帝王院高等学校
黄昏の沈黙
「ま、まだかOsiri…」
『質問の意図を正確に汲み取れませんでした。再度別の言葉でご質問下さい』
「っ、この迷路はまだ続くのかと聞いているんだ!」

荒っぽい英語の叫びに、道行く誰もが目を丸めている。
何時間も彷徨い続けた旅人の如く肩で息をしている男は、きっちりと絞められていたネクタイを毟る様に弛めると、魚座のマークが刻まれた噴水へ誘われる様にふらふら近寄り、その縁に腰を掛けた。

「さっきはレオで、掲示板にはサジタリウスの表記があったか…?この学園はゾディアクを重んじているのか…」
『リチャード、帝王院学園の生徒寮はリブラです。天秤座の表示を目指すと良いでしょう』
「天秤座…天秤座、か。はぁ。向こうがヴァルゴガーデン、リブラなんて何処にあるんだ」

苛立たしげに金髪を掻いた男の後方に、真っ白な建物の群れが見える。然し疲弊している今の彼にはそれを見つける余裕などなく、力なく傍らのカートへ手を掛けると、男はよろよろと起き上がった。

「早くミッドナイトサンを見つけないと、折角の花束が枯れてしまう。ああ、あの子の好きなフレンチトーストもあるんだ。…もう少し、頑張ろう」
『愛ですか?』
「そうだ、愛だとも。何か文句があるのかポンコツAIめ」
『先程ブライアン=C=スミスより着信がありました。二度の居留守により痺れを切らしたのか、たった今メールを受信しています』
「…まだ怒ってるのかあの人は、何度言われても目的を果たすまで帰らないと言ってるのに」
『メールを読み上げます。「親愛なるテイラー、私に万一の事があれば君にイボ痔が出来る呪いを掛ける事になるだろう」』
「それが物理学教授の台詞とは信じたくないんだが、あの人も珍しく参ってる様だな。仕方ない、後で連絡を入れておくか…」

ぼやいた男は、視界の端に見慣れてきた黒髪ではない人種を見つけて動きを止める。人目を避ける様に、数名の異国人が日本人らしき子供を連れていく光景だ。

「…いやな予感は、良く当たる。統計学で証明されていない俗説だがね、時には説明出来ない非科学を信じてしまうよ」

まさかと目を細めた男は、眼鏡を押し上げて立ち上がる。

「ミッドナイトサンより先に、カイザーカエサルに拝謁しようか。『あの頃』よりタチの悪そうな犬を飼っているのか、尋ねる為に」
『マジェスティはリチャードの初恋の君ですね』
「…お前は黙っていなさい。捨てるぞ」
『了解、Osiriは浮気に寛容です』

男はもう一度シャラップと叫んだ。
ああ、人の視線が突き刺さる。



















あの時。

「愛している」
「…だったらイイにょ」

獣が如く低俗な衝動に突き動かされるまま、
(全てに対して容赦も)(慈悲も)(あまねく理性の欠片すら)(淘汰して)(何が残ったと言うのだろう)

「好きな人に触りたくなるのは、普通の事だもの」

浅ましいほどに腰を振り続けたあれを人の欲と呼ぶのであれば、人とはなんと醜い動物だろうかと。
(その声は哀れなもので)(苦痛に堪え忍ぶ様にも)(快楽へと塗り替えられていく己を恥じている様にさえ)(思えた)
一切の容赦なく、そんの僅かな罪悪感すら忘却の果て。出来る事なら笑顔をなどとつまらない御託を宣いながら、現実は猟奇的を自覚する程の残酷な感情に支配されて、心などと言う不確かな臓器がその時その体に宿っていたとすれば、見るも無惨な姿形をしていたに違いなかった。
(一つの可能性として)(いや)(そうであれば良いと願ったからかも知れない)(自分を正当化する為に)

