帝王院高等学校
さーせん!主人公の出番はいつですかっ?
嫌な目をしている。
それが第一印象だ。忘れる事はないだろう。

それが同族嫌悪だと知るのは、第一印象を感じたずっと後の話だった。
今になって冷静に振り返ってみると、自分は随分と単純だったと、恥ずかしさを帯びた呆れがない事もない。けれもあの頃はまだ自分で自分を余りにも理解していなかった。
そう、子供だったのだ。幼かったと言う事だ。

「まだ居やがる。そろそろ殴るぞ」

視界に割り込んでもまるで存在しない様に扱われる、それが何日続いただろう。半ばその傲慢にして冷酷な対応を受け入れ掛けていた時、刺々しいほど凛とした彼の表情が、俄に綻んだ。

「暴力で従わせよう。即物的ですね」
「そう扱われたくなけりゃ、勝手にベランダに住み着くな」
「じゃ、何処に行けば良いんですか」
「自分の部屋に帰れ」
「そしたら俺達は接点がないままじゃないですか」
「ああ、なくて良いっつってんだ。毎日毎日視界に入り込んで来やがって…」
「嫌なら俺を避ければ良いのに、負けず嫌いなんでしょ?」

殺すぞとばかりに睨まれたが、そもそもの人相がそう見せているだけなのかも知れないと、最近は思えてきた。壮絶に睨まれた初日から今まで、授業の間を除いた全ての時間を費やしてきたお陰で、感覚が麻痺してきたのかも知れない。

「だけど本当は優しい癖に。俺の為に自分の朝ご飯を食べないで、鍵を開けたままの窓辺に置いてたり、」
「お前の為じゃねぇ、朝は食う気にならねぇだけだ」
「わざと夜になったら学園を抜け出したり」
「どっかの浮浪者が人の部屋の軒先に住み着いてやがったからだ」
「俺に付き纏われたくなかったら、一言言えば良かったでしょ。明らかに嫌そうなのに、話し掛けたら負けだって感じだったじゃないですか」
「クソ黙れクソ餓鬼」
「一歳しか変わらないのに子供扱いしないで下さい」
「可愛くねぇ」

ああ、そうだとも。
自分の可愛いげのなさは天下一品だ。そんな事はわざわざ指摘されなくても判っていた。

「男の癖に髪を伸ばしてる先輩に比べれば、俺なんかが可愛い訳ないでしょう?」

にこりと微笑めば、がりがりと見事に真っ赤な髪を掻いた男は、鼻から長く息を吐き出す。

「その口調わざとやってんのか?」
「は?」
「…無自覚か。うぜぇ」

それは呆れだったのかも知れない。
いや、確実に呆れていたのだろう。初めて話し掛けた日から実に数週間、毎日毎日、無視されようと構わずに話し掛けた。
我ながら執拗に追い回したし、こうして、待ち伏せる様に彼の部屋のバルコニーの片隅で、夜を過ごした。それで怒らない人間が居たとすれば、単に馬鹿か余程のお人好しだろう。然し目前の男は、そのどれとも違う。

寧ろ、どうして良いのか判らない、と言った雰囲気だ。持て余している様な。不機嫌そうに見えるが、相手が怒っているなら、その言葉通り先に殴っていた筈だ。

「紅蓮の君、中に入っても良いですか?」
「図々しい事ほざいてんじゃねぇ。空気の入れ換えで開けただけだ」
「毎晩此処で震えながら寝ていたので、体調が優れないんです…くしゅっ」
「わざとらしい事すんな。テメー、毎晩寝袋持ち込んでやがったろ」
「ちっ。…やっぱりバレましたか」
「糞鬱陶しい似非眼鏡にそっくりだなぁ、お前はよ」
「はい?それって、最近中等部に入ってきたお姫様の従弟の事ですか?」
「判ってんならほざくな。…仕方ねぇ、コーヒーくらいなら出してやらん事もない。入りたきゃ入れ」

