帝王院高等学校
落陽の向こうに残る黄昏の末路
賑やかしい足音が近づいてくると、祭美月は廊下南端の給湯室で淹れた湯飲みをトレーに乗せ、顔を外へと覗かせた。
区画を分ける最低限の柱と、廊下に張り巡らせられた窓、床と天井以外の大多数がなくなっている校舎最上階には今、エレベーターの隣にある急騰室と、大型のゴミやリネンを運ぶ為の小型昇降機のシャッターがあるばかり。

パネルの表示が消えているエレベーターは式典の間は稼働しておらず、そもそも校舎最上階へは中央委員会役員でもない限り、エレベーターや非常階段のセキュリティゲートを通過する事は出来ない。
先程、学園長である帝王院駿河が校舎のセキュリティを一時的に解除した為、セキュリティゲートは降りていた。エレベーターは駿河が最上階に到着するなり電源自体を落とした為、最早誰であろうと使う事は出来ない筈だ。

「逃げんのかコラ!テメェら何処中だ、あァん?!」
「「帝王院中学です」」
「そーかそーか!俺ァ、区立8番街中学だコラ。私立中学出てっと、人を騙してもイイのか?あ?いたいけな乙女の心を弄んでイイっつーのか、ゴルァ!」

凄まじい叫び声と共に、非常階段昇降口から男が二人、転がってきた。美月がそっと目を逸らしたのは、その内の一人が同級生だったからだ。とは言え、会話をした事もない同級生など顔見知り程度、他人と何ら変わらない。

「随分騒がしいが、今度は何だ」
「お二人がお戻りになられた様です。社長、煎茶しかご用意が出来ず申し訳ありませんが、お飲みになられますか?」
「ふん、我と連絡がつかず、少しは蒼龍めも大人しくしておるか」

一人は派手なオレンジの作業服を纏っており、よもや蹴られたのか、尻を押さえてゴロゴロと転がっている。もう一人の男は吹き飛んだ姿で上体を起こし、微かな足音と共に姿を現したオフホワイトのブレザーを見上げた。

「みぃかぁどぉい〜ん、ひぃでぇたァかァア」
「シ、シシシ、シエ…さん」
「お前はァ、俺をォ、騙してやがった訳だァア…」

嵯峨崎嶺一は意味もなく身構え、妻を背後に庇う。
白のワンピースを乱れさせた極妻は般若の形相で睨み付けていたす巻きの人質二人から目を離すと、ヘーゼルブルーの瞳を見開き、花が綻ぶ様な笑顔だ。

「へェエエエ?お育ちのイイお坊っちゃんはァ、可愛い奥さんを騙してもォオ、イイんですかァア?」
「おめぇの何処が可愛いんだトシ…ってぇのは、冗談でぇ」
「「脇坂、ちょっと楽屋裏に来い」」
「ちょ、皇子まで?!俺はアンタを庇ったんですけど?!」
「は。何がオージだっつーの、シューちゃんは私の飼い夫ざますょ?」
「飼い夫っておめぇ、ンな飼い猫みてぇに言うんじゃねぇよ…。その人がどんな人か全く判っちゃいねぇ、良いかトシ。皇子は美的センスがちょっとなさすぎただけで、幾ら男が年上の女に憧れてしまうと言っても、そろそろ女らしくしねぇと捨てられるぞ」
「ヤクザが何か言ってるわん。パパ、ママを捨てちゃうざます?」
「んーん、パパはママを素早く拾っちゃうぞ。断捨離が出来ない男だからな」
「もう駄目だこの夫婦」

ヤクザもお手上げの夫婦は、派手な痴話喧嘩から一転、人目も憚らずいちゃいちゃいちゃいちゃしている。
一部始終を遠くから見ていた大河白燕と嵯峨崎嶺一のしょっぱい顔など、全くのノーダメージだ。

