帝王院高等学校
嗚呼!パラダイスロストで顔面蒼白!
気づいた時には聞こえていたその「声」が、月の満ち欠けに比例している事に気がついたのは、いつ頃だっただろう。
指先から爪先までの全神経、つまり体、これが自分のものだと信じて疑いもしなかった日常が、過去の産物へと塗り替えられた瞬間。

「弱虫が…」

頭の中で聞こえていたその声が、漸く、音になった。
勝手に動く唇は自分のものではないかの様だ。まるで、覚えのない映画に出演している自分を眺めているかの様に。勿論、自分を自分の視点で目にする事など不可能なので、例え話だ。

「輪廻に囚われた」
「まるで人形」
「本当のお前は何処にも」
「スケアクロウ、名無しの案山子」
「お前はキシになりたかった」
「けれど俺はキシんでしまった」
「満ちていく月が真円を描く事はついぞない」
「少しの誤差もないクロノスタシスに囚われない限り」

ああ。
自分の口から、自分のものではない声が幾つも飛び出していく。これは明神の特技だろうか。人の感情を読み取り、身内ですら騙す為に当人の声をそっくり真似る、彼らは奏でる一族だ。

「Close my eyes. 俺にはお前を通して満月が見える。何度も、何度も、今も」

全神経の9割が動いていない。
五感は鼓膜と視覚だけ。力なく膝の上に落ちた両手を見ていた。窓から差し込む月明かりが青白く照らしている、深夜零時。デジタル時計は静かに、全ての数字を0へとリセットした。

お前など産まれてこなければ良かったのに

ああ。
女の声だ。聞いた事のない女の声が、まるで呪文の様に。けれど言葉の意味は理解していない。単に、呟いているだけだ。

どうして私の邪魔をするの

子守唄の様に。
体はこの聞き覚えのない女に、支配されてしまったのだろうか。

その銘はあの子のものだったのに…

誰だ。
この声は誰だ。
いつこの声を記憶したか、全く覚えていない。つまり自分は、架空の誰かの声を真似ている。さて、それは誰なのか。

お前が産れてきたばかりに、あの子を殺してしまった…!私を殺人者にしたお前が、憎たらしくて仕方ない…!

はらはらと、左目から何かが零れる感触がする。
ひたひたと、膝を濡らす感触がする。

「愚か者。泣けば済むと思ってんのか、弱虫」

また、いつもの声だ。

「違う。涙は人間の最も美しく気高い、感情表現だ」

満月の夜にだけ、その声は聞こえる。時限式の様に、雲に妨げられていない最も明るい夜にだけ、神様の様な声が。

「私は泣いた事がない。私の感情は恐らく、優しかった家族と共に消えてしまったのだろう。あの悍しくも神々しい程に明るい夜に、太陽の如き目映さを以て屋敷ごと家族を焼き払われたあの瞬間に、欠片も残さず地獄へと帰化したのだ」
「…ん」

ごそりと、背後で寝返りを打つ気配。
凍りついた様に動かなかった肢体に支配権が戻り、幾らか凝り固まった首を動かして、振り返る。

「起きたのか、イチ」
「………んだ、ぶっ殺すぞ糞が…」

低い低い声が聞こえてきた。
ベッドに俯せで転がっている男は、ブランケットを下半身にしか掛けていない。漸く夏休みに入ったばかりの7月末、熱帯夜では無理もないだろう。眠る前にタイマーを掛けていたエアコンは、とうに役目を果たしていた。

「背中に汗を掻いているな。不死鳥が溺れてしまうぞ」

照明は、トイレ付近の小さなLEDが一つだけ。
初めて訪れた他人のマンションは他人の匂いで満ちていて、中々眠りがやってこない。傍らで誰かの寝息を聞くなどと言う経験が、少なくともこの数年はなかったからだ。

「タオルがあれば、拭いてやりたいが」
「…おい」

ベッドサイドに微かに見えているのはテイッシュボックスと、バックライトの仄かな緑に縁取られたデジタル時計だけ。仕方なく手を伸ばしてテイッシュを取ろうとシーツへ踏み込めば、伸ばした手首をガシッと掴まれる。
もう片手で枕を抱えていた男は、枕に顔半分埋めたまま、濃紺の瞳で睨み付けてきた。

