に捕まってるのを真顔でナンパだと言い切ったり、その親爺を無言の圧で牽制したり。

 行きずりの関係ならそれなりに数を重ねてきたけれども、こんな風に誰かと恋愛するのは生まれて初めてだと、赤木は言っていた。
 このズレっぷりは、おそらく恋愛経験がないことが原因なのだろう。
 
 そう考えると、一連の赤木の行動はまるっきり、目覚めたばかりの初恋に空回る思春期男子のそれで、「神域の男」と呼ばれ畏怖されている裏社会での赤木と比べると、温度差で風邪をひきそうだとカイジは思うのである。

 さっきの出来事などもうすっかり忘れてしまったかのように、赤木は普段どおりの鷹揚な様子で歩いている。
 見惚れるほどシャープなその横顔を見ながら、カイジはさっきの赤木の様子を思い出す。
 ……怒ってたよな、赤木さん。
 占い師の親爺を見据えていた、凄みのある双眸。
 カイジはゾクリと背を粟立たせる。

 あんな胡散臭い親爺に手を握られただけで、滅多に見せない怒りを露わにする。
 思ったよりも人間くさくて、かなりズレてて、悋気深くて厄介な、オレだけの神さま。

「……そういやお前、さっき俺のこと、厄介だとかなんとか言ってなかったか?」
「あー、腹減った。昼メシ、なんにしましょうか」

 心を読み取ったかのような問いにしらばっくれると、すぐさま軽く頭を小突かれ、カイジは声をあげて笑うのだった。








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