「あ、チョコレートきゅん。うちのパパを紹介するわねィ、これうちのパパ。35歳、オス」
「わん」
「いや、知ってるっつーか、チョコレートじゃなくて零人っス。もう本当マジで勘弁して下さい俊江姉さん、そんなんでも俺の大先輩っつーか、初代総帥っつーか…」
「シューちゃん、こっちはクリスょ!」
「知ってる。一瞬だけ会ったからな」
「兄様が選んだナイトに、会ってみたかったわ。アリーとも親しいのね」
「私達に催眠を掛けるなんて、幾ら何でも酷いんじゃないかしら?アンタって本当、目上を敬わない男よね皇子様」
「あらん?レイ姉ちゃんに失礼な事したの、パパ?」
「シエ、それは女装したおっさんだぞ。姉ちゃんだなんて…」
「ほほほ、どう言う意味かしら。ぶん殴るぞテメー」
「うちのシューちゃんがごめんなさいまし。綺麗なオネェを見慣れてないんざます、サイン下さい!」
「シエ、サインなら俺が…」
「シューちゃんのサインなんて一円にもなんないわょ?」
「…トシ、帝王院秀皇のサイン一つで小切手の空欄から数字がはみ出るんだぞ」

夫婦喧嘩をハラハラ眺めていた嵯峨崎一家との顔合わせは長閑で、ヤクザだけが納得していない表情だ。サラサラとオタク母の手の甲にサインをしてやるオカマは、悔しげなオタク父に勝ち誇った笑みを浮かべている。

「悔しかったらアンタもテレビに出なさい」
「く…!勝ったと思うなよ、シエは俺のものだ」
「ふふ。ねぇ、俊江。貴方のダーリンは凄くハンサムね」
「クリスのダーリンも超美人じゃない、イチきゅんにはあんまり似てないけどォ」
「そうなの、判る?ゼロの方がレイに似てるのよ。ファーストはお義母様に似ているそう」
「ふ、嶺一さんの様に出来た人間を罵るとは、貴様の底も知れていると言う事だな遠野秀隆。シェリーは私が幸せにする、お前は保険金を残してこの世から去れ」
「後ろで首を絞めようとしてるのは、アリィよパパ」
「久し振りだな秀隆、まだ生きていたのか。とっとと保険金を払い下げろ」
「久し振りだなアレクサンドリア、残念だが俺にはシエを看取ると言う使命がある。叶わない初恋にいつまでも縋っていないで、お前は余生を静かに暮らせ。シエは死んでも俺のママだ。女のお前には幸せにする事など出来ない、引っ込んでろ金髪」
「私を見下すのはやめろ!男など女の足元にも及ばない粗末な種族ではないか、あっ、コラ、私のシェリーに抱きつくな秀隆…!」
「黙らっしゃい!シエは俺のシエだろうが、勝手に触るな!」

うっかり目を離した隙に、遠野VS高坂の戦いの火蓋が切って落とされていた。
息子の誕生日が同じだと言う以外に共通点がない二人は、互いが独身だった頃から仲が悪い。血液型からして極端だからだろうか。

「あらん、また始まったわねィ」
「俊江、二人は仲が悪かったの?」
「んー、逆に良すぎるんじゃない?」
「ああ、そう言う事。ふふ、良いわね、何でも言い合える相手って」

O型過ぎる女性陣は、オタク父と王子母の口論をまったり見守った。
他の人間は唖然としており、何故今度はそっちが喧嘩するのかと忙しなく瞬いている。帝王院駿河は我が子の変貌に最早言葉もなく、凍りついていた。