「すまん、起こしたか」
「………誰だテメー、喧嘩売ってんのかコラァ」
「寝惚けてるのか」
「上等だ、駆逐してやる…」

今にも手首を折られそうな握力に包まれた右手をそのままに、左手で褐色の肌に張り付いている赤を梳いてやる。怒りで眉を跳ねた嵯峨崎佑壱が跳ね起きた瞬間に、とんっと。佑壱の左手に掴まれた右手で、佑壱の胸板を押した。

ぽふん。
ベッドへ逆戻りした仰向けの佑壱が、目を丸めている。いつもより少しばかりあどけない表情に首を傾げ、晒された喉仏をちょいちょいと掻いた。未だに右手は恐ろしい握力に掴まれているが、この程度は子猫に噛まれた様なものだ。

「擽ったいぞ、イチ。迂闊に人の手を握るものじゃない。俺が変態さんだったら、今頃お前は大人向けの如何わしい写真を撮られて、インターネットに流出してしまった挙げ句、生涯消えない傷を負う事になるかも知れない」
「………あ?」
「ニュースを見なさい。リベンジポロリと言うアレだ」
「…リベンジポルノ?何?あ?」

眉間に目一杯皺を刻んだ佑壱は、大の字でシーツに寝転がったまま暫く視線を彷徨わせると、徐々に体から力を抜いた。漸く、目が覚めてきたらしい。

「は?え?…兄貴?何してんスか?」
「客観的に見れば、お前を押し倒してる」
「は?え?…何で俺を押し倒してんスか?」
「赤ずきんちゃんみたいだなァ。…それはお前を食べてしまおうと思っているからだ」
「な」

赤ずきんの狼の如く、佑壱の耳元で囁けば、熱帯夜にも関わらずピキンと凍りついた赤毛は、月明かりだけでも判る程にだらだらと汗を垂れ流した。ピクピクと胸筋が痙攣しているのが見える。

「どうしたイチ、冗談だぞ?風呂上がりにボール二個分のプリンを食べたから、まだ腹は減ってない」
「あ、や、はい、違、別に兄貴になら俺…!俺…っ!ただ心の準備がまだ…!」
「心の準備?ああ、一度目が覚めると中々寝つけないからな。良し、」

むにょむにょと何事か呟いている佑壱の枕元の首輪を、時計の隣へ置く。
ティッシュを数枚抜き取って、分厚い唇を尖らせている男の顔の汗を拭ってやり、丸めたゴミをゴミ箱へ投げた。佑壱が弾かれた様に起き上がろうとしたのは、俊がゴミ箱を見ずに投げたからだろう。
佑壱の心配は、すぽんと見事にゴミ箱へ収まった屑を認めて、露と消える。

「俺がお伽噺を話してやるから、眠くなったら寝るとイイ」
「ふぁ?!」

珍しく奇妙な声を放った佑壱は、俊の腕の中だ。
ひょいっと頭を抱えて、ひょいっと抱き込んでやれば、高めの体温が胸元に閉じ込められる。何故かあわあわしている男の湿った背中をブランケットで包み、ブランケット越しにぽんぽんと叩いた。

「昔々、ある所に、うだつの上がらないサラリーマンとどけちを節約と言い切る鬼の様な主婦が居ました。最早あれは主婦ではなく、ほんの鬼畜でした。恐らく前世は閻魔大王だったと思います」
「ちょ、あの、あ、兄、そそそ総長…っ?!」
「うだつの上がらないサラリーマンは何処までもうだつが上がらないままだったので、何を間違えたのか、うだつが上がる前に人として下がる一方だった鬼の様な女性と結婚してしまいました。見えざる力が働いたのではないかと疑ってしまいます。結婚詐偽ではないのか、サラリーマンは閻魔様への生け贄ではないのか」
「総長!」
「何だ?」
「こ、これ、だ、抱っこじゃないっスか?!」
「抱っこのつもりだが、同じ高さで横になるとどうしても腰の位置の違いに気がついてしまうから、少し下がってくれ。短足からのお願いです」
「は?!はひ!」

