帝王院高等学校
ばっちばちに弾けてみてもいーんです♪
「話がある」

二人きりになった途端、それまでの冷静さが嘘の様に立ち上がった男は、手に持っていたファイルを叩きつけてきた。

「テメェ、昨日のアレはどう言う了見だ。今度は何を企んでやがる…!」

勇ましい声音に、毒を孕んだ双眸の剣呑さ。
今の今までいつもと同じ様に、ディスプレイを睨んだまま仕事を片付けていた男と、とても同一人物には思えなかった。
とは言え、年明け間もない一月の頭から執務室へ足を運ぶ者など、幾ら勤勉な進学科の生徒であれど、例年であれば数少ない筈だ。

「何、とは」
「何でもかんでも遊びにしてんじゃねぇっつってんだよ!個人的な苛めなら、直接本人にそう言ってやれ」
「私が誰を苛めたと?」
「しらばっくれんな!今回の件は、明らかに嵯峨崎に対する嫌がらせだろうが!」

にも関わらず、通常の始業時間と時同じく、副会長から入った呼び出しに応じた役員らは、文句一つ言わずに姫始め。
お陰で静かな筈の昼寝時間は、ただの一秒も許されなかった。

「何を宣うかと思えば、昨夜から腹に据えかねていたと見える。ならばわざわざ役員を呼びつけて仕事始めの会議などせずとも、私に尋ねれば良かったのだ。忘れたか、便利な回線があろう」
「俺様に会長権限があればな…!こっちだって、新年早々二日連続でテメェの面なんざ見たかねぇんだよ!」
「声を荒らげずとも聞こえている」
「ぶっ殺してぇ…」

窓の外は、灰とも白ともつかぬ曖昧な世界。
連日街中を待っている細雪は、山間部では玉雪だ。早朝に降り注いだ水雪が凍り、窓辺で小さな氷柱を作っている。
見渡す限り無色の世界。白とも灰ともつかぬそれはまるで、金属の質感に似ている気がした。

「招集に応じないファーストへの怒りは、直接本人に当たれ」
「これが八つ当たりだと思ってんのか、めでたい頭だな。もっぺん、今度は丸めるか?あ?バリカン用意してやるよ糞野郎、お陰でカルマの連中がアンタに気づくまで何時間懸かったか!」

この寒々しい光景が、どうやら副会長閣下には見えていないらしい。子犬ですら此処まで騒がしくはないと息を吐いたが、それが益々日向の琴線に触れた様だ。

「Eクラスの梅森なんざ、テメェが俺様の新しいセフレだのほざいてやがったぞ!判ってんのか糞が!誰がテメェなんざ抱くか、ああ、くそっ、思い出すだに腹が立つ…!」
「口を開けばファースト、ファーストか。そなたの関心は未だ変化がないと見える」
「…んだと?!」
「羨ましいものだ。私の興味は今に至るまで一つとして、一月と継続した事がない」

皮膚がいつもより固い気がするのは、思い込みだろうか。
室内は年中一定に保たれており、通学時以外では外に出る事がない生徒らは勿論、通学時にすら外には出ない自分が、寒さを感じる事などある筈もないのに。

「だから何だ。テメェの暇潰しの為なら、他人を犠牲にしても構わねぇっつーのか、あ?俺様相手に、お得意の天然で話を逸せるなんざ思うなよ、帝王院」
「議論を摩り替えたいのはそなただろう」
「あ?何が言いたい。返答次第じゃ、刺し殺してでも息の根を止めんぞ」
「…若いな」
「ああ?!」