「良いかド金髪、シエは俺の子を産んだんだぞ。俊が産まれたと言う事は、俺からアレもコレも何ならソレまでされてしまった、と言う事だ。いい加減認めろ」
「なっ、汚らわしい事をほざくな下等人種!どんな目に遭おうとも、シェリーの気高さは傷つかない!」
「大体、シエに会う為に来日したとほざいたその口で、あっさり妊娠してたじゃないか。シエを好きだのほざいてた癖に、随分と軽い尻だ」
「あ、あれはひまが…!変な話を蒸し返すとは、何処までも忌々しい男だな貴様は…!」
「みっともない嫉妬はやめて、いい加減祝福しろ。お前にはお前専用のショボくれた旦那が居るだろう、発泡酒のうまさも判らないショボくれた極道が」
「ひまの事を言っているのか!私の夫の何処がショボくれているだと?!ええい、最早我慢ならん!剣道で勝負をつけるか、秀隆!」
「何度試しても俺の勝ちに決まってる。お前の胸が男より平らだからと言って、力で男に勝てると思うな。俺の愛は全人類の誰にも負けない、そう、何故ならば俺は息子から『うざい』『あっちいけ』と言われて泣く様な、ショボくれたおっさんとは違う!」
「はいはーい、ユエ君がお茶淹れてくれたから、おやつにするわょ〜」

第∞回、ショボくれた息子を持つ腐った父親VS酒が飲めないショボくれた極道を夫に持つ妻の争いは、ぱりっとポテチの袋を破ったオタク母の一声で終了した。
俊江に絶対服従の二人は、素直にその場にちょこんと正座し、火花を散らしながら睨みあっているものの、同時にポテチへ手を伸ばした。

「やはりコンソメは間違いない。もきゅもきゅ」
「…ふん。コンソメなど邪道だ、ポテチは塩がうまいに決まっている。そうだろう、シェリー」
「ほぇ?奢りのポテチは何でも美味しいわょ?」

反して、余りの事態に反応が遅れている帝王院駿河は、何事か判らないながらも警戒している加賀城敏史が身を乗り出し背に庇い、そのまだ傍ら。
眼鏡を外して眉間を押さえている光華会副会長は、同じく眉間を押さえている遠野龍一郎を見やったのだ。

「…遠野の親父さん。お宅の娘さんは何処で間違ったら、帝王院財閥の後継者をあそこまで能無しに出来るんですか?」
「…儂が知るか」
「所でシューちゃん。さっきアリィのおっぱいが男より平らだって、言ってたわよね?」
「は、はい」
「ちょっと痛めつけたいから、避けたらめーょ?」

にこり。
帝王院学園高等部のブレザーを颯爽を靡かせ、微笑んだ女はしゅばっと舞い上がった。


「テメェ、巨乳が女の勝ち組だと思ってんのか秀隆ァアアア!!!」
「ち、ちが、そんな事は、………グフ!」

その余りにも主婦のレベルを越えたジャンプ力に閉口した嶺一の隣で、母親と同じく目と口を丸めた嵯峨崎零人は無意識に手を叩いてしまったが、拍手をしている場合ではなかったらしい。
ずささっと吹っ飛んできた男が零人の足元で止まり、くたりと力を抜く。

「ひ、ひ、秀皇の宮様?!しっかりなされ、宮様…っ!」
「ひ…秀皇ぁ?!何事が起きたんだ、死ぬな我が息子よ!秀皇!目を開けんか、秀皇ぁあああ!!!」
「あら、やだ。ちゃんと手加減したわょ、パパス」
「死んではいません、父上。死んだ振りです」

しゅばっと起き上がった遠野秀隆は、ぱんぱんと体の埃を払いながら立ち上がった。
旦那の顎にプロレスばりの飛び蹴りを入れたとは思えない表情の俊江と言えば、起き上がった旦那に鋭い睨みを一つ、頬を膨らませている。

「はァ。63点って所ねィ。吹っ飛ぶ振りが下手になってるわょ、シューちゃん。倒れる時の台詞もなかったざます!」
「すまん、夫婦喧嘩が久し振り過ぎて忘れてた。『ひでぶ』」
「遅い!今夜のビールのおつまみは抜きょ!」
「な!せめて鶏ガラの塩茹でを1品だけでも…!」
「シエちゃん?お、怒っていたのではないのか…?」