最早、何がなんだか判らなくなっているらしい佑壱は、俊の胸元に顔を埋めたまま、マネキンの如く固まった。上半身裸の佑壱とは違い、俊は佑壱のTシャツを着ている。スウェットも貸して貰ったが、どうも裾が嘲笑うかの様に床を這ってしまった。
切ない眼差しで佑壱を見上げれば、身長は俊の方が若干大きいからしくじったと言わんばかりに自己嫌悪に陥ったらしい。会わす顔がないっスと、不貞腐れ気味にベッドへ飛び込んだ巨大な犬は、暫くめそめそしていたかと思えば、すやすやと眠ってしまったのだ。

昨日は一日中テンションが高かったので、疲れていたのだろう。
佑壱が寝たのは風呂から上がって間もなくなので、十時を回ったばかりの頃だ。

「何処まで話したか」
「総長が俺を抱っこしてる所までです!」
「そうか。うだつの上がらないサラリーマン夫婦に、軈て子供が産まれた。その子供は大層地味で平凡で弱虫でウジ虫でうだつも股下も上がらない、誉める所は胴の長さだけと言う子供でした」
「銅?」
「そう、胴だ」
「ふーん…」
「胴が気になるのか?」
「最近、銅に縁があるっつーか」
「ふむ?」
「入りたくもない委員会に無理矢理引っ張り込まれて、被りたくもねぇ仮面被れって言われて、ムカつくんスよ」

どうもドウの意味が違う様だが、俊は頷いた。
佑壱が話したい話を優先するべきだと、つまらないお伽噺は中止にする。

「学校は楽しいか?」
「ちっとも楽しくねぇっス。いつ辞めても良いんスよ、本当は…」
「資格はあって困るものじゃない。例えば、エリートな俺と、ホームレスな俺、どっちがイイ?」
「兄貴はどっちもカッケーっス!」
「成程、そう来たか。然し、甲斐性のない総長には誰もついてこないとは思わないか?」
「兄貴の事は俺が養います」

腕の中からチワワの様な瞳が見つめてきた。見た目はどう見てもドーベルマンか、一歩間違えれば土佐犬だ。目が合ったら死を予感させる程には、佑壱の吊り目は威圧感がある。

「そうか。だったら俺の老後は任せた」
「はい!任せて下さい!」

冗談だとは、今更言えない気分だ。
見えない尻尾をバシンバシンと振り回している大型犬を抱え込み、ぽんぽんと背を叩く。ぐりぐりと頬擦りをしてくる佑壱は、遠足前の子供宜しく眠る気配がない。

「イイ子だな」

子をあやす様に言えば、息を呑む気配が伝わってくる。
ぐすっと鼻を啜る音が聞こえたが、胸元に埋まったままの赤毛はそのまま暫く沈黙している内に、健やかな寝息を発て始めた。

佑壱の寝起きが宜しくない事は皆から聞いていたので知っているが、殴られても死ぬ訳ではないのだから、気を張る理由はないだろう。腕枕をしている現在、ベッドから抜け出すのは至難の技だ。出来ない事はないだろうが。


「イチの寝息しか聞こえない。静かだ、とても」

腕の中には熱。
鼓膜には寝息。
目を閉じると、月明かりの世界は闇へとゆったり溶けていった。

「Good night, have a Chronostasis.(お休み。悪夢のない、静かな眠りを)」

翌朝瀕死だったのは俊ではなく佑壱の方だった。俊の寝相が、佑壱の低血圧を軽やかに上回ったからである。
脇腹を蹴られた佑壱の青あざは暫く消えなかったが、それでもめげない佑壱は毎回俊を泊まりに誘っては、必ず自室のベッドで寝かせようと固く誓った。