目の前の男を騒々しいと思うのは、極稀だ。
叶二葉ですら煩わしいと思う事は未だにあるが、それでも高坂日向にそう感じた事は、実の所それほどなかった。今を除いては。

「祖母様から差し入れを頂戴している。執務室へ運ばせるも良いが、気が休まらんだろう。仕事始めには些か早かろう、庭園でつまんでこい」
「ちっ」

話にならないとばかりに舌打ちした男が、苛立たしげに背を向けた。

「他人の手料理なんざ口にしたかねぇが、学園長代理のお節を無駄にする訳にゃいかねぇ。…逃げんなよ陛下、腹拵えしたら洗いざらい吐かしてやる」
「斯くも気の長い男だとは、流石にそなたを見直したぞ。だが、質問の意図を計りかねては、答えるに相応しい言葉が掴み取れんな」
「惚けやがって人格崩壊者が」

肩で風を切るが如く退出していこうとしている男のブロンドは、太陽の恩恵に乏しい真冬でさえ、こうも眩い。
光に愛された男だ。自らがまるで光の如く、ともすればよもや、呪いの様にさえ思える。

「ああ、待てベルハーツ」
「今すぐ殺すぞマジェスティ」
「昼を待たず雪が強くなろう。灯火が消し飛ばんよう、精々気をつけてやれ、2年Sクラス高坂日向」

赤だ。
見窄らしい白の世界に今、赤は大層映えるだろう。

「赤はそなたの色だ、副会長」
「…だったら書記が着る筈の白い礼服を勝手にパクんな、会長」

地中に生まれた炎は光には程遠く、マグマの如く、地を這ったまま。決して鳥にはなれない。何処へ逃げようと、永久に。
それなのに何故、人は届かないものばかりに焦がれるのか。

例えば地中で産まれた子供は、外に焦がれた。
例えば自由を許されない皇帝は、己の代理を求めた。
例えば割れた真紅のステンドグラス。その向こうには巨大な満月が覗いており、戸口で動きを止めた赤毛の女の隣を通り過ぎていった白いブレザーは、二度と戻っては来なかった。

陛下、と。
微かに呟いた女はそのまま座り込み、酷く幼い声で手を伸ばしてきたのだ。
遠ざかる二人分の足音を、追い掛ける事も出来ず聞いていた子供の手を取り、どうして、どうして、と、何度も囁いた。彼女を納得させる答えは誰からも与えられず、目の前で犬に喉笛を噛み砕かれた神が落ちていく光景を網膜に焼いたまま、壊れていったのだろうか。

彼女は、この白い髪を見るなり狂った様に笑いながら宣った。
お前が死ねば良かったのに、と。真っ白な部屋の中で、何度も己の爪を噛んでは、真っ赤な血を滴らせて。



「強いて言わば」

いつかの如く遠ざかる足音。つまりこの呟きは独り言に等しい。
完全防音の意味を今一度調べる必要があるかと、叩き閉められたドアがきっちり閉まっている事を確認し、皮膚を覆っていた金属へ手を伸ばした。

「逃げた『天神』の代わりになる可能性を感じた『黒』と、もう一度話がしたい。…と言った所で、頭の固い高坂が納得するとは思えん」
「おや、誰であろうと納得させるのはお得意でしょう?」

真っ白な世界を背後に、真っ白な男が囁く声。
給湯室から出てきた男は今の今まで話を盗み聞きしていたらしく、いつもの愛想笑いがいつもより何割増しかで楽しげだ。

「昨夜からと言うもの、高坂君の機嫌は過去に類を見ないほど悪いんですよねぇ。我がサブマジェスティは潔癖性の完璧主義者でらっしゃいますから、あのまま放っておくと、本気で暗殺を計画しますよ?」
「それも一興。私がどの様な死に顔を晒すか、そなたは興味があろう?」
「うふふ。この私が知らない拷問スキルを、残念ながら高坂君は『身を以て』知り尽くしてらっしゃいます。恐い世の中ですよねぇ、陛下」

