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アサヒ



『我々は──このような恋愛と44街のあり方に、疑問を持っている!』
 遠くから聞こえる拡声器が、他人を好きになることの不自由さを訴える。
他人を好きになることは、まだまだなにもわかっていない未知の分野だ。スキダが生まれる状況、スキダが暴走する状況。
『幸せになることは、必ずしも、恋愛でなくてはならないのか!』
『ではその、幸せとは何だ? あのクリスタルの物質が見せる幻覚のことか?』
『幻覚が見えないものに、その幻の中身をいくら語ったところで、自己満足に過ぎない! 恋愛を盲信するやつらにとって、
我々が不穏分子であるように!』

アサヒ
 あの声はカグヤたちのもので、またスキダを集めてるんだろう。むしろ私たちが降りたぶん、自由にやりやすくなったかもしれない。
(戦う、しか道は無いのか……)
彼女らは仲間思いだ。恋愛以外の、誰かを想う感覚は持ち合わせている。しかしそれによりスキダが生まれるわけではない。

 雨はいつの間にか小降りになっていた。
 ──走って、走って、店内に飛び込む。
服が濡れて少し寒い。
店内はガラガラで、そろそろ閉店しそうな空気を漂わせる。女の子が泣きそうな目で私を見上げていて、アサヒが床に倒れていた。

「よかった……そろそろ、しめるじかんだからって……」

 カウンターの奥で、店員が苦笑いしている。ひいっ!
「ご、ごめんなさい今出ます!」
慌ててアサヒを担いで、女の子とともに店から出た。暮れてきた外。帰宅ラッシュであちこちから車が流れていく。

(私たち、何処へいけば良いんだろう。
家……かな)
急に、現実に引き戻されたような気分だった。
 しかし都合が良いことばかりではないくらいわかっている。
 もちろんあのままカグヤの家に居るわけにもいかない。恋愛総合化学会員じゃないからってだけではない。観察されにくいとしても、会員の家なんてハクナや、せつと距離が近すぎる。スパイがあの手この手で近付いてきたら何があるかもわからないのだ。
──ただ、なんにしろ椅子さんは迎えにいかないと。

「待たせて、ごめんなさい」

「あのね、お姉ちゃんが、戦っていたときは、アサヒが、わたしを背負ってくれたんだよ」

横から駆け寄ってきた女の子が、しみじみと話す。まるで元気付けてくれているみたいだ。そんなに、悲しい顔をしているだろうか?
彼女は、私が店から出た理由は問わなかった。



「そっか……良かった」

「うん」

「──前から思ってたけど、年頃の女の子なんだから、遠慮せずに悲しいときに悲しんだりしても良いのよ?」

「わからないよ、そんなの」
女の子はどこか達観していた。
遠くを眺めるような、大人びた眼差しを持っている。
「そう。それなら、いいの」

「お姉ちゃん──」

「何?」

「お姉ちゃん、泣かないで」


服が、濡れて、寒い。
 日が暮れていく。このまま真っ暗になったら、今度は夜が明けていく。
通行人が、騒ぎながらクリスタルの話をしていた。夜中にこっそりスキダが打ちあがるのを見ただとか、クラスの子のスキダが告白で弾けて消えたとか。

 カグヤたちの演説が反芻される。
幻覚が見えないものに、その幻の中身をいくら語ったところで、自己満足に過ぎない。恋愛を盲信するやつらにとって、我々が不穏分子であるように。
目元を擦りながら私はゆっくりと話す。

「──代理の私を、見たの」

「代理?」

「いつも、あの人って呼んでいたけど、私の代わりに、歩いて、話して、私になろうとしていた、さっき会った本人から聞いたの」

「それって──せつ?」

「どうして、その名前を」

「パパが、言ってた、迫害がわからないようにみんなに見せている幻が、『せつ』だって」

「うん……その通りだった。せつは、あの宗教がみんなに見せている幻なんだと思う。せつに話し掛けていれば私と話さなくていい制度があるのだとしたら、きっとそれは隣国の企みによるもの」

「企み?」

「悪魔の仲間、を殺していた。うちが悪魔だって広めたのもあの人たちだった」
 
 誰と知り合っても、最後に怪物と戦うことになるのなら──あんな思いをし続けるなら、別に悪魔でもなんでも憎まれても嫌われても良かった。目の前から誰も居なくなれば、私が手をかける必要もない。