死んだと思った息子がピンピンしており、怒っていたと思った息子の嫁は機敏な動きで意味もなくターンを決めた。60年の人生で此処まで驚いた覚えのない駿河は、驚きすぎて表情がついていかないらしい。
どうしたら良いのか判らないとばかりに、涙目で加賀城と龍一郎を交互に見つめてから、俊江を見上げた。

「怒ってたわょ?ちょっとした夫婦喧嘩だもの、ワンちゃんも喰わないざますん。なのでシューちゃんよりイケてる男の人を見つけるまで、離婚は反故にしました」
「父さん、この世の若いイケメンを皆殺しにしませんか。政府とマスコミに圧力を掛けて貰えれば、俺が片っ端から消していくので」
「そ、それはいけません。秀皇、どんな理由があるにせよ、人殺しはいかんぞ…」
「チッ」
「おいおい、今舌打ちしやがったぞこの人」

悲しげな眼差しで、荒んだ息子を見つめた駿河の傍ら、痙き攣った笑みを浮かべた零人は頭を掻いた。

「学園長、究極の選択かとは思いますが、この人に継がせるくらいならのび太…じゃなくて、天の君に財閥を譲った方が良いと思います」
「…加賀城翁、すまんが秀皇名義の持ち株を速やかに俊の名義に書き換えてくれんか」
「御意、心得てございます、大殿」

帝王院財閥大株主の密やかな会議を余所に、

「あ、生きてたんですか義父さん。お久し振りです、足は…あるみたいですね」
「人を幽霊扱いするんじゃない。もう貴様は黙って遠野の経営に精を出せ秀隆、駿河は貴様を見捨てたぞ」
「直江君が納得しても奥さんが煩そうなんで、お断りします。知ってるでしょう、俊は理解出来ないものを怖がるんです。霊安室に入れない医者なんか居ないでしょ?お化けが出たなんて騒いだ挙げ句心筋梗塞でぽっくり逝ったりしたら、医者の不養生所じゃありませんよ」
「む」
「父親として言わせて貰うと、俊は漫画が好きな様ですし、将来はきっと…編集者になりたいんじゃないかと…」

当たらずも遠からずではあったが、秀皇の台詞で駿河は素早く立ち上がった。

「それはいかん、加賀城!直ちに日本中の出版社を潰せ!孫を何処の骨とも知れん会社に奪われてなるものか、俊は俺の孫なんだから俺の後を継ぐべきなんだ!なぁ、そうだろう龍一郎!」
「貴様は息子を綺麗事で宥めたその口で、何万人の人間を路頭に迷わせるつもりだ駿河」
「父さん、漫画は日本の重要な文化財ですよ。出版社を潰すだなんて、GDPの崩壊に繋がりかねない。ワラショクは全力で国産アニメをスポンサードします」

経営者のレベルが高すぎる会話は、一つの要素を除いて主人公の貢献に向かっていった様だ。
そう、主人公の求める日本の文化財が『BL』と言う一点を除いては。























「酷いや…」

ざばりと、暗い水の中から細い体躯を上がらせたその人は、濡れて張り付いた黒髪を手で払った。

「僕が鍵だって言った癖に」

ぴちゃり。
ぴちゃり。
白く細い足首が地を踏み締める度に、乾いたコンクリートに染みが刻まれていく。

「嘘だった。騙されてた。幸せな夢から目覚めるには、絶望しかなかったんだ。酷い。酷い。酷いよ、ナイト。信じてたのに、お母さんに会わせてくれるって、約束したのに…」

彼女の足元に、白が落ちていた。幾つも幾つも。
暗い部屋の中、壊された照明は機能していない。覚束ない足取りでふらふらと歩く彼女の手の中には細いペンライトが一つ、そして、目の前にはエデンの残骸ばかり。

「おじいちゃんの痕跡、全部消したんだね。太郎。君はナイトをまだ信じてるんだ。此処で目覚めた僕らは、此処でじっと息を潜めて待ってた。君は僕の弟になる筈だったのに、二葉の代わりに一緒に居ようねって約束したのに。君だけ新しい生活を初めて、僕だけ、一人ぼっちのままだよ。ねぇ、どうして」

