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< 波音が聞こえるよ 8 >
ス―――――ス―――――。
一見して古い機種とは言え、それなりに冷えた室内を提供するエアコンの音に混じって小さな寝息が10畳ほどの部屋に響いていた。
子供のように額に汗を滲ませながら、畳の上で腹を出して胸を上下させる友人に呆れた視線を向けた喬はめくれたシャツを直すが、どうせ数分後には眠る本人が再びめくってしまうだろう。
――――――――タンッ。
襖を開ける小さな音にゆっくりと出入り口を振り向けば携帯を片手にモデルのような男が立っていた。
同じTシャツに短パンでも、喬の友人と視線の先にいる男に受ける印象は大きく違う。
少年らしい腕白さと男らしい逞しさの違いは、眠りについた友人がいくら努力しようとも永遠にその差が縮むことはないのだ。
――――昔ながらの和室の出入り口の低さに首を竦めるように頭を下げる男のつらさは喬もよく理解しているそれだった。
「―――――杏里さんたちも今島に来てるって話だ」
―――――男の言葉に杏里俊弥(あんりとしや)という名が浮かぶ。
顎鬚にベリーショートの金髪をした明らかにリーマンとは違うその男は行きつけのサーフショップのスタッフだった。
30代とはいえ40代とでも見紛うほどのニヒルさを持ちながらも、どこか軽い印象を受けるのは冴え渡るその営業トークとフットワーク軽さのせいだ。
その軽快さと抜け目無さにあっさりと抵抗もせずに負けを期したのが、今喬の目の前で眠る友人だった。
――――1年半年前、色白の友人が今まで一度として興味すら見せなかった波遊びを突然始めたいと騒ぎ出したのは、目の前の新たな友人が切欠を与えたからだけではない。
好きなことを仕事にして生きる自由な大人の男の背に憧れを抱いた友人が自分に似た明るさを持つ男に理想像を追い求めるように海を目指したからだ。
特にシングルマザーで育った美置幸一は昔から面倒見の良い年上の男に弱いのを喬はよく知っていた。
―――――この旅行の行き先自体、杏里という男の勧めを聞いた幸一が目を輝かせて語ったものに相違ないのだ。
「・・・・明日から合流しないかってな。どうする?」
気心の知れた仲間が後を追うようにして現れたのだ。
目の前の男も嬉しくないはずはないだろう。
しかし、その予想に反して曇る表情に喬の頭は深読みするように走り出していた。
――――もし男が喬の綺麗な友人にそういった意味の心を寄せているのならば、この話は嬉しくはない。
それとも、この機に喬を仲間に押し付け二人きりの状態を狙うのか。
だが、それならば3人旅行が決まったその時に始めからショップの仲間を誘うだけで済んだはずだ。
であれば、男の曇ったその表情は仲間を歓迎していないか、あるいはショップスタッフに馴染まない喬を気遣っているかのいずれかなのだろう。
「・・・・コイツ、起きたら決めるんでいんじゃねーの?」
不機嫌のつもりはなかったが、喬の口から出たそれは明らかにそっけなかった。
もし、幸一以上にスタッフと慣れない喬に気遣っての問いかけだったなら、男の気遣いは叩きのめされた形になったに違いない。
だが、勧めておいて『追いかけて来た』という印象の強いショップの男たちに良い印象を抱けず、かといって勝手に話を蹴って後々拗ねて強行を辞さない友人の意志を蚊帳の外にも置けるわけでもない。
――――そのジレンマが、腐った自分の性感覚にあることが喬を憂鬱にさせていたのだ。
目の前の男の態度1つに変人のように頭を巡らす自分の異常さを嫌悪するのは「そうだな」と苦笑する男に少なからず好感を抱き始めている証拠だった。
だが、それを理解していて尚、謝罪を口にする気にはなれない。
「・・・・行けば?もうどこも出かけねぇし」
口から零れた突き放すような呟きに男が目を見張るのを喬の抜け目ないその目が見逃すことはなかった。
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