帝王院高等学校
本当に目覚めたのは何処のどなたでしょう?
「はー!あっちもこっちも豪華絢爛、インスタ映えだわー!」

腰にアクバールカラーのブレザーを巻いた、カルマと言う余りにも派手なロゴが輝くシャツを纏う巨乳が、激しく揺れている。
パシャパシャとガラケーの限界に挑戦せんばかりの彼女は、やや離れた位置で頭を抱えている息子など、何処吹く風だ。

「ジェラートも美味しかったし、綿飴も美味しかったし、お好み焼きは肉ケチってたけど…満足と言ってもいいんだわ!」
「…ちょっと、声が大きいよ。もう少し静かに出来ないの?」
「は?アンタが根暗なだけでしょ、そんなんだから未だに友達が出来ないんだわ」
「余計なお世話なんだけど」

タイトなミニスカートではしゃぎまくる母親の姿に頭を抱え、仕方なく己の制服を腰に巻かせた山田夕陽は、帝王院学園を誰よりも満喫している母親を人目から避ける内に、随分遠くまでやって来たと息を吐いた。
日本屈指の『金の無駄遣い学校』と名高い帝王院学園の、その中でも最も派手な建物と言えば音に聞く校舎だろう。40km以上離れた街中に居を構えている西園寺学園でも、帝王院学園のティアーズキャノンと呼ばれる豪華な校舎は有名だ。

「あらー、此処って結構な高台なんだわ。でっかい校舎の屋上が近くに見えるわよ、写真撮んなさいよヤス」
「要らないよ、そんなもの。僕の携帯にはアキちゃんの写真しか保存したくない」
「あー、気持ち悪い気持ち悪い。15歳にもなってお兄ちゃん大好きっ子なんて、ただの病気なんだわ。弟なんてもんは、目の上のタンコブでしかない兄を倒すべく下剋上を狙ってナンボよ」
「周りが全員敵って考え方は、女特有の更年期障害思考じゃないの?」

然し、昨日までは見学客向けに解放されていた校舎周辺がブルーシートで覆われており、今朝は近くで観光する事が出来なくなっている。
一目で何かあったのだろうと判る程の数の人間が慌ただしく動き回っていて、教育の行き届いたバトラーやコンシェルジュが客の対応に追われていた。

「クソ可愛くねー餓鬼。死ぬまで童貞こじらせとけ、フォーエバーチェリー」
「やだやだ、旦那に相手されなくなると息子にセクハラしだす40代」
「まだ35なんだわ!」

実兄である山田太陽以外を人間だと思っていない節のある夕陽は、西園寺・帝王院どちらの生徒とも仲良くする気がないので他人事だが、この数日で両校の生徒らは昔からの友人の様に親しくなっている様だ。
あちらこちらで談笑している双方の生徒らを見掛けるが、時には互いの身内も交えて軽食を楽しんでいたり、生徒だけでなく教職員も友好を深めている様に見える。

「大体、18歳で付き合い始めて19歳で出産なんて、計画性欠如」
「はー?こちとら16から文通してましたー。付き合い始めたのは17歳からですー。妊娠したのは高校卒業して就職してからですー、親のスネ囓ってるガキに笑われる事なんて一つもないですー」
「折角雇ってくれた会社をたった一年で産休、出産後に復帰する事なく辞めといて、無責任じゃないって言う訳?とてもじゃないけど、うちの会社には入社して欲しくないよ」
「はー?こっちは、アンタの言う『うちの会社の社長』に双子仕込まれたんですけどー?」

そんな長閑な周囲から一線を画した山田家の母子は、バチバチと火花散らす睨み合いの末、どちらからともなくプイッと顔を逸らした。段々子供の喧嘩の様になってきたからだ。
顔立ちは似ていないが、実に性格が似ている母子だった。