くすくす、くすくす、舞い踊る灰雪が落ちる度に、笑う声は響いた。密やかに、雪よりずっと、冷ややかに。

「7歳から12歳まで、ヴィーゼンバーグの嫡男とは認めて貰えない人質に近い扱いを受け続けてきた、物好きな男。私の従兄殿とはとても思えない、サディストさだと思いませんか」
「ほう。マゾヒストの間違いではないのか?」
「祖母は見て見ぬ振り、笑えますよねぇ。亡きレヴィ=ノア=グレアムへ嫁いだ、エリザベート=マチルダ=ヴィーゼンバーグに良く似た、金髪ブルーヘーゼル眼のアリアドネを、彼の有名な女帝、エリーネ=セシル=ヴィーゼンバーグは愛さなかった。寧ろ視界に入れる事さえ拒否した」

にも関わらず、アレクセイ=ヴィーゼンバーグだけは己の息子として籍に置き、死ぬまで自由を許した。その違いは何だったのか。

「そんな国へ自ら乗り込めば、少なくとも歓迎される筈がない」

何度も身内から殺され掛けては、拷問の様な扱いを受けて。

「男女問わず片っ端から屋敷の人間に手を出したのは、高坂君なりの防衛手段でした。ああでもしなければ、何十人から命を狙われるか…」
「あれの歯牙に掛かる者ばかりではあるまい。無論、どれを取っても、ファーストよりは扱い易いだろうが」
「そうですねぇ、身を守る術を人知れず一通り叩き込んできた高坂君は、実地経験を慮る私と経験差こそあれ、実力にはどれ程の差があったのか。帰国した頃までは勝てる自信があったんですが、流石に今の彼とは揉め事を起こしたくないです」
「そなたが素直に誉めるのは珍しいな、セカンド」
「と言うか、育ち過ぎちゃって可愛くないんですよねぇ」

成程、二葉の本音はそこだった様だ。

「ヴィーゼンバーグの軍術指南書や暗殺術は、歴代公爵しか触れないと言うのに、身を以て体験してしまうなんて、高坂君はラッキーですよ。私には誰一人手を出そうとしないんですもん、何せ私は乙女座の男」
「ヴィーゼンバーグの家紋は獅子ではなかったか?」
「おや、知らなかったんですか?今の女王陛下は乙女座なんですよ?」
「ほう。女王の従者は、随分と忠実な民ばかりと見える」
「そう、例外は高坂君だけ。まるで何事かの呪縛から解き放たれた様に、まさかあそこまで育つなんてねぇ。知ってますか、今の高坂君は183cmあるんですよ」

確かにいつの間にか、日向は二葉の背丈を抜いている。今もデスクに腰掛けていた帝王院神威を覗き込んできた日向は、遥かに高い位置から背を曲げていた。

「クリスマスプレゼントにコートを差し上げたんですが、私の見立てでは裾が足りない様でしたので、計らせました。毎日見ていると気づかないものですねぇ、陛下」
「それほどカルシウムを摂取しておる割りに、近頃は些か気が短い。背丈に奪われたか」

日向の招集に応じただけで、正月は働かないと宣った男は、どうもまた日課に等しいセキュリティカメラをチェックしていた様だ。ブレザーの胸ポケットから、印刷前の写真用紙が覗いている。
神威が居なくなるまで待っているのか、単に忘れているのかはともかく、どうせ印刷するのはいつも通り、山田太陽の映った映像ばかりだろう。

「…去年の夏頃でしたか。体調が悪そうだった高坂君を、ずぶ濡れで街から帰ってきた陛下が、無理矢理手籠めになさったのは」
「私の記憶とは合致せんな。そなたを含め、男に欲情した覚えはない」
「おや、駄目ですよ陛下、その様に強がったら。6歳でファーストキスを済ませた私とは違って、サブマジェスティは17歳になった今もキスを知らないウブな方なのです」

日向には執務室で私物を量産するなと怒鳴られているが、給湯室の奥にある物置用のクローゼットの中に、二葉専用の巨大な金庫が増えていても、誰も指摘はしない。二葉には何を言っても無駄だからだ。