「せつたちは最初から、私だけじゃなく国を乗っ取る気でいた」

 悪魔と呼ばれるだけでしか無かった私という概念そのものすら、変えてしまう気だということ。それは嫌われても好かれても関係がなく、居ても居なくても関係がないということだ。
「嫌われるのに絶好の環境だって思ってたのに……」
 既に、私が嫌われていれば済む話じゃない。
「嫌われる必要があるの?」

 担いできたアサヒの重みを感じる。胸が痛い。雨も降っていたし背中が中途半端に温い。

「今は──わからない。44街が、ずっと隠してきた真実が、結局、誰のためのものなのか。学会内でも意見が変わってしまっているみたいだし」
「──ん……」

背中に居たアサヒが、身動ぎした。
「アサヒ? 大丈夫?」

「ほら……今日は……タルタルつき……だぞ……ふふ……」

 優しい声、誰かに向けられた声。
マカロニさんだろうか? 夢をみているらしい。
「タルタルが食べたいのかな」
女の子が言う。なんだか、ぞわぞわする。

「どう、なんだろうね」

 アサヒは、他人を当たり前に好きになれる人。
私とは違うということを改めてまざまざと思い知る。
──彼と、私の絶対的な違いだ。

「そっか。他人を好きになる才能があるんだった……」

 私は、椅子さんのことが好きだ。
人間が好きになれなくても、幸せなのに。
悪魔って呼ばれるなら、悪魔でもいい。
他人を遠ざけていられる理由があるなら。
他人に嫌われてでも、私は幸せなのに。

──他人を好きになれる才能があるのに、当たり前に横に並ぶみたいに話し掛けてくるなんて腹が立つ。

違う、私の幸せを、踏みにじるな。
人間と人間を、見せつけるな。
そう、思った。
そうとしか、思わない。
 人生すべてをかけて、私は、孤独を守ってきた。44街を。
それで良かったんだと思う。
──なんだ、だったら、私が迷うなんて、らしくない。
私が、人間みたいに他人のことを考えるなんて私らしくない。

「──私──もし、これからアサヒがどうかなったって殺すよ。知らないから! 
 悪魔でいいじゃない!
嫌われることのなにが悪いの!
あなたになにがわかる!
私でもないのになんで私が叩かれたくらいで騒ぐの? 私のなんなの!
そのたびに私がたいした痛みを感じないのがバカみたいに!
嫌われて救われる人だっている!
嫌われてうれしい人だっている!みんながみんな、守られたいわけじゃない!
私……っ」


「椅子さんが、好きなんだろ?」

 背中の重みが、ふっ軽くなる。
後ろを向くと、アサヒが立っていた。
はれやかな顔をしていた。

「──お前が、物を好きなことは、疑ってないよ」

「……アサヒ、起きたんだ」

「悪かった」

「──もっと、ギスギスさせようよ。
空気を悪くしても構わない、だって、他人を好きになる才能を見せつけられるほうが、辛つらい」

「まぁ、あれだけの力を、一人で纏めてるなら無理もないか……
気を失っていたけど、なんとなくわかったよ。人間に近付かれる度に、ああやって変異速度を速めてしまうんだな」

「──私と話すと、心を侵食される。
私はそっち側なの。私が干渉を受けたスキダが、侵食される。
 アサヒは観察屋だし、別にどうでもいいって思ってた」

「そうか……ずっと、孤独だったんだな。怪物に変わるせいで、なにも好きな相手を、作れずに。
それなのに偉そうなことを言っちゃって」

「────」

「俺には確かに、他人を好きになる才能があった──それすら、忘れていた」

 何か言おうと、拳を握り締める。
でも、何を言えば良いかよくわからない。孤独は悪いことではないのだから。

「嬉しそうだね」

「……しばらく、夢を見てたから。懐かしい夢だった」

「──マカロニさん?」

「いいや、違う。ただ、昔、学生の頃の同居人……なぁ、これから、椅子さんに会ったあと家に帰るんだよな」

「うん」

「──そうか」
─────────────────
投稿日2021/2/16 22:38 文字数2,713文

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あきゅろす。
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