「…やめとくんだわ、空しくなってくるから」
「だね」
「あーあ。こんなに判り安くカルマファンだって宣伝してんのに、シーザーは見つかんないし、太陽も居ないし、二葉君以上のイケメンも見つかんないなんて、やる気なくすんだわー」
「あれだけ満喫しといて何ほざいてんの。僕は一緒に歩きたくないんだけど」
「は?私だって連れて歩くならアンタより大空の方がいいんだわ。どうせなら太陽の方がマシだっつーの」
「Sクラスだからだろ?」

呆れ半分、現金な母親に吐き捨てれば、彼女は満面の笑みで頷く。帝王院学園の生徒らで、時々見掛ける金バッジ所持者は、それだけで目を集めていた。
あちらこちらで保護者や一般客らが、Sクラスの話題で盛り上がっている所を、夕陽ですら何度も聞いている。だから何と言う程度で、興味はないが。

「あのバッジつけてるだけで余所の保護者の視線独り占めなんて、帝王院の進学科って凄いんだわ。アンタも特進なのに、西園寺はイマイチ垢抜けない感じだし」
「…はいはい、垢抜けてなくて悪かったね。これでも偏差値75なんだけど?」
「帝王院学園の進学科は偏差値80越えてるクラスがあるってんじゃない、レベルが違うわ」
「それでも学園単位だと偏差値60も行かない程度だろ。技能専修学科は、一般教養を捨ててるって聞いたよ」

西園寺学園の様に、普通科と理数科、加えて特別進学科の少数精鋭を掲げる進学校の偏差値は一貫して安定している。
それに比べ、初等部からの持ち回りの生徒が大多数を占めている帝王院学園高等部は、外部進学こそ狭き門だが、内部進級は比較的容易だ。
一般教養を学ぶ普通科の偏差値は平均して60と言われているが、西園寺学園にはないスポーツ専修学部体育科、特別技能専修学部の『工業科』と呼ばれている生徒らは、下から数えると偏差値30〜と言うのだから、学園全体の偏差値が毎年変動するのも無理はない。

「Sクラスでもただの馬鹿でも、卒業すれば帝王院OBの肩書きは同じだからね。在学時にどんな扱いを受けてたかなんて、社会に出たら誰も気にしない些細な事だよ」

それでも毎年有名大学への進学者を多々排出している帝王院学園進学科は、選ばれたエリートのみが学べる聖域である。金バッジをつけたまま卒業する事が如何に難しいかは、都市伝説の如く学園外でも語られているのだ。

「一芸に秀でるってのも重要なんだわ。勉強ばっかじゃそれこそ社会に出てから苦労するわよ?特に、アンタみたいな頭でっかちは」
「たまには大人っぽい事言うじゃん。大して社会なんて知りもしない癖に」
「はん、23歳から5年間バイト経験してんのよ。母親舐めんな馬鹿息子」
「愛人に怒鳴り込まれて本社社長の嫁だってバレなかったら、まだ続けてたって?」
「…やな事思い出させんじゃないわよ」

ばしっと頭を叩かれたが、然程痛くはなかった。芸人のツッコミの様なものだ。
双子の子育てで半ばノイローゼに陥った山田陽子が、父親の勧めもあり当時オープンしたばかりのワラショク店舗でレジ打ちのパートを始めたのは、太陽と夕陽が三歳になる頃だった。山田と言うありふれた名字で社長の身内だと疑われる事など勿論なく、若くして双子を育てる良い母親と言った扱いを受けた陽子は、すぐに仕事に慣れて、四苦八苦しながらも有意義に働いていた様だ。

「はっ、取り返しのつかない過去を忘れるなんて勝手な事、この僕が許すと思う?二度と同じ間違いを起こさない為にも、何度でも思い出して貰わないとね」
「性格わっる!」
「どうも」

当初は午前中に出勤し昼を回った頃には終わる様な短時間パートだったが、店長の信頼を得たらしく、徐々に残業も増えてきた。
家から歩いて通えない事もない程度の距離で、一時期子供を幼稚園に預けた事もあったが、幼い頃は体が弱かった夕陽が度々熱を出す為、その都度迎えに行かねばならないと言った理由から通園を断念した経緯がある。
太陽だけ幼稚園に通わせるのは可哀想だと言う父親の言葉もあり、パートは週に2日、週末だけ。陽子がパートに行く時間帯は、彼女の父親が帰宅して双子の世話をしてくれる事になった。