佑壱以外があの蹴りを浴びれば、高い確率で死ぬと思ったからだろう。































「うう、カズカも山田も勝手過ぎる…」

恵まれた長身を折り曲げた猫背の金髪が見える。
心配げな茶色のブレザー達は、何故か猫じゃらしでその背中をコショコショ擽っている。

「お気を確かに副会長。会長様が身勝手なのは今に始まった事ではありません。2009年の連載開始からずっとあのままです。あ、でもそれは来年でしたっけ?」
「そうです、アシュレイ副会長。我ら西園寺学園生徒一同は、氷の如く冷たく他人に容赦ない会長様だからこそ、お慕い申し上げているんです。ですから此処は一つ、副会長だけで乗り越えて頂かないと」
「Oh、ガイジンの扱いが酷すぎるぞ日本!」
「ガイジンは差別用語です」
「今更外国人振らないで下さい。山田太郎物語に感銘を受けて、6歳から日本語の勉強をしてたオタクの癖に」

オタクの何が悪いと、猫背のままジトっと目を眇めた西園寺学園生徒会副会長は、とうとう猫じゃらしを鼻の穴に突っ込まれそうになり、仕方なく立ち上がった。

「人使いが荒い…!カズカはともかく、ハルカまでサボタージュするなんて、理事長じゃなかったら殴ってるぞ?!」
「西園寺理事長は気紛れな方ですから…。愛しい和歌様が居ないとなれば、逃げ出すのは火を見るより明らか」
「我が校の校訓は、『美ある所に優あり、美しいものはそれだけで価値がある。その上、賢きものに敗北はない』です」
「ああ、ああ、素晴らしい校訓だよ!ブラボー、ワンダホー、アメ〜イジング!」

半ば自棄になって叫んだ金髪は、火災報知器と壁の柱の間にスポッとはまったまま、長すぎる足を折り曲げて膝を抱えた姿で鼻を啜る。
怯えた子猫が隠れているかの様な光景に、次から次へと猫じゃらしを摘んできた生徒が近寄ってきては、ふりふりと草を振った。副会長に対する態度だとは到底思えない。

「帝王院学園の校訓は、『学び、遊び、語らい、笑い、苦しみ、救いを求め、手を差し伸べよ』だそうだ。俺はとても耳が痛い」
「耳鼻科に行きますか?」
「イギリスでは耳掃除をしないって言うから…」
「慣用句を知ってるイギリス人が居たって良いじゃないっ」

涙目で叫んだ副会長に対して、西園寺学園の制服を纏う生徒らは乾いた拍手を響かせた。ちらほら帝王院学園のブレザーを纏う生徒も見えたが、彼らだけは心配そうな表情で見つめてくる。心配など欠片もしていないのが判る西園寺の生徒らとは、雲泥の差だ。

「アシュレイ副会長、そろそろ恥ずかしいので出てきて下さい。お昼は両校の同学年同士で食事会の場を持つって、昨夜決めたでしょう?」
「中央委員会の皆様に無断で決めてしまったので、ロイ副会長が代表として帝王院会長に許可を貰って下さらないと」
「うう、無理を言わないでくれよジャパニーズピーポー、帝王院会長は恐ろしい人なんだ…とても…とても…」

小学校からの持ち上がりばかりの西園寺学園は、姉妹校と言ったシステムもないので、基本的に6歳から18歳まで同じ顔触れで過ごしている。街中にありながら寮制なので、帝王院学園の生徒ほどではないが、それでもやはり世間知らずな所があった。
良家の子息が大半を占める帝王院学園ならばともかく、一般家庭の生徒が殆どである西園寺学園の、ちょっとMっ家がある程度の平凡な生徒に説明した所で、納得しては貰えない。グレアムが如何に恐ろしいか、身振り手振り交えて語り始めれば、一週間は必要だ。

「大体、俺が帝王院会長の側にいて、君達は違和感を覚えないのか?!こんな、何処の馬の骨とも知れない、毎朝トイレで気張りながら新聞の折り込み広告を物色するくらいしか趣味のない高校生が、あんな、カズカ以上に面倒臭そうな中央委員会会長に気安く近寄れるだろうか?!ノンノン、近寄れないに決まってる!本能が…!逃げろと叫ぶんだ…!」
「うわ、不束な副会長ですね〜」
「不束者だからね〜」

