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< 波音が聞こえるよ 9 >










――――ラグビーといういかにも体育会系の男が酒を飲めないはずはないし弱いにしても断る理由はない。


実際、酒の酔いと体を動かした疲労感にあっさりと眠りに付いた友人がその証拠だ。





島でのビール購入は値が張るからと当たり前のようにケース毎車に積んで来た男が、酒を好まないはずはない。


もしもの運転のために控えていたか、様子を見てもう一度海に出ようとでも考えていたのだろう。


今までの友人への配慮を考えれば、どちらかと言えば前者なのか。


意外に気遣い上手な男だが、呑気な友人を前にすればその気遣いも水の泡だ。



それが少し不憫に思うのはここに来て、罪悪感にとうとう耐え切れなくなったからか。








―――――綺麗な友人を持って、随分長い間必死で友人の関心を得ようとする男たちを目にしてきた。



いずれも甘やかされて育った一人っ子の友人の鈍さを前に成功することは少なく、辛うじて身を結ぼうとした際には喬が強行手段で打ち据えたこともある。







―――――いつかは友人も大人になり、望む相手を自分で選ぶ。



こんな行き過ぎた過保護な関係は終わりにしなければとそう考えはするが、喬自身頃合というものがわからなくなっているのもまた事実だった。










「―――――まだ日沈むまで時間、あんだろ?」





自然、ため息をひとつ落として茜色に染まっていない窓を指し示せば、男は再び困ったような笑いを見せる。


幸一や喬とは体の鍛え方が違う男はまだ体力が有り余っているだろうし、かける情熱から言って出来れば一日中でもサーフィンをしたいというのが本音だろう。









―――――来る波は一度きり。







特に台風の前後の波はサーファーたちに喜ばれると聞く。


数日後に台風上陸の恐れがあるという旅行決行前のニュースで、喜び勇んで会話をする幸一と男の姿を笠野喬は確かに覚えていた。





それに初心者の二人がいては明らかに足手纏いで、男が思う存分、サーフィンに興じるのは難しかったはずだ。


海に慣れない二人の安全を確保しながら波に乗る男の大人な気遣いがわからない訳ではない。










「―――――笠野」







困惑と取ればいいのか、躊躇と取ればいいのか、瞳を揺らす男の口から珍しく喬の名が零れる。


もし喬が逆の立場ならさっさと二人を置いて海に向かうだろうが、そうせずに相手の心に気を配ろうとするのは、その心に宿る幸一への思いからか、それともただ細やかな優しさを持つ本来の性格からか。








「・・・・・3人で遊ぶにゃ、まだだいぶ日残てっからいんじゃねーの?」






結局、その二択を追求する意志のない喬は動かない男の背を押すように言葉を続け、会話終了とばかりに背を向けるとガラス窓を静に開けていた。






――――今、むしょうに煙草を吸いたいと思うのは体にかすかに残るアルコールと慣れない配慮に言葉を選んだせいだった。











「―――――帰り、アイスな。コイツ、ガリガリ君マニアだから」






箱から煙草を取り出して口に銜えながら、ぼんやり海の方に視線を巡らせる。






――――慣れているからとは言え、一人で海に入るのはもしもの時を考えて本来推奨されるべきではない。


だが、ショップのサーファーたちが今日入りしているなら、サーフィン好きの男たちのことだ、今頃も海にいるに違いなかった。


背後にいる男も初心者の二人よりは気心もスキルも同レベル、またはそれ以上の大人の男たちと波に乗る方が楽しいだろう。


考えるまでもなく喬以上に海に詳しい男は一人の危険を知っているのだから、後は仲間に連絡を入れるなり何なり男の好きにするだろう。


それでも素人なりの心配に一瞬気を巡らせた自分に喬は思わず嘲笑を浮かべていた。








―――――らしくない。





喬自身そう思うのだから、遠慮知らずの笠野喬を知っている友人たちが知れば物笑いの種だ。










「―――――オマエは?」







背中を追って来た低い声に、だらりと火の着かない煙草を銜えたまま喬はすっと目を細める。


男から齎される細やかな優しさが喬から『らしさ』を奪う気がしてならないが、それを男にぶつけるのはただの子供の癇癪だった。








「・・・・ま、適当で」





手元のマッチをすると茜色の炎が夏の風に揺れて瞬く。


だが、実際熱気の篭るその夏の風に揺れているのは炎だけではないと笠野喬は知っている。










「――――寝てても起こせな」






らしからぬ言葉を続けるのは保身のためと心に言い聞かせたところで到底嘘が通じるものでもなかった。


しかし、念のため、帰ってきたことは確認するまでは安心はできないのもまた事実だ。


知り合いだろうが、友人だろうが、万が一、認識違いや行き違いで一人遭難しても気づかないという落ちは避けたいのが一般的な正常思考だった。










――――――海には魔物が棲んでいる。







仲間内のダイブ好きが、毎年、数人が海の犠牲になると哀しそうな顔をしていたのを思い出す。


ウォータースポーツはそれなりの節度と知識、経験と覚悟が必要なのだと口をすっぱくして語るのを喬はよく酒の席で聞いていたのだ。









「――――じゃ、行くわ」







カタッ。








――――しばしの後、男の一言が耳に届けば襖を閉める音が部屋に響いていた。








小さな寝息以外に人の気配がないその部屋で喬は不意に瞳を閉じる。


真っ暗な視界に言葉を綴ったのは今更揺れる心を繋ぎ止めるためのそれだ。











「―――――そろそろ腹括らなきゃなんねぇな」




ぽつりと呟かれた言葉は誰に聞きとめられることもなく煩わしい蝉の声にかき消された。


やがて、かすかな車のエンジン音が耳に届いて、その瞼はゆっくりと持ち上がる。










―――――煙草に着火しなかった手の先のマッチ棒にはすでに炎はない。










「・・・・アイツがオマエ欲しいって言ったらどうすっか?なぁ、幸一」





呟いた喬は眠る友人を振り返ることはなく、ただ民宿の駐車場から消える黒い四駆に視線を這わす。









――――――海には魔物が棲んでいる。







ただ人伝に聞いた言葉がいつまでも笠野喬の耳にリフレインしていた。







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