とうとう、初めてバルコニーの向こうから顔を覗かせた男は、諦めた様に内鍵を外してドアを開いてくれたのだ。

「『初めまして』、祭青蘭と申します。以前も自己紹介したんですが、殿下は俺の話なんて聞いてなかった様なので、改めて宜しくお願いします」
「宜しくしてやる義理はねぇ」
「それが先輩の台詞ですか?可愛い後輩がお願いしてるのに」
「お前の何処が可愛いか言ってみろ」
「俺の方が知りたいです」

余程頭に来たのだろう。
ガンッと言う凄まじい音と共に、錦織要の目の前に置かれたマグカップから、黒い液体が幾らか飛び散っていた。

「危ないですよ。俺に掛かって火傷したらどうするんですか」
「はっ、火傷なんざ怪我の内に入るか」
「十分大怪我だと思いますが」

初等部は基本的に二人部屋だが、初めて入った他人の寮室をキョロキョロと見渡せば、この部屋に他の住人の気配はない。

「陛下がこの世で最も可愛がってらっしゃる弟さんは、特別扱いで個室なんですか?」
「誰が誰を可愛がってるだと?いい加減、殴っても良いか」
「痛そうなのでお断りします。俺は洋蘭と違って、殴られて喜ぶ様な趣味はないので」
「どうだか。…ついでに言っとくが、同室者は一身上の都合で殆ど部屋に帰って来ねぇだけだ。形式上、ルームメートは居る」
「そうですか」
「テメーみてぇなもんだ。兄弟同然に育ってきた幼馴染みの部屋に住み着いてやがる」
「へぇ」

そもそも物自体が少なく、片づけが苦手だから散らかさない様にしている要の部屋とは違って、此処はホテルの一室の様な清潔感を感じる。
物欲が薄いのか、単にハウスキーパーを雇っているのか、暫く考えてみたが、錦織要には判らなかった。いや、答えを探そうとしていないだけかも知れない。無理もなかった。浮き足立っているのか、緊張しているのか、自分で自分の事も判らないのだから。

「カフェインは子供には毒なので、林檎の搾り汁と黒酢をミネラルウォーターで割ったものを下さい」
「あ?何だ、その変なオーダーは」

話を変えようとした訳ではなかった。そわそわと落ち着かない自分を落ち着かせる為に、ほんの思いつきを言葉にしただけだ。
今までなつかなかった動物が急に擦り寄ってきた、と言わんばかりの現状に慣れるまで、どう繕っても暫く懸かる。すぐには無理だと、要は変に冷静な目で己を判断したのだ。良い意味でも悪い意味でも、目の前の男は、要が良く知る叶二葉とは違う。単純そうで、その逆、扱いが難しそうだ。

好きでも嫌いでもない相手には話し掛ける事は愚か、近寄りもしない、そもそも視界にも入らない単純明快な二葉に「喉が乾いた」と言えば、至極面倒臭げに「俺の分も買ってこい」と金を渡される。
例えばそれに要が毒を入れたとしても、二葉は躊躇わず一口だけ他人の口の中に注ぎ込み、致死量に至るほどの毒ではないと判断すれば、口をつけるだろう。トリカブト程度では死なない男だ。

ならば目の前の相手は、どうだろう。

「そこにバルサミコがありますが、黒酢はないんですか?黒酢なくして酢は語れませんよ先輩」
「そんくらいあるわ!ったく、俺を誰だと思ってやがる…」
「嵯峨崎佑壱先輩」
「かっわいくねぇ」

吊り目気味の目尻のまだ上、こめかみをひくりと震わせた佑壱が片方だけ唇を吊り上げた。
ズカズカと足音を発てんばかりの勢いでキッチンへ消えた佑壱の足元に、随分似合わない桃色の綿毛が見えた様な気がしたが、佑壱が消えるなりコーヒーに口をつけた要はカッと目を見開き、焦がしたチョコレートの様な味で満たされた口を押さえる。

初等部は一日三食が給食制で、基本的に配給されたもの以外を食べてはならない。生徒一人一人のアレルギーなどを個別に配慮し、基礎代謝等のパーソナルステータスに応じて、専門の調理師によって調理された食事を食べるのだ。
保護者がこぞって子供を帝王院学園へ入学させたがる最たる理由でもあり、食育の完全形とも言われていた。それなのに、この部屋には給食で支給されたものとは思えない、調味料や機材が多くはないだろうか。

