帝王院高等学校
どす暗い地下でも明るさを絶やさずに!
「所で、イチは何でこんな所に居るんだ?」

殆ど素っ裸状態の男が宣った台詞で、ほぼ全員が「判ってなかったのか」と言う表情を晒した。
伝家の宝刀『かくかくしかじか』で華麗に説明を果たした嵯峨崎佑壱と言えば、この状況でも変に冷静な飼い主に目を輝かせており、その華麗なる説明を受けても未だ良く理解していなさそうな遠野俊を横目に、ざぶざぶと水を掻き分けた高坂日向は溜息を零す。

「悪いな俊。嵯峨崎は馬鹿だからともかく、俺様にも明確な説明なんざ出来やしねぇ。目下の最重要事項は、ファントムウィングで出るにしても教室まで戻んなきゃなんねぇっつーくらいだ」
「は、んなもんさっさと壁を登れば良いんだよ。あの横穴まで5メートルちょい、教室まで少なく見積もっても10メートルだろうが」
「ちっ。テメェは骨でもしゃぶって黙ってろ馬鹿犬が、ロクに九九も出来ねぇ雑魚が勝手に見積もってんじゃねぇ。不安要素を計る時は多く見積もるもんだ」
「イチはちょっと馬鹿でも可愛いぞ?」
「総長がそう言うんなら俺もう勉強しません」
「あっと言う間にウエストにもイーストにも抜かれて、下手すりゃ降格か。そうなったら祝ってやるよ後輩」

バチバチ、カルマ並びにABSOLUTELYの副同士で火花を散らせるが、ぷりっと尻を震わせたカルマ総長が『ぷちょん!』と言う謎なくしゃみをしたので、気が殺がれた様だ。

「総長が風邪引く前に何とかしねぇと…」
「ちっ」

殴り合いに発展する事なく、それぞれ明後日の方向へ向き直る。

「何にせよ、学校の地下に人知れずこれだけの空間が存在していたら、探検するしかない」
「探検っつっても、まずは外に出る方法を探した方が良くないっスか、総長?」
「馬鹿野郎、お前は男のロマンが判らんのか…!未知との遭遇を受け入れてこそ人は進化してきた、違うか?!」
「っ、そうでした…!俺と言う奴は、なんて小さい男なんだ…!俺、俺、恥ずかしいっス総長…!」
「イチ…!大丈夫だ、これから改めていけばイイ。人は失敗して学ぶ生き物だからな…」
「兄貴ぃ…!」

誰がどう見ても楽しめる状況ではないのは明らかなのに、カルマツートップはゲームでもしている様な雰囲気だ。がしっと抱き合い、右も左も危険な状況を楽観的なムードで染め抜いている。余りにも能天気だ。

「ピナタは探検しないのか?あ、ピナタ先輩?ニューピナタ?」
「あー、先輩はやめろって、お前から呼ばれんのはむず痒い…っつーか、お前の頭上から躾のなってねぇ野良犬が睨んでんな。誰彼構わず噛みつきやがって、狂犬病かよ」
「イチ、めっ」
「…総長、この際なんで高坂は不慮の事故で死んだ事にしませんか?墓はその辺に作りますから、水の中とかに」
「ほー、流石の計算力じゃねぇか駄目犬。やれるもんならやってみやがれ、即座に返り討ちにしてやる」
「ネオピナタのお墓を作るなら俺は此処に残って墓守になる。ネオピナタがお化けにならない様に…!」
「ニューとかネオとか、さっきからそりゃ何なんだ、俊?」
「総長が残るなら俺も残るっス!此処で総長と一生暮らしまス!」

気が抜けた日向は見えない尻尾を振り回している赤毛を一瞥し、人知れず天井を見上げた。
微かな光すら見えない上空を見るに、素手で登って行ける距離ではないだろう。野生児である佑壱や人外と言うより他ない俊ならばともかく、一般人である日向は無駄な労力を使いたくない。