色で例えるならば、網膜を焼く神々しいまでの『黒』とは似ても似つかぬ、万色を乱雑に塗り混ぜた、艶などない見窄らしい混沌の黒だ。

「カイちゃん」

規則正しく刻む脈動を聞いていた。時折、吐息と共に名を呼ぶ声を聞いただろうか。最中に宿っていた己の体温、吐き出した体液の量や匂いまで覚えている癖に、所々曖昧な部分がある。

「ふ…」

血液を循環させている心臓が響かせる鼓動は徐々に勢いを増し、酸素の供給にすら難儀する唇から、救いを求める様な呟きが零れた。けれどその声に慈悲の手を差し出す者はない。
彼の目の前にその時存在したのは浅ましい雄だけ、獣よりも無知で愚鈍な、狂気に犯された発情期の雄だけだった。

愚かな我が身よ。繰り返される吐息に滲んだその声音の甘さを覚えているか。
(まるで毒の様だった)(吐き出す事も)(まして飲み下す事も出来ず)(ただ)(与えられるだけ)(無抵抗で)(一切の容赦なく)(呼ばれる度に喚び起こされる)(欲が)(底無しの餓えを訴え続けている)(それこそ慈悲などなかった)(自虐的だっただろうか)(欲に塗り殺された理性の欠片でも)(あの時繋ぎ止める事が出来ていれば)(…過ぎた話だ)

「カイちゃん」

人とはなんと醜い動物だろうと、滴る己の汗を見つめたまま思っていたのは、間違いなくそれだけだった筈だ。
けれど望まずに組み敷かれて尚、一度として罵りも嘲りも吐かなかった唇は、他人の滴らせた汗を仔猫の様に舐め取りながら、何度も何度も(全てを赦す様に)(全てを諦めたかの様に)(悪夢を受け入れる様に)(正に神の如く寛大な心のまま)、何度も。



「痛いの痛いの、飛んでけ」

己を貫く獣を、撫で続けたのだ。
(まるで聖母の如く)









それが人の姿をした神であればまだ救われる。
けれど刻む鼓動は人間とも猫とも違いがなかった。

あれがただの人だと言うのであれば、あの時、温かな左胸を裂いて中身を取り出していれば証明されたのだろうか。
あれほど神々しく儚い生き物でさえ、浅ましいほど醜い生き物の一つに過ぎないのだと。

無意味に己を謗るのは、罪悪感からなのか。
私と言う理性を殺したのは私が抱いた雄の本能だった。その罪深さを理解していた癖に、言い逃れなど出来る筈もない。

例えば女の体であれば、確実に孕んでいた筈だ。
柔らかい肉を貫き、ともすれば子宮の膜をも貫かんばかりに突き立てた雄は、混沌の欲を秘めた純白の体液を零す。何度も何度も、我ながら呆れる程に躊躇なく。

己の所有権を示したいが為のマーキングなのか、美しいものへの浅慮な嫉妬なのか、儚いほど脆い体を組み敷く事で己の存在を肯定したかっただけなのか。今となってはどれも不確かだ。



あんなものが『 』である筈がない。










「祖父さんが、ステルシリーの幹部だっただと?!おいおい、初耳だぞ親父ぃ!」
「耳元で怒鳴らないで頂戴!…仕方ないでしょ、父さんはアンタが産まれる前に死んだんだから、わざわざ話す事でもないって思ってたのよ」
「っ、かー!………マジかよ…」

この場の誰よりも驚いたらしい嵯峨崎零人が、正論で嗜められて深い溜息を零す。零人の狼狽は理解出来ない事もないがと前置き一つ、彼の父親は塞いでいた耳から手を離した。

「完全に親の建前だけどね。…全くのコネ無しでセントラルに入れるほど、あそこは単純な場所じゃないわ。佑壱はともかく変な所で勘の良いアンタなら、ある程度気づいてんのかと思ってたけど?」
「そりゃ、だろうがよ…!まさか祖母さんじゃなくて、祖父さんだとぉ?そんなんありかよ…!」