「缶コーヒーとは香りが違う、様な気がする…」
「おい、糞餓鬼」
「祭青蘭です。物覚えが悪いんですね」
「学籍登録してんのは錦織要だろうが」
「…知ってたんですか?」

キッチンからトレーを片手に戻ってきた男の、とても初等部六年生とは思えない顔立ちを、やや驚きを込めて見上げた。どれほど執拗に話し掛けても、今の今まで無関心だった癖に、やはり六年生で最も優秀な男だ。
確実に来年、中等部へ上がれば、嵯峨崎佑壱は帝君認定されるだろう。

「んなもん、少し調べりゃ判る」
「俺に興味を持ってくれてたんですね。それなのに二週間も無視してくれたんですか?」
「だったら何だ」
「性格が悪い」
「テメーには言われたかねぇな」
「確かに」
「セルフサービスだ、好きにしろ」

置かれたトレーの上に、皮が剥かれた林檎と黒酢のボトルが並んでいる。新しいグラスとミネラルウォーターのボトルは、面倒臭げに指を差す佑壱に従って、リビング脇の棚と小型冷蔵庫からそれぞれ失敬した。

やはり、二葉とは似ている様で、全く似ていないらしい。

「面倒見が良いって言われた事ないですか?」
「はっ。そりゃ皮肉かよ」
「ないんですね」
「良く喋る餓鬼だ」
「俺は思います」
「あ?」

とくとくと注いだ水の中、丁寧に剥かれている林檎をおろし金でゆっくりすり下ろしながら、徐々に緊張が解れていくのを感じている。

「貴方はきっと良い親になりますよ、紅蓮の君」

けれど今は、まだそれだけだ。






ほらね。言ったでしょう?
まるで何かの罰の如く孤独を選んでいた貴方の周りは、すぐに人で溢れた。

その誰もに至極面倒臭げな表情をしながらも、その誰もに分け隔てなく同じ態度を見せる貴方は、王か神か、同じ人間とは到底思えなかったのです。



あの時までは。








「こんばんはあ」

第一印象は最悪だ。
月と宵闇を背負ったその男は、三日月の様に細めた双眸の下、三日月の如く歪めた唇を吊り上げていた。

街灯と月の光が頼りの公園に、人の数だけは異常に多い。そんな夜。
いつか「皮肉かよ」と嘲笑った男は、近頃まるで年相応の子供らしく笑う様になった。みっともないほど大声で怒鳴る様になった。それら全て、自分の存在は何ら関与していない事を、錦織要は理解している。

「やだねえ。生きるゴミが人様に迷惑掛けて、罰せられないなんて…」

カルマと言う、行き場のない子供らに与えられた特別な『銘』は、それを作った男の手から、新しい男へと委ねられた。
兄の様に父の様に、誰もが『ユウさん』と言って慕った男は今や、まるで母の様に見える。
そんな男を唯一『みっともない子供』にしてしまうのは、髪も瞳も黄金で塗り固められた様な、狂暴な肉食の猫だけだ。そう、まるで小さいライオンの様な。

「…何だぁ、テメェ。部外者が首突っ込んでんじゃねぇ、失せろ」
「俺的にはテメーが今すぐ失せろって感じだがな」
「やだ〜!今の聞いた、シュンシュン?!アイツ意地悪ばっか言ってくるんだよ、酷いよね〜」
「うっわ、出やがったクソぶりっこ。そこの紳士ぶってるブロンズ野郎、そいつ連れて帰りやがれ。主に総長と俺が迷惑してる」
「おやおや、困りましたねぇ。高坂君は私の言う事を十割方聞いてくれないんですよ」
「なんて使えねぇ奴だ!総長、仮面被ってる奴は大概クソ野郎なので近づいたら駄目っスよ!」