グレアムを怖れもせず、年上にも関わらず、あの帝王院神威相手に真顔で「何度見ても目障りだ」などと宣えるのは、我ら西園寺学園のボスである遠野和歌だけだろう。未来の院長候補は、母方の親類に北欧人がいる為、隔世遺伝で顔立ちが日本人に程遠い。帝王院神威と並んで唯一見劣りしない男だが、如何せん性格が悪かった。悪いなんてものではない、極悪である。
あの似非インテリ眼鏡の前では、曰く「実家に一人残してきた」弟以外は、例えルーク=フェインだろうと人間の枠組みではないのだ。

「大体、理事長がドMだからって生徒会役員をドSで固めるなんて、正気とは思えないぞ!俺なんか入学初日に『君、サドっぽいね』の一言でいきなり副会長に指名されたんだからな…!見た目か!人間の価値は見た目なのか!理事長がそれで許されるのか?!ホワイ、ジャパニーズピーポー!」
「それがイギリス人の発音ですか副会長、イケメンじゃなかったら制裁してますよ?」
「はぁ。和歌様と並んでこそ存在意義があるも同然なアシュレイ副会長が、これ以上じめじめなさると帝王院学園に茸が生えます。しゃきっとして下さい、しゃきっと」

日本は怖い所ですよ、お父さん。
ぶつぶつ呟きながら、優しさの欠片もない生徒らが散っていくのを見送った。同じ生徒会副会長でも、慕われている高坂日向に比べるまでもないこの扱いは、一体何なのだ。

「あ、そう言えばロイ副会長。さっき副会長そっくりな私服の人を見掛けたって、1年生が騒いでましたよ」
「はい?俺にそっくりって、もしやドッペルゲンガー?俺で良かったな、カズカのドッペルゲンガーだったら、地球が終わりを迎えていたぞ」
「ま、見間違いでしょうね。帝王院学園は西園寺以上に多国籍な学校ですから。我々日本人には、欧米人は皆一緒に見えるんです」
「待ってくれ、そんなアイドルの見分けがつかないお年寄りみたいな事を言われても、俺が何年西園寺に通っていると思ってるんだ。中学からずっとだぞ?そろそろ君だけのオンリーワンになりたい」
「…気色悪い」

ぺっと吐き出された唾が、デコにぴしゃっと掛かる。
笑顔で固まった西園寺学園副会長は胸元からポケットティッシュを取り出し、固まった笑顔のまま額を拭った。駅前で配られていたティッシュだが、如何わしいチラシなどは入っていない。新装オープンのゲームセンターのチラシだ。

パチンコ屋だが。

「何か言ったか、文化委員長。今とても傷つく言葉を聞いた気がするんだが?」
「いいえ、何も。山田夕陽を一時的に指名なさったのは遠野会長ですが、会長が不在の今、ロイ副会長が西園寺の代表なんですから、背を正して我々を指導して下さい。冗談でも、膝を抱えてめそめそする様な事は控えろポンコツ」
「Oh、カズカと俺の扱いが全然違う様な気がするよ、文化委員長。同じ特別進学科のクラスメートなのに…」
「パチンコ屋のティッシュを携帯している様な金パ、尊敬する訳ぁないでしょうが。貴方と遠野様を一緒にしないで下さい。遠野和歌イコール神、ロイ=アシュレイ、イコールヘタレ。お判りですか?」

ああ、友人の優しさがとても痛い。
友情とは何だったか、今一度分厚い広辞苑を捲って確かめる必要があろうか。タウンページにしても広辞苑にしても、指を一々舐めなければ捲れないのがネックだ。事務仕事と雑用に追われている生徒会副会長の手は、ガサガサなのである。