白だ。
白い猫が横たわっている。幾つも、幾つも、寂しくて何度も作ったけれど、生身の生き物はすぐに死んでしまう。

「鼠を狩ってくれるんだ。僕が怖がるから、皆、僕を守る度に死んじゃった。シリウスの作ったマウスは、オリオンが作った僕を苛めるんだ。酷い。だからシリウスの研究室を壊してやった、やられたらやり返さなきゃ。だって僕は、十口貴葉だもの…」

何も存在していない、コンクリートで囲まれただだっ広い空間の、最奥。
空っぽの本棚を両手で押せば、裏側の壁にぽっかりと穴が開いていた。彼女は躊躇いなくその穴の中へ入っていき、漆黒のバイクへ手を伸ばした。 

「ステルシリーライン・オープン」
『コード:ジェネラルフライアの生体反応を確認、マスター認証。ジャミングが解除されました。周囲1キロ圏内にランクA全てのプレート反応を確認』
「…マジェスティノアが腰を上げてしまったんだねぇ。でも遅かったんだよ、ナイトは全てが見えているんだもの。僕のアンドロイドが僕を殺して人間の振りをしようとしたのも、きっと、ナイトの計算通りだったんだ。僕が勝手に動かない様に、閉じ込めておきたかったんだ」
『ご命令を』
「ナイトは僕が邪魔なのかな。僕は…オリオンの研究に必要な、『AB型のイブ』でしかなかったのかな。遠野夜人のクローンを産むだけの、体でしかなかったのかな。…オリオンは神様しか見えてないんだよ。可哀想なおじいちゃん。自分の娘で失敗した癖に、諦めてないんだ。オリオンが失敗するなんて、有り得ない筈なのに」
『ご命令を』
「僕だって、機械じゃない生きてる人とお喋りしたかったんだよ。アキとお喋りした時、凄く凄く、楽しかったんだ。でもそれは『僕』も同じだったんだね。楽しかったんだ、きっと。アキともっと一緒に居たいって、思ってしまったんだ。だって僕と違って『僕』は、恋を知らないんだもの」

ポタリと。
彼女の白くなだらかな頬から落ちた水滴が、足元で跳ねた。

「ナイトはオリオンが保管してた神様の脳を、アダムに封じ込めた。オリオンはそれが意味する冒涜に狂って、夜人の脳を同じくアダムに封じ込めた。シンフォニアアダム、ナイトが作ったアンドロイドの正体は『アダムとイブの共存』。


 でもそれは、ナイトの意思じゃない。
 僕は知ってる。オリオンの研究に失敗なんて有り得ない事を。オリオンの娘は、オリオンと彼の妻の本当の娘だったんだ。シンフォニアの受精卵はとっくに消されてしまっていた。犯人の名は、遠野夜刀。




 どうして夜刀は、こうなる未来を知っていたんだろうねぇ」

















Darkness under the twilight after daybreak.
They doesn't look back, maybe.












「弟夫婦を宿したアンドロイドを側に置いて、医者の振りまでさせて。オリオンを匿って、死亡診断書を偽造してまで何故沈黙を守ったんだろう。おじいちゃん、冬月龍一郎、オリオン。
 君は騙されてるんじゃない…?僕みたいに、生きながら死んでいたんじゃない?ねぇ、どうして国籍を偽造した君が冬月龍一郎だって判ったの?おじいちゃん、おじいちゃん、おじいちゃん。
 遠野夜刀は何かを隠してる。ナイトが可笑しくなってしまったのは、もしかしたら理由があるのかもしれない。だってナイトは、空蝉を自由な鳥にしてくれるって言ってくれたんだ。僕はまだ信じてる。裏切られてなんてない。きっとそうだ、太郎は間違ってないんだ。ナイトはファーザー、僕らの年下のお父さん。僕らの希望。たった一つの」
















