帝王院高等学校
眼鏡と眼鏡でダンスダンスレボリューション!
非常事態だ。
いや、異常事態と言っても過言ではない。

「本来ならばこの場で全員を逮捕する所だが、隊長自ら自首した事を踏まえ今の所はまだ、風紀に通達していない」

初めから違和感はあったのだ。拭いされない予感じみた、そう、言い知れない不安が。
約束の九時を回っても現れない隊長、早朝から俄に慌ただしかった校舎周辺、昨日までは我が物顔で出店していた工業科の作業着姿も余り見掛けない。規則に煩い進学科の、抱かれたいランキング常連の『お姫様』が遅刻してくる事など、かつて一度としてなかった事だ。

約束の場所に集まった親衛隊員一同は、時間を30分近く過ぎた頃にやって来た隊長を見るなり、言葉を失った。愛らしさを讃えられ続けた彼が、傍らに見慣れない男らを連れている事も十分な驚きだったが、言葉を失った理由はそれだけではない。

艶を帯びて柔らかかった彼の髪が、見事に全てなくなっていたからだ。

「変な動きをしない様に。我らABSOLUTELYランクC、神帝親衛隊は例え光炎親衛隊の諸兄らであろうと、何ら贔屓はしない」
「我らは一人残らず神帝陛下の忠実な下僕にして、」
「天の君を見守る天帝親衛隊でもあるのです」

ざわりと、光炎親衛隊がざわめいた。
天帝親衛隊を名乗るメンバーの中には、たった今の今まで光炎親衛隊の生徒だった姿も見える。
恐る恐るスキンヘッドと化した姫君を見やった親衛隊員らは、彼の傍らに片時も離れず寄り添っているバトラー姿の長身に眉を潜めたのだ。

「この度の件は、全て僕の…俺の甘さが招いた不始末だ。許される事とは思っていないが、改めて謝罪する」
「た、隊長っ?!俺だなんて、柚子姫様の品位を欠く一人称はおやめ下さい…!」
「何があったのですか姫様!光王子の恋人筆頭候補であらせられた貴方が、どうして…!」

ぺこりとつるつるの頭でABSOLUTELYを自称する生徒らに頭を下げた男は、小柄な体躯に備えた愛らしい顔を曇らせた。今まで自分に従ってくれた隊員達を見渡し、ぺこりと再び頭を下げる。
後頭部にじょりじょりと剃り残しが見えた。

「光王子…高坂への恋心なんてものは、俺には初めからなかったんだ」
「ええっ?!」
「そ、それではまさか、姫様が昔お別れになった『ハヤト』と言う恋人が本命だと言う噂は、本当だったんですか?!」
「そ、そんな、ハヤトと言ったら、あの星河の君が柚子姫様の…?!」
「冗談じゃない!神崎隼人は…体格と喋り方が颯人に似ていただけだ!」

ざわめく隊員の言葉にキッと顔を上げた男は、しゅばっと傍らのバトラーを背後に隠す。が、190cmはあるだろう長身を彼の小さな体躯で隠しきる事など、出来る筈もない。

「ゆ、ゆうちゃん、僕は大丈夫だから…ね?」
「颯人は俺が守る。…聞いてくれ、皆。此処の伊坂颯人は、俺のこの世で一番大切な人だ」

ざわりと、ざわめきが広がった。
ふらりと目眩を起こして倒れる者が頻発する光炎親衛隊に引き換え、ふらりと目眩を起こしながらも光の早さでメモを取っている神帝親衛隊員らは、『もえ』『もえ』『ギザ萌え』と囁く。シャシャシャッととんでもない早さでスケッチブックに書いていく生徒は、傍聴席から裁判を凝視する裁判作家の様だ。

「光柚子姫、恐れながら、そちらの伊坂さんは職員の方の様ですか…?」
「違う。颯人は、」
「訳あって僕は、現在3年Fクラスに所属しています。この姿は、昨日まで中央委員会直属のバトラーとして職務していた時の制服です」