「イチは教室から皆が脱出するのを見送った後に、教室ごと落下したんだったな?」
「そっス。そんで気づいたら高坂が寝てやがって、あのままあそこに居るくらいなら飛び降りた方が良いかな、と」
「ふむ。つまり落下の衝撃でスライドレールが変形した教室が、すっぽり引っ掛かったんだろう。抜群の安定感で引っ掛かってくれて良かった、皆を寝かせて来たんだ」
「えっ、他の奴ら大丈夫だったんスか!」
「大体は大丈夫だ。ただ…タイヨーには申し訳ない事を…」
「山田?山田がどうしたんスか?まさか………死んだ…?」

さして興味はないが、それでもこの一月弱で顔見知りになった太陽の名が出た事で、流石の佑壱もなけなしの眉を顰めた。無言で話を聞いていた日向は、あのひねくれた餓鬼が簡単に死ぬかと考える。それと同時に腹が鳴り、何となく肩を落とした。
先程意識を失っていた時、食事をする夢を見た様な気がするのだが、目覚めてからの怒濤の出来事に圧されたのか、既に内容までは思い出せない所だ。

「二葉先生のお顔に傷を残す訳にはいかないと焦る余り、ちょっと強めに投げたタイヨーが風船に当たって…吹っ飛んだ」
「ブフ」
「コラ、笑い事じゃないぞイチ」
「や、山田の石頭はパネェんで大丈夫ですよ。つーか叶なんざ放っておいても良いのに、アイツは殺しても死なねぇ奴だし」
「殺したら流石に死ぬぞ?」
「いや、マジな話、叶に限っては死にゃしねぇ気がする…。アイツからは死神も裸足で逃げ出しますよ」
「何?あんな天使の様な人から?」

何とも脱力する様な話をしている二人に、頭痛を覚えた日向は眉間を抑えた。天使と言う単語に反応してしまう我が身を儚んだのかも知れない。
手持ち無沙汰も手伝ってルーターに何度か話し掛けたが、やはり電波が届いていないらしく回線は開かなかった。八方塞がりだ。頭上の何処其処から未だにヒタヒタと水が流れ落ちてくるが、水が減っていく勢いを殆ど感じないのは痛手だろう。

「…ちっ。結構なお手並みだ、かなり頑丈な地盤を加工してんな。こりゃ、帝王院の推測以上にやべぇ場所だった可能性があるか…」

俊の天然発言で発狂した佑壱はくどくどと叶二葉悪魔説を語り、ぴんと来ないらしい俊に痺れを切らしたのか、キッと日向を睨み付けた。

「おい、テメーも何とか言えや高坂!叶は悪魔だろ、悪魔っ!」
「いや、あれは魔王だろ」
「ほら、やっぱ高坂もああ言ってるでしょ」

思わず呟いた日向に、佑壱は勝ち誇った表情で俊を見やった。
それでもまだ納得していないらしい俊は、困った様な表情で佑壱を撫でたのだ。完全に我儘な子供を宥める親の様な対応だったが、撫でられて益々尻尾を振り回している佑壱は気づいていない。

「でも俺の中の二葉先生は天使なんだ。美人過ぎる」
「叶よか俺の方がモテますよ!チンコもきっとデカい!」
「どれどれ」
「ちょっと待って下さい、ベルト外すんで………ほら」
「ふむ。びっくりするほど赤黒い」
「生まれつきっス」
「陰毛が赤黒過ぎる」
「毛っスか!こう言うデリケートな所の毛は色が濃いらしいっスよ、決して遊びすぎて黒光りしてる訳じゃ。黒光りは高坂のチン、」
「今すぐ黙れスビードスター、テメェがマークした記録を叫ばれたくなかったらな!」

惚れた欲目を除いても、佑壱のちょろさが心配になってきた日向は何度目かの嘆息を吐き出すと、当て所なく周囲を調べる事に意識を集中させる。
あの二人の仲に今更嫉妬などしない。わざとではないのかと言うほど、昔から盛大にいちゃいちゃしているからだ。あれで付き合ってないだと、と言うお決まりの台詞を何度飲み干したか、思い出すのも忌々しい。