彼に負けず劣らず驚いた表情のアリアドネ=高坂は零人の勢いに圧されたのか声もなく、困った様な表情で肩を竦めた傍らの友人を見やった。

「随分、昔の話だそう。勿論、私だって知らない人。嵯峨崎陽炎と言う本名を、果たしてセントラルで知っている社員が居るのかも判らないくらい」
「それじゃ、機密情報と言う事だね?」
「…どうかしら。レイが留学先にアメリカを選んだのも、滅多に自分の話をしない父親が生前話をしてくれたからだって、そうだったわね、レイ」
「ええ、そうよクリス」

妻の問い掛けに一つ頷いた嵯峨崎嶺一は、綺麗に落とした化粧に違和感があるのか、単に落ち着かないだけか、頻りに頬やら顎やらを撫でている。ガリガリと無言で短い髪を掻き乱している息子を見つめたまま、零人と同じ様に長めの溜息を吐いた。

「本当、笑っちゃうくらい大人しい人だった。人目のある所を嫌がって、来客中は絶対に姿を現さないの。お母さんは、私が知る限り父さんに笑い掛けたりしないし、必要最低限の会話も稀だったかしら。私に対しては鬼の様に怖かったわ」
「…祖母さんか。殆ど覚えちゃいねぇが、良くデケェ声出してたよな」
「イールがわざとらしく怒らせたがったからね。全く、あの子は何から何まで出鱈目だった。初対面でお母さんに『ぶちゃ可愛い』なんてほざいたのは、後にも先にもあの子だけよ…」

何を思い出したのか、脱力気味に宣う嶺一の表情は疲弊しており、零人とクリスは母子で顔を見合わせると、我が子の恥を聞かされた母親の様な表情で頬を掻いたのだ。
二人の似た仕草に笑った高坂は、緑掛かった青い瞳に笑みを描き、幾つか頷く。

「成程、楽しそうな人だったらしい。一度、面と向かって話をしてみたかった」
「やーねぇ、貴方なんてパクっと食べられちゃうわよアレクちゃん。イールは物凄い面食いの肉食女だったもの」
「あら、お言葉ねレイ。エアリーは、私の前ではいつも賢くて優しい、素敵なお姉さんだったわ」
「ふん、ちゃんちゃら可笑しいわね。私達を騙した挙げ句、この私を笑顔で脅迫した様な女よ」

片眉を跳ねて鼻白んだ嶺一は舌打ちせんばかりの表情で、亡き一人目の妻の様を思い返した。

「イールはずっと、ずーっとクリスの事が好きだったの。勿論、破天荒な癖に恋には臆病だった彼女は、恐らく死ぬまで告白するつもりはなかったと思うわ。聞いた事はないけれど、それだけ本気だったのかも知れないわね…」
「レイ…」
「私には、亡くなった彼女の気持ちが判らなくもないかな。14、15歳と言うのは最も多感な時期だろう?私もその頃、日本から来た年上の留学生に憧れ、離れてからも慕い続けたものだ。…ふふ、懐かしいね」
「へぇ、彼の有名なヴィーゼンバーグのお姫様を射止めた日本人だなんて、興味を擽るじゃない。当然、高坂じゃないんでしょう?あの子は留学なんて高尚な趣味はないもの」
「遠野俊江と言って、そうだな…私の初恋と言っても良いのだと思う。夫を得た今でも、あの頃の瑞々しい恋慕の記憶は褪せる所を知らないよ」

ヒューと口笛を吹いた嶺一を余所に、ぱちぱちと瞬いた零人は「さっきのババアか」などと宣って、慌てて口を塞いだ。
あれがABSOLUTELY初代総帥の嫁である事は無論知っているが、本人を見たのは初めてだっただけに、かなりの衝撃だった。あの帝王院秀皇の嫁とは思えない、遠野俊のまるっきり女バージョンだったからだ。見た目の貧相さだけで見れば、男子中学生と言っても良かったのかも知れない。