高坂日向の恋人として語られる事も多かった、3年Sクラスの柚子姫こと宮原の背後で、申し訳なさげな表情ながら背を正した男は優雅にお辞儀をする。
その立ち振舞いは確かに帝王院学園で働くバトラーそのものだったが、ざわめきは最高潮に達したのだ。

「Fクラスですって?!」
「なりません姫様…!Sクラスの柚子姫様がFクラスの男とお付き合いなさる事など、あってはなりません!」
「颯人を貶める様な発言は許さないぞ!」

隊員らを一喝した男は、160cmあるかないかの体躯で肩を怒らせた。牙を剥いて巨大な恋人を守ろうとする今の彼は、余りにも姫からは遠い。

「俺は男としての責任を取らなければいけない。本来は退学届けを出すべきなのは重々承知しているが、今まで積み重ねてきた罪を放り捨てるのは、それこそ無責任だと思ってる」

憑き物が落ちた様な、長い溜息だ。
プライドの塊とさえ揶揄される進学科の、白百合に並ぶ聡明にして美しい柚子姫の台詞は、親衛隊一同を絶望へと陥れた。
隊員らの狼狽を認め、振り切る様に顔を背けた男の肩を叩いたバトラーは、優しげな眼差しで微笑んだ。仲睦まじい二人の様子に、

「罪、なんて…そんな言い方…」
「僕達が光王子様を思ってやってきた事が、間違っていたと仰るんですか?!」
「そうだよ、我々は間違ってたんだ。…いや、自分の所為なのに責任転嫁してるか」

驚きと共に悲嘆に暮れている光炎親衛隊の隊員から、啜り泣く様な声が聞こえてくる。
確かに皆から噂される様に、高坂日向の信奉者である彼らは、狂気に似た行動を自制してこなかった。時には退学へ追い込んだ生徒も居ただろう。時には理事会に嘘の証言をする事もあっただろう。それは決して許される事ではなく、粛々と処罰されるべきなのだ。

「その通りです。例えサブマジェスティを崇拝なさる諸兄らであれ、我が神帝親衛隊の意思は揺るぎません」
「君達の処分に関しては、風紀を通さず直接上院の指示を仰ぐ事になるだろう。宵月閣下の手を煩わせる事になれば、君達の崇拝する光炎閣下のお心を痛ませる」

凛々しい表情で鼻血を拭った、神帝親衛隊の中でも幹部クラスと思われる生徒らが宣った。言っている事は正論だが、彼らの手に取材メモ宜しく手帳が握られていたり、スマホが握られていたりしなければ、今ほどの混乱はなかったのではないだろうか。
緊急事態だったとは言え、光炎親衛隊隊長である宮原は微かに眉を潜めた。頼むから真面目にやってくれ、とは、流石に言えた立場ではない事くらい理解している。

自分達の何処が悪いのかとばかりに、顔を歪ませる光炎親衛隊の隊員が見られた。啜り泣く隊員らに「僕らは悪くない」だの、「何かの間違いだ」の、懸命に励まし宥めている。
仲間想いは悪ではないがと前置いた上で、このままこちらの態度が悪化すれば、ABSOLUTELYを語る神帝親衛隊の方からどんな難癖をつけられたものか知れない。
やはり心を鬼にすべきかと、姫と呼ばれた男は顔を引き締め、肩を抱いてくれている恋人を見上げた。

「…颯人」
「良いよ、ゆうちゃん。思った通りにして?僕は大丈夫だから」

心強い笑みと共に頷かれ、覚悟を決める。此処で恋人の為と言う大義名分は、いっそ野暮と言うものだ。

「此処にいる伊坂颯人は、中等部一年の頃、高坂のシンパサイザーに制裁された事がある」

下級生ならばともかく、光炎親衛隊には宮原と同じく三年生も在籍している。ざわめいた隊員らの中から、「あの伊坂…?」と言う声も聞こえてきた。
流石に5年が経過すると、初等部からの付き合いである筈の同級生ですら一見では判らなかった様だ。