「ねぇ、意地悪日向。こっちにも明かり向けてくれない?」
「おう、意地悪高坂。黒光りに興味を示したアバズレからご指名だぞ」

ぷくりと頬を膨らませた女が青い眼差しを向けてくるのに対し、ざぱりと水面から顔を出した赤毛はプピーっと水を吐きながら宣った。
真面目に作業を始めた日向に負けてなるものかと、佑壱も周囲の探索を始めていた様だ。まともな足場が殆どないので、最も深いところで腰辺りまで水没している地面から探索する事にしたらしい。

「誰が意地悪だと?テメェなんぞ苛めた覚えはねぇが、優しくされたいなら可愛いげのある態度を取れ」
「馬鹿抜かせ、どの角度から見ても俺は可愛いっつーの。ねっ、総長!」
「ん?あふん」

男らしいオカン程ではないがそれでもずぶ濡れで、ルーターから零れる光を使い足元を照らしていた金髪と言えば、わざとらしい程に無表情だ。
確かに、俊の前だけマッチョサーファーから柴犬に変化するカルマ副総長は、端から見れば可愛くない事もない。寝惚けて抱っこをせがむ時の佑壱は、日向の眉間の皺をランマーで叩き均す程の威力だ。工事現場などで地面を平らにする、ドドドドドの機械である。

「あっ。大丈夫っスか総長、その辺はまだ障害物を取り除けてないので、俺が大丈夫だって言った所以外は危険っスよ」
「俊、お前は何で足首程の水位で溺れそうになれるんだ。…もう良いから、壁際に引っ付いて離れるな」
「新ピナタ、その冷たい眼差しはアレだな。『使えねぇ男は引っ込んでろ』と思ってるんだろう?」
「あ?!テメー、誰の総長に向かってンな事ほざいてやがる高坂日向、総長をテメーのオナホ代わりにするつもりか!いい加減我慢ならねぇ、俺とタイマンやんのかコラァ!」
「テメェらカルマは当たり屋集団か!どんな耳してやがる!」

爽やかにネガティブなハイパーカナヅチは、地下奥深くで水没した空間を探索しては溺れ掛け、本人が言う通り、足手まといでしかなかった。然し生来のネガティブなので、今更少々罵られてもノーダメージである。

「おや?ファーストは日向を持ち上げられるんだねぇ、流石はランクA1位の枢機卿。ふふ、煮ても焼いても殺せないベルハーツ殿下がずぶ濡れで暴れてるなんて、二葉が見たら笑っちゃうかなぁ」
「にゃんこは水が苦手なのに、新ピナタは泳げるのか…イイな…」

然し犬の総長フィルターでそんな総長もまたカッコイイと思い込んでいる嵯峨崎佑壱は、俊が歩き回っている周辺の水の下へ潜っては、俊が転ばない様に瓦礫を撤去し、時々背中の痛みに呻いては腰を叩いている。誰の目で見ても満身創痍だ。

「新って、まだ受け入れられてなかったのか今の俺様は…」
「は、記憶が丸一年消えてんだから当然だ。総長がテメーなんざ受け入れる訳ねぇっつーの馬ァ鹿、ファッキン淫乱シネ。エイズになれ」
「誰が淫乱だ糞犬が、ゴム無しで突っ込まれたいらしいなテメェ」
「避妊大事。中出し駄目絶対、俺ん家にコンドームある。LLサイズある。避妊しても女妊娠した言う、」
「何で片言入ってやがる、気色悪い」
「気色悪いのはテメーだろうがホモサピエンスが!ホモはホモらしくノンホモ牛乳に伏して詫びろホモフィリア野郎!」
「ホモフォビアぶってんじゃねぇぞテメェ、大嫌いなホモ野郎に扱かれて十秒で出してりゃ世話ねぇだろうが!」
「ばっ、15秒は耐えたっつーの!馬鹿にすんな!馬鹿にすんな!」
「良くもまぁ次から次に、ピュッピュピュッピュ出せるもんだ。俺様はお前を尊敬するぜハイウェイキング、コンドルもお前の走りには敵わねぇ」
「That is the last straw! All right, Haters gonna hate.(黙って聞いてりゃ舐めやがって!まぁ良い、カスが何をほざいても何とも思わねぇし)」
「Fum, Who do you think you are, Mr. light?(へぇ、テメェを何様だと思ってんだ、『光速』さんよ?)」