「その初心な男が先程ダストシューターに避妊具の空箱を捨てておったが、三ヶ日が明けぬ内から働くとは、勤勉なものよ」
「陛下、今年の模試はどうなさいますか?もしかしたら去年は風邪を引いただけかも知れませんよ?」
「成程。想像だにしなかったが、一理あるやも知れんな」
「想像していないと言う事は、戻ってくる筈がないと思ってるんですね。最近はめっきり忘れてらした様ですし、他に興味が移ったんだろうとは判っていましたが…」

まさかカルマとはねぇ、と。
揶揄めいた声が笑っている。恐らく推測はしていたに違いない。神威に興味がない日向はともかく、二葉はこれでいて案外、他人の変化に聡いのだ。
但し、殆どが山田太陽の微々たる変化に限っているが。

「未だに爵位を与えると言うんですよ、この私に」
「そなたが公爵とならば、爵位で見れば私の上司になるな」
「ご冗談を。元々グレアムはフランス貴族ではありませんか、狭苦しいブリテン島に収まる家ではない」
「物言わぬ女帝の本心までは知らんが、騒がしくなりそうではあるな」
「ええ。今のヴィーゼンバーグは全盛期の半分以下に資産を落としています。お祖母様の甥であり、立場上は私の従叔父であるニコラスが散財した事もありますが、大半は高坂君に流れてます」
「実家の資産を奪うとは。成程、7位の欧州情報部を希望した狙いは、それか」
「判っていた癖に。…おや、本格的に降ってきましたよ」

窓の向こうへ眼を向けた二葉の声を聞きながら、仮面を外す。
髪を掻き上げれば、外から目を離した二葉が首を傾げた。

「少し伸びましたね。明日、切り揃えさせますか」
「良い。気が向けば切る」
「短いと整えるのが大変ですよねぇ。私だけでも切っておきましょうか、明日は月曜日なので今年最初の授業がありますから。進学科に休みなし、ってね」
「そなたには授業免除があろう。ああ、風紀巡回は免除されんか」
「全く、毎年元旦は授業が休みになりますからねぇ。弾けすぎたSクラスの生徒が、髪を染めたりピアスを開けたり非行の道に走ったりゲームのやり過ぎで寝不足になったりしていないか、ねっとり見回らねばなりません」
「非行はともかく、その他は特に問題性を感じんが?我が学園の校則は、生徒の意思を尊重している」
「いけません。ふーちゃんは許しませんよ、折角さらさらつやつやな髪の毛が金髪なんかになっていたり、Mサイズでもゴムが余り気味のトランクスがピチピチボクサーになっていたりしたら…」

ぶつぶつ宣いながらつかつかと己のデスクのパソコンを覗き始めた二葉は、日向が時々見せる様な表情でディスプレイを睨んだ。さして興味はなかったが何を見ているのだろうと、神威は己のディスプレイを見やり、キーボードを叩く。
二葉のパソコンをハッキングし、そのディスプレイを丸々コピーすれば、想像通り、一年Sクラスの寮室周辺のセキュリティカメラの映像だった。

自動販売機の前に立っている、何とも言えない臙脂色のジャージとスウェットの生徒は、恐らく寮監の東雲村崎と山田太陽だろう。
仲睦まじく揃って温かい緑茶を買い、近くのソファに座って揃いの携帯ゲームを取り出したかと思えば、そのまま動かなくなった。

「…ちっ。またモンハンかよ、畜生が」

日向は居なくなった筈だが、地声が良く似た従兄弟だ。
ごそごそと滅多に使わない携帯電話を取り出したかと思えば、何処ぞへ掛けている二葉の様子を横目に、ディスプレイの中でジャージから携帯電話を取り出す東雲を見た。

「明けましておめでとうございます、東雲先生。お忙しいところ恐縮ですが、陛下が直々に話したい事があると仰っていますので、今すぐ執務室へお越し頂けますか?」

悪びれない笑顔が宣う台詞を聞いたが、だからと言って、何の話もないと言うだけ無駄だろう。
成程、今日は一日、寮の巡回をするつもりだったらしい二葉は、日向に呼びつけられた所為で太陽に会えていない。これこそ本当の意味での八つ当たりだと思ったが、裏を返せば日向が皆を呼びつけたのは恐らく自分の所為なので、仕方ないのだろうか。