「ど、どうしてあの伊坂君が、Fクラスに…?!」

伊坂颯人がSクラスの生徒だった事は、同級生であれば知っていても可笑しくはない。初等部時代から優等生は話題に上るものだ。中等部進級に際しての卒業試験は、事実上の選定考査と同じ役割を持っており、選定枠に入った30名は同学年の生徒の羨望を集める。
当時、イギリス分校からの昇校生が首席に名を連ね、最も噂された頃だった。それまで学年首席だった祭美月を押さえ、首席に三名の生徒が並んだのだ。

一人は始業式典で話題をかっさらった美姫、高坂日向。
一人は名前だけ発表されたものの、中等部の上半期に一度として姿を見せなかった、叶二葉だ。
入学時の試験では満点だったものの、それで騒がれた事が苛立ったのか単にその時だけのまぐれだったのか、直後の小テストや実力試験で二位に甘んじた日向は、祭美月に帝君の座を明け渡す事になった。然し一度盛り上がってしまった噂が、そうそう消える事などある筈もない。首席がどうのと言う理由を抜いても、日向の容姿は余りに目立ったからだ。

「高坂に、光王子に憧れたのは僕らだけじゃなかった。祭君も勿論憧れの対象だったけれど、彼には李上香が常に一緒だったから近寄る事は不可能に等しい。そんな中、単身帰国した光王子の友人になりたい人間なんて、幾らでも居たんだ」
「僕もその一人、偶々席が近かったんだ。あれほど噂の的なのに、突然話し掛けてくるんだよ。あれには凄く驚いた」

にこにこと、自分が制裁を受けた最たる理由である筈の話を語り聞かせた男は、躊躇いがちに目を逸らす生徒達に肩を竦める。

「初めて言われた台詞も覚えてるなぁ。『お前何センチあんの?』で、吃驚してしどろもどろに答えると、高坂君は苦笑い気味で言ったんだ。『何だお前、フツーだな』って」

自分達が隠れて行ってきた苛めが、伊坂と言う生徒に起きた悲劇と何ら違いがない事を理解しているのだろう。罪悪感から目を逸らしたくなる気持ちは、被害者である伊坂にも理解出来た。然し傍らの、小柄ながら男らしい丸坊主の恋人は、違ったらしい。

「そんな些細な会話だけで、颯人は目をつけられたんだ。…颯人が何をした?!」

ぎりっと握り締めた拳が、余りにも痛々しく見える。
血を吐く様に怒鳴った男は、怯える隊員達を忌々しいとばかりに睨み据え、牙を剥いた。

「許さない…!颯人に触った奴は生かしておかない、颯人を傷つけた奴らもだ!一人残らず俺が殺してやる、どんな手を使っても!」
「ゆうちゃん、落ち着いて。大丈夫だから、ね?」
「はぁ、はぁ…。ごめん、颯人、俺は…」
「大丈夫だから」

過去を思い出して激情した宮原は、然し心優しい微笑みに諭され正気を取り戻す。先程まで気丈にも睨み付けてきた隊員らも、今では青ざめて顔を伏せていた。

「だけど、俺には何も出来なかった。怒った高坂が高等部に殴り込んで、首謀者を全員叩き潰して…当時の風紀委員長を死ぬ寸前まで痛め付けても、俺は…僕は…何も出来なかったんだ…」

宮原は、あの当時の事件の唯一の目撃者だ。
日向に痛め付けられた生徒は一人残らず「自分が悪い」と証言しており、暴行内容については一切を語らなかった。それは彼らの日向に対する尊敬と愛情からなのか、単に身に染みた恐怖心からなのかは定かではない。
宮原は声も出せなかった。乱れた服にも構わず、助けてくれと許しを乞う上級生らを真顔で暴行し続ける金髪を、ただ、見ていただけだ。あの時の感情を何と説明するべきだろうか。

「殺してやりたいと思っていた癖に、何も、本当に…何も出来なかった…。目の前で俺がやりたいと思っていた事を高坂がやっていて、止める事も、いい気味だと嘲笑う事も出来なかった。…ただ、震えながら腰を抜かしてたんだ。どうしようもない腰抜けだよ」
「そんな事ないよ、ゆうちゃん。ゆうちゃんの綺麗な手が傷ついてたら、僕は悲しいもの」
「颯人…」
「「「T.M.Revolution」」」