それでも日向を抱えて水の中へ投げ飛ばしたり、しゅばっとマウントを取って水の中へ沈めようとしている所を見るに、まだまだ元気がありそうだった。然し日向の反撃を受け、今度は自分が水の中へ沈められた佑壱はジタバタと暴れながら逃げている。まるで犬掻きの様な泳ぎだ。

「薄ノロ野郎!テメーの鈍い動きなんざ見切ったっつーの、バーカバーカ!遅漏が標準を馬鹿にすんなバーカバーカ!」
「…テメェが標準なら、この世の大半は男は遅漏だ馬鹿が」

その仕草に無表情で萌えた日向は、萌える余り完全な無表情だったが、ふっと呆れた様な笑みを浮かべた女にピクッと眉を震わせる。嘲笑は日向の専売特許だ。するのは良いがされるのは忌々しい。

「ちっ。犬が犬掻きしてんじゃねぇ、萎えるわ」
「あ?テメーに興奮されてもキモいだけだっつーの。見境なく野郎のケツに勃起しまくる粗チンもぎ取られてぇのか、ぼーくちゃん」
「へぇ、つまり馬鹿にしてきたホモ野郎の股間に触れんのかテメェは。誇り高いカルマの犬もその程度たぁ、哀れみを禁じらんねぇなぁ、ぼーくちゃん」
「んだと?!やんのかコラァ!」
「ふん。一々テメェなんざ相手してられっか、木の股にでも盛ってろ三擦り半野郎」
「あーあ、まるで日向には僕が見えてないみたいだねぇ」

にこりと愛想笑いで顔を歪めた女に、丁度溺れ掛けていた俊が目を向けた。一触即発だった犬猿カップルがその見事な溺死っぷりに喧嘩を忘れるほどだっが、溺れる事には慣れている男はやはり無表情だ。

「んー、女性の前で下ネタは如何なものかと思わなくもないが、最近は女性の方が平然と下ネタを言える風潮がなきにしもあらず、童貞の出る幕は1デシリットルもないな」
「ふふ、まぁだ童貞守ってるの?僕が貰ってあげても良いけど、マジェスティノアに睨まれそうだねぇ」
「所で、君は何でこんな所に居たんだ?わざわざ繋がれていたんだ、ただ事じゃない感じなのか?事件のカホリ?」
「ナイト、それ今更聞くの?ふふ、君はいつもマイペースだねぇ」
「申し訳ない」
「謝らなくて良いよ。…少し前からねぇ、セントラルがキナ臭くなってたんだ。技術班の副班長、シリウスの代わりに本部の技術班を仕切ってた男が実働員みたくなってるけど、後ろ楯が大体判った」
「後ろ楯?」
「『元老院』」

二葉の様に良く通る声ではないが、女性特有の甲高い声はわざわざ大声を出さずとも耳につくものだ。大人げない喧嘩で髪も衣服も盛大に乱れた佑壱と日向も、掴み合いの喧嘩を止めて俊達へと目を向けた。

「今の元老院はセントラル執事長のアシュレイが仕切ってた筈なんだけど、彼は何年も前から立場が燻っててねぇ。元老院の長なんて殆ど肩書きだけ、って所かな?ね、ファースト」
「…ふん、俺が知るかよンな事」
「どう言う意味だ嵯峨崎、帝王院からはそんな話聞いてねぇぞ俺様は」
「はっ、あの天下泰平気取った至上最強のノアが、逐一『下々の行動』に興味を持つと思うのか?」
「興味はどうあれ、耳に入ってねぇっつー事ぁないだろうが。テメェは少なくとも事情を知ってんな?」
「…ルークのお目掛け役のアシュレイは、奴が枢機卿としてセントラルに招かれる以前からルークの世話係だったジジイだ。歳はネルヴァより大分上だったが、立場上、ネルヴァの直下になる。っつっても元老院は引退した老い耄れの天下り先だから、セントラルのコードは消失した筈だ」
「秘書班っつー事は、引退する前は特別機動部か。…二葉の野郎、無駄話は聞かせてくる癖に肝心な話しはしやしねぇ」