「と言う訳で陛下、今から東雲先生がお見えになりますので宜しくお願いします。私はちょっと用を思い出しましたので、取り急ぎ失礼しますね」
「どうでも良いが、そろそろ偽名で擦れ違い通信をするのはやめておけ。何度オフ会に誘おうと、一年Sクラス山田太陽がSクラスである限りは、無駄だ」

何せ進学科の生徒は、他のクラスから腫れ物に触る扱いだ。
毎週日曜日に『すらりん』と言うハンドルネームで某ゲームを寮周辺で楽しんでいる太陽は、毎週必ず現れる『ふーたん』と言う狩り仲間が叶二葉だとは気づいていない。
その筋では伝説のハンターとして知られているらしい太陽に近づく為、半月ほど不眠不休でプレイしていただけに、今は二葉も伝説のハンターとして知られている様だ。

「おや、何の話ですか?私は一言も山田太陽君とは言っていませんよ?」
「確かに、聞いた覚えはないな」
「それでは陛下、ご機嫌よう。さようなら」

三日で飽きた神威のデータを中央委員会顧問である東雲に譲ってやれば、いつの間にか彼ものめり込んでいるらしかった。
その太陽と東雲のゲームをハッキングして中を覗いた神威は、東雲が苦戦していたらしい巨大なモンスターを鮮やかに一人で倒した太陽が、パソコンのディスプレイの中でまったり茶を飲む様を見た。

「そなたも狩られんよう気を引き締めておけ、セカンド」

言った所で、恐らく廊下を全力疾走しているだろう眼鏡には、届く筈もない。

















「………で、アイツは誰なん?」
「アイツって…アイツ?」
「何つーか、全体的に白い奴…?」
「さぁ…?」

ぼそりと呟いた一人に対して、答える者はない。
それは彼の周囲に居た、少なくとも彼と同じ様な表情で様子を窺っていた誰もが、その問いへの正しい回答を知らなかったからだろう。

「お、おい、アホ三匹。お前ら私立組は、アイツらに見覚えがあんじゃねーの?」
「はぁ?アホ三匹はやめて〜ん、アホ毛が跳ねまくってるのはウメコだけだも〜ん」
「いや〜ん、マツコはカチューシャで誤魔化してるだけでしょ〜ん?昨日朝帰りしてさっきまで寝てた癖にぃ」
「…見覚えあるのかねーのか、どっちだよっ」
「はいはい、大きな声出すなって。俺らに訊いても無駄っつー事だ、何せこの竹林さんもちょっと判んない」

とは言え、黄昏時を暫く過ぎたカフェは未だに準備中のプレートを垂れ下げたまま、バータイムへ突入しても営業を始める気配はなかった。

「どう見ても俺らのセートカイチョー様にしか見えないんだけどね〜、髪型以外は〜」
「…はぁ?何言ってんだよ竹林。生徒会長って、あの生徒会長?」
「他にどんな生徒会長が居んのって言いたい所だけど、ま、俺ら『私立組』は色んな生徒会長が居るから、難しいね〜」
「結局、誰なんだよ…」
「一人は説明する迄もなく全員知ってるし、もう一人は説明しても信じないだろうから言いたくないっつーか、もうあんなん姫じゃねーよな、マジ最近じゃめっきり王子でもねぇんだよなぁ…」
「ああ、ついにアホ三匹の唯一の良心だった竹林が壊れた…」
「ま!失礼しちゃう。…にしても、榊の兄貴はいつまでグラス磨いてんだろうな?」

無言でグラスを磨き続けている店長は、カウンターの向こう、オープンキッチンの片隅、わずかに開いたままのドアの向こう、倉庫へと続くその影にまるで隠れでもするかの如く籠ったまま、決して姿を現そうとしない。

