帝王院高等学校
馬子にも衣装、ワンコにもバスローブ
試されている様な気がする、と。
心の中で呟き、あの自他共に認める『一匹狼』が去った方向を暫し眺めていた。

「疑心暗鬼、転じて天邪鬼。…どちらにしても、厄介ですね」

どっちにしても、嵯峨崎佑壱と言う人間はまともではない。
今でこそ随分落ち着いたものだが、佑壱の思考回路はいっそ清々しい程に『利己的』だ。エゴイスト、自己中、誉められたものではない。

例えば、今の今まで口にしなかった癖に、今になって『俺は誰も信用していない』などと語り聞かせた裏には、『だから裏切れるもんなら裏切れ』『俺はお前が敵だろうが味方だろうが構わない』と言う無言の牽制があった筈だ。

「裏を返せば、『敵だろうが味方だろうが気に食わん時は潰す』」

判り難い様で単純明快、だからこそ動けない。佑壱の目論見通りだ。確かに、今までは。

「…総長が消えて、一番喜んだのは俺でしたよ、ユウさん」

俊の前で飼い犬に成り下がる佑壱に、いつか本気で愛想を尽かした。俊の前では自分の意志すら捻曲げる佑壱を、いつか本気で馬鹿だと蔑んだ。
なのに今朝、俊の声を聞いた瞬間に泣きたいくらい嬉しかったのは、何故だろう。あの最上級の響きを持つバイオリンの様な声音で、全てがどうでも良くなったのは何故だろう。


あの笑顔の前では無力だ。
神威には逆らえない筈の身の上に在りながら、俊の前ではまるで意味が無い。ふと気付いて、そうだ自分はこの人を裏切っている、などと現実を直視する度に、

「っ」

ほら、また。
大の男が惨めったらしく泣く、なんて馬鹿だと蔑むしかないではないか。

「…総長、」

耳飾りに手を伸ばし、崩れる様に膝を付く。誰からも比べられない、個体としての自分に気付いたのはいつからだろう。
お前はお前だと囁く声を子守歌に眠ったのは、いつの事だろう。
長い間そこに蹲っていた様な気がした。外は最早夜と呼ぶに相応しい暗さで、


「総長、総長総長総長、も、嫌です、…俺は、誰の代わりでも無い」

助けて欲しい助けて欲しい助けて欲しい、あの神の呪縛すら届かない声音で、今。


『プライベートライン・オープン、通信を接続します』

耳飾りが音を発てた。
滑り落ちた涙が頬を痙き攣らせ、絶望に追い込む。今すぐ鼓膜を破れば逃げられるのかも知れないと思った。
と同時に首輪の様な耳飾りを握り締め、引きちぎる様に引っ張り、


『おいで』

そのピアスに仕込んだスピーカーから、響く絶対なる声に硬直した。

『楽しい時間の始まりだ』

俊を嫌ったのは初めて会った時からだった、と。今更ながら昔の記憶を思い出す。
あの威圧感を秘めた低い声音は、自分を拘束する神に良く似ているからだ。

平凡な容姿で。
日本人の枠を超えない体躯で。
なのに神と肩を並べる、皇帝の声と。神帝の声が、その内聞き分けられなくなりそうで。

『ジェミニ』

自分が誰に従っているのか判らなくなりそうで、引きちぎったピアスを握り締めながら膝を抱え、血を滴らせる耳になど構わず唇を噛み締めた。

『歌を歌おう。夜更けの訪れを祝って』

神と王が並んで手を差し伸べたら、佑壱は、そして自分は、どちらを選ぶのだろう。
判らない判らない判らない判らない判らない判らない、耳が灼ける様に痛い、もう何も聞こえなくなってしまえば良い、



『俺の可愛い、カナタ』


握り締めた拳から響く声に、刹那沈黙し、膝に埋めていた顔を上げた。
涙が乾いた頬が痙き攣る感覚、肩を濡らす血の感触に気付いていながら、ゆっくりと開いた掌に青い青い首輪を見たのだ。

「そう、ちょ?」
『会長と呼びなさい。腰抜け神帝に出来ないなら、俺が俺様会長攻めを極めるだけだと悟ったぞ』
「そうちょう」
『だから会長だと言っただろーがァ、今から温泉に行くから、カナタも走って来い。因みに今ならタイヨーのセクシーボディを堪能出来ますっ』

