ほしいもの・3
透明なドアが閉まった瞬間、カイジは踵を返して店内を歩き始める。
『いいか、カイジさん。このコンビニの中に、ひとつだけ、オレの欲しいものがある』
(アカギの、欲しいもの……)
アカギの台詞を思い出しながら、カイジは獣のような素早さで店内を見渡す。
(タバコ……は、さっき買ってたよな。となると……酒……?)
心中でブツブツと呟きながら、カイジは手始めにいちばん可能性の高そうな、酒のコーナーへと足を向けた。
ビールのショーケースはさっき散々覗いたが、このコンビニには酒を置いてあるコーナーがもう一箇所ある。
調味料や小麦粉など、滅多に動くことのない雑多なものが並んでいる列の端、パックの焼酎やワンカップ酒が並んでいる一角だ。
焦る気持ちを押さえつつ、カイジは棚に並んださまざまな種類の酒を、じっくりと目で追っていく。
が、どれもこれも、競馬場にいるオッサンが真っ昼間から引っ掛けているような、安かろう悪かろうといった酒ばっかりで、この中にアカギが飲みたがるものがあるとは、とても思えなかった。
もしや、アカギが欲しがっているものはここにはないのでは、とカイジは怪しんだが、念のためもう一度、棚の端からひとつひとつ、商品を確認していく。
(えっと……この中で、いちばん高いやつは……)
値札を指でなぞりながら考えている最中、カイジはふと重大な事実に思い当たり、思わずあっと声を上げそうになった。
(金が、ねえっ……!!)
カイジの全財産は、たったの250円。
焼酎の一本も、買えやしないのだ。
慌ててカイジは雑誌売り場に駆け寄ると、窓の外を覗く。
闇に目を凝らし、店の前に設置されている灰皿の前でタバコを吸っているアカギの姿を見つけると、隣で立ち読みしている客や店員の目を気にしつつ、軽く手を振ったりガラス窓を叩くジェスチャーをしたりして、なんとかアカギに気づいてもらおうする。
やがて、カイジの腐心が通じたのか、アカギがふっと目線を上げ、店の中を見た。
アカギと目が合うと、カイジはほぼすっからかんの財布を大きく開いてアカギの方へ向け、
『か・ね・が・な・い』
口パクで、必死にそう訴える。
そんなカイジの姿を、アカギは数秒のあいだ見つめたあと、ニヤリと片頬をつり上げた。
悪漢じみたその表情を見た瞬間、カイジの全身からサーッと血の気が引いていく。
ーーやられた。
なぜ、今まで気がつかなかったんだ……
ここへきてようやく思い至ったアカギの策略に、カイジは愕然とする。
アカギはカイジが素寒貧だと知っていて、この勝負をけしかけてきたのだ。
カイジがいくら、アカギの欲しいものにあたりをつけられたとしても、それを購入することができなければ、当然、店の外に持ち出すことなどできるはずもない。
つまりこのゲーム、文無し同然であるカイジの負けが、端から決まっていたようなもの。
(ーーっくしょ……ッ!! 卑怯な真似を……っ!!)
透明な壁一枚隔てた向こうで、すました顔して立っている悪魔のような男を、額に青筋立てながら、カイジはギリギリと睨みつける。
しかしよくよく考えてみると、これはゲームがスタートする前にそこまで気が回らなかった、自分自身の落ち度でもある。
カイジは強く唇を噛んだ。
悔しさに地団駄踏みたい気持ちになりながらも、カイジは自らの度し難い失態を認め、重い足取りで出口へと向かう。
終わった……これで生活費全額アカギ持ちの夢は潰えた上、家に帰ったら羞恥プレイ……。
背中を、つう、と冷や汗が伝う。
いったいどんなことさせられるんだよと、目の前が真っ暗になりかけたカイジだったが、自動ドアの前に立つ直前、ぴたりとその足を止めた。
唐突に、ふっと心をよぎった、ある違和感。
本当に、自分の考えは正しいのだろうか?
というのも、この策略、うまくは言えないが、なんというか……アカギらしからぬ嵌め方だと思ったのである。
こんな矮小な騙し討ちみたいなやり方、果たしてアカギが考えるだろうか?
小骨が引っかかったような違和感は、考えれば考えるほど大きくなっていく。
思わず窓の外へと目線を投げれば、すぐさまアカギと視線がかち合う。
どうやら、カイジのことをずっと目で追っていたらしいアカギは、目が合うと鋭い目を弓なりに細め、白い煙を吐き出した。
まるでカイジを試すような、含み笑い。
その表情を見て、カイジの疑念は確信に変わる。
自分が金欠なのを知っていて、アカギがゲームを仕掛けたのは確か。ただ、それは決して、自分を嵌めようと目論んでのことではない。
冷静になって考えてみると、アカギは直接カイジの財布を覗く機会などなかったわけだから、カイジの持ち金の残額など、到底知り得ないはず。
とすると、先のような騙し討ちは、成立しないことになる。
カイジは『たまたま』ビールも買えない額しか持っていなかっただけで、とりあえず千円あれば、この店の商品は、ほぼなんだって買うことができるのだから。
こんな不確定要素の多い賭けは、もはや『策略』なんて呼べない。アカギが自ら持ち出したゲームで、そんなつまらないこと、するはずがないのだ。
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