落陽の向こうに霞む黄昏の末路















漆黒のバイクが、ほんの微かに震えた。
触らねば判らない程度のエンジンは、軈て空へと誘うのだろうか。

「ねぇ、太郎。ベテルギウスは千葉に向かってから、連絡が通じなくなった。君が何も疑わずに全部を消してしまったのは、もしかしたら間違いだったのかも知れないよ」

行き場のない、空虚な世界へ。







「それとも僕は君のイブにはなれなくて、君は僕のアダムでもなかったのかな」























「おやおや」

暗闇の先、その男は蝋燭を立てた燈籠を片手に佇んでいた。
その仄かな明かりは、近づくまで気づかせない為のものだったのだと理解したのは、笑みの形に歪む唇が照らされている事に気づいた後だ。

「何だ、お前」
「そっくりそのままお返しするよ。帝王院学園には幾つか立ち入りを禁止している場所がある。此処もその一つ、君はこんな場所にどんな用があるのかな?」
「…退け。説明する必要はない」
「日本語は正しく使いなさい」

にこりと、その唇は微笑んだ。
だらりと垂れ下がる腕が携えた行灯では、男の口元より上は照らされていない。

「馬鹿と煙は高い所に登りたがると言うけれど、悪人と林檎は下へ落ちたがると言うのが私の持論でねぇ。共通点は『堕落』、一度落ちたものは決して元には戻らない」
「退けと言ってるのが判らねぇのか、ジャップ」
「困ったねぇ、理由を聞いているだけなんだが、答えてくれる気はない様だ」

笑う。
笑う。
この状況で何が愉快なのか、その声は笑っている。

「マハル」
「…殺すなよ。手間が増える」
「は、約束は出来ねぇな」

震えたまま口を閉ざしている子供を傍らの男へ押し付けて、日本人の黒髪より幾らか明るい焦げ茶の髪を書き上げた。暗さに慣れてきた目で漸く輪郭を辿った目の前の男は、一人だ。他に人の気配はない。

「運が悪かったな、ナイトの下僕。日本は太陽の民だと聞いてるが、地下じゃ太陽の庇護は望めねぇぞ」
「君はネイキッドを知っているか」
「…んだと?ホラ吹いてんじゃねぇぞ、特別機動部に『生身の人間』は居ねぇ…!」
「そう。やはりあの子は、一人を望んでいるのか」
「何を…っ、」
「待て、その男はもしや…!」
「私は理由を聞きたいだけだよ、マハル君、ハンニバル君」

ああ。
背筋を冷気が走り抜けたと感じた瞬間、男の手が明かりを持ち上げた。
漸く和紙越しの明かりに照らされた男の表情は、いつか見た誰かに酷く似ていたのだ。

「な、んで、ブライアン先生?!」
「違う!良く見ろハンニバル、あれはブライアン=シーザー=スミスではない!」
「ふふ。ブライアン=スミス教授は知っているよ、私の遠縁の叔父君だ。本名はブライアン=シーザー=ヴィーゼンバーグ、マチルダ=ヴィーゼンバーグが離婚後に不義の子を産んだ後、遠縁の貴族の元に養子に出したマイケル=スミスの一人息子」
「貴公はディアブロの長兄である、龍神だな?」

微動だに出来ない自分に代わって、一言も喋らない子供を片腕で抱いた男が口を開いた。その声音は若干の警戒心と、諦めが滲んでいる。

「そいつが叶冬臣?アレクセイ=ヴィーゼンバーグの、」
「長男と言う事になるねぇ」

くすくすと、笑う唇の上、漆黒の双眸は凍える程に冷ややかだ。
電源系統の配線を全て落としている今、古代の照明器具を手に一人でこの暗闇の中で佇んでいる男が、まともである筈がない。今更それに気づいた所で後の祭りだ。