「ヘタレの何が悪い、ラブアンドピース万歳。はぁ、何処かの魔女っ娘がハンドクリームを優しく塗ってくれないものかな、今すぐに…」
「クソロリオタクが、風化しろヘテロ」
「言葉使いが悪いぞ文化委員長、カズカに毒されてる。絶対毒されてる。解毒剤を作りなさい、直ちに」
「此処だけの話ですが、遠野会長がサボった事を一部の生徒は気づき掛けてます。今の所、帝王院学園の生徒との友好構築に喜びを感じていて目立ったトラブルはありませんが、」
「カズカ中毒しか居ないから気をつけろ、って事だろう?弟以外人間だと思ってない神経質眼鏡が神様とは、西園寺の先行きは暗雲が立ち込めているな」
「近頃では、西園寺財閥は遠野総合病院を吸収するなんて噂もあります。僕は逆だと思ってますが」
「カズカはブラックホールだ、ハルカはとっくに呑み込まれてる。カズカを止められるのは多分、カズカの弟だけ…」

一体どんな弟なのか、考えたくもない。
遠野と言う名字には何らかの呪いでも掛かっているのだろうか。

「帝王院学園の遠野会長は、随分毒気がない方の様でしたけど、あれ生徒会監察なんか出来るんですかね?」
「西園寺学園の二大鬼畜、あの夕陽を真顔で『うざい、離れて』って吐き捨てた左席委員会副会長が手綱を握っていそうに見えた」
「成程、山田太陽さんですか。一年生の割りには大人しくて、悪く言えば目立たない人でしたね。でも何故か、うちの下級生が騒いでいるみたいです。同級生だからにしては、ちょっと変な騒ぎ方で…」
「変?」
「『ご主人様って呼びたくなる』そうです」

真顔で宣った文化委員長を前に、生徒会副会長は沈黙した。
生粋のMしかいない西園寺の生徒が騒ぐのであれば、山田太陽の人となりを少し見直す必要があるだろう。

「夕陽は顔立ちと物言いがアレだからSと思われているが、カズカは夕陽をマゾ餓鬼と呼んでいる」
「存じています。西園寺学園のサドは遠野和歌会長だけです」
「いや、カズカは多分マゾ…。俺はノーと言えるイギリス人だぞ。見てろ、いずれ帰化してノーと言える日本人になってやんよ!」
「脳髄磨り潰して味噌汁の具にしてやりましょうか?」
「Nooooo!!!」

猫じゃらしを手放し、真顔でカッターナイフを取り出した文化委員長は真顔だった。
2年特別進学科首席の遠野和歌は、学園長であり理事長でもある西園寺遥の大のお気に入りで、和歌が一言「全財産寄越せ」と言えば、恐らく借金してでも全財産を譲るだろうと思われる程には、愛されている。

同じ遠野姓で、生徒会の仕組みこそ違えど同じ会長職にある帝王院学園1年進学科の遠野俊は、見た目で大いに人を判断する西園寺理事長の眼鏡には止まらず、和歌が居ないと聞くなり理事長はさっさと帰ってしまった。
これが交流会だと判っている癖に、二十代の若さが引け目になっているのか、年配の理事が多い帝王院学園では落ち着かなかったらしい。

「帝王院学園には彼の有名なABSOLUTELYを始め、レジスト、エルドラド、ハイブリッドエンドなど、都内でキャーキャー言われているチームのメンバーが多く在籍しています。それだけでもこちらの生徒はソワソワしていると言うのに、帝王院学園の左席委員会はほぼほぼカルマのメンバーで固められているそうじゃないですか」
「キャーキャーは羨ましい。それにしても、カルマ、カルマか…。カルマに興味がないのは、俺とカズカくらいだろう。そんなに有名なのか?」
「次期中央委員会会長として紹介された2年進学科首席の嵯峨崎佑壱さんは、カルマの副総長です。シーザーに続いて、かなりの知名度ですよ。彼の挨拶の時、何人の生徒が貧血で倒れたと思ってるんですか」