「アンタもいつか判るわよ…。可愛いだけじゃ、子育てなんて出来ないんだわ」
「育てたくないなら産むなって話だけど、猿でも出来る反省すら出来ない馬鹿以下なんて世間には掃いて捨てるほどいるからね。ま、母さんは辛うじて『普通に考えなしだった』って事じゃない」
「…口ばっか達者になりおって、むっかつくったらないんだわ!」

最初はそれでも満足していた陽子だったが、外に出る楽しみを知ると家にいる時間が酷く苦痛に思える様になってくる。彼女もまた、子供を育てるには余りにも若かったのだ。
彼女は父親にも夫にも内緒で、物分かりの良かった太陽に留守番を任せる事にした。夕陽に何かあれば陽子の働く店に連絡を入れるよう教え、4歳になるかならないかの息子を家に置いて、とうとう平日も働きに出る事になる。

「アキちゃんはこうして無事、帝王院学園に通ってる。けどそれは、結果論だよ」
「判ってるっつってんでしょ」
「父さんが何を敵に回してるのか、どうせ全部理解してる訳じゃなさそうだし?下手に首突っ込まれるのは僕としても勘弁して貰いたい所だけど、兄さんにさえ火の粉が降り掛からなければ、ぶっちゃけ他はどうでもいい」
「アンタにそこまで愛されてる太陽にいっそ同情するんだわ。そのねちっこい所、気持ち悪いくらい私に似やがって…」
「母さんよりずっと賢いけどね、僕は」
「夕陽。顔が大空に似てなかったら今ので死んでるわよ、アンタ」

然し賢過ぎた太陽は、母親の職場から程近い公園で待っていると言い出した。家で夕陽の相手をする事に飽きてきた様だ。
ゲームをしていると遊んでほしい夕陽が太陽の邪魔をし、喧嘩になってしまう。喧嘩になれば太陽が叱られる為、公園でなら夕陽も一人で遊べるだろうと考えた様だ。
初めは渋った陽子も、試しに息子二人を公園で遊ばせてみると、特に問題なく数時間過ごせる事を実感した。大人にとっては大して広い公園でなかったが、子供にとっては楽園だ。勤めている店からも近いので、夕陽に何かあれば太陽が駆けつける事が出来る。
出勤前に店で買ったジュースとおやつを双子にそれぞれ持たせておけば、遅くとも夕方には仕事を終える陽子が迎えに行くまで遊んでいるだろう。子供の体力は無限だ。

そうして父親にも旦那にも秘密でパートを増やした陽子が、味を占めてほぼ毎日働く様になった頃、太陽ではなく夕陽が泣きながら店に駆けつけてくる事になる。

『アキちゃんが起きないの!アキちゃん死んじゃう、死んじゃうよぉ!』

ずぶ濡れで駆け込んできた次男坊の形相に、仕事を放り出して飛び出した陽子が見たのは、叩きつける様な雨の中で倒れている我が子の姿だったのだ。
抱き起こした体の異様な熱さを忘れない。陽子の様子を心配して追い掛けてきた店長が救急車を呼び、緊急搬送された病院で危険な状態だと診断された太陽は肺炎を起こしており、数時間雨に晒された事で呼吸困難状態だった。

連絡を受けて仕事を抜けてきた父親に平手打ちをされた陽子は泣く事も出来ず、ただただ、目を覚まさない我が子の側で祈るしか出来ないまま。

漸く太陽が目を覚ましたのは、病院へ運び込まれてから実に一週間が過ぎた頃だ。それまでも何度か目を覚ましたが、ほんの数分で再び眠ってしまう事を繰り返しており、会話が出来たのはそれが初めてだった。
目覚めた太陽は自分が病院に居る事を不思議がり、家に帰ると宣った。食欲もあり、何よりゲームがしたいと駄々を捏ねるので、医師の許可を取って即日退院する事になったのは僥倖だろう。