賑やかな夜だ。
誰もが奇妙に思っていない。例えば、月を背に嫌な笑みを浮かべている男が誰なのか、少なくとも帝王院学園の生徒であれば、知っていた筈だ。
腹を抱えて笑っている高野健吾も、欠伸を噛み殺せていない藤倉裕也も、勿論、全校生徒のデータくらい覚えていそうな二葉も、中央委員会副会長である高坂日向にしても。それなのに何故、誰も警戒していないのだろう。

「ねえ。アンタが王様?」

あの男の目は真っ直ぐ、鋭く尖った猫の爪の如く、一人を見つめているのに。

「シャム猫。中秋の名月が似合いそうな」
「…はあ?なに頭悪いこと言ってんの?」
「いや、警戒心の強いドーベルマン、か」

誰もが疑問に思っていない。
ジャングルジムの上、風に靡くファーに覆われた口元に笑みを刻む男が、座ったまま人差し指で宙を掻いている光景を。
メトロノームより正確に、テンポを刻んでいる事を。ああ、音もないのに旋律が見える様だ。どうして誰も気づかないのだろう。そんなにゆったりと、いつもと変わらない表情で、いつもと同じ態度を崩さないのか。



「悉く俺の描いた脚本通りで、好都合だ」

星、だ。
星が見えた。真っ暗な闇の中に、真っ黒な星が。




第一印象は最悪だ。
(三人共)(佑壱も)(隼人も)(俊、も)

緊張を圧し殺してタイミングを窺い、意を決して話し掛けた佑壱は、要に一言も返事をしてくれなかった。それ所かそれから二週間、要を居ないものとして扱ったのだ。

何の脈絡もなく唐突にカフェに現れた学ラン姿の芋臭い男は、やはり何の断りもなく唐突に、新しい総長だと宣った。それを誰が納得する?誰が素直に受け入れる?佑壱は騙されているのだと、要ですら疑ったのに。

いつも要の目の前の席は空席で、帝君の癖に殆ど姿を現さない男は、外でモデルなんて仕事をしているらしい。経済情勢以外に興味がない要はテレビも雑誌も見ないので知らないが、親衛隊まではいかずとも、ファンは学園内にも存在するらしい。



「ねえ、ほんとに男?」

繰り返す様で心苦しいが、第一印象は最悪だ。
同じクラス、同じ教室の、席順は前後。にも関わらず、カルマの総長に喧嘩を売って、当の本人には指一本触れる事も、まして触れられる事もないまま袋叩きにされた筈の男は、佑壱から抱えられる様に連れて来られたカフェで。

「その面でちんこついてんの?」

絆創膏と湿布だらけの無様な姿へと変わるなり、馬鹿にしているとしか思えない台詞を宣ったのだ。
要は己を女顔とは思っていなかった。幼い頃から健吾や二葉を見慣れていたからかも知れない。二重と言うのも憚られる一重に近い奥二重に、佑壱程ではないが吊り上がった目尻、アジア人らしく唇も薄い、食が細い訳でもないのに線の細い印象を与える体格は認めるが、身長だって低い方ではなかった。隼人が高過ぎるだけだ。

だから要は、その台詞は健吾に言っているのだろうと思っていた。
隼人程ではないが度々授業をサボる健吾や裕也は、夜間補習で単位の帳尻合わせをしている。滅多に登校しない隼人が、健吾を知らなくても無理はないと思ったのだ。
まさか真後ろの席、つまり帝君に続く学年次席である要の顔を知らない筈がないと、高を括っていたのである。

「かっわいー羽根なんかつけてるから女だと思ったのに、紛らわし」
「な、んだと」

その時やっと、隼人の台詞が自分に向けられたものである事に気づいた。佑壱が首輪を与えられた様に、要もまた、誕生日に俊がくれた、小さな指輪に羽根がついたイヤーカーフをつけている。カルマの幹部を示す証の様なものだと、貰ったその日からずっと自負していた。
健吾にはベルト、裕也はアンクルベルト、それぞれ毎日必ず着けているそれは、仲間達から羨望の目で見られる事はあっても、貶された事など一度としてない。