ざっと両手で前髪を掻き上げた佑壱は、ぺたりとオールバックで固めてデコを丸出しにした。珍しい髪型に目を丸めた日向には見向きもせず、にこにこと愛想笑いを向けてくる女を睨んだのだ。

「アシュレイが肩書きだけのお飾り…もっと言えば、特別機動部を辞める羽目になったのは、娘の所為だろう?」
「ふふ、ほらねぇ、君は知ってるんじゃない。そうだよ、僕がそれを知ったのは組織内調査部の権限を使える様になってからだから、結構最近かな」
「アシュレイの娘、ゼロの産みの母親…か?」

一つの推測を立てた日向は、ぽつりと零す。
エアリアス=アシュレイは、日本人である嵯峨崎嶺一と共に駆け落ちし、およそ22年前に日本で子供を産んだ。勿論、それが佑壱の兄である嵯峨崎零人だと知っている。

「ゼロを出産した事で、立場が悪くなったっつー事か。当初はアビス=レイの監視だった筈の女が、入籍だけならともかく、迂闊にも餓鬼をこさえたら…」

実際の所、クリスティーナ=グレアムとの駆け落ちが失敗し、以後二度と同じ過ちを犯さない様に嶺一につけられた監視役だったと聞いていた為、エアリアスの父親の立場が悪いなどと考えた事もない。
少なくとも日向は今の今までそうだったが、零人の弟である佑壱は日向の台詞に肩を竦めると、顔を呆れの表情で染めた。

「…ったく、テメーはどうでも良い事を自棄に知ってんな高坂、いや、ベルフェゴールだっけか。今となりゃテメーが公爵だろうがランクAだろうが構わしねぇが、餓鬼は下手に首突っ込むな」
「餓鬼に餓鬼呼ばわりされる覚えはねぇな」
「ベルフェゴール、悪魔か。二葉先生が天使でピナタが悪魔で、イチはワンコ。3つ揃えば文殊の知恵…文殊?もんじゃ焼きは水で嵩まし出来るから大好きです、天ぷら粉でもんじゃは作れ…る…」

ぽんっと手を叩いた俊の呑気な台詞で場が一瞬白けるが、からりと余りにも晴れやかな笑みを浮かべた男がそのままふらりと後ろに倒れていったので、全員が目を見開いた。
慌てた佑壱が足を踏み出すより早く、ふよふよと水に浮かぶ俊の姿が、日向の持つルーターではなく、遥か頭上から差し込んだ光に照らされる。

「っ、何だ?!おい、誰か居るのか!」
「大丈夫っスか総長?!総長?!」
「…3つ」
「はっ?!」
「3つ以上抱えてはならない。三脚の脚は減っても増えても意味がないと、俺は知っている」

佑壱が引きずり上げた男の目元が、佑壱の髪型とは真逆に、濡れた漆黒の前髪で隠されていた。

「異端だ」
「総長?」
「光、闇、そして命。俺の中には既に3つ棲んでいた」
「総、」
「一つは光、リヴァイ=ノア=グレアム。死してノヴァとなった白銀の光」

俊を片腕で抱えながら、規則的に動く唇を至近距離で見ていた佑壱の、ダークサファイアが瞬く。リヴァイ、別の国の言葉ではリヒト、言い方を変えればライト、読み方を変えれば、

「…レヴィ、グレアム」
「一つは闇、遠野夜人。死んだ光を追い掛けた、太陽の島から星の大陸へ渡った夜の使者」
「日本人唯一のメア、ナイトメア=グレアム。『セントラルの悪夢』は、グリーンランドで眠り続けてる…」
「最後に命、それこそが遠野俊。俺で在るべきだった。けれど違った。そこには既に『帝王院秀隆』が棲んでいた」
「「帝王院秀皇?」」