孫可愛さから心労で窶れていた陽子の父親は、帰宅するなりテレビに張りつく太陽に呆れ顔だったが、それでも肩の荷が降りた表情で良かったと言った。
然し夫は。山田大空だけは、太陽の異変に気づいたのだ。

『アキちゃん、声がちょっと変だねー。喉、痛い?』
『痛くないよー』
『そうかい』

いつだろうと人を食った様な笑みを絶やさなかった大空が、真顔で陽子を見たのは、それが初めてだった。
その夜、太陽が眠った後に夕陽一人を起こした大空は、次男に問い掛けたのだ。

『ヤスちゃん、アキちゃんに何か変わった事はあるかい?』
『アキちゃん、今日は歌ってた。ゲームの歌』
『そうだね。それを、お前さんはどう思った?』
『アキちゃん、まだ元気になってないのかな』

どう言う事か、陽子には判らなかった。
夕陽の台詞に幾らか頷いた大空は携帯で誰かに連絡を取ると、眠っている太陽を抱き上げて出掛けていってしまう。何処に連れていくつもりだと尋ねると、専務の所だと言われて益々困惑したものだ。

そのまま一晩帰ってこなかった二人が翌朝戻った時、美貌の専務が朗らかに「おはようございます」と微笑んだ。

『奥様、突拍子もないお話がございます。宜しいでしょうか?』

それまで決して愛想の良い男と言うイメージがなかった彼の笑顔に、否など言える筈もない。

「つーか、榛原だの帝王院だの、そんな話は結婚する前に言えってんだわ」
「今更何の文句?」
「…アンタに遺伝しなくて良かったっつってんの。太陽は後先考えるけどアンタ馬鹿だから、あんな力があったら今頃刑務所にぶち込まれてんでしょ」
「は?この僕がそんな失敗するとでも思ってるの?やるなら当然、捕まる様な真似しないね」
「何処からその自信が沸いてくるのか聞きたいもんだわ。親の顔が見たい」
「鏡、要る?」

要らないわよ、と、脱力気味に呟いた女は携帯の時間表示に目を落とし、もうこんな時間かと息を吐いた。はしゃぎすぎて疲れた事もあるが、普段はこの時間に、日課のある事をしているのだ。

「あ、午前中の集合時間過ぎてる」
「何の?」
「主婦サークル。テレビ電話でサークル仲間と会議すんのよ」
「井戸端会議ね。どうせ旦那の悪口か世間話だろ。SNSで不特定多数に痛い投稿晒すよりはマシだろうけど、知り合いだけなの?」
「最近オフでも会ったけど、元々はネットで知り合った人ばっかよ。顔出ししてない人もいるから、全員他人みたいなもんだわ」
「うわ」
「何なの、その『うわ』は。…大人には他人だからこそぶっちゃけられる話があんのよ」

情緒が欠落した息子は、馬鹿にした様に鼻で笑った。




















「おーい、誰か居るかァ?」

床が崩壊している部分を覗き込んでは、叫ぶ事を繰り返している男の背後。彼が動く度に後ろをついていくもう一人は、苛々と貧乏揺すりをしている。

「このバイクって凄ェな、俺が行く所行く所に先回りして照らしてくれんだもん」
「俺の話が終わってないんですけど」
「ちょっと待った。今はそんな事どうでもイイだろ?お前が言ったんじゃねェか、」
「お前って言うのやめて貰えません?大体アンタ何なんですか、何で白衣着てんです?保険医でも職員でもないって言ってましたよね」
「あァ、言った。親は医者だったけど、俺の職業は何と言うか、今は無職で…」
「ニートが何でこんな所に居るんですか?ニートが何で俺をチビ呼ばわりしたんですか?え?アンタだって俺と大差ないでしょうに、何で人を馬鹿にしたんですかニートの癖に」
「ニートって何だ?つーか、いつまで怒ってんだよお前、何にキレてんのか全然判んねェって…」
「お前だと?」