「うっひゃー!カナメがご乱心だー!(ヾノ・ω・`)」
「落ち着いて下さいカナメさん!何があったか知りませんけど、一発にしとかないと、そいつ死ぬっスよ?!」
「ユウさーん!カナメさんがマジギレしてますっ、止めて下さいっ」
「総長!さっき連れてきた奴もっぺん手当てしねぇとやばいかも!」

自分が子供である事に気づいたのは、握り締めた拳がじんじんと痛んでからだった。満月には程遠い欠けた月は、窓辺のガラスの向こう。
噛み締め過ぎた唇から滴る血の味、羽交い締めにされたまま、睨みだけで人殺しが出来れば、たった二発殴っただけの相手は今頃、何十回死んでいたのか。


「俺の誇りを、貴様如きが馬鹿にするな!」

殴られた頬を押さえるでもなく、目を丸めていた隼人は何を考えていたのだろう。数人掛かりで羽交い締めにされて、みっともなく暴れながら怒鳴り続ける要を、馬鹿にしていたのだろうか。それとも、いつかの佑壱の様に、呆れていたのだろうか。

「自分が大切にしているものを貶されて受ける怒りがどれ程のものか、お前の大切にしているものを壊して同じ気持ちにさせてやる…!必ずだ!俺の言葉を覚えていろ、神崎隼人!」

ああ。
どうせなら最後まで、あの虫酸が走るほど嫌な目で、見つめてくれれば良いものを。そうすれば自己嫌悪など覚えずに済んだ筈だ。少なくとも、自分の幼さを突きつけられた様な気持ちにもならなかっただろう、と、何を言っても、後の祭り。

「ごめん、ね」

第一印象ならば確実に最悪だ。
それが同族嫌悪だと感じたのは、それよりずっと後の話。簡単に言えば、神崎隼人と言う帝君でしかない同級生が、『カルマのハヤト』に変わった頃だ。
要が殴った頬の腫れが引いて、彼の誕生日がやって来て、カウンターの席に星の形をしたクッションが増えて、カフェのドリンクメニューにカルピスとミルクセーキが増えて…いつの間にか、そこにいる事に慣れた。

テスト以外では出席しなかった隼人が、珍しく教室に現れた時。
開口一番に宣った台詞と言えば、


「あれー?カナメ何でそこに座ってんのお?」
「…本気で知らなかったんですか?俺は学年二番ですよ」
「だって考査受験は講堂だし、席順は三学年合同で抽選だし」
「何でお前なんかに負けたのか判りません。心底納得出来ない」
「あは。だったら進級考査で勝負する?」
「良いですよ。俺が勝ったら、右手の中指につけてる指輪下さい。プラチナですよね」
「ピンポイントで最高値を指名するとは、極めてんねえ。よいよ、どーせ隼人くんが勝っちゃうしい♪」

さりとて、要が隼人の指輪を転売して稼ぐ事は出来なかった。事情は察して余りあるだろう。負けて悔しがる要にカルピス奢れと宣った隼人には、そんな約束はしてないと突っぱねた。
要にとって『どケチ』は誉め言葉だ。








「と言う、昔話を思い出しました」
「「は?」」

巨大な蛇の脱け殻をストールの様に首に巻きつけた錦織要の呟きに、蛇の蒲焼きを貪っていた男二人が振り返る。
一口も口をつけない男二人は沈黙を守っており、既に食い終わって巨大な蛙を見つめながら『脚がうまそう』とばかりに微笑んでいる男と言えば、要の呟きなど何処吹く風だ。

「あの時、俺がハヤトを殺していたら、こんなに大きな蛇の脱け殻を巻いて蛇の蒲焼きを腹に納める事はなかった。がっぽり儲かったら、今度はカルピスくらい奢りますよ」
「いきなし何を言うかと思ったらさあ…。最近はカルピスよりハニーレモネードなんだよねえ。あと、ルビーグレープフルーツにも目覚めて来たんだあ。あ、でもアレはお砂糖追加しないとちょっと酸っぱい」
「ハヤトさんはカルマ1の甘党だもんね」