見つめあう恋人達を超至近距離から眺めていた神帝親衛隊らが、いつの間にか鼻血を垂らしながら声を揃えた。その余りにも奇妙な事態に、悲痛な面持ちだった光炎親衛隊らもどう反応して良いか判らない様だ。

「貴方々が天の君に対して行ってきた数々の悪行については、既に裏が取れています。神帝陛下は『一人残らず処分しろ』とご命令になられました」

ざわりと、光炎親衛隊がざわめく。
隊員らは一斉に隊長である宮原を見つめたが、厳かに頷いた宮原はそれっきり顔を伏せた。

「そんな…!」
「陛下は何故、天の君にそれほどご執心でらっしゃるんですか?!」
「幾ら帝君とは言え、彼は一般庶民ではありませんか!」
「残念だが、此度の神帝陛下のご命令を待たず、近々諸兄らは風紀に捕縛されていただろう」
「この件に関しては、ABSOLUTELYマスター直々の勅命ですので、我ら神帝親衛隊の預かり知らぬ所ではありますが…」

ざわついた光炎親衛隊は、神帝に引き続き白百合の名が出た事に目を見開く。何故こうも、中央委員会役員の名が出てくるのか。

「左席委員会現副会長であらせられる一年Sクラス21番山田太陽閣下は、風紀局特一級指名手配リストに記されています。ご存じなかったのですか?」
「特一級…?」
「それは一体、どう言う…」
「早い話が、風紀委員に対しての通達の様なものです」

ロボットの如く無表情な神帝親衛隊一同は、無表情ながら感嘆めいた息を吐き、揃って天を仰いだ。何だか良く判らないが、見事に揃っている。

「特一級指名手配、つまりは風紀委員長の『恋人』であると」

うっとり呟いた神帝親衛隊の一人の台詞に、宮原を含めた全ての光炎親衛隊が呼吸を止めた。彼らの脳裏には今、高笑いする左席委員会副会長の闇に満ちた姿が思い浮かんでいる事だろう。

「尚、風紀局には他にも代々受け継がれてきた隠語がある。一つは『超一級保護対象』、これは風紀委員会の局長を含めた全員が『手を出してはいけない人間』と言う意味だ。例えその対象が犯罪を犯そうと、決して捕縛してはならない」
「現在このリストには、中央委員会役員の恋人が記されています。保護対象として認可する様に求めた役員の氏名は、三年Sクラス三番、高坂日向」

言葉もなく肩を震わせた光炎親衛隊員らは、続くだろう保護対象の名前を待った。然し神帝親衛隊員の口から、直接的な名前が出る事は遂にない。

「然しながら、近々この人は保護対象リストから除外されるでしょう。理由は単純に、保護する必要がなくなるからです」
「風紀委員会が捕縛出来ない対象は限られる。諸兄らの好きに想像すると良い」

風紀委員会が捕縛出来ない対象など、理事会職員か学園長、生徒に断定するなら、中央委員会会長か左席委員会会長に限られる。中央委員会会長に対しての捕縛権限は左席委員会会長にしかなく、引き換えに左席委員会会長の捕縛権限は、左席委員会会長を任命する理事会にしかないからだ。
まさか、と。光炎親衛隊は漣の様にざわめきを取り戻した。『近々保護対象から除外される』と言う事は、最近まで捕縛対象だったと言う事だ。これによって、始業式典から今日に至るまで中央委員会会長だった帝王院神威と、左席委員会会長である遠野俊は対象から外れる事になるだろう。

高坂日向、帝王院神威、遠野俊を除いた『保護対象』となり得る生徒の中で、近々保護する必要がなくなる人間。
違う言葉を用いるなら、中央委員会か左席委員会の会長になり得る生徒。そんな人間は、一人しか居ない。