騒がしい声が掌から響き渡っていて、何の迷いも無い声が唆す様に手招いていたから、

「俺は、」
『カナタは何がやりたい?コードネームは双子座ジェミニにしたけど、会計補佐か書記しか空いてない』
「…皆を、騙していて」
『桜餅は絵が上手いから書記の方がイイ気がするんだけどなァ、タイヨーに逆らったら怒られそ〜だしなァ』
「俺は」
『おいで』

何の迷いも無い声が唆す様に囁いた。この声に逆らえる人間が居るなら是非拝見したいものだ、と。


『プライベートライン・オープン、通信を接続します』

緩やかに立ち上がりながら、掌から響く機械音声を聞いていた。

『学園内に滞在せし全ての人員へ告ぐ』
『カナタ?聞いてるにょ?』

ああ、そうか。
こう言う事なのかも知れない。

『我が冥府揺るがす威光を知らしめんが為の聖戦を、…開始せよ』

神の声が命じた台詞は、王の声が唆すものとはまるで真逆の意味を秘めている。

『カナタ!錦鯉きゅんっ、タイヨーのヌードを妄想して鼻血吹いてしまったのかしら!』
「いえ、鼻からではなく耳から」
『タイヨーの喘ぎ声を妄想して耳から血が?!はふん、僕もうっかり耳から血が出そうですっ』
「ラウンジゲートならもう目の前ですが、猊下、幾ら何でも不特定多数の視線に曝される大浴場をご利用になるおつもりですか?」

携帯を取り出し耳に当てながら、Sマークのゲートに息を吐いた。

『温泉久し振りで興奮してますっ。去年の冬休みに皆で行った時以来にょ!』

煌びやかなゲートを潜り、中に居た生徒らから注がれる視線を睨み付け、手ぶらである事に気付いて舌打ちを噛み殺す。耳から滴り落ちた血液がブレザーを汚している様だが、慌てて近付いてきた生徒を視線だけで振り払い、その場でブレザーを脱いだ。

「あれは銭湯であって、あの時は貸し切ったから良かったものの…」
『イチのマンションのジャグジーより広いのかしら?ハヤタの無人島にあった湧水温泉より熱いのかしら?!』
「猊下、帝君部屋にも露天ジャグジーがあるでしょう?それで我慢して下さい」

購買コーナーの店員を片手で手招き、汚れたブレザーのクリーニングと風呂に必要なものを適当に見繕えと命じ、ピアスを恐らく裂けているだろう耳の別の穴に付けた。

『あ、エレベーターが止まったにょ!』
「迎えに行きますからそこから動かないで、」
「錦鯉きゅんっ、お待たせェエエエ!!!」

つい先程要が潜ってきたラウンジゲートから、しゅばっと俊が駆け込んでくる。
ゲートの向こう側がエレベーターに変化している事に気付いた生徒達が俄かに騒いだが、俊を下ろし扉を閉めたそれは、別の生徒が開いた時には既に廊下の風景へ戻っていた。

「…モードチェンジ、ですか。就任初日から既に帝王院を掌握してますね、猊下」
「ぷはーんにょーん!コーラお代わりィ!あ、錦鯉君もコーラにします?それともファンタ?」

飲み放題のドリンクバーに齧り付いた俊が、早速コーラを腰に手を当てたスタイルで飲み干し、今更気付いた要の分の紙コップにコーラを注ぐ。

「結局コーラですか」
「嫌なにょ?もう飽きたにょ?うっうっ、それでも僕は愛してるにょ!」
「コーラを、ですよね」

何だか危ない会話に皆の視線が刺さった。ただでさえ有名人である俊が、要と並んでいたら目を引くのだろう。

「タイヨー、露天風呂に行っちゃったのかしら、サウナで汗掻きながら集団強姦かしら…露天風呂で青姦もアリっちゃ、アリ!」

こそこそと囁き合う不特定多数の人間を逐一睨みながら、怪しい台詞に身悶えた俊が抱き付いてくるのに狼狽えた。

「お耳、舐めたら治る?」
「そ、総長っ」

うっかり総長と呼んでしまったその時、休憩所の液晶テレビが変化したのだ。
ペロン、と耳を舐める感触に照れている場合ではない。

「あっ、あれって!」
「嘘だろ?!」
「きゃー!」
「本物?!」

騒ぎ発てる生徒を気にしながらやって来た店員が、レジ袋を手渡してくる。支払いに必要なカードをスラックスから手探りながら、視線は液晶テレビに釘付けだ。

「これでお支払出来ますか?」
「クロノスカードですね。お支払は結構です。ご利用有難うございました」
「ふぇ?あにょ、でも、お金…」
「いえ、天皇猊下から頂戴しては、懲戒免職になってしまいますので」
「これがBL小説で良く出てくるブラックカードかしらっ」