むしゃむしゃ男らしく蒲焼きを貪っている川南北緯と隼人は、消えつつある焚き火に小枝を交互に放りつつ、焼きすぎて焦げそうな串を、隼人は加賀城獅楼へ、北緯は西指宿麻飛へそれぞれ差し向けたが、どちらも無言のまま首を振った。
図体だけ立派な獅楼は、故郷の沖縄に頻出するハブでトラウマを抱えているらしく、蛇だけでなく爬虫類全般が苦手だ。育ちの良いお坊っちゃまな西指宿は、ゲテモノの類を受け付けない。

蛇を食べた癖にその上まだ蛙を食べる気でいるらしい勇者と言えば、異常に着太りしている叶二葉くらいだ。喰えるものは何でも喰う男だが、頑なに好物である肉は食べない。

「焼き物の後に焼き物では、芸がありませんよねぇ。…ふぅ。とは言え、揚げ物には油が必要ですし、煮物には根菜か里芋がないと…」
「ゲコッ」
「おや?ぶよぶよなお腹の贅肉を切り落として脂肪を絞れば、天ぷら油になるではないかですって?」
「ゲェェェコ、ゲェェェコ、グェ!」

その反動だろうか、哺乳類でなければ肉ではないと己に言い聞かせ、怪しく光る眼鏡を押し上げた。
西指宿から隼人に乗り換えたかと思われたレインボー乙女蛙は、然し二葉が現れたのと時同じくして、さらっと二葉に乗り換えた為、どうにか二葉に食われたいと必死な様子である。顔色を削げ落とした獅楼は失語症を患ったのか、絶望の最果てに放り捨てられた様な表情で膝を抱えている。丸めた背中が哀れだった。

「にしても、カナメさんがハヤトさんを嫌ってたなんて初耳かも。詳しく取材して良い?」
「せんでよい。んな事より、あんのカスチビが何処に逃げたのか探す方が先」
「気持ちは判らなくもないですが、山田君を探し出した所で何がどうなるものでもないでしょう?夢は覚めるのを待つしかないんですよ」

隼人曰く、山田太陽の手によって首を跳ねられた要は教室に体だけ残っていたそうだ。然し要本人にはその記憶がない為、太陽に対して怒りはない。気づいたら森の中にいた、それだけだ。とりとめのない夢世界の場面転換に、一々怒る方がどうかしていると思っている。
要と同じく頭を吹っ飛ばされたと言う二葉も、要と同じ様に気づいたら森の中だったらしい。北緯と行動を共にしていた獅楼は最初からボロボロで、夢の中にも関わらず疲労が滲んでいた。兄には話を振らなかった隼人の所為で、西指宿は殆ど喋っていない。

「ウエスト、お鍋になりそうな物を探しなさい」
「蛙の唐揚げは流石に色んな意味でマズイですって、マスター。アンタBL小説で何やらかそうとしてんの?設定おさらいしますけど、アンタ『中性的な超美人で性悪・陰険・二重人格』っつー立場なんすよ」
「蛇をがつがつ食べる美人…おれ認めない…」

メンツがメンツだけにやさぐれている獅楼の呟きに、西指宿だけが気の毒げな顔をする。貶された本人は獅楼など視界に入れるつもりもないので、平然といつもより膨れている腹を叩いた。

「ふぅ。何だかブレザーが苦しいんですよねぇ」
「シャツの下に何か入れてません?どぎついピンクの布がはみ出てんすけど、アンタそんな腹巻き持ってましたっけ?色気の欠片もない黒のヒートテックは、何枚も持ってんの知ってますけど」
「ハニーを想う私のストロベリーハートが飛び出てしまうのは、最早致し方ない事です。読者の皆さんも許して下さいますよ」
「いっそ見離してくれたらいいのに…」

荒んでいる獅楼の暴言には、誰も突っ込まない。
どうせ夢ならとばかりに二葉に対して鋭く突っ込み続ける獅楼は、益々猫背を極めた。180cmの体格がいつもより小さく見える。