「あー。っとに、人の趣味っつーのは判んねぇな…」
「何を悟った様な事をほざいてんの。アンタはまだ若いから判らないかも知れないけれど、他の何を手放しても絶対に手放したくない相手が見つかったら、適当に扱うんじゃないわよ」
「んだよ親父、キモい説教すんじゃねぇか。この俺様がンな失敗すっか、馬ぁ鹿」
「はっ。そんな風に意気がってる奴に限って、決まって後から後悔するもんよ。どうでも良い相手には強気に出られても、本気の相手には冷静な態度が取れないってね」

己の経験則なのか、しみじみ語っている嶺一に酒も飲んでいないのに酔っているのかと内心笑い飛ばしつつ、暫く沈黙した零人は何事かを思い返し、「まさかな…」と微かに呟いた。
思い当たる節があったのかなかったのか、ふるふると頭を振って渇いた笑みを浮かべる。初恋談義で盛り上がっている女性組を横目に、よっと掛け声一つ立ち上がった零人は壁に凭れ掛かった。

「で、祖父さんのツテでステルシリーに入り込んだ訳じゃねぇだろ?留学したのは一年間だった訳で、大学出てパイロットとして経験積んでた時に、偶々知り合ったランクCからスカウトされたのは知ってんだ」
「そうね、そこは話しといたかしら。それから対空情報部のランクCとして空の運転手を2年経験させて貰って、実家に戻る気なんて更々なくなった頃に本部…セントラルへ呼ばれたの」
「でもよ、親父が最初にランクBとして所属したのって確か…」
「区画保全部よ。所謂、庶務みたいな部署。12部署最下位で、仕事と言えば掃除だの備品の補充だの、雑用ばっかり」
「そこで私とレイは出会った。23年前、私がまだ12歳で、貴方は26・27歳だったわね、マイローズ」

犯罪じゃねぇかと、知っていたとは言え思わず呟いた零人に、嶺一はそっぽ向く。我ながら余りにも遅すぎる初恋だったので、あの頃はわりと黒歴史だ。
男子校出身などそんなものだと言ってやりたいものだが、誰に似たのか節操なしの零人が鼻で笑うのは目に見えている。

「私には、兄の立場に当たる男が二人居た。…いや、居ると聞いていた。私を育ててくれたのは、元々レヴィ陛下の元で働いていた聡明な女性でね。クイーンナイトメアの世話係だった事もある人だったのよ、アリー」
「そのナイトメアと言うのは日本人だと言っていたが、初めて聞く名前だ。恐らく向日葵も知らないだろう」
「私も詳しくは知らないもの、無理ないわ。私が知っているのは、私には『アダム』と言う兄が居て、もう一人、神と呼ばれる兄が居ると言う事」

それ以外、二人きりの兄妹の元に人の気配はなかった。
盲目の老婆が静かに暮らす、埃臭い辺境の教会は常世の世界。光は松明を燃やす事で得られ、物資の配給は月に数度。

「…セントラルと言うのは、本当に地下にあるのか」
「知ってる奴は知ってるわよ、そこまで機密じゃないもの。アメリカ大陸の5割に届くほど、地下も馬鹿みたいに広くってね。セントラル、中央区と呼ばれているのはニューヨークの真下から四方16km、10マイル程度」
「その10マイルは、完全に整備されているのか?」
「ええ、完全な地下都市圏よ、アレクちゃん。私が最後に見たのは、それこそこの子が産まれる前の話だから、ルーク政権下で何処まで変化したのかは流石に判らないわ」
「私は3年前、ルークに招待されて…。招待と言うより、呼び出しかしら?久し振りに見たセントラルは、ファーストが飛び出していったあの頃よりずっと、目映く見えた…」