俊が動きの悪い要に代わった支払いを済ませてしまうのを聞きながら、自分のIDカードにはしゃぐ俊の腕を掴む。


「猊下、あれはどう言う、」
『良く聞け、帝王院の餓鬼共!』

液晶から響いた声音に、周囲が沈黙に包まれた。恐らく敷地内全てのスピーカーから同時放送されているのだろうその声は、凄まじい音量で帝王院全域を支配する。


『初めましてだなァ、俺を知らない奴らには挨拶してやろう。俺はカルマ、暗黒皇帝だ』

漆黒のジャケット、純白のタートルネックに艶やかなレザーパンツ、膝まで伸びたブーツにパンツの裾を隠して、ダークグレーのサングラスを押し上げた唇が笑う。
その隣、紅蓮のローブコートを翻した長身が朱色の仮面を纏い、付き従う様に佇んでいて。

『今宵、俺が月の代理人として空を飾る。人間共!絶対なる皇帝の前で跪くが良かろう!』

そんな馬鹿な、と。
紙袋を抱えた俊を驚愕に満ちた目で眺めた。

『可愛いお姫様を返して貰う。…刃向かう奴らには容赦しねェ、やるなら全力で来い』
「ささ、早くお風呂行きましょ、錦鯉きゅん」
「な、何、何で、一体、どう言う、」

手を引かれロッカールームでやはり不特定多数の視線を浴びながら、睨む気力も無い。

「きゃ、泳いだらやっぱり怒られちゃうにょ!でも僕、良く考えたらカナヅチですっ」

躊躇い無く素っ裸になった俊が何一つ隠す事無く、然し眼鏡とデジカメは忘れずに走って行くのを辛うじて止めて、頬を染めた生徒達が俊の股間を見つめている事に肩を落とす。

「撮影は禁止です。公安委員である貴方が風紀に捕まってどうするんですか」
「ちぇ。タイヨーと桜餅のヌードは眼鏡と心のアルバムに封印するにょ」
「せめて腰にタオルを巻いて下さい」
「ふぇ?でも、ハヤタが隠すのは男らしくないって言ってたにょ」
「ええええ、あの馬鹿が言ってましたね、確かに去年。然し、我が身が可愛いなら是非とも隠して下さい。…男から押し倒されたいんですか」
「あにょ、えっと、腐男子に発情するくらい溜まってる狼さんも居るかも知れないなり…」

要の凄まじい眼差しにビビったオタクが涙目でタオルを巻き、しずしずと浴室のドアを開いた。
俊にタオルを奪われた要は素肌にバスローブを羽織っただけで後に続き、直ぐ様頭にタオルを乗せた老人の様な風体の太陽を見つける。


「…若年寄り」

俊は洗い場に行ったのか姿が無く、ふひぃ、と親父臭い息を吐いた太陽が閉じていた目を開き、ばっちり視線が合った。

「錦織君?!な、何で君がこんなトコにー?」
「猊下に誘われましてね」
「バスローブが嫌味なくらい似合うね!」
「嬉しくありません」
「ぁれ、太陽君何処〜?」
「桜、こっちこっち」

頭にアヒルスポンジを乗せた桜が要に怯みながら、太陽の隣に滑り込む。火照った頬を見ると、サウナに入っていた様だ。

「俊が来てるみたいだよー。錦織君と一緒に」
「そぅなんだぁ。それより太陽君、さっきサウナのテレビにねぇ、」

バスローブを脱いだ要が周囲を威嚇しながらシャワーブースに向かい、風呂道具を持っていない俊を目だけで探す。すぐに見つけた俊は、然し眼鏡集団に囲まれてシャンプーされていた。

「天の君…いや、遠野様、痒い所はありませんか」
「気持ちい〜にょ」
「遠野様、シャンパンとロゼどちらがお好みですか?」
「コーラが好きです」
「こ、このピンクのシャワーキャップを是非とも遠野様にっ」

聞き慣れた声によると、どうやらその眼鏡集団はクラスメートの様だ。


「…何をやってるんですか?」
「「錦織様っ」」
「見たままだよ、錦織君。ボク達は遠野様とお友達になったんだ」
「眼鏡フレンズだから、メガネーズって呼ぶにょ!」
「「「遠野様っ」」」
「………」



頭が痛くなってきた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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