鼓動 初夜話 やってない キャラ崩壊注意


 オレには一生縁がないと思っていた場所に、連れてきてもらった。

 広いフロントで受付してるとき、周りにいたのは大きな荷物を提げた観光客や有能そうなビジネスマンばかりで、ほとんど身一つで来てる人間なんて、オレたちの他にいなかった。
 白いスーツ姿の赤木さんはまだしも、着古したTシャツにジーンズ、薄汚れたスニーカーのオレはひどく場違いな気がして、オレはこそこそ隠れるようにして、赤木さんの後をついていった。

 エレベーターを降りると、着物を着た綺麗な女性が、にこやかに会釈してきた。
 どぎまぎしてるオレに赤木さんは笑い、この階から上にはアテンダントが常駐してるんだって教えてくれた。
 この女の人の目には、いったいオレたちがどう映ってるんだろうって、考えても仕方のないことを考えて、どっと冷や汗が出た。
 

 部屋に着くなり、シャワーを浴びさせてください、って言って、逃げるようにバスルームへ駆け込んだ。
 清潔なバスルームは信じられないくらい広くて、小さなボトルに入ったアメニティのボディソープからは信じられないくらい良い香りがした。

 けれど普段の生活では味わえないそれらを、愉しむ余裕もなく。
 オレはずっとうわの空で、バスルームを出たあとのことばかり、ぐるぐる考えていた。

 この間、赤木さんと恋人同士になって。
 今夜は初めて、赤木さんとひとつのベッドで夜を明かす。

 出会ったときからずっと憧れの人で、遠い存在で、恋なんかしちゃいけない、報われるはずがないってずっと思ってた。
 だから、赤木さんがオレのこと好きだって言ってくれたときは、本当に天にも昇る心地だった。
 本当にオレでいいんですか、って訊くと、「お前がいいんだよ」って言ってくれて、その時はちょっと泣きそうになったんだけど、今はべつの意味で、涙が出そうだ。

 心臓がバクバクうるさい。破裂しちまわないのが不思議なくらいだ。
 汚いところがないように、念入りに洗っておかなきゃって自分に言い訳して、かれこれもう三十分ほど、バスルームから出るのを遅らせている。
 もう指がふやけるくらい、髪も体も隅々まで洗ったのに、あたたかいシャワーに打たれながら、ひとりでもだもだしている。

 幻滅……されねぇかな……
 見下ろす体は、どこからどう見ても紛うことなき男のもので、赤木さんだってそんなことわかりきってると思うけど、果たしてこれで興奮してくれるのか、不安要素しかない。
 しかもあちこち傷だらけで焼印まであるし、腹にはうっすら脂肪もついてるし……
 せめて筋トレでもしときゃ良かった……今さらそんなこと思ってもあとの祭りで、鏡を見ながら腹をつまんでみたり揉んでみたり、意味のないことを散々やったあげく、赤木さんをこれ以上待たせるわけにはいかないと、ようやく覚悟を決めてバスルームを出たのだった。


 ふかふかのバスローブに身を包んで、ぎこちない足取りで部屋に戻る。
 窓際のソファに座っていた赤木さんがオレの方を見たけど、オレはいたたまれなくて、赤木さんの顔が見れない。
 その場で固まって動けずにいると、赤木さんがゆっくりと立ち上がる気配がした。
 近づいてくる足音。思わず息を潜めていると、やさしく、でも力強く腕を引かれて、ベッドに座らされた。

「どうした? のぼせちまったか」
 隣に腰かけた赤木さんに尋ねられ、オレはやっとの思いで首を横に振る。
 もう泣きそうだ。こんな上等な部屋で、赤木さんとふたりきり。もう逃げられないって思う、逃げたいわけじゃないのに。
 オレはこれからどうすればいいんだろう。体が自分のものじゃないみたいに動かなくて、頭も、うまく回らない。
 
 すぐ目の前に赤木さんがいる。オレと同じ銘柄を愛喫してるはずなのに、赤木さんからはなんだか、いい匂いがする。
 その匂いでさらにダメになっちまうオレとは違って、赤木さんはあくまで普段どおり、冷静そのものだから、ますます情けなくなってくる。
「緊張、しちまって……、その……さすが、赤木さんは、余裕っすね……」
 素直な気持ちを吐露する声すら上擦ってしまう。
 ひたすら項垂れて唇を噛んでいると、赤木さんが口を開いた。

「余裕なもんかよ」

 いつもより低い声。心臓をヒヤリとした手で鷲掴みされたような気持ちになる。
 不興を買った? 怒らせた?
 恐慌に陥りそうになるオレの左手を、赤木さんが強く掴んで引き寄せた。

 顔を上げると、赤木さんはいつもの笑顔、ではなく。
 見たことのない、真摯な眼差しでオレを見つめていた。

「俺がどんな思いで、お前に心の内を打ち明けて」

 掴まれたままの左手を、虎柄のシャツの上から赤木さんの胸に押し当てられる。

「どんな思いで、この部屋を取ったと思ってる」

 ドクドクと、左手を通して伝わってくる赤木さんの鼓動は、オレに負けず劣らず早鐘を打っていた。
 頭の中はもう混乱でいっぱいで、反射的に逃げようとしたオレの手は、より強く赤木さんの胸に押しつけられる。
「駄目だ。もっと、……触って」
 肌の奥、肋骨の中、そこで拍動する臓器を触らせようとするように、強く。

 シャツ越しに、赤木さんの体温が伝わってくる。
 オレが身じろぐと、赤木さんは短く吐息を溢して、目を閉じた。

 思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
 その表情が、まるで、感じてるみたいで。
 いけないものを見てしまったかのような、背徳感と興奮で、背筋がビリビリする。

 そんなわけ。赤木さんが、神域と呼ばれる人が、オレみたいに、普通の男みたいに、どきどきして、余裕がないだなんて。
 どうしても信じられなくて、どうすればいいのかわからなくて、オレはつい、すっとぼけてしまった。
「あ、赤木さんって、し、心拍まで自在に操れるんですか……?」
 瞬間、空気が凍りつくのがわかった。
 あぁ、オレのアホ……
 ぐにゃぐにゃになりそうなオレを、うっすら目を開いた赤木さんが、半眼で睨みつけてくる。
「もうその口塞いじまうぞ。いいな」
 鼻白んだような呆れたような、どこか拗ねたようなその表情がなんだか可愛く見えて、あ、待って、その顔もっと見せてください、ってお願いする暇もなく、赤木さんの顔が近づいてきて、オレは口を塞がれてしまったのだった。





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