まさか、その嵯峨崎佑壱が親戚に当たるとは、言わない方が良い様だ。
ルーイン=アラベスク=アシュレイには、産まれる前に亡くなった姉がいた。彼女は日本で結婚し、息子を産んで数年後、産まれながらに患っていた持病で亡くなったそうだ。
誕生して間もなく危篤状態に陥った事もあるほど病弱だった様だが、二十歳を待たず死ぬと言われていた割りには、二十歳を過ぎても生きていたと言う。出産がかなりの負担になったのは想像に難くないが、天真爛漫で賢く、誰とも分け隔てなく会話する人だったと言うのは、自慢でしかない。

「カルマでもABSOLUTELYでも良いが、余所様の学園で死者を出さない様に…そこそこ頑張ります」
「そこそこじゃ困るんで、死ぬ気で頑張って下さい。今日までの辛抱ですよ、明日の昼には味気ない我が家に帰るんですから」
「帝王院学園に比べれば、プリンスホテルも味気ないだろうさ」

溜め息一つ、ぐっと両腕を伸ばしたアシュレイの全身が、ポキポキと音を発てた。
見た目が完全にヤンキー系なアシュレイと真逆に、西園寺学園の生徒が近頃熱い視線を送っている日向は、ヤンキーと紳士のバランスが絶妙で、口調が何処となく偉そうだ。
それがまた堪らないと黄色い悲鳴を撒き散らす西園寺の生徒は基本的にマゾばかりなので、将来の夢は「貧乏」などと宣うアシュレイは、単品では誰からも見向きされない。遠野和歌と並んで漸く、和歌の当て馬扱いをされるだけだ。

「あーあ。俺×カズカとか、訳の判らない同人誌をこそこそ書かれるのは我慢出来るけど、ベルハーツ殿下×俺なんて同人誌、書いたりしないでくれよ…」

溜息は余りにも尽きない。
イギリス人で知らぬ者はない、あの恐ろしい公爵家の跡取り息子になど、気安く話し掛けられる人間は居ないだろう。アシュレイより一つ年上の日向は、アシュレイとは違って父親が日本人なので、顔立ちは完全にエスニックだ。

「何にせよ、ナイトの統率符を継げば男爵になっていても可笑しくはない遠野俊がこれほど騒がれていないのは、どう考えても変だ。…山田太陽がどんな人間だったとして、それを副会長に迎えられる男だぞ?」

独り言に返事はない。

「ゼロはどう考えているんだろう。…俺はカズカよりも、シュンの方が怖い」

溜息を零した金髪は、碧い瞳を開け放した廊下の窓の向こうに向けた瞬間、再びしゅばっと座り込んだのだ。
決して窓の向こうの男に見つからないよう、だらだらと冷や汗を垂らしながら。

「あれ?アシュレイ副会長が歩いてる」
「アシュレイ副会長ならそこで乙女座りしてるよ?」

やめろと叫びたくても叫べない。
ドッペルゲンガーに見つかったら死ぬと言う迷信は、この場合のみ、迷信ではないからだ。

「っ、何でルシファーが此処に居るんだ…!帝王院学園に留学は知ってたけど、スキップして大学に入ったんじゃなかったのか…?!」

弟、弟、ああ、弟。
遠野和歌は弟以外を微生物と宣い、山田夕陽は兄以外を社会のゴミと宣い、西園寺学園生徒会執行部は呪われているのではないのか。

「あれ…?何か、ルーインの匂いがすんな」

自分にそっくりな声が聞こえてきた瞬間、西園寺生徒副会長はへっぴり腰でゴキブリの如くカサカサ這い、文化委員長のブレザーの中に頭を突っ込んだ。目の前にはぷりんとしたスラックス越しの尻がある。

「…何だ、やっぱ気の所為か」

遠ざかる足音を聞いてほっとしたのも束の間、文化委員長の文化委員長とは思えない男気溢れる回し蹴りを喰らい、ルーイン=アラベスク=アシュレイは吹き飛んだ。


「気安く触らないで下さいますかダニ野郎。バルサンで絶滅しろ」
「Oh。今だけとても、ベルハーツ殿下になりたいデス…」

本当に悲しい時は、涙も出ないらしい。

←いやん(*)(#)ばかん→
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