ぽつりと呟いたクリスティーナ=グレアムの台詞に、訳が判らないと首を傾げたのは零人だ。

「帝王院から呼び出しって、何で?」
「日本へ行く事になったと報告されたから。他に大した用はなかった様に思うけれど、もしかしたら私の近況を把握しておきたかったのかも」
「いや、あの何に対しても興味なさそうな男がわざわざ母さんを呼び出したんだから、他に何かあったんじゃねぇの?」
「特に心当たりはないわ…。それより前に会ったのは、兄様が退位された時だから、9年前、ルークはまだ9歳だった」
「そう言や、帝王院が戴冠した時に母さんは…その」
「ええ、ルークの恩赦で暮らしていた教会から解放されたのよ。今後一切ステルシリーとは無関係だと署名して、私は初めて外の世界へ出た…」

言いにくそうな零人の質問へ晴れやかな笑顔で答えた女は、艶やかなブロンドを掻き上げた。若干眠そうな表情で、真っ青な空を窓から眺めている。

「ファーストが飛び出していってしまって、初めはそれで良いと思っていたの。私の傍に居る限り安全でも、ずっと外には出られない。…そうでしょう?」
「母さん…」
「クリス、少し休むかい?そろそろ外に出して貰えるか、学園長に願い出ようと思っていた所だ」
「有難うアリー、大丈夫よ。高坂さんと連絡が取れなくて心配よね」
「良いんだ、ひまは誰よりも私の竹刀を受けてきた男だからね。少々の事じゃ、」
「そりゃそうよね、アレクちゃん。あの馬鹿は組員引き連れて堂々とイギリスに戦争吹っ掛けて、拐われた息子を取り返して来たんだから」

嶺一の揶揄めいた眼差しに、女性陣から笑みが零れる。
改めて高坂日向の父親の偉大さを思い知った零人は「真似したくねぇ…」とぼやきながら、短い髪を掻いた。指先でつまんだ前髪のアッシュレッドを眺め、やはり佑壱の髪とは色が違うと考える。

当然だ。意図してこの色にしたのだから。

「そろそろ弟離れしねぇと、駄目かー…」
「何なのいきなり、アンタが世話しなくてもあの子は一人で生きていけるわよ。親を親と思ってないんだから」
「ご、ごめんなさいマイローズ、私の育て方が間違ってた…」
「違うわクリス、そう言う意味じゃ…!ああ、もう、佑壱は昔の私に変な所で似てんのよ!素直に助けてくれって言えない所とか、悪口の時は淀みなく口が回る癖に、大切な場面で口下手な所なんて父さんにそっくり!あとあの頑固さは母さんに似ちゃって、もう…最悪の血統書つきね…」

がっくり肩を落とした嶺一を、流石に可哀想になった零人がドンマイと宥めた。下半身の弛さは兄弟そっくりだが、佑壱ほど頑固ではない零人は要領が良い方だ。反して嵯峨崎嶺一と言う男は零人から見ても要領が良いとは言えない。
器用貧乏で家事の一切が出来る為、クリスティーナを娶ってからは妻の仕事がオフの時は甲斐甲斐しく世話をしてやっている。どっちが嫁だか判らない。

「さっきの怖いおっさん、まだ向こうに居るのかね」
「ネルヴァとシリウスがあんなに慌ててた相手だから、ろくなもんじゃないのは間違いないでしょうけど。流石にいつまでもゲスト扱いで監禁されちゃ、堪んないわ」
「だが、少なくともルークに異に反する事は出来そうにないのでは?組員が小耳に挟んできた話だから確証は乏しいけれど、理事長とルークが反目し合っているそうだ」
「…甥の事を悪く言いたくはないけれど、私にとってキング=ノヴァはただ一人の兄に変わりないの。兄様と二人で話がしたいと思うのは、いけない事かしら…?」

悪い訳があるかと、晴れやかに笑った高坂夫人がとんでもなくイケメンだった為、嵯峨崎三人の目がチカチカした。

















Twilight Chronostasis
 黄の沈黙

Reload to inspire No.0, Inspire our eyes.