「お、おい、つーか…何で追い出さねぇの?」
「…副長がキレてねぇんだから仕方ねぇだろ?何なの年明け早々この感じ、マジで明けまして何にもめでたくない感じ、…ぐすっ、総長、早く来て欲しい…」
「泣くな…っ、見ろ…!貴公子の野郎がカナメさんの席からニマニマしてこっち見てる…っ」
「…っ、何でABSOLUTELYの奴らは仮面被ってんだよっ。恐ぇよっ、早よ帰ってくれ…!」

カウンター席から程近い、6人掛けボックス席の中央。
カウンターには背を向けたまま、真っ赤な林檎のクッションが敷かれたソファに無言で腰掛け、大量のストラップが犇めく携帯電話を耳に当て続けている赤毛は、この数時間、片手にきらびやかな封筒を握ったまま一言も喋っていなかった。

「ねーねー、おまつ。あれって光王子の新しいセフレじゃね?」
「マジ?学校の外まで連れてくるって、かなり本気じゃん」
「つーか、ユウさん、まだ総長と連絡取れねぇのかな。総長ってわりかし気分屋さんだよね」
「うめこ程じゃないって〜。お前、昼に雑煮の餅食い過ぎて早速トースト喰ってんじゃん」

彼らしくなく、余りにも無気味なほどに。
お陰で無駄な会話でこの沈黙を何とかしようと奮闘している数名は、緊張感に似合わない無駄話を披露する羽目になり、錦織要や神崎隼人に睨まれ冷や汗を掻いている。


「…どうですか副長、連絡はついたんですか?」

この状況で珍しく大人しい嵯峨崎佑壱の背後、恐る恐る枯れた声を放ったのは錦織要だった。持ち主の意を反映したのか、彼の片耳で揺れている羽根のピアスも、心なし寂しげに揺れている。

「あ、いや、でも流石に元日からお呼び出しするのは無理がありますよね!偶々常連さん方が来られたので店を開けただけですし、このまま閉めましょう。そうしましょう」

佑壱と同じく、無言のままカウンターの定位置ではなく佑壱と同じボックス席に座っている他の四重奏とは違い、要だけがうろうろと店内を彷徨っていたのは一重に、見慣れた店内の一席に、見慣れない客が陣取っていたからだろう。

「ふぅ。この店はいつまで客を待たせるんですかねぇ?」
「っ、黙れ洋蘭!」
「うふふ、客に黙れとは怖い店員ですねぇ。捻り潰しますよ?」

事の顛末はそれほど難しくはない。
彼らがドアベルを鳴らしてから実に小一時間、滅多に見られない愛想スマイル0円で『お引き取り下さい』と嵯峨崎佑壱が宣ってからも、実に小一時間。
新年会と言う名の定例集会で集まっていたカルマメンバーと、正月早々行き場がないと嘆く、常連数名のおじさんでボックス席を埋めていた為に、ずらずらとやってきた目を引く一同は、その中で最も目立つ三人だけがカウンターを陣取った。入りきらなかった者達はテラスで待機しており、ガラス越しにカルマと睨みあっている。

最も顕著なのは、ガラス越しに頬を染めた西指宿麻飛が覗き込んでいる所だろうか。粉雪が舞う寒いテラスで彼は、相席中の東條清志郎から何事か話し掛けられているが、振り向く様子はない。

「…お、おい、何かアイツがハヤトさんを見てんだけど」
「あー…確かウエスト、だっけ?」
「また何かやらかしたのかなぁ、ハヤトさん…」
「ハヤトさんが恨まれる様な事をしたってのか?まぁ、有り得そうだけどさ…」
「ハヤトさんだもんなぁ…」