ばちっと、黒い何かが弾けた様な気配に、白衣を纏う男は慌てて飛び退いた。
人の声に反応するバイクは床を照らしたまま動きを止めており、凍える笑みで『俺は小さくない、普通だ』と呟いている少年の口元にバイクのヘッドライトが微かに当たっている。

「恐ェエ…!何だ奴は、新手の奇病患者かッ?!おわわッ、何だ何だ、いきなり目の前に『非常事態』って文字が見え出したぞ…?!」
「ニートさん、独り言は独り言らしく言わないと正気を疑われますよー?ちょいと貴方、そこに真っ直ぐ立ってみて貰えません?」

目の前に突如として現れた真っ赤な文字の羅列に怯んだ白衣は動きを止め、わざとらしいほどニコニコと近づいてきたどす黒い少年に、がっと胸ぐらを掴まれた。

「ほら、やっぱりそんな変わらないじゃないですかー。ニートさんは何センチですか?俺は今履いてる靴とか諸々込みで170cmありますけどね!170cm!」
「…ん?何か言ったかィ、兄ちゃん」

5cmは低い位置にある眼差しに睨まれながら、胸ぐらを掴まれていた男は唐突に首を傾げ、呑気な声音で宣った。
チビと言われては黙って居られない、背は低いが日を追うごとに態度が大きくなっていく山田太陽は冷めた眼差しの笑みを深め、同じくまったりとした声音で首を傾げる。

「話を逸らさないで貰えますか?」

決して逃がすまいと、ゲームのコントローラーを握り続けて鍛えた握力が物語っていた。

「や、逸らしたつもりはないんだけどねィ…?」
「何なんですかそのふざけた態度、左席会長の物真似が流行ってるんですか?」
「させき?座席?座席快調って、機関車かィ?確かに座り心地は良くないけども、」
「もうほんとイラっとしてきた、鞭で叩きたい」
「む、鞭でって、とんでもねェなお前!」
「あ?誰がお前だと?」

太陽の決して短くはなかった筈の堪忍袋の緒が、ぷちっと音を発てた気がする。と、その幻聴で飛び起きた3年Sクラス叶二葉は後に真顔で語った。

「この俺を高々ニートが『お前』、お前だって…?」
「あ、眼鏡起きたのか?大丈夫か、立てる様なら外に出してやるぞ?」
「あはは、あははははは、跪くべき下々の民が余に向かってお前とは、浅慮に尽きる!だが許そう!所詮富士の頂きに登る権利もないひ弱な民の無学さは、神仏が与えたもう格差であるのだから!」
「ごめんな?コイツ、新手の奇病に罹ってるみたいなんだょ」

高笑いが響く。まるでミュージカルを見ている様だと、呆然と太陽を見つめた白衣が飛び起きた二葉を抱き抱えながら呟く。
ともあれ、ばちりと黒い火花を散らした様に見えるどす黒さ満点の平凡の目の前で、文字通り飛び起きた男は、左右色違いの双眸を限界まで見開き、白衣の男の腕に抱えられた状態で吐き捨てたのだ。

「言ってねぇ!誤解だ、俺はお前をお前と呼んだ事はこの十年で一度もない!」
「うォ!おま、いきなり叫ぶなって!びっくりするだろっ?」

ぽいっと二葉を投げ捨てた白衣は、派手な顔立ちではないがそれなりに整っている面差しの中で最も印象的な漆黒の眼差しを眇め、批難する様に怒鳴った。

「あはは、目が覚めたかい俺の子猫。お前さんは寝起きでも愛らしいね」
「…子猫?あ、いや、ハニー、この男は誰ですか?」
「構う事はないよ、ただのニートさ。富士にも等しい高貴な俺の前では、塵も同然なつまらない民だよ」

そこで漸く太陽以外の人間に気づいた二葉は眉を寄せ、自分に酔っているのか高笑いしながらくるくると回っている太陽を横目に、自分の体を抱き抱えている他人の手を振り払ったのだ。
何だか良く判らないが、取り急ぎミュージカル中の太陽を連写したり録画したり心のアルバムに閉じ込めたりしなければならないのに、第三者は邪魔でしかない。