「支配される感覚に気づいた所で、全ては既に終わっている」

一度目は、罪悪感に酷似した嫌悪感で支配されていた。
揺すぶり、噛みつき、舐め干して、けれど荒れ狂う欲を吐き出す事などついぞ出来なかった癖に。

「そうは思わんか、遠野直江。…遠野龍一郎の長男にして後継者」
「驚いた、君は俺を…私を知っていたのか」
「ほんの名前程度だ」

人とは慣れる生き物だ。
二度目には歯止めが効かない事を思い知らされただけ。どんな言葉を探そうが、奪おうが、作り出そうが、結局は何も変わらない。

「…些か個人的な疑問がある。年下の義兄とは、今はどうあれ当初は受け入れられたのか?」
「え?君がどうして秀隆兄さんの事を、」
「我が名は帝王院神威。帝王院秀皇は私の父に当たる」
「っ、何だって…君が?!」

過ぎ去った過去をどんなに焦がれても求めても、まるで無駄な様に。

「ぜ…全然似ていないじゃないか!兄さんにも学園長にも、俊の方がっ」
「誰が何を宣った所で事実は変わらない。そなたがどれほど私を睨もうが」
「っ。…ああ、そう。どうも君みたいに変に大人びた子は苦手で仕方ない、叶冬臣と良い勝負だ」
「あの程度の人間と並べ立てられるとは、愉快なものだ」
「何が愉快だ!全てを知っている訳じゃないが、理事長や冬月先生から話は聞いてるぞ!」

目元に隈を作っている帝王院隆子の肌は、年々白さを増している様に思えた。心からの微笑みを見たのはいつが最後だったかと思い返してみるが、そんなもの、一度でも見た事があるのか逆に疑問が増える。
細い手首だ。同じ様に首も細い。肺へと心臓へと酸素を運んでいく管の細さは、まるで彼女の命の儚さを突きつけてくるかの様に。

「血縁関係はともかく、この国の戸籍上は父子である事が証明されている。…さもなくば、父上が戸籍を手離す様な真似をする筈がなかろう」
「君達には、一体何があったって言うんだ…」
「悪魔は何度でも蘇る」

不死鳥の様に、と。
思った所で、不死鳥の如くしぶとい従弟を思い浮かべた。笑い話だ。当てつけの様に背中に翼を生やしたかと思えば、いつの間にか自ら犬を名乗る様になっていたのだから。

「悪魔…?」
「ロードはキングによって抹消されたそうだ。然しそれを私がこの目で確かめた訳ではない。…そう言った所で、そなたには関係のない話だ」
「…」

忌々しいにも程がある。
陽に嫌われた自分とは真逆に、太陽を吸い込んだ様な髪も、肌も、全てが夜に似合わない男。嵯峨崎佑壱。家族に恵まれた子供。帰る場所のある子供。
わざわざ悪魔の人柱にならずとも、あれは何処でも生きていけるだろう。ブラックシープとは違う。

「そなた、嵯峨崎佑壱を知っているか」
「は?」
「あれはイブの腹から産まれた。逆に、イブの卵から産まれたのが嵯峨崎零人だ」
「何の話を、」
「弟は瞳、兄は髪に。それぞれ禁忌の色を宿した。紺金の兄弟、片方だけが異質である事を除けば平凡な兄弟と言えよう」
「…異質?」
「99%以上の遺伝子適合結果を有しながら、兄は弟とは違う女の腹から産み落とされた。確実に言えるのは、兄弟でありながら義兄弟でもある事実。その歪さは善か、悪か。医者の見解を聞きたい」
「代理出産なら少なくとも海外では日常的に行われてる。善も悪もない事だろう」
「模範解答だな」
「何が言いたい?」
「とある女の腹から産まれた子供の父親は、その子供に名を与えた」