「ま、さか…」
「紅蓮の君…?!」

光炎親衛隊一同から表情が消えた。
中央委員会書記である二学年帝君が、次期中央委員会会長として発表されたのはつい先日の事だ。燃える様な赤毛に恐ろしい程の存在感と威圧感、その男の名を知らぬ生徒など、少なくとも帝王院学園本校には一人として存在しない。

「知らなかったとは言え、諸兄らは悉く風紀局現風紀局長の神経を逆撫でし続けた。我らABSOLUTELYで最も計算高く、最も容赦ない叶二葉さんの『制裁対象』に、諸兄ら光炎親衛隊の名が刻まれている事だろう」
「今まで泳がしておられたのは単に、貴方達が山田太陽さんに直接制裁を行っていないからです。今回、新歓祭の賑わいに乗じて天の君諸共山田太陽さんに危害を加えようと企んでいた事は、既に風紀委員会総員が把握しています」
「今日、万一宮原君が我々を頼らず制裁を実行していたら、宵月閣下のお怒りだけでは済まなかっただろう。最後に『超一級指名手配』の意味を教えておこう」
「此処に記された生徒の名は、帝王院俊」

宮原を含めた、伊坂颯人を除く全ての生徒がぴたりと動きを止める。神帝親衛隊の生徒らにも狼狽が見えたが、恐らくこの件については、神帝親衛隊でも幹部にしか知らされていなかった事実だと思われた。

「帝王院駿河学園長の孫であり、帝王院秀皇様のご子息であらせられるこの生徒は現在、母方の姓を名乗っています」
「理解したか、光炎親衛隊諸君。君達が愚かにも制裁を与えようと企てた一年Sクラス帝君、遠野俊猊下の正体は、ルーク=フェイン=グレアム陛下の『弟』だ」

目を限界まで見開いた宮原は、無意識に傍らの恋人の腕を掴む。
それが事実であれば、嵯峨崎佑壱や山田太陽に対しての不敬など可愛いものだ。左席委員会だの帝君だの、それすら霞むに違いない。

「み、帝王院秀皇様のご子息、なんて…」
「だったら、天の君は…」
「本来であらば、中央委員会会長であっても可笑しくはない方であると言う事。帝王院帝都理事長のご子息である陛下は、帝王院秀皇様のご長男だと言う根も葉もない噂がありますが、これについては神帝陛下自ら否定なさいました」
「帝王院帝都理事長は学園長のご子息であらせられる事は承知していよう。だが、理事長の正体はグレアム前男爵だ。ある程度の家の人間であれば、この名の持つ意味を理解していると思う」
「つまり遠野俊左席委員会会長猊下こそ、紅蓮の君を差し置いて中央委員会会長になるべき方なのです」

重苦しい沈黙が世界を包む。
最早誰の口から何を言えるものでもない。光炎親衛隊は、帝王院神威の一存がなくとも、彼らが散々嫌がらせをしてきた遠野俊本人の一存で、全員退学も有り得ると言う事だ。
退学で済めばまだ良いだろう。よりによって帝王院財閥後継者に無礼を働いたと聞けば、保護者が何と言うか。日本最大財閥である帝王院を敵に回し、無事でいられる家など皆無だ。あの東雲財閥ですら、帝王院の前では名が霞む程なのだから。

「どうしよう…!」
「そんな…!帝王院財閥の後継者だなんて知ってたら、こんな事しなかったのに…っ」
「うっ、うっうっ」

悲嘆に暮れる光炎親衛隊には最早、制裁を実行しようとする生徒は存在しなかった。日向への敬愛を以てしても、遠野俊を陥れるなどと言う余りにも恐ろしい計画を実行する勇気など、ある筈もない。

「諸兄らの光王子に対する想いは、理解したいと思う。天の君は純粋に他者を想う者へは、心の底から…いや、眼鏡の底から気を配ってらっしゃった」

すちゃっと、神帝親衛隊一同は何処ぞから取り出した縁の太い眼鏡を掛けると、分厚いレンズの向こうから見つめてきた。彼らは一体何がしたいのか。

「今はまだ言えないが、天の君にはもう一つの顔がある」
「それを知れば、天の君に逆らおうだなんて思わなかったでしょうに。同情しない事もないですが、同情するなら萌えをくれ」