佑壱と日向の声が重なった瞬間、伸びた俊の手が佑壱の晒された額を鷲掴んだのだ。

「俺の期待を裏切った遠野俊、お前の時間は崩壊した。犬だ。俺の中に刻まれた犬の業を解き放ってお前が、俺に成り代わるつもりだろう」
「っ、総長!何を言ってんですか、総長!」
「…雲隠佑壱、お前はどの『俺』を呼んでいる?」

佑壱の視界は俊の手に塞がれて真っ暗だ。

「我が名は遠野俊2歳」
「ナイト、何ふざけてるの?ふふ、2歳なんて赤ちゃんみたいだねぇ」
「赤子…赤子の七つのお祝いに…」

日向は状況を把握出来ずに様子を窺ったまま、佑壱の視界を奪った男の空いた手が、張り付いた前髪を掻き上げる様を見ている。歌っている様な声音だが、明確な戦慄を奏でてはいない。わざとらしいと思えるほどに。


「あの子に貰った感情を解き放てば、キャスリングした駒はポーンへ戻る。短針、長針、秒針、三本の脚をそれ以上増やせばこうなる事を何故、想像しなかった?」

淡々と喋り続けた俊が、訳も判らずじっと我慢している佑壱の顔から、ゆったりと手を剥がした。

「通りゃんせ、通りゃんせ」

目の前に片手で前髪を掻き上げている飼い主を見つけた男は、ダークサファイアを限界まで見開くと、ぽつりと。

「誰だ、アンタ…」
「…俺か。俺はあの日、全てを知っていた俺だ。
 そうして俺は軈て、俺と言う全てを一つ残らず根こそぎ奪われるだろう。残る為に。刻む為に。止まる為に。終わりを迎える事で手に入れる為に。俺は時限から俺を淘汰せねばならない。つまりは奪われねばならない。

 たった一つの、満月に」


眠りを誘う様な、世界を静寂へと沈める様な、それは余りにも静かな声音だった。
誰かのそれに良く似ていると、日向が唇を震わせた瞬間、全ての感情を削げ落とした様な無表情は真っ直ぐに、差し込む天井の光を見上げたのだ。



「我が名は帝王院神、0歳マイナス6ヶ月だ」
















Light did not be Dark.
Symphony number none: 交響曲第無番『涅槃寂静』








「一人で歩いて山道を降りようだなんて無茶しやがる!ったく、ほら、全身冷えてるじゃないの!」

轍が残る車道の脇、初雪が残る木の根元に同化していたその子供を見つけた女は、バタンと車のドアを蹴破ると慌てて飛び降りた。
両腕で抱き上げた子供を、ヒーターで温めていた車内に乗せたのは良かったが、これでは誘拐同然だ。
迷子の保護として成立させる為にも、まずは身元を知る必要があるだろうと思った所で、子供が残してきたらしい小さな足跡が点々と山の上に続いているのが見えた。

「チミはあっちから来たんかィ?」
「…ちみ?」
「あんだチミは」
「…」
「あらん?ドリフ知らない?………って、知ってる訳ないか」

有り難い状況なのかも知れなかった。
ともすれば神の思し召しなのかも知れない。怒りのまま乗り込むには、この山道は長かった。

「…はァ。俺もまだまだ餓鬼だねィ、シューちゃんの親を殴り飛ばすとか出来る訳ないっつーの。…多分。百歩譲って殴れても、殴り『飛ばす』までは無理…であって欲しい…」
「………お腹…」
「へっ?!お腹空いた?!ちょっと待ちなさいよ、確かダッシュボードの中にチョコバーが…あ、何か溶けてる…」

ぽそりと後部座席で呟いた子供に、慌てて助手席のダッシュボードから取り出した包みを手渡したものの、握った時の感触が切なかったのはヒーターの所為だろう。むにゅっと派手に握ってしまった包みの中身を、出来れば開けて欲しくない。車内が汚れそうだからだ。
そんな願いが通じたのか、単に溶けたチョコバーが嫌だったのか、膝の上に転がった包みをぼんやり眺めている小さな旋毛を見つめる。