「何ですか貴方は、ニートの分際で気安く私に触れて生きて帰れると思ってらっしゃるんですか?念の為申し上げておきますがねぇ、この私は何を隠そう山田太陽君の子猫なのですよ」
「いきなり何を言ってんだコラ眼鏡、最近の餓鬼はこんな奴ばっかですかコラ」
「言っておやり、子猫ちゃん。お前さんの主人である俺の身長が何センチなのか、お前さんの口からしっかりはっきり」
「ハニーは167.2、」
「あははははは、叶二葉君!お前さんは寝惚けているのかな?」
「アキは170cmだ」

太陽に『二葉君』と呼ばれた事がなかった二葉は一瞬で旅立った。太陽と同級生と言う設定の自分が暮らすパラレルワールドと言う名の、妄想旅行だ。

「ついでにアキは幼馴染みで初恋は俺…」
「はい?幼馴染みはともかく、初恋って何?」

内心お気に入りになりつつある丁寧語ではない二葉の台詞に虚を衝かれていた太陽は、そこで胸ぐらを掴んでいた白衣に逃げられた事に気づいたのだ。

「俺のお嫁さんになりたいと言ったアキの為に俺は、公務員になるべく頑張ってる…」
「えっと、二葉先輩?公務員になるんですか?」
「世界が平伏す公務員になる」
「魔界の市役所?魔界の政治家?それって結局、魔王?」

だが、素頓狂にも程がある寝惚けた二葉に萌えていたので、迸っていた怒りは消えている様に思える。

「うーん。先輩、もしかして寝惚けてます?」
「いいえ、少しばかり妄想に更けていただけです。同級生ではない事は残念でなりませんが、この世には留年と言う実に私の為だけにある様な特別措置がありますからねぇ…」
「大丈夫ですよ白百合様、Sクラス次席が留年する事はまずないから」

感電した二葉はがくりと肩を落とし、理事会を脅すべきか学園長を脅すべきか、わりと本気で悩み始めた。その様子を見つめながら、太陽は二葉の全身を確かめる。

「意識なかったけど大丈夫ですか?痛いとことかないですか?」
「特に何も」

あちらこちら触ってくる太陽に真顔で萌えた二葉は口元を押さえ、何なら下半身辺りが痛むと言うべきか悩む。顔立ちは女々しいのに、雄々しい悩みが尽きない男だ。変態としか言いようがない。

「頭に来てて忘れてたんですけど、他の皆は怪我してて運び出されたっぽいんですよねー。ただ何人か足りなくて、さっきの人が探してくれてたっぽいんですけど…」
「あの男は誰ですか?私が記憶する限り、高等部の職員ではありませんが」
「ニートだって。白衣着てたし、もしかしたら最上学部の生徒かも」
「いいえ、本校の最上学部キャンパスには現在450名が在籍していますが、見覚えがありません」
「とんでもない記憶力ですね、ほんと」
「中央委員会役員の義務ですよ」

関心半分、呆れ半分、二葉の体に目に見える怪我がない事を確かめた太陽は、乱れた二葉の浴衣を整えてやった。何故か浴衣姿の二葉に違和感を感じたが、見慣れていないからだと思う事にする。

「って言っても、この暗さじゃまともに顔なんて見てないでしょ」
「それはそうですが、何故そんな事を聞くんですか?はっ、まさか、私の意識がない時にあの男が不埒な真似を…?」
「んー、こう、ひょいっと抱かれてたかな?軽々と…」
「少し彼と話してきます」

不埒かどうかはこの際ともかく、困った様に呟いた太陽は、元気な様子の二葉に胸を撫で下ろした。チビと言われた怒りで頭から消えていたが、どうやら自分達は、崩壊した地下へ瓦礫と共に落ち込んだ様なのだ。
その割りには怪我らしい怪我もなく、何となくデコが痛いような気がしないでもない程度の太陽は、白衣の男を笑顔で脅迫している二葉を横目に、傍らに停車しているバイクのヘッドライトへ目を向けた。