ビシッと手を差し出してきた神帝親衛隊一同は、クネっと悶えた。伊坂がパチパチと手を叩き、

「それが新歓祭の出し物、『今時の腐男子INダンスナイト』?昨夜西園寺学園の生徒の前で披露したって聞いたよ、とっても盛り上がったそうだね」
「ゲストをもてなすのは当然の責務だ。神帝陛下の為のみならず、天の君の為でもある」
「帝王院学園が偏差値で劣る西園寺学園に負けていると思われるのは、心外ですからね」

クネっとターンを決めたダンサーズは、ビシッと眼鏡を押し上げる。
喜んでいるのはバトラーだけで、すっかり涙も引っ込んだ光炎親衛隊一同は、ひたすらパチパチと瞬いたのだ。

「柚子姫様…」
「僕達は…どうなるんですか…?」
「さぁ…」

シリアスからの切り替えが早すぎる。






















「貴方は母の様に、決して間違えないで下さいよ」

笑顔を忘れたかの如く、まるで能面の様な女を知っている。
それが恨みなのか後悔なのか、彼女自身の言葉で語られた事はない。

「後悔ほど無駄なものなどありません。聡明な貴方は、母の気持ちを判って下さいますね」
「はい」
「貴方の父親は最低の人間でした。私は貴方にあの男の血が流れていると思うと、今でも心底ゾッとします。けれど貴方にはこの母の血も流れているのです」
「はい」
「私の期待を裏切らないで下さいますね、守義さん」

物心ついた頃、母に感じた感情は極めて単純だった。
馬鹿女、そんな単語を口にした事など勿論ない。ただでさえ見栄や体裁ばかりを気にする様な女だ。大した家でもないのに、過去の栄光に縋る祖父母の誇張された昔話を信じ、疑わずに生きてきた世間知らず。母親に対しての評価など、それ以上でもそれ以下でもない。


「ふん。そんな最低男を選んだのは自分でしょうに」

さて。
産まれた時には離婚していた両親の片方は、他人と何ら変わらない。お前の父親はああだったこうだったと誰から何度聞かされようと、結局は他人事だ。何の感慨もない。
滅多に呼ばれない実家へ定期的に帰省するのは、単に主人がそうしろと言うからだ。
家族は大事だと、主人はここのところ良くその台詞を口にする。

「ああ、全く叶も良い迷惑でしょうねぇ。後妻にもなれなかった妾の子など、分家を名乗る資格もない他人同然ではありませんか」

やはり帰省などするべきではなかったと嘆けば、傍らから小さく吹き出す気配。

「ああ、そうそう、私の曾祖父は明神最後の当主である榊刹那ですが、彼は弟の妻に帝王院外戚の娘を迎えた際、榊の名を弟に譲りました」
「へー?そうなの?」
「ええ。明神には元々姓がなく、明治に入り皇が四つに分かれた際、神に仕える者として榊の名を寿の宮様より頂戴したそうです」
「秀皇の曾祖父さんのお父さんだねー」
「高祖父と言うんですよ」
「ふーん」

随分素っ気ない返事だ。
近頃は何に対してもやる気がない主人は、ネイビーグレーのブレザーを上半身に掛けて、芝生の上に寝転んでいる。大好きな親友が義兄弟になったと言うのに、その義兄は海外からやって来た金髪の美丈夫に首ったけ。世知辛い話ではないか。

「お前さんの父親って、叶…何て言ったっけ?」
「叶守矢。旧姓の様ですがねぇ」
「ああ、離婚しても小林を名乗ってるんだっけ。何かそれ、名字を変える為だけに結婚したみたいじゃない?」
「鋭いですね坊っちゃん。その通りの様ですよ」
「マジで」
「離婚の原因は父の浮気だと聞いていますが、対面的なものの様ですからねぇ。どうも、それ以外の理由がありそうです」
「それ以外って?もしかして、何か知ってる?」
「あの母親からは、今の所それ以上のネタが引き出せなくて困っているんですよ。能面ババアですからねぇ」