ただただダウンジャケットを味方に頬を染め、白い息を吐きながら店内の弟を凝視していた。
誰が見ても判るほどに。

「ダーリン、店員が睨んできます」
「誰がダーリンだ、噛み殺すぞテメェ」
「私がロイヤルミルクティーカルマスペシャルブレンドエターナルホットを注文したのは、実に30分以上前の話なのに」
「メニューに載ってないもん注文するからだろうが。少しは黙ってろカス」
「おや、神をも恐れぬ美の化身と謳われた私にカスとは、これ如何に?」
「誰がンな胸糞悪い台詞謳ってんのか、逆にこっちが訊きてぇくらいだ。お前の頭は大丈夫か会計、計算が怪しくなったら言え、クビにしてやる」
「ふぅ。見れば判る事を尋ねるだなんて、とうとう頭と下半身だけではなく目まで悪くなりましたかサブマジェスティ、悲しい事です」

客だと言うからにはABSOLUTELYであれど無碍に扱えず、奇妙な雰囲気に負け帰っていった常連客が居なくなってからは物の数十分、カフェは異様な緊張感で支配されている。

「だから他の男に腰振ってる暇があるなら私にしておきなさいと言ったではありませんかダーリン、仕方ないですね。ふーちゃんのおっぱい揉みますか?」
「心臓を握り潰す勢いで良いなら、揉んでやろうか」

日向が凄まじい嘲笑を浮かべた瞬間、ドカンッと言う凄まじい音が響いた。見れば、立ち上がった佑壱の前で、6人掛けのテーブルが真っ二つに割れている。

「参ったな、昨日焼いたマドレーヌがそろそろ馴染んできた筈なんだが…」
「ふ、副長…」
「ユウさ、ん」
「幾らなんでも、ガッコ抜け出して町内3周半バイク転がした夢なんか観ないで良いと思わないか、なぁ…?」

バキボキ。
笑顔で拳を鳴らしながら吐き捨てた赤毛は、目だけが死んでいた。

「…おい、テメーら」
「は、はいっ」
「誰でも良い、今すぐ俺を殴れ。いい加減催眠術には飽きてきた、早く目を覚まして総長にデコメらなきゃなんねぇんだから、ああそうだとも」
「落ち着いて下さいユウさぁぁぁん!」
「むっ、無理っス!」
「副長を殴るなんて例え死んだって無理、」
「だったら今すぐ死ねやぁあああ!!!」
「「「ぎゃーーーーーっ!!!!!」」」

賑やかしい店内で、佑壱の手から舞い落ちた一通の手紙を拾い上げた二葉が口元を押さえるのを見た。

「おやおや、見て下さい二人共。カイザー直筆のお手紙の様ですよ」
「…あ?」
「まるで今日の事を見通してらした様ではありませんか。これはまた、随分面白そうな事態になりましたねぇ…、愉快山の如し」
「…ちっとも面白そうじゃねぇよ!」

ああ、騒がしい世界だ。
重なりあう雑音が奏でる不協和音、不特定多数の脈動がバラバラに重なって聞こえてくる。刃の様に。


「………俺のお陰、か」

逃げられた。
また、逃げられた。
二人目だ。捕まえる前に逃げられるなど、もう二度とないと思っていたのに、だ。

「俺が狂わせたなら、責任を取ろう」
「陛下?」
「総員へ申し伝えよ。カルマ皇帝を捕らえ、我が眼前に」

ああ。
地獄の犬が、恐ろしい目で睨んでくる。
遥か40年数前に失われた灰皇院、王に忠誠を誓う事を宿命づけられておきながら、悪魔の血を混ぜた、哀れな赤い犬が。


「………俺の人生を狂わせた責任は、『どちら』が背負うべきか」

近頃、これに良く似た字を見た。
何千通と届く外部受験願書の一枚、そう、この8区にある進学校の生徒が送ってきたものだ。校内書類審査用に学園長室へ届けられたそれを、偶々手に取った覚えがある。それだけの話だ。

「遠野俊」

偶然かも知れない。
偶然、字が似ているだけかも知れない。
いずれにせよ帝王院学園高等部外部受験の狭き門は、未だにただの一人も受け入れていない事を、知っている筈だ。



「…裸の王が示す意味は、何だ」

それが万一打ち破られるその時が、訪れたとしたら。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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