そうして最後には戸籍だけ残し、血に染まる真紅の塔に置き去りにした。悪魔と言う言葉が最後だ。

「死んだ女のDNAはない。ならばと死んだ女の父親から採取したDNAサンプルを用いて検査した結果、血縁率は0。それ以前に失踪した父親の毛髪から培養したDNAサンプルを用いた検査でも、血縁関係を示す結果は出なかった」
「まさか、それは…」
「ならば私は、誰の子だ?」

医者ですら答えられない問題がある。
それを突きつけられた男は呆然とした表情で口を閉ざし、見てはいけないものを見てしまったとばかりに目を伏せた。

「つまらん話を聞かせたか。訂正するまでもないが、俊とは無関係な話だ」
「じゃあ君は、俊とは何の関係もないんだな…?」

例えば今、自分と共に産まれた双子の話をした所で。
例えばその弟の遺伝子が遠野俊江との血縁関係を示したなどと宣った所で、戸籍上は他人、父親を通じて義兄弟、母親の遺伝子を通じて義兄弟などと言う不確かな関係に、どう名づければ良いと言うのだろう。

「見た所、東雲栄子の言う通りお祖母様のお加減が優れない様だが、そなたは信頼に値する人間らしい」
「し…信頼に値する、って、君が俺の何を知ってると言うんだ…」
「最後にせめてもの礼として助けてやりたい人ではあったが、私の個人資産は間もなく底をつく」
「は?」
「祭だろうと大河だろうと東雲だろうと、帝王院の株式に触れる事があってはならん。例えそれがお祖父様の魂胆だろうと、父上の望みだろうと、それ以外であろうとだ。帝王院の全ては、皇帝に委ねられねばならない」
「皇帝」
「ノアには黒が良く似合う。けれどそれは、悪魔の理論だ」

例えばあの日、突き動かされる衝動に委ねるまま浅ましいほどに醜い獣が如く腰を振り続けた男の下、組み敷かれた哀れな子羊は最後まで微笑んでいて。
例えばあの日、意識を手離す瞬間まで獣の背を撫で続けた黒髪の羊が、太陽からも月からも見離されたコンクリートの中に閉じ込められて尚、光を失わない一片の星の如く在り続けても。

(浅はかな自分は最後の最後まで獣のままだった)
(幾度となく吐き出した体液が溢れる様を視た)
(欲が満たされた瞬間に感じたのは愉悦だけ)
(罪悪感とは斯くも単純に消え去るのかと)
嘲笑っただろう?


「…俊に背負わせる枷ではないと思わんか」

ノイズだ。
誰かが嗤う声が聞こえる。蝉の啼く声に酷く似た耳障りな雑音だ。やまない。やまない。常に、何処に逃げようと。

「君は…」
「お祖母様の事はそなたに任せる」

あの醜い欲を何と呼ぶのか。
あんなにも穢らわしい感情が赦されて良い筈がない。あんなにも醜い生き物が抱いた感情が、『それ』であって良い筈がない。

そこに居るか、人が口々に神と宣う不確かな魂よ。
居るのであれば理解していよう、せめて貴様だけは。(私にはお前が神にはとても思えないが)(万一視ているのであれば嘲笑うが良い)(貴様と同じく神と呼ばれた哀れな雄の有様を)(謗れ)(嗤え)(どうせ世を犇めく雑音に消され聞こえはしない)

何故、今を以て尚も待ち兼ねた裁きは下されないのか。
それとも冒涜を極めた一方的なセックスが、人が口々に宣う余りにも有り触れた、陳腐に尽きる感情からだとでも唱えるか。



「…必ず助けてくれ、その方を」

俊はあの日の望み通り、私と言う人間の理性を壊滅的なまでに殺し、私と言う人間を一介の獣へと摩り替えた。ならば私には最早、人として相応しい感情が宿る筈もない。
つまりはあの瞬間、穢れを知らない体に歯牙を振りかざしたあの刹那から今に至るまで、ただの涅槃寂静ほどでさえ、





























ああ、それはまるで。
(死人の遺言の様だった)

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!