「………とうとう世が闇に呑まれた。堕ちた神の脚本では、幾ら足掻こうと運命は変わらない…」
「ハニー?」

どうやら喧嘩していた訳ではなく、この状況について会話していたらしい二葉は、1年Sクラスの生徒らを抱えてバイクへと乗り込んだ男を横目に、佇んでいる太陽を覗き込んでくる。

「目立つ怪我人は居なかった様ですね。彼が駆けつけてくれたお陰で、他の皆は運び出された様ですが、どうも猊下の姿はなかった様です。彼にはお祖父さんを模したアンドロイドが同行していたので、無事だとは思いますがねぇ」
「さっきの知ってる人だったんですか?何かすぐ打ち解けてましたけど」
「いえ、会った事もない男です。二・三質問をしましたが、取り敢えずは見逃しました」
「…見逃したって事は、怪しいんだ?」
「賢い人ですねぇ。大丈夫ですよ、私が側にいる限り心配する必要はありません」

肩を抱かれ、決して強引ではないがけれど抵抗出来ない力に引き寄せられて、ぽふりと二葉の胸元へ収まった。どくどくと、早めの鼓動が聞こえてくる。近くから。

「二葉先輩?」
「無事で良かった…」

じっと色違いの瞳に見つめられ、どうも太陽に身に怪我などないか観察されている様だと気づいた。

「大丈夫だよ。どこも、何ともない」
「おでこが腫れてます。気づかなかったんですか?」
「ちょいと痛いかも」

ぱたぱたと浴衣の袖元を手探った男の白い手に、ちりめんのハンカチが握られている。白い手だ。けれどいつもの手袋はない。素手だ。

「そろそろ11時を回ります。アンダースクエアへ降りてから2時間近く経った様ですが、外は大変な騒ぎでしょうねぇ」
「こんだけあっちこっちボコボコになったら、建て替えになったり?」
「ある程度の補強は工業科任せになるでしょうが、帝王院は学園出身の優秀なOBに恵まれていますから。いつも通り、皆が気づかない内に改修するでしょうね」
「そっか」
「モードチェンジシステムの副産物ですよ。各ブロックが箱形のキューブで作られていますから、外観に問題がなければ、内部を作り直すのは難しくないんです。パズルの様に、壊れたブロックだけ入れ換えれば良いので」

それは本物の、肌。皮膚一枚剥げば、真っ赤な血が溢れ出るのだろう。赤は禁忌の色だ。燃え盛る炎の色。

「そっか。壊れたものは捨てて、新しいものに変えるんだ」
「ええ」
「壊れたものは直らないから…」
「え?」
「太陽、が」
「はい?」
「この世界から太陽が消えたら、嬉しいかい?」

静かに呟いた太陽は若干俯いており、二葉と目線は合わない。

「消えませんよ」
「…もしも話だよ」
「何があろうと、消えません」
「どうして言い切れるんだい?」
「私の目の前に居るからです」
「本気で言ってる?」
「本気ですよ。ふふ、可笑しな事を聞くんですねぇ。ああ、流石にこの状況では些か感傷的になりましたか?」
「消してしまおうとするんだ」
「はい?」
「後からやってきた癖に、何も持ってない癖に、体だけの脱け殻の癖に、自分が脱け殻だって、判ってる癖に」
「詩的ですが、私には少し難しい話ですねぇ。それは何かの喩え話ですか?」
「そうかも知れない。俺は燃えカスなんだ。殻がなくて、魂だけで足掻いてる。…みっともないかい?」

怪訝げに首を傾げた二葉は、無言で頬を撫でてきた。
ゆったりと瞼を閉じる行為は、どれほど浅はかだろうか。近づいてくる気配を受け入れながら、腹の奥底で嘲笑う声を聞いている。



『それは俺のだよ、王様』

ああ。
眠り続けていれば良い。朝にも夜にも戻れない灰色の世界で、感情を知らない子供は一人、狂うほどの愛を知らぬまま。

(つまりはそれこそが)
(唯一の幸福なのだと、いつか)

(愛と執着に違いなどないと知ったその時に)
 (後悔が我が身を焦がす音を、聞きたくなければ)

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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