にっこり、わざとらしい程の笑みを浮かべれば、眺めていた本から目を離した男は目を細める。どうせ退屈凌ぎで読む振りをしていただけで、真面目に読書などしていなかったに違いない。

「実の母親にババアって」
「実の父親をリストラって」
「あはは、氷炎の君は性格が悪いよねー」
「おやおや、大空坊っちゃんにお褒め頂けるとは、光栄の一言に尽きます。元を返せば我ら小林は、遥か昔から帝王院にお仕えしてきた榛原家と共にうんぬんかんぬん」
「フラストレーション溜まってるねー、いつもより話が長い」

笑いながら起き上がった男が、ぐーっと腕を伸ばした。何にせよ表情が幾らか明るくなった様に見えた為、微かに息を吐く。

「先輩のお母さんの本音が聞きたいねー」
「ババア…失礼、母の本音ですか?」
「明神同士で性格を読み合うのは、実際不可能に近い訳じゃん?小林家は特にその傾向が強いから、小さい頃から表情を出さない様に教育される訳で」
「ええ。まさか叶も似た様な教育を受けているとは思いませんでしたから、あれほど警戒心の強い母を以てしても、騙された訳です」
「確かに、叶冬臣を見てると叶にはまともな奴がいないんだろうって思ったよ。アイツ、わざとテストで手抜きしてる」
「おやおや、坊っちゃんがそこまで評価なさるとは」
「先輩だってアイツの事さ、苦手だろ?」
「可愛いげのない餓鬼だとは思いますねぇ。あれが私の従弟とは、到底思えませんが」
「年が近いと苦労するね?何かさ、計画性を感じるんだ」
「計画性ですか。それはまた」
「だって先輩のお父さんってまだ高校生だったんでしょ?18歳になって入籍したのに、その頃には夫婦生活が破綻してたなんてさー」
「成程、つまり叶守矢は何らかの事情があって急ぎ結婚する必要があった、と?」
「例えば、お姉さんの結婚が決まってムカついたから、とか?」

揶揄めいた笑みを浮かべた後輩に、小林守義は眼鏡を押し上げた。賢い主人だと今まで何度思ってきたか知れないが、流石に脈絡のない発言だと思わなくもない。
然し、灰皇員四家で性悪代表と言えば、冬月か榛原か。頭でっかちが多いとされる冬月に比べれば、娯楽を好む榛原の方が融通が利く人間は多いだろう。然し、反して悪戯っ子が多いのもまた、事実だ。
突拍子のない事をやりたがる点に置いて、小林は榛原大空以上の人間を知らない。

「後悔するなするなって念を押すって事は、理由があるんだよ。他に、きっと」

確かめに行こうと、彼は快活に笑った。
ゴールデンウィーク間近い春先の事、両親を破産にまで追い込んだとは到底思えない子供の、それは久し振りに見た笑顔だ。

「GWに先輩の実家に行こうよ。流石に平日に押し掛けたら不味いだろうし」
「良いんですか?学園長の養子に入ると聞きましたが、サボっても」
「先輩は中央委員会副会長だし、俺は左席委員会会長だし?授業免除って、こんな時に使わないでいつ使うんだい?」
「流石は坊っちゃん。この小林、感動で胸が震えています。思い返せば我が小林は刹那様の時代からうんぬんかんぬん」

犬の鳴き声がする。
振り返れば真っ黒な毛並みのドーベルマンが、漆黒の眼差しに笑みを刻んだ男を連れてくるのが見えた。

「秀皇、秀隆、お帰り?!どうしたの、今日はパーティーで帰ってこないって言ってたのに!」
「加賀城財閥の若社長が結婚したんでしたね。沖縄はどうでした?」
「義兄さんが気遣って下さったんだ。学生は勉強が本文だからと、ご挨拶だけで戻ってきた。悪いな、土産を買う暇もなかったよ」

単に『邪魔だから帰れ』と言われたのではないかとは、流石に誰もが口にしない。
幼さとは無知と純粋が紙一重の、危うい時期だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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