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< 悪魔の花嫁 >
―――――日比野晶の家にはそれはもう大きな犬がいる。
尻尾を千切れんばかりに振りながらずっと背後霊のように晶に付きまとう大型犬だ。
「―――――晶さん」
一言目も二言目も口を開けば晶の名を呼ぶその犬は犬どころか人間でもない悪魔様だった。
無論、イメージ通り外見はカッコよいが、中身となると話は別である。
「―――――晶さん」
もし聞かれたなら晶は断固として言うだろう。
―――――動物虐待はしていない。
しょんぼり『慰めて』と語る気落ちしたその様子は部屋の隅に出来た黒い粗大ゴミのように哀れではあるけれど、今日一日を思いだしてもムチを振った覚えは皆無なのである。
ちょっと一人で買い物に出る前はご機嫌だった犬が帰って来てみれば突然の粗大ごみと化していたのだ。
―――――晶が小さくため息をつけば、待っていましたとばかりにうるうるとした瞳が振り返る。
その愛くるしさは綺麗でカッコ良い容姿から想像できないハンマー級のギャップを生みだす恐ろしい代物なのだ。
「―――――――で、何だ?」
両手を握った黒装束の男が必死で縋る様子はどうも違和感があるため、晶はこっそり脳内で大型犬に置き換えてみたのだけれど、その大型犬の発言に晶の脳にはその余裕すらなくなってしまうのだ。
「――――――俺にはダメっていったのに」
―――――『悪魔語』というものがもしあったとしたらきっと晶は悪魔の同居人と会話することに苦労しただろう。
しかし、実際にはその存在を聞いたことは一度としてないから、意味のわからない今の言葉はおそらく日本語で話されているに違いないのである。
しばし、こめかみを押さえて考え込んでいた晶は首元をおそるおそる悪魔が指さしていることに気づいてようやく事の次第を理解できた。
「――――――ああ、帰る途中に急患の女性がいたんだ。救急車で搬送したんだが・・・・おいッ!!?!」
―――――事情を話しはじめた晶だったが次の瞬間、ぎょっとして固まるしかなかった。
なぜなら、シャツに残る口紅をじーっと見つめてボタボタボタっと涙を溢れさせる悪魔はきっと晶の言葉など聞いてなどいないからである。
「・・・俺にはダメっていったのに。二週間もお預けなのに。毎晩我慢してるのに」
―――――背の高い体を小さく丸めてそれはもう哀しげにしくしく泣く悪魔様を一体どうしたらいいのか教えて欲しい。
だから、もう一度ぐりぐりとこめかみを揉んだ晶は大きくため息を吐いて、そのやわらかい髪に手を伸ばすとぽんぽんと悪魔の頭を叩くのである。
――――日頃の鬼嫁の言動から考えればあまりに破格な優しい扱いであるのだが、伊達に悪魔の花婿も"馬鹿"をやってきたわけではないようである。
優しい花嫁の手にはっと顔をあげるわんこの瞳はキラキラと輝くとズイズイっと俺様花嫁に近づいていく。
「―――――晶さん、ここはやっぱりチューです。舌入れてチュ―・・・・イダッ!!」
―――――そして、無言で愛の鉄拳を食らうのである。
残念ながら日比野晶の悪魔な花婿は頭の中も残念なのだ。
End.
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