「殺すしかねぇだろう、マハル」
「…」
「物騒な事を言うが、一つヒントをあげようか」

状況が判っていないのだろうか。
あの叶二葉の兄とは言え、生身の人間が一人で相手出来るような人間はステルシリーにはいない。

「ヒント、だと?」

文武両道、世間では神童と讃えられる様な人間だけが選ばれる神の国の住人は、元犯罪者など掃いて捨てるほど存在している。死刑になった方がマシだと逃げ出し、間もなく死んだ人間が何万人いた事か。

「二葉が昔潰した国があっただろう。一週間だったかな。あの子は優しい子だから時間が懸かったが、私なら一時間もあれば終わらせる事が出来た。核も銃も必要ない、剣はペンに負ける」
「んな、馬鹿な事があるか…!」
「彼なら有り得る事だ、ハンニバル。叶冬臣のIQはメンサの平均を著しく越えている。…日本では龍神、アメリカではリヴァイアサンと呼ばれる、闇の住人だ」
「こいつが?!」
「若かりし頃の悪戯だよ。MI6のデータベースに侵入して、龍の落書きと共に『売られた喧嘩は買う』と言うメッセージを残したら、謎のハッカー扱いで、とうとうリヴァイアサンなんて言われる様になってしまってねぇ」

お陰様で、弟は『ミッドナイトサン』と呼ばれているそうだ・などと。
何が楽しいのか、男は口元を片手で押さえた。滲み出る圧倒的勝者のオーラは、恐らく偽りではないだろう。

「ロシア人とモンゴル人の両親から産まれた君と、イギリス出身のそちらの彼の事は覚えているよ。先程理事長にステルシリーのアーカイブを見せて頂いたからねぇ、ランクCまでのコード持ち16000人は全て把握している」
「先程、だぁ?!っ、化物が…!」
「失礼だが、貴公は帝王院駿河様の部下では?キング=ノヴァに肩入れするのは、学園長のご意志が?」
「大殿が私に警護と調査以外を依頼する事はないよ。御屋形様は文字通り、天神でいらっしゃる」

だから言っただろう、単に興味があっただけだ。
耐えきれずと言った体で笑いながら、冬臣は近づいてきた。敵意はない様だが、たった一人の威圧感に圧される体が意思とは反して後退りそうになるのは、何故だろう。

「私は見極めたいだけなんだよ。どちらが『神』に相応しいのか、神帝と天神を天秤に掛ける為に」
「それが目的とは思えないが、…貴公は敵か味方か、どちらだ?」
「ふふ。君の様に賢い人間が居てくれると、話が早くて助かるねぇ。面白いものを見せてあげよう。ただ、そちらの子供は少々大きすぎる荷物かな」
「我らの役目を果たすまで、解放する訳にはいかない。悪いが、敵ではないのであれば、見逃して貰おうか」
「敵ではないよ。現時点では。ただ、大殿の名の元にある生徒に怪我をさせてしまえば、明らかに味方では居られなくなるだろう」
「…ハンニバル」
「クソ!判ったよ、従えっつーんだろ…」
「助かるねぇ。では、平和な取引と行こうか」

それは最後まで微笑み続けた。
それ以外の表情を持たないと言わんばかりに、

「君らが『馬』を選ぶのであれば、『塔』を置いていって貰おうか。色々考えたのだけれど、天よりも神の方がこの国の為になるのではないかと思ったんだ」
「それはどう言う意味だ?」
「その内判るだろう。黒の神を日本の大地に楔として打ち込めば、私の可愛い弟は二度とこの国から離れられなくなる。引き換えに『天』が黒の皇国の帝となれば、『蝉』は黄昏を目指して西へと渡るだろう」

まるで、

「空蝉で最も煩わしいのは榛原だ。彼らの能力の前では、知能など何の役にも立たない。…私はねぇ、人形遊びは好きではないんだ。だから大切な人形を手放したのに、あの時手離した人形は人間にはならず、再び人形になろうとしている。それがどうしても、我慢出来ない様でねぇ」
「ネイキッドの事か…?」
「ふふ。言っただろう、その内判ると」

まるで。
光に愛されたこの国の、唯一の異端であるかの如く。

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