「体格以外、特に褒められた所がないシロが痩せ細る前に目覚めたいのは山々ですが、こんなに大きな蛇の脱け殻を現実に持ち帰れない事だけが心残りですよ…。ハヤト、何か良いアイデアはありませんか?」
「あれこれ起きすぎて、かなり現実逃避してんだねえ、カナメちゃん。よいですか?ジンクスとか神頼みとかに頼るなんてカナメちゃんらしくないよ?お金は天下の回りものってゆーしさあ、溜め込んでるヘソクリちょこっと使って、戻ってくるの待ってたらどお?」
「ふむ…確かに一理ありますね」
「カナメちゃんがしおらしいと何かキモい」

愛しげに脱け殻へ頬擦りしていた要の右手が、真っ直ぐ隼人の左頬を殴った。一応避けようとしたらしい隼人は、然し地面に巨大なシダの葉を重ね敷きして胡座を掻いていた為、重ねた葉がズレてバランスを崩し、殴られた拍子に背中から崩れ落ちる。
食べ終えて汚れた唇を指で撫でていた北緯は、指の汚れを男らしく舐め取りながら、それほど変わらない表情を呆れで歪めた。

「ハヤトさん、今の判ってて言ったの?それとも、わざとカナメさんを煽った?」
「わざと4割、カナメの手が早すぎるのが6割かなあ…」
「馬鹿じゃない?」
「てんめー、それが舎弟の台詞かあ」
「ウエストも馬鹿だけど、兄弟ってやっぱ似るんだと思った」
「はあ?!」
「おっまえ判ってんなー!キタさんにゃ似てねぇ癖に、川南この野郎、川南〜!」

北緯の台詞で、馬鹿と呼ばれた兄弟はそれぞれ真逆の表情だ。花を撒き散らさんばかりの笑顔が兄で、花を枯らさんばかりに表情を黒染めしたのが弟だ。

「は・や・と・きゅ〜ん、お兄ちゃんと恋ばなしましょ〜お」
「お花畑で死ねや、こらあ!」

浮かれた兄はふわんふわんと跳ねる様に隼人に擦り寄り、ツツツンと隼人の頬を指でつついて、目にも止まらない早さで殴り飛ばされたが、頬を押さえながらも笑顔が止まらない。
にへにへ気色悪い笑顔の西指宿から、二葉を含めた全員が目を逸らした時、ガサガサと同時に別方向から音がした。それぞれ音が近い方向を見やった全員が見たのは、

「ほら、やっば何か良い匂いがするっしょ?(・ω・`)」
「花畑で鼻が麻痺して、判んねー」
「さ…桜が居ない…俺の桜が何処にも、居なかった…!」

いつも通り満面の笑顔で藤倉裕也の手を引いて飛び出してきた草だらけの高野健吾と、ただでさえ色白なのに今や顔色が透明な東條清志郎だった。
この場合、二葉の前ではABSOLUTELYの振りをしなければならない筈の男は、凄まじい勢いで要と北緯の元に近寄ると、形振り構わず叫んだのだ。

「カナメさん、ホーク、桜を捜してくれないか!俺の、俺の桜がウエストに見つかったら何をされるか判らない!」
「おい、この野郎、イースト。オメーは初等部からの親友の前で、一体全体、何ほざいてくれちゃってんですか?俺ってそんな信用ねぇのかコラ」
「おや、あると思っていたんですか?」

さて。
全員の心の声を代弁したのは、妊娠が疑われている腹回りがパンパンな眼鏡である。性悪・陰険・二重人格の三重苦に、加えて『地獄の底でもきっと根に持つ』と思われる魔王は、忘れていなかったのだ。

「さぁ、俺と一緒におさらいしようか2年Sクラス西指宿麻飛。テメェが俺のアキに何をやらかしてくれたのか、まさか忘れたなんざ抜かしたら、…ふふ。殺すだけで済ませられる自信がありませんねぇ…」

地を隠す気がないらしい二葉は、珍しく笑顔ではなく真顔である。
痙き攣った要が『あれは本気でキレてる』と囁いた瞬間、二葉以外の全員が青褪めたのだ。
ぽっくり気絶した巨大蛙を除けば、の、話である。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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