透ける様な透明感の髪の下、見えた頭皮も真っ白だ。
それでも雪に同化しきれていなかった白髪は、運転手が見てきた何例ものアルビノ患者より銀に近い色合いだった。そうでなければ気が焦っていた運転中の車内から、見つけられなかったかも知れない。

「ね、何処に行くつもりだったの?それともただお散歩してただけとか?もしかして、この近くにお母さんが居たりする?」
「…母上は私とは会って下さらない」
「へ?」
「私が生きている事が不満でならないと仰っていた」
「な…んっつーアマ…!」
「あま?」

当初の怒りとは別の怒りで再び燃え上がった運転席に、顔を上げた子供が穢れを知らない表情で小首を傾げた。その余りの愛らしい仕草に胸キュンで悶えた運転席に、後部座席の温度が若干下がった様な気がしないでもない。

「お腹」
「えっ?」
「何でそんなに大きいのですか?」
「へ?あ、私のお腹?え、そんなに判る?まだ4ヶ月…5ヶ月なんだけど、赤ちゃんがいるのょ」
「赤ちゃん」
「そーょ」
「私にも妹か弟が出来ると、父上が仰いました。名前を考えてあげると、喜んでくれるかも知れない…」
「成程、ママはマタニティーブルーなのか。ちょっと荒っぽくなっちゃう事もあるもんねィ。で、さっきから握り締めてるそれが?」

透けるほど白い小さな手が握り締めている白いそれは、紙を丸めた筒の様だった。見ても良いかと尋ねて承諾を得ると、丸められていた小さな巻物をぺりぺりと開く。

「それが一番上手く書けていると、父上から褒められたもの」
「ほんと、小さいのに字が上手ねィ。神様の『神』で、何て読むの?」
「男はしん、女はきよ」
「シン?あらま、もし弟だったらお姉さんの赤ちゃんの名前とちょっと似てるわねィ」
「?」
「ふふ、知りたい?でも内緒♪」

握り締めていた紙を手放したからか、膝の上に転がしていたチョコバーの包みをいじらしく破った子供が、頂きますと呟いてから若干固まったもののやはり溶けている菓子を頬張った。

「そう言えば、お姉さんもこの先に用があるのよ。帝王院学園って近くにあるの、知ってる?」
「帝王院学園はお祖父様の学園」
「お祖父様…?そう言えば、貴方、名前は言える?」
「しん?」
「そうじゃなくて、貴方か、貴方のお父さんの」
「ああ、名乗り遅れたご無礼、平にご容赦下さい」
「ちょ、どんな親御さんに育てられてんのょ!殿様の落胤か!」
「我が名は帝王院神威」

時が止まる音とは、余りにも静かなものだ。


「父の名は帝王院秀皇。私はセントラルに行きたくない。…許されなくとも、もう一度父上に会いたい」

まるで鼓動を忘れた、今の心臓の様に。










『待て』
『離せ』
『今のは、どう言う意味だ』

蒸し暑い日だ。
降り注ぐ雨が烟っていた。やんでからも陽炎の如く、揮発していく水蒸気が容赦なく世界を包む。

蹂躙する様に。
支配する様に。
無慈悲に、無尽蔵に、理不尽に、残るのは不快感だけ。

『そなたの今の言葉は、誰に対してのものだ』
『テメェと話す事はもうない。離せ』
『嫌だと言ったら』
『さようなら』

掴んだ腕が、容易く振りほどかれた。
決して舐めていた訳でも油断していた訳でもなく、それなのに何故、この手の中には何もないのか。理解に遅れたのは、ほんの数秒。



『二度と話す事のない、裸の王様。』

蝉の声が聞こえた様な気がした。
雨の日に、一足も疎らな商店街の外れ。国道沿いの、磯臭い雨の世界に二人。

野良猫はもういない。
陛下、と。傘を差し出してきた秘書は、珍しい表情で。

『今の男、お知り合いですか?』

あの時自分はその問いに、何と答えたのか。
忘れたのか記憶していないのか、それすらも。

←いやん(